「小さき声」 目次


 小さき声 No.132 1973815日発行

松本馨 

自 由

(1)

「自由を得させるために、キリストは、わたしたちを解放して下さったのである。だから堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながってはならない。」(ガラテヤ5・1)

自由について、私は本誌で取りあげ、書いた記憶があるが、再びこの問題について考えてみたい。人間の希求しているものの中で、一番大切なものは自由ではないだろうか。社会的、経済的、政治的抑圧からの解放、病気や苦悩からの解放と、あげれば数えきれないほどである。

私は十代から二十代の最も自由を求めている時期に、警察権力と監房のもとに隔離されて過した。また、内にはいつ自己が崩壊するかも知れない、らいに対する不安と恐怖のとりこになっていた。この二つのとりこから解放されたいと願わなかった日は一日もない。その暗い日々を私はどのようにして過したのだろうか。雨の日も風の日も一日として柊の生け垣の柵に沿って園内を一周しなかった日はない。それは柵の中のけもののように柵から外を眺め、自由にあこがれていたのである。戦前における隔離は囚人のそれと全く同じ扱いであった。

当時は、一旦収容されると帰省は殆ど不可能に近かった。それでも私は監督の目にマジメな患者とうつっていたのだろうか。帰省をゆるされ、田舎に帰ったことがある。初めて門を出た時のことを私は今でも忘れない。空気がすごく甘く、おいしかった。高い密集した柊の生け垣を境にした内と外の空気の味が違う筈はないが、帰省した者は皆、異口同音に外の空気は甘くおいしいと云った。

私は外に出た瞬間、歩行の調子を狂わせてしまった。地に足がつかず、飛ぶように駆けてしまうのである。心臓が激しく打ち、息が乱れ、1キロも行かないうちに路傍にしゃがんでしまった。苦しくて歩くことができなかったのである。隔離ということは、どんなに私達を圧迫し、抑圧していたか。このことからも理解できよう。

1945年、日本が第2次大戦に破れ、連合軍によって占領されるという歴史始まって以来の革命的変革が起った。私達にとって連合軍は、警察権力と監房によって隔離され抑圧されていた世界から解放し、らいから解放するキュロスであった。それは私達にとって奇蹟にも等しい出来事であり、イザヤ40章1-2節に当った。

だが、私はこの自由を噛みしめ、味わう時間的余裕もなく、目を奪われ、全身マヒという新たな鎖につながれた。失明と全身マヒは、らいの後遺症であるが、それはらい以上に絶望的打撃をうけた。私は隔離とらいの奴隷であることを希んだ程である。それ程に失明と全身マヒは私の全てを奪った。私が失明したのは1950年であるが、「この病は死に至らず」はこの1950年を中心に回心に至るまでの記録である。私はこの事について再び繰返すつもりはないが、失明と全身マヒの奴隷から如何にして解放されたか、それはイエスキリストとその十字架を知ったことにある。

(2)

三谷先生の書かれたものの中に、自由について律法からの解放と自己からの解放、それに滅びからの解放を挙げておられたが、私も全く同感である。しかし、三つのものはそれぞれ独立しているようで関連性がある。律法からの解放なくして自己からの解放はなく、自己からの解放なくして滅びからの解放はない。そして人間はすべてこの律法の下にある。では律法と人間との関係は、どのようになっているのだろうか。この関係を明らかにしているのが創世記のエデンの園の中央に食べると死ぬから食べてはいけないという神の戒めの禁断の木の実があった。創造者と被造者の間には、この戒めによって一線が引かれると共に、両者の人格関係が確立していた。蛇の誘惑によってアダムとエバが、この戒めを破ったとき、両者の人格関係は破れ、アダムとエバはエデンの園から追放され、悲惨と苦悩、罪と死がのぞんだ。つまり、人間の歴史が始まったのである。神と人間との断絶が人間の歴史なのである。

しかし、神はアブラハムを通して、人間との和解を求められた。それが神とイスラエルとの契約であり、律法なのである。律法はあくまでも、人を生かすために、救いのために与えられたものである。ところが、律法が呪いとなったのは人間の神に対する本能的反逆によるのである。アダム の子孫である人間は、生れながら神に反逆するアダムの血を引いている。それ故に律法によって救われたいと希うとき、アダムの血が、それに逆らい、神に反抗するのである。この問題で徹底的に苦しんだのはロマ書7章のパウロである。

神を信じない者が、神を呪い、キリスト者に迫害を加えるのもアダムの末だからであり、神との和解なしには、この反逆は止まない。神を信ずる者も信じない者も、律法の呪いの下にあるのが、旧新約を通じての人間観である。

こうして全ての人間が罪にとじこめられて人間の側からの努力が空しくなったとき、神が最後的な和解の手をさしのべられた。それが御子イエスキリストのこの世への派遣である。彼は完全なる人として徹底的に試みられた。イエスは人であったが、罪は無かったという人もある。しかし受肉のイエスは、罪は犯さなかったけれども罪人である。アダムの末として世に来たのであり、肉そのものが罪なのである。この事を否定すれば人の子イエスは、假のイエスとして假現論に陥ってしまうであろう。ゲッセマネのイエスの祈りは、悪魔との闘いの中の祈りであり、十字架上のイエスの叫びを神に捨てられた人の子として最も悲惨な姿である。それ故にこそ、彼が私達の側に立ち、私達に替って死の世界にまで落ちていかれたと告白できるのである。パウロが「主は私達の罪科のために死に渡され、私達の義のために復活させられた」と告白したのも、こうした史的イエスを踏まえてのことであろう。

イエスは律法の呪いの下にある人間を、自己の死と生によって解放した。従って全ての人間は十字架を離れて、律法からの解放もなければ救いもない。信仰による義とはこの十字架と復活のイエスキリストを信ずる信仰であるが、ただ信仰信仰といっている限り、本当の意味で解放されてはいない。信仰と律法を問題にしている場合、信仰が律法になっている場合が多いからである。私が最も苦しんだのは救われたいと希う熱心から、信仰のみに徹しようとした事にある。信仰だけと云い切る時、それが微妙に律法になっているのである。信仰のみを強調し、福音のために進んで重荷を負おうとしない無教会者の場合、信仰の律法化が起っている。信仰の律法化を避ける道は救われたいと希う信仰そのものに絶望し、十字架の前に身を投げだすほかはない。私が最後的に与えられたものは、そのような経験であった。信仰による義はめぐみであり、信仰そのものが神のめぐみであるということである。

関根先生は、ロマ書3:22の注解で、イエスキリストの持っておられる信仰によって義とされるのだとバルトの言葉を引用された。信仰そのものがめぐみだというのも同じことである。パウロはもっと明確に告白している。「私はキリストと共に十字架につけられた。もはや生きているのは私ではなく、キリストが私の内にあって生きているのである」 。 救われたいと信仰そのものに絶望し、十字架の前に身を投げ出すことによってこのことが起こる。

失明と四肢のマヒにより、内から暗黒の奴隷となり、死を希んでいた私は、私自身考える事も行なう事も全く不可能と思われる事、小誌を発行し、自治活動をしているのは、このイエスの死と生とをこの身に受けているからである。つまり、律法から解放され、完全なる自由を与えられているからである。律法が無になったということではない。キリストは律法を破壊するために来たのではなく、完成させるために来たのである。十字架と復活がそれである。律法の完成者であるイエスの死と生をこの身に受くる事が律法の成就を意味する。従って詩篇一篇の詩人のように私達は主の律法を喜び行なうのである。それが律法からの解放であろう。エデンの園の回復である。エデンの園の中央に神の戒めである十字架が立つとき、アダムによって失われたエデンを回復すると共に、神との和解をも回復することになるだろう。

療養通信

7月は厚生省の来年度予算編成に向けて、全患協は5月の支部長会議の決定の線に従って、陳情するのが毎年の習慣になっています。

今年は7月1日に、各支部より代表2名が全生園に集合しました。このほかに強化動員として各支部より3名から4名が、3日に駿河療養所と栗生楽泉園に集合し、4日の午前10時より、大臣折衝、11時より医務局長交渉を本省で行いました。私は7月行動には参加しません。炎熱下の行動は私の体力では不可能だからです。

大臣折衝では、復活行動には皆さんが陳情でなく、御礼に来るように予算獲得に努力すると、煙に巻かれ、医務局長交渉でも、局長に一席うたれ、拝聴するにとどまったようです。今年は70人も交渉に当ったこともあって、会議場にはクーラーの設備もあったと聞いています。例年にない変化が本省内に起ったように思われます。数年前でしたら、大臣、局長に会うことは容易ではなく、会っても口が堅く、希望するような回答が得られないのが普通です。その背景としては、らい患者の処遇が極めて低く、憲法に抵触するような政策をとっていたからで、交渉団から憲法違反であり、人権侵害であると抗議をうけることを恐れたからでありましょう。

大臣、局長が大勢の陳情団と会い、一席うつだけの余裕を見せたのは、日用品費は来年1月より拠出制障害年金2万3千円と物価高にスライドした2千円が支給されること、昨年まで一般国立療養所の生保患者よりも冷遇されていたものが、来年1月よりはそれを追い越し、日本の社会保障の中では最高の保障を与えるという自信から来たものと思われます。

医療についても来年度より、医療センターの名目の下に予算を大蔵省に要求する事を約束しました。全患協は要求している重点項目が全て受入れられているのです。大臣、局長の得意げな演説が目に見えるようです。

20支部長会議に於て、私達の日用品費が確立した以上、今後経済要求をすべきでないと訴えた私の考えは否決されましたが、7月行動でこの問題はどうなったであろうか。要請書には、項目順に書いたようですが、交渉の対象にならなかったようです。一般身障者、患者が本省に向って要求している事は、ハ氏病患者と平等の日用品費を支給せよとの事なのです。これに対して本省の回答はハ氏病患者に拠出制障害年金と同額の日用品費を支給するのは、強制隔離収容による損失補償の意味を含んでいるということです。客観情勢が急激に変ったために、それを認識するだけの時間的余裕が無いこともあって一律支給の基本保障(福祉年金程度)を要求する事を決議しましたが、上京してみてその要求が如何に不当なものであり、事態が変っていることを身体でもって受けとらされたようです。このために基本保障を要求せよという声は出なかったようです。専ら医療と施設整備に重点が絞られていた様でした。総括会議では何の為に強化動員をかけたのか、その必要性は無かった事、今後は本部だけで折渉すればよいのではないか、という発言も多かったようです。

生活が豊かになり、医療の不安から解放されれば、苦労して陳情する事の必要性は無くなりましょう。その一歩を踏み出したといえましょう。多磨支部の場合、健康の面から早晩、行動に参加する事が不可能になりましょう。支部長会議に参加するのが、ぎりぎりの行動だからです。