「小さき声」 目次


 小さき声 No.128 1973415日発行

松本馨 

矛盾に生きる

「神の国」(ドット著)は、終末が既に到来していることをイエスの逆説を通し論証している。深い共感を覚えた。私は学問的にイエスの例え話や風刺を通して論証することはできないが、十字架の光に照らして読むとき、 終末は既に到来している。それと共に「その日その時を知る者はない」とイエスの云われたように、終末が未来にかかっていることも事実である。これは矛盾で在るが、終末はこの矛盾の緊張関係にあることも事実である。

この矛盾は理性ではわからない信仰の光りに照らして理解するほかないのです。

関根先生のルカ6章のご講義の中で福音と世俗の問題について、先生は次のように云われた。「百パーセントこの世の中に生きながら百パーセントイエスの十字架に在って神に生きることだ」この事が世俗の中の福音という意味である。また「神無くして神の前に立つことだ」とも云われた。

これは矛盾であるが、私にはよくわかる。だが、一般の人に果して理解できるだろうか。信仰無くしては絶対にわからないだろう。では百パーセントこの世の中に生きながら、百パーセントイエスの十字架に在って神に生きるとは、どういうことなのだろう。

私は矛盾の頂点はイエスキリストに在ると思っている。神の子が人の子であるということは矛盾である。そしてこの矛盾は十字架においてピークに達しているのである。神が世と激しくぶつかった場所、それが十字架である。イエスキリストは十字架の一点において百パーセントこの世の中に生きながら、百パーセント神に生きたのである。神無くして神の前に立つことができたのである。このことは信仰なくしてはわからない。信仰とはそれ故、矛盾の緊張関係に立つことではないだろうか。それは百パーセント信仰に死に、百パーセント信仰に生きることである。百パーセント神に生き、自己に死ぬこと、あるいは世に死ぬことと云ってもよい。そしてそれは「私はキリストと共に十字架につけられた。生きているのは私ではなく、キリストが私の内に在って生きているのだ」と云うパウロの世界である。

福音と世俗の問題はキリスト者の今日的課題といえないだろうか。私は自治活動をしていることもあって、無教会、教会を問わず、この問題に対する諸先生の発言は注意深く聞いているが、この問題に対する諸先生の発言は、ある意味で混乱しているように思われる。教会内に起っている造反や秋津教会に起っ た分裂騒ぎは、この混乱に直接、あるいは間接的に起因していないだろうか。

無教会の先生方は、目に見える教会を持っていないこともあって、明快な方向を指し示しているように思われる。ある先生はイザヤ53章の苦難の僕の位置に立つことだと云われた。またある先生は世と一定の距離を置き、批判という形で世と関わることだといわれた。私はこうして発言は、内村、矢内原両先生の信仰的立場から余り出ているとは思えない。福音と世俗の問題で苦悩している若い世代のキリスト者を果して説得することができるだろうか。世と一線を画している限り、解決にはならない。

私が関根先生の福音と世俗に共感するのは、百パーセントこの世の中に生きながら、百パーセントイエスの十字架に在って神に生きることができる、と云われるときである。このような福音把握によってキリスト者の政治活動も組合活動も文学活動も可能となるであろう。かくて無教会的福音は世のあらゆる階層に浸透し、定着することになるだろう。その可能性はすでに書いた通り、イエスキリストが十字架において百パーセントこの世に生き、百パーセント神に生きたからである。私達がイエスキリストとその十字架と復活を受くることは百パーセントこの世に生き、百パーセント神に生きることである。神無くして神の前に立つことである。

イエスの死と生をこの身に受け、この世の中に形をとるとき、つまり行動するとき、それが政治活動となり、組合活動となり、文学活動となる。もしそれが信仰と政治とを分けて使っているとすれば、イエスキリストとその十字架と復活を魂に刻印されていないからである。イエスと共に十字架につけられていないからである。イエスと共に十字架に死に、彼と共に生きているならば、百パーセント神に生きられる筈である。イエスキリストが、その原点だからである。

しかし、信仰がわからないとこの矛盾の緊張関係に生きることができない。その時どうすればよいのか、この矛盾の前に自己が絶望するほかはない。自己は徹底的に死ぬことである。そこに新たな世界が開けてくるが実際は自己に絶望することも死ぬこともできないのが人間なのである。このような場合、忍耐し待つほかなない。共同体の有難さは、このような自己を包み、祈りと愛をもって見守ってくれることではないだろうか。信仰がわからず一人苦しんでいるとき、共同体を離れることは、サタンの餌食になることであろう。

終末が既に到来していると云う事実を私は十字架において示された。私にとってイエスの死と生を、この世に持ち運ぶことは終末を世に持ち運ぶことである。百パーセントこの世に生き、百パーセント神に生きることは、終末的現在に立って一層切実なことのように思われる。

自治活動をしていると、終末的信仰が一層明確になってくるようである。この世界の破れがひどく、十字架が一層明白に見えてくるからである。この世の破れの中にイエスの十字架が見えないとすれば、関根先生の云われる、百パーセントこの世の中に生き、百パーセントイエスの十字架に在って神に生きていないのである。この世界が如何に破れ、悲惨であるかは百パーセントこの世に生きることによって十字架の重さを知らされることである。「神の国と神の義を求めよ」は百パーセントこの世に生きるものにとって初めて理解されるであろう。

療養通信

3月11日

2月は自治会役員の選挙の月でしたが、一部に役員選出が難航したため、選挙日程を3月15日まで延期しました。

自治会を再建したのは、1969年で、現在の自治会機構は私の構想になるものです。老齢化と不自由を考慮し、自治会機構はできるだけ小規模にし、単一化しました。それでも5年目を迎えて役員選挙が一部ですが困難になってきました。1,2年のうちに自治会機構を更に小規模にし、単一化する必要にせまられるでしょう。この事は全生園が終焉に近づいていることを意味します。

日本には13の国立療養所がありますが、入所患者約1万人の平均年令は55歳で、私の年令です。私の年令は平均年令なのです。したがって私と共に療養所は歳をとりつつあります。

自治会再建に当って、私は二つのことを考えました。一つは療養権を確立する事、二つは生活権を確立することです。生活権に就ては私達の日用品費は生保の基準に達しています。自治会再建の時点では、生保の半額にも達していませんでした。現在はその基準にまで引き上げることに成功しましたが、74年1月よりは、拠出制障害年金月額2万3千円と同額の日用品費が受けられるようになります。医、食、住を保証されている私達にとって、この額は生保を遥かに越えたものでしょう。厚生省は過去の強制隔離収容による損失補償を含んでいると説明しております。損失補償要求は全患協の重点項目であり、それが認められたものといえます。

もう一つの目的、療養権の確立については医療センター運動として現在に到っていますが、この運動は地方施設の職員、患者の完全なる理解を得ることができません。多磨の医療を整備するのであれば、各施設とも平等にせよというのであります。表面的には理解できますが、その要求には現実性がありません。全生園の1年間の外来患者は平均千名です。入院患者は八百名、72年の入退所は134名です。一般病院に比較するとこの数字は問題にならない程低いといえましょう。しかし、ハ氏病療養所では唯一の基幹病院的機能を果しているのです。 地方施設では新発患者の入退所はありません。外来患者もありません。長期療養者が医療の対象なのです。社会復帰した回復者の多くは東京に集中し、定期の健康診断、怪我その他の治療は全生園で受けます。後遺症のある回復者は一般病院を利用することができないからです。

1年間の新発患者は百名を割っています。その多くは働きながら治療しています。錠剤であるため自宅療養が可能なのです。多磨に入院する新発患者は年間10名前後でしょう。80名の内訳は、このほかに回復者の短期入院と地方施設からの転園です。地方施設の医療が低下するに従って、多磨の医療は益々重要性を帯びてきましょう。私達はまた、ハ氏病療養所にもコバルト放射治療の出来る癌センター的なものを 望んでいますが地方の職員、患者の理解を得る事が出来ません。あらゆる設備が多磨と平等でなければ承服できないのです。

しかし、現実は地方施設のコロニ―化と定員削減が行われています。平均死亡率は1.5パーセントから6パーセントで、各施設ともそれだけは確実に患者が減っておるためです。それに回復者の社会復帰と転園による移動を考慮するとき、人員の減少は急速に進んでいると見てよいでしょう。職員は患者減の先行きに対する不安から、一般身障者との併設を考え、全国組織である組合大会で決議したこともあります。全患協は併設には反対していますが、施設によっては職員患者一体となって併設運動を進めています。らいに対する偏見が解消していない時点で、併設を誘致すれば、ハ氏病患者が不幸になることは火を見るより明らかでしょう。

各施設とも複雑な問題を抱え、多磨の医療センター化に反対していますが、私は療養所全体の将来を考えるとき、医療センターは必要であると信じています。しかし、地方の職員、患者が考えているように、自園の医療充実ということは毛頭考えておりません。あくまでも日本のハ氏病医療の現在と将来を憂うるからです。それに医療センターを基地として、東南アジアの病友に医療の手をさしのべて欲しいと願うからです。韓国にはわかっているだけで9万人居ます。一説には40万ともいわれ、独立後の韓国は、らいの多発地になっています。

患者が「野放し」になっているためです。インドには3百万、実際はその倍ともいわれます。日本は経済侵略者として世界の到る処でユダの如く嫌われています。こうした救らいにその経済の一部を向けることができないものでしょうか。日本の救らい事業は外国宣教師によって起されました。国としてそれに報いて欲しいのです。私達の希望が実現しなくとも最後まで政府に向って訴え続けねばと思っています。

私はまた全生園は療養所の中では最後まで残るかも知れませんが、それでも21世紀の前半に地上から姿を消すと思っています。医療センター運動もこの事を抜きにしては考えられません。

医療センター運動と共に、入院患者の関心を集めているのに緑化運動があります。都市化が進むに従って、全生園の周辺から緑がなくなっています。そのためでしょう。全生園に安住の地を求める小鳥たちが増えています。戦後暫く聞かれなかった郭公が昨年は園内で聞かれる様になりました。私達は毎年数千本の桧、松、杉などを植樹しています。全生園が地上から姿を消すとき、そこに11万坪の森ができるでしょう。1世紀に亘ってお世話になった市民に感謝の印として残しておきたいと考えているものなのです。遠い将来の為ばかりでなく、現在でも周辺の市民の緑の憩いの場として利用して頂きたいと希望しています。