「小さき声」 目次


 小さき声 No.131 1973715日発行

松本馨 

わが神

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)

聖書に何が書いてあるかわからなかった頃から、上記のイエスの叫びを私は知っていた。芥川龍之介だったと思うが、彼の文学作品に、この言を発見したとき強烈な印象を受けた。今から30数年前の事で、治らい薬もなく、いつ肉体が崩れるかわからないという不安と恐怖の只中でこの言を発見したのであるが、それ以来、私の心をとらえて離さない。勿論、神を信じていなかったし、全くのニヒリストであった。

1950年、私は回心したが、今日まで私を根底から支えてきたものはイエスの十字架である。もし私が狂っているとすれば、彼の十字架を知ったためであり、もし心が確かであるとすれば彼の十字架を知ったためである。

神を信じていなかった頃と、神にとらえれた以後の私は、イエスの十字架をめぐって生きてきたといってよい。神を信じていなかった頃の私が、なぜイエスの叫びに心を惹かれたのであろうか。根本に於て、信仰以前も信仰以後も、イエスの十字架に対する私は変ってないような気がする。この世の人を救うために来り給うたイエスはユダヤ人の妨害によって挫折し十字架という悲惨な最後を遂げたが、彼の挫折と「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」のイエスの叫びに、私の内奥に在る神への希求を見たのではないだろうか。人は誰でも神無くしては生きられない。神が無いと思っているのは私達の目に神がかくされているだけで、目より鱗がおちれば神を見ることができよう。

不信仰者と信仰者の相違は、神を見ることができるか、できないかの相違であって、神の有無にかかっているのではない。

私が神を信じていなかったとき、イエスの叫びに強く惹かれたのは、神から捨てられ、無限に遠くへ落ちたイエスに自己を見たからであろう。しかし、それは意識的に理解したのではなく、私の内奥にかくされている心がそれを直覚したためである。神に捨てられ、十字架にかけられたイエスは、人間の姿そのものであり、そこに不信仰の私が心惹かれたものと思われる。信仰、不信仰は、この神に捨てられ、十字架にかけられたイエスが人間の根源的姿であることを知っているか、知っていないかの相違である。

神学会ではイエスの非神話化の作業が進んでいるようである。そして二つの方向に向って進んでいる。一つはイエスとキリストの分離による神の無い神学であり、もう一つはイエスキリストとその十字架への集中によって、世俗内の福音に向っていることである。

これはしかし、問題が大きすぎて私の扱う領域ではない。ただ私が強調したいことは、神無きこの世界が本当に神無くして生きられるのか、不信仰者が神は無いというとき、彼に本当に神は無いのかということである。

既に書いたように、人間は罪によって神に最も遠い位置にある。神無き世界に落ちている。この神の遠さは、神が在りますことによって、その遠さが問われている。神が無いということも同じように神が在りますが故に神の無さが問われていることは説明するまでもない。不信仰者がイエスの「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになるのですか」を神の無いしるしにあげていても、それによって神は否定されるものではない。むしろ「神が無い」という事は不信仰者の信仰告白なのである。

キリスト者は、イエスの十字架とその復活を知っている。そして彼を通して神をわが父と呼ぶことは許されている。イエスによって、神と彼との人格関係は確立しているのである。それ故に彼は、神をわが神と呼ぶことができるのである。

不信仰者は、イエスとその十字架を知ることができない。その十字架が、神と彼との関係の破れであること、その十字架は彼の罪の露わな姿であること、彼がそこにおいて罰せられ、裁かれていることを知らない、だからイエスの復活が、彼の義であり、復活であることを知らない。それ故に彼がどんなに激しい苦難や絶望的状況におかれても、神を「わが神」と呼びかけることができない。不信仰者にとって、神は一般名詞の神であって、固有名詞の「わが神主イエスキリスト」ではない。

しかし、だからといって不信仰者に神が無いということにはならない。不信仰者にとって神が無いということは、主イエスキリストによる父と子の人格関係が確立していないことである。彼の人格が非人格的であり、神を「わが神」と呼び、「わが父」と呼ぶことができないことである。

むかし、聖書を知らず、神を信じていなかった頃、イエスの十字架の言葉に強く惹かれたのは私の内奥にある自己が自己本来の姿であり、その根源である神の言を聞かされて、大きく揺れ動いたためであろう。そして、このような人間の内奥に在る自己が神を「わが神」と呼べる日までうめき、苦悩し続けるであろう。

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」に神から無限に落ちた人間の神との人格関係を回復するまでは、口にすることのできない人間に代わる言葉なのである。神の子にして初めて云える「わが神」なのである。その意味でこの言葉は最も深い信仰告白である。私達は、このイエスの十字架の言葉によって神との人格関係を回復するのである。

療養通信

5月は九州旅行と留守の間に山積した手紙とテープ、自治会業務の整理で慌しい日を過しましたが、5月31日の本省陳情を最後に平常に戻りました。

6月は整備予算の示達の月で予算の大小に拘わらず、緊迫した日が続きましょう。73年の整備予算要求として、治療棟(2年計画)の約1億6千万円と大部屋の個室化整備として、第1不自由舎センター、独身軽症寮の予算要求が出ています。会員にとって、自分の住む家の改造費であり、関心の強まるのは止むをえませんが、私にとっては、治療棟の整備予算がつくかつかないか、大きな問題です。全生園の治療棟整備の成否は今後の日本のらい療養所の医療にとって死活に関わる大問題であるだけでなく、日本政府が世界のらい医療に責任の一端を負う可能性を残すか残さないかに関わる整備と判断するからです。しかし、療養所課は、全生園の医療センター化に踏み切ったように思われます。5月31日の陳情の際、昨年迄は医療センターは禁句であったが、今年はチャンスであると本省が積極的に発言しているからです。

この背景には、らい療養所の医療が深刻になってきた事を挙げる事ができましょう。全生園の医療センターには、地方施設の所長と患者が反対してきました。中央のセンター化よりも地方施設の近代化と、地方大学や公立病院との医療提携、委託費の予算化…一般病院の入院費…予算化が先決であるとして、強い要求が出ていました。

しかし、私が医療センター運動を4年前に進めなければならなかった状況が次第に現実化しています。即ち、らいは斜陽であり、地方施設を如何に整備しても医者は集まらない事、らいは治る病気になっても、一般病院への入院は絶望である事、こうした事を考えるとき、地理的に有利な全生園を医療センターとして整備し、難治らいやその他の難病患者は、全生園で治療に当らせる事、地方療養所への医師派遣、アジア各国への医師派遣、医薬品の援助等、医療センターの使命は極めて大きいのです。アジアに医療の手をさしのべる事は、日本の救らい事業が外国宣教師によって起った事を考えるとき、日本政府と国民が果たさなければならない義務であり責任でありましょう。

私が医療センターを世界的な規模で考える理由は外にもあります。それは斜陽化の一途をたどっている、らい医療に若い医師の心を惹くためには、世界的規模の構想で考えなければ駄目だということです。

私のこうした考えは、厚生省ではある程度理解されていますが、所長連盟は理解していないようです。というより自己一個の利益以外は考えていないようです。つまり、自分の施設が医療センターになり、その所長になるならば賛成というのが大多数の所長の考えです。このため、私は機会ある毎に所長連盟に批判の矢を向けています。全生園以外に医療センターを造っても、医師と看護婦が集まらないこと等を認識するまで私の批判は続くでしょう。

多磨全生園の敷地内には、多摩研究所と高等看護学院があり、医療センターとしての条件が揃っていますが、所長連盟が反対を続ける限り、医療センターの看板を掲げることは困難のようです。しかし、昨年までは医療センターは禁句であったが、今年は医療センターを造るチャンスであると本省自身が口にする処から想像して、所長連盟内部に変化が起りつつあるのではないかという気がします。多磨全生園の医療センター化が実現すれば私の使命が終ったも同じであり、晩年は星塚敬愛園の無教会小集団と一緒に過したいという気持が強いです。

九州旅行を、特に鹿児島の星塚敬愛園で過した3泊4日は、私には強烈な印象でした。特に信仰の友と一緒に居る事が、どんなに楽しく、満されたものであるか、生れて初めて経験しました。支部長会議に参加したのは今年が4回目ですが、その度毎に探し求めていたのは、療養所内の無教会者でした。そしていつも失望させられていました。星塚敬愛園で初めて探し求めていた友を発見しました。それは単に無教会者という事ではありません。比嘉ご夫妻と、その集団の一部の人が負っていた恵生会の罪のとらえ方に私は自分の信仰に最も近い人、同信の友を発見したのです。恵生園に起っている罪を、自身の罪として苦悩し、その問題で1年半も苦しみ悩み、転園まで考えていた人達に、私は、らい療養所に真の無教会者を発見したのです。神の愛は同時に神の義であり、審判とゆるしが一つである事を信じ、その十字架の義と愛を守るために闘っている小集団に、私は探し求めていた無教会者を見たのです。

全生園に於る私は、一言でいえば全くの孤独です。信仰の友は次から次へと離れていき、遂には一人にされました。それは無教会者として十字架の信仰に固く立ち、こと信仰に関する限り一歩も妥協しなかったからです。それは私の信仰が厳しいからというだけでなく、信仰上で少しでも妥協しようとすれば私の内に生きて働き給うイエスキリストと、その十字架が見えなくなってしまう事、聖書が死んだ書として、生ける神の言が聞かれなくなってしまうからです。このため、私は一人になっても少しも苦になりませんし、孤独を感じた事もありません。比嘉ご夫妻とそのグループと話し合ったとき、独立するための一番の障害が死後の葬式に有る事を知りました。私が死後の葬式については宗番でもよいし、遺体として事務的に片づけられてもよいし、その灰は野山に捨てられてもよいといったとき、独立できない事情がその辺にあることを率直に認めていました。問題は小さいようで、必ずしも小さくはありません。私から去った友の中にも、死後の葬儀が原因の人がいました。

しかし、こうした事が直接の問題となっている限り、独立はできないでしょう。イエスキリストと、その十字架に固着する事、それが彼を独立させる事になりましょう。

「この病いは死に至らず」は一人の罪深い人間が如何にしてイエスキリストとその十字架に固着したかの記録であり、著者は、この固着を神のめぐみとして告白しています。

星塚敬愛園の無教会小グループの中に、こうした闘いが進められています。それだけに私を強く打ちました。医療センターの問題が解決したら転園したいと思ったのも、そのためであります。しかし、全生園で私は小さな集会を守っており、その集会をやめるつもりはありません。遠く離れていても、霊においては一つであり、敬愛園の無教会集団と私はいつも一緒に居ることになるでしょう。

九州旅行でお会いする約束であった宮崎のSさんとお体の具合が悪くてお会いできなかったのは残念でしたが、大いなる希望をもって信仰に励んでいるお手紙を頂き、私達は直接会うことができませんでしたが、霊において会ったことを知らされ、大いなる喜びを味わいました。