「小さき声」 目次


 小さき声 No.12 1963820日発行

松本馨

<こま>

子供の頃、こまを回したことがある。こまは、早く回っているときは、一点に静止しているかの如く回っていることが見えない。しかしこまは、目に見えない空気や塵をはじき飛ばしてそこに渦を巻き起こし、軸の中心に向かって回転しているのである。速度が落ちるにしたがって運動は弱くなり、回っていることが目に見えてくる。さらに速度が落ちると、中心を失って揺らぎ始める。一点に止まっていることが出来なくて、動き始めて、遂には揺らめき倒れる。軸のないこまは、如何に形が美しく立派であっても、無用の廃ごまである。時計の生命が時を刻むことであるなら、こまの生命は、中心に向かって運動を起こすことである。

信仰は、こまである。こまの軸は、キリストである。このキリストが立つとき、信仰は生きて働き、生活はキリストに向かって運動を起すのである。はたから見ると無為無力、あってなきが如くに見えるが、内は渦を巻き起し、キリストに向かって回転しているのである。キリストなき信仰は如何に回転が美しく立派でも、それには命がない。

また、キリスト以外の何かを持ってきて軸とすることも、無駄である。それが本物か偽物かは、一度苦難に遭うとたちまちわかる。偽物は、普段は力強く頼もしく見えるが、苦難に遭うと、夏の日照りに抜き取られた草の如くしおれるか、無人電車の如く暴走し、転覆し、破滅する。

キリストが立っているときは、恵みに恵みを、力に力を与えられ、獅子の如く苦難の荒野を征服するのである。我々は、時々刻々、キリストが立つことのみを考え、その他のことに心をつくすべきではない。また、生活の中にキリストを迎えようとしてはならない。キリストが立つとき、生活が始まり、日々の運動が始まるのである。このキリストが立つとき

「わたくしたちは、四方から艱難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害にあっても見捨てられない。倒れても滅びない」(コリント二4・8〜9)

<この病いは死に至らず 十二>

石の心  

九月末に私は眼科病室に入室しました。当時は専門の眼科医はおらず、治療に対する望みは全くありませんでした。もっとも眼科医がいても、おそらく私は何も期待しなかったでしょう。この病に関する限り、医薬の無力を徹底的に知らされていたからです。これは私一人のみではなく、患者はみなそうであったし、医者も同様だったと思います。療養所自体が、治療よりも患者の収容隔離を目的としていました。このために収容所を模倣し、職員は、元警察署長や警察官を多く採用しました。収容所から療養所へ移行していったのは、日本が戦いに敗れて民主憲法が制定されたときです。囚人的地位から、このとき解放されたのですが、内からの解放はプロミンによってです。一九五○年には既にプロミン治療が実施されていましたが、今日の療養所を予測した者は一人もいなかったでしょう。

私が病んでいた年は、らい園の夜明け前で、人間回復の声が小さくはありましたが隅々で聞かれました。そしてこれから二年後に全国的な声となり、らい予防法闘争となり、国会にまでその声は届きました。

私はそれとは無関係に、昼と夜が混濁した混沌とした中で、夜の到来を待ち望んでいました。

私は眼科病室に入る前に、日記と小説や詩の原稿を一枚も残さず焼却しました。それから聖書のみ残して、心の書物、文学書と哲学書が大部分でしたが、処分してしまいました。寮に再び帰ることはないと考えたからです。なぜ聖書を焼き捨てなかったのか、自分でもよくわかりません。病室に入る目的は、死の可能性について考えたことであり、そして決断することでした。死を考えたことは、過去に幾度かありますが、死の可能性について考察したことはありません。対策は、いつも否定的な死でした。ある自己の存在意識と目的が明らかになるまでは、死を肯定することが出来なかったのです。

だが失明によって、私は私の生に終止符が打たれたことを知りました。私は生きたまま死に渡され、世の見せ物となってしまったのです。

誰か、らいの盲の如く病んだ者がいるか、その哀れさ、その悲惨さ、その愚鈍さ、醜さ、恥は彼のもの、悲しみもまた彼のものです。また、誰か彼の如く忌み嫌われ、恐れられた者がいるか、悪魔も彼ほどに恐れられはしなかったでしょう。荒野でイエスを試みた悪魔は、神か悪魔かわからぬほどに立派で、堂々としているではありませんか。同病者は、彼を侮り、蔑み、彼が立っていると「お前はおかしい」と言って笑い、彼が座していると「お前は生ける屍。お前は首を振っているか、時計の振子のように体を揺すっているか、手で膝を叩いているより他に用はないのだ」と言います。なぜ、かく苦しまねばならぬのか。死はなぜに、彼のもとに来ないのか。死もまた彼を見捨ててしまったのです。

彼のために、彼よりも低きところに落ちて、彼の恥と災いと病と苦しみを負って、十字架上に血を流しておられるイエスを、我が霊が見ることが出来たなら、彼を我が内に迎えることが出来たなら、私の嘆きは一瞬にして、歓喜と感謝に変わったでしょう。私の目は十字架のイエスを見、耳は彼の叫びを聞きながら、心は石のように動きません。

肉の思いは死である

文学には文学的生命があります。ドストエフスキーの『罪と罰』を読んで、ラスコリニコフの心臓の鼓動を聞いたのは、私のみではないでしょう。彼の苦悩は生命そのものであり、文学を超えて心に迫ってくるものがあります。優れた古典文学は、幾百年の時代を越えても今も生命を持続し、そしてその人たちの心に触れることが出来ます。詩もまた同じことが言えます。詩を通して、既に墓に眠っている詩人と交わることが出来ます。詩の中に、詩人が生きているからです。このようなことを記すのは、私が文学の生命を発見した如く、聖書の生命を発見することが出来なかったことを言いたかったのです。  

一九四一年より四九年まで、つまり教会で洗礼を受けてから、義子が死の宣告を受けたときまでですが、私はつとめて集会に出席するよう心がけました。日課として聖書は少しずつ読み、朝夕の祈りは欠かしたことはありません。このことに関しては、非難される点はありませんが、不思議なことにイエスの人格に接したことはありません。神の言に魂を震憾させられたことはないのです。誤解を恐れずに大胆に言うなら、聖霊を受けたことがないのです。

聖書は神の言であり、この言はイエス・キリストです。

「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちは、その栄光をみた。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまことに満ちていた」(ヨハネ1・14)。  

神は、御子を私たちの罪のため死に渡し、三日目に甦らせ、私たちの知恵と真と生とを贖いとされました。

聖書を読む秘訣は、いかなる節にもイエス・キリストを見ることだと言われます。聖書は大河の如く、キリストの生命の水が満ち満ちて流れています。この生命の水を読むときは永遠に変わることはなく、恵みに恵みを加えられ、希望より希望へ、信仰より信仰へと至らせます。文学の生命を汲むことが出来て、聖書の生命を汲むことが出来ないのはなぜか。私の信仰に大切なものが一つ欠けていたためでしょう。それは自己に死ぬことが出来ず、心の空虚を文学で満たし、頭の空虚を哲学で満たしていたからです。これらのものと断絶することが出来なかったからでありましょう。

「なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである」 (ロマ8・5〜6)。  

イエスは、人は新たに生まれなければ神の国へ入ることは出来ないと言われました。そしてパウロは、コリント第二の書5章で次のように言っています。

「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである」 (コリント二5・17)

文学を捨てることが出来ず、世と断絶することが出来ない者にどうしてキリストの霊にあわされようか。

信仰は、自己に死に、身をイエスに注入することでありましょう。キリストにつがれてその死に会わされ、その生命にのまれることであります。

「わたくしたちは、この事を知っている。わたくしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それはこの罪のからだが滅び、わたくしたちがもはや罪の奴隷となることがないためである」(ロマ6・6)。

 「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は、罪に定められることがない。なぜならキリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである」 (ロマ8・1〜2)。

肉にとどまっている限り、いかに忍耐し、努力してもキリストは私たちに語りかけることはないでしょう。私は聖書を一時間と続けて読むことは出来ませんでした。口にはあくびが、目から涙が出、頭は自然に重くなり、両目はふさがってしまうのです。牧師の説教は、退屈するか眠くなるかどちらかでした。そしてこれらの原因を、自己にではなく他に課しました。牧師は人生の悲哀も苦悩も知らないのだから説教に力がない。人の心を打つことがない。信者は、喜びもないのに白痴の如く喜び、安らかざるに安し安しと言い、感謝もないのに感謝感謝と言っている自己喪失者である、と。実は白痴的信仰の所有者は他にあるのではなく、私自身だったのです。(以下次号)

<イエスの血>

「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ5・44)

私には、わからない聖句がいくつかある。頭ではわかるのであるが、全身で受け取ることが出来ないのである。ここに記した聖句もその一つである。愛は愛であり、敵は敵である。敵を愛するとき、もはやそれは敵ではなく愛ではないか。敵に対して、私は本能に近い程、恐怖を覚える。過去の私が歩んだ道がそうさせるのである。

もし、誰かが理由なくして私の生命を狙っていると知ったなら、おそらくその前に相手を倒すことを考えるに違いない。私の右の頬を打つ者があるなら、私は相手の両頬を打つだろう。私の下着を奪う者があるなら、下着と共に利息をつけて相手の上着をも奪うであろう。こうした私であるが、過去一年の生活を通して、44節を受け取らされた。  

昨年五月、私は新築の盲人寮に移った。寮は一室が四人で、皆初めて一緒になる人達であったが、その中に44節を受け取らせるために、私のもとにつかわされたような人がいた。その人は、私が耶蘇であるために、昔、私が神の人を辱め、軽蔑したように、私を辱め侮った。また、言葉は巧みであるが腹の中では何を考えているかわからない、と私が疑ったように私を疑った。その人は、私の目がキリストを見ても見えず、耳が彼の言葉を聞いても聞かなかったように、私を見ず、私に聞こうとしなかった。その人は、私が肉親を呪い、世を呪ったように私を呪った。その人は、らい盲で、聾者で何もわからない弱いわしを苛める、と信じていた。そして何も知らない人間に向かって、私のために毎日泣いている、と泣きつつ訴えた。何も知らない人はそれを信じ、心で私を非難し、帰って行った。その人は突然異変を起し、酒の肴に私を辱め、歌の代わりに私を罵り、怒号した。

私は自分の罪の重さを知った。その人が私にしていることは、神を知らなかったとき私がしたことである。さらに罪の重さを感じるのは、その人に愛と誠を捧げることが出来ないのである。そしられ、辱められていると自制力を失い、幾度か相手を怒鳴りつけようとした。また、殴ろうともした。それが出来なかったのは、最後のところで神の怒りを感じたからである。私はその人を愛そうと努力した。しかし私の内に罪の法則があって、私を罪のとりこにするのである。パウロの言葉であるが、それがそのまま私の問題であった。私は罪を恐れた。寮から逃れて野に出て、草むらの中に虫の如くしゃがんで祈ることがしばしばあった。そして、その中で知った。絹よりも細い管を通して、イエスの流した血が私の体内に供給されている事実を。私のために十字架上で、イエスは恥と苦しみとを負っている事実である。十字架のイエスは私に語りかけている。

「私があなたの敵であったとき、あなたのために死に、あなたを愛したように、あなたもあなたの敵を愛し、私に従いなさい。私があなたの迫害を受けていたとき、あなたのために血を流しつつ祈ったように、あなたはあなたを迫害する者のために祈り、私に従いなさい」と。

過去一年を省みて私は、自分のあまりに大きな罪を知った。不信と不義のかたまりである。パウロの「罪人の首である。誇るべきものはなにもない。私に対する非難は多い。愛はなく、信仰はないからだ」と。私は全ての非難を受け入れなければならない。しかし私に語るべきものが全然ないわけではない。ただ一つだけある。それは信仰という、絹よりも細い管を通して、イエスの血が私の体内に供給されているという事実である。これこそ、旧き我が葬られ、新生の生命に生されていることである。

<ことば>

 長島愛生園に、聖書学舎がある。伝道者をつくるところで、学生は九人いる。

秋津教会を訪問された学舎のOさんが私を訪ねて来て、学舎について知識を得た。学舎に学んでいる人たちの多くは退院できるが、院内伝道のために社会復帰は断念しているとのことである。それはそれとして尊いことであるが、伝道と社会復帰について考えさせられた。  

私は、伝道者になるために聖書学舎に学ぶ必要性を認めない。

私の先生はキリストである。伝道に必要なものは全て先生が与えて下さる。私の誇ることが愚かであるなら、私の先生が愚かだからである。弟子は、その師に勝てることはない。愚かなのは当然であり、むしろ愚かさを喜ぶべきである。師に忠実だからである。パウロは奴隷で召された者は、奴隷のままで留まっているようにと言った。私は、らい盲で召された。

伝道するために、これ以上にも、これ以下にもなりたいとは思わない。召されたまま、あるがままで神を賛美する。これが私の伝道である。

社会復帰については、自立の能力のある者はみな退院するべきである。療養所は国立であり、すべて国費でまかなわれている。社会に復帰することは国恩に報いることである。

また、自立独立の精神は大事にしなければならない。伝道には欠くべからざるものであろう。