|同|海|白|赤|古|忠|後|燕| |夜|村|雲|水|聖|臣|君|王| |遥|何|出|東|絶|去|重|昭| |思|日|岫|流|交|国|色|能| |月|招|雨|潮|証|陰|嵌|用| |下|魂|初|復|彼|身|斉|楽| |城|卜|晴|上|正|潔|兵|毅| 以下失礼ながら説明です。 [語釈] 「燕王昭」燕の昭王。「先従隗始=まずかいよりはじめ」た君主。 「楽毅」諸国から集まった賢人の一人。 「後君」昭王の世継。 「嵌」はまる。 「斉」国名。 「彼」交わりを絶った相手。 「上」蒸発して天にのぼるの意。 「卜」占い。 [作法]下平声八庚押韻。仄起格。 [補足]楽毅将軍について 燕の昭王に抜擢された楽毅は、昭王の遺恨を晴らすべく斉に侵攻し、 その49城の内47城を落としたが、最後の2城にてこずっている間 に昭王が死去した。世継は酒と女に現を抜かし、又楽毅を嫌っていた。 この燕国の状況に斉の軍師がつけ込み、あらぬ噂を流して、燕王と 楽毅を離間させ、斉討伐の将軍の交代命令を出させた。 楽毅は、帰国して誅伐されるのを恐れ、他国に亡命したが、燕の斉 討伐軍はまたたくまに城を奪い返され、敗走した。燕王は、楽毅が この機に乗じて恨みを晴らさんことを恐れ、楽毅に手紙を出したが、 楽毅はそのような恨みはない旨の返書を書いた。その中で古の名君 名臣の話を引き(上の詩の第三四句)、自分の心を表した。後に この返書は諸葛孔明も人生の指針とした。
●記録者 梅足 [hisgw.hitachi-his.co.jp]
●記録日 06/30(火)11:02
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