「小さき声」 目次


 小さき声 No.134 19731015日発行

松本馨 

或る友へ

8月19日

極めて個人的、且つ具体的な私の生き方、信仰と自治活動について、批判的な人達がいる事を私も否定しません。その人達がキリスト者は政治に無関心であってはならないが、直接参加はすべきではないというのです。それは私も既に耳にタコができる程聞きました。しかし、それと同じ位に、政治に参加すべしという声もあります。

私はこの機会に私自身の立場を明らかにしておきたいと思います。私は率直に云って、イエスの宣教は政治と関りなしには行われなかったと思っています。「時は満ちた、神の国は近づいた、悔い改めて福音を信ぜよ」はイエスのこの世への挑戦ではないでしょうか。この世とは広義に解釈すれば政治でありましょう。政治のないこの世とは、形成された国家に於ては考えられないからです。

旧約の歴史は、別の観点によれば、イスラエルの政治史でありましょう。アブラハムから始まり、モーセによるエジプトからの脱出、そしてカナンに侵入、王国形成と政治的にも、その生いたちは極めて興味があります。しかし、旧約聖書をそのような観点から読むことは間違いであり、旧約聖書の根底に流れている神の歴史を否むことになりましょう。それがカリスマ的指導者により、或いは油を注がれた王によって統治されたとは云え、そこに政治が行なわれた事は事実でありましょう。預言者は神と民の間に立って、王国の俗化に対して神の審判を告げる役割を果しました。そしてそこに、神とイスラエルとの厳しい緊張関係がありました。新約に於てはイエスとこの世との緊張関係が、イエスの宣教に起りました。その頂点が十字架でありましょう。十字架はイエスの神の支配とローマのこの世の支配との対決であり、形の上では、世がイエスを征服し、十字架にかけたといえましょう。世と噛み合わない信仰は私には考えられないのです。

福音書を読むと、イエスによって解放された人間が多く登場します。ユダヤ教の下で、祭儀にあずかる事もできず、同族民から取税人、罪人として相手にされなかった人達が、イエスの宣教の対象でありました。イエスは取税人や罪人と共に食事をし、らい病人シモンの家に泊まるなどしましたが、それは当時のユダヤ社会に於ては革命的出来事であったでしょう。それを見た者達はイエスを非難しましたが、それ程に、それは革命的だったといえましょう。まして同席を許された取税人、罪人にとっては、その驚きは言葉に表わす事もできないでしょう。神の子キリストが、彼らと同じ位置に立たれ、彼らをその抑圧、桎梏から解放したのです。らい病人を清め、盲人の目を開き、つんぼや唖を癒し、手足の萎えた者を癒されたのです。その驚きは、単に信仰のみの問題だと片付ける事はできません。それは政治の変革を意味しましょう。イスラエルの政治態勢に変革を求める出来事だからです。

祭司長、長老、パリサイ人がイエスを抹殺しようと考えたのは、現体制を維持しようという政治的配慮があったためでしょう。その結果、ローマ官憲の手に渡され死の宣告を受ける事になりました。イエスの死は、最も政治的な死を意味しましょう。そしてそれは、神の挫折、イエスの敗北という形をとりましたが、こうした挫折と敗北によって、人類救済の道が開け、神による完全なるこの世界の支配が完成しました。福音宣教が政治との関りなしに行われるとすれば、恐らくそれは宣教というよりも観念に過ぎないでしょう。

イエスの死と生によって、新たに作り変えられた者は、真剣に福音の戦いを進めようとすれば必ずこの世と激突するでしょう。この場合、福音宣教か政治への直接参加か、或いは職場か或いは家庭に於てか、それは至る所に於て起りましょう。イエスは地に平和を投ずるために来たのではなく、剣を投ずるために来たのだといっています。人はそれぞれの戦いの場所を信仰的決断によって選択しなければなりません。政治もその例外ではありません。もし信仰に依らぬとすればそれは悪でありましょう。ただ政治活動の場合、イエスが歩まれたつまずきと挫折を覚悟しなければならないでしょう。キリスト者の政治活動は否定的政治活動であり、政治そのものに直接の結果を求めるとすれば、それは信仰とはいえないでしょう。政治はあくまでも相対的もので否定的結果を望む以外はないからです。否定的結果とは政治に於ても十字架を負う事であり、政治そのものに希望を持ってはならぬという事です。キリスト者の希望は終末論的希望であり、私達の期待している結果は、最終的には神の支配だからです。このような終末論的希望の無い自治活動は私にとって無意味です。自治活動は、あくまでもイエスの死と生をこの身に負うことであります。よりはっきり云えば「隣人を愛せよ」の戒めに服従することです。この世界が如何に破れ、不信と悪の世界であっても、神はこの世界に独り子の血を流し、根底から支えてい給う、この一事を直視する時、私達はまた、この不信と悪の世界のために血を流すまで十字架を負わねばなりません。そうではないでしょうか。

或る友へ

 8月25日

キリスト者の政治活動は、直接的でなく、否定的行動でなければならないと思います。否定的行動とは、信仰と政治の間には断絶があるという意味です。つまり、政治に対してキリスト者は死なねばならぬと云う事です。イエスの死を死ぬ事で、この事を無視して政治への参加も、世との関りを持つ事もゆるされないのではないでしょうか。

直接的とは断絶のない事を意味します。この場合、彼は巨大な政治機構の下に、たちまちその虜となり、その奴隷となって自己自身であることができなくなるでしょう。彼は自己自身であるがためには、その信仰を放棄し、組織の一細胞として自己に死ぬか、自由なる自己を回復するために活動家たる事を断念し、信仰のみに生きるかの、二者択一にせまられるでしょう。

しかし、いずれの道も真に自己を回復し、自由を獲得することはできないでしょう。前者は、活動家として自己に死に自己に生きたとしても、それは一時的に自己をあざむいているに過ぎず、死の風が絶えず、彼の胸の中を吹き抜ける孤独と不安と恐怖が彼をおびやかすことになるでしょう。

後者は、この世からの逃亡であり、彼がそれによって獲得した自己は、非現実的自己であり、その自由は観念に過ぎないでしょう。一度艱難に遭遇するとき、彼の夢は破れ、自己はその苦難の虜となり、その前に絶望するでしょう。

私は、イエスと十字架を離れて真の自己回復も自由もないと信じています。イエスと共に、この身に対して、即ち政治に死ぬとき、巨大な政治機構の下でその奴隷となり、組織の下にその自由が奪われたとしても、彼はキリスト者として政治に対して自由なのです。彼を根底から支えているものは、イエスの死と生だからです。

私は、イエスほどに世に在って、不自由な人、奴隷の道に置かれた人、悲惨と恥と苦悩を負った人を知りません。商品として売買された黒人奴隷も、一生獄中で過した囚人も、その半生を囚人と同じように隔離され、恥と嫌悪と苦難の中に生きてきた私達も十字架上に釘づけにされたイエスほどに不自由ではなかったし、恥と苦しみを負わなかったし、奴隷の位置に置かれなかったのです。イエスほどに絶望的な死を経験しなかったのです。聖書記者は十字架の出来事を描写して、昼の12時より地の上はあまねく暗くなり、3時に及ぶと書いています。誰がイエスほど暗黒と死の絶望を経験したでしょうか。

イエスが、世と関りを持ったのは、このような死を通してでありました。直接、世と交渉を持ったわけではありません。私達が世と関りを持つためには、このイエスの死を死なねばならないでしょう。イエスは死して葬られ、三日目に復活し、神のもとに帰られました。イエスの死を死ぬことは、このイエスの復活のいのち、永遠の生を受くることでありましょう。このイエスのいのちを与えられておるが故に、この世に在って私達は自由なのです。それ故に、この世界の政治経済文化あるゆる分野の中で自由大胆に、しかも積極的に参加し行動することができます。

この世に対して、キリスト者が不自由であり、自由に参加できないとすれば、イエスの死を死んでいないからでありましょう。生来の自己に閉じこもっているからではないでしょうか。イエスと共に自己に死んでいるならば、組織の一細胞となっても信仰的には自由であり、獄中に捕われていても自由でありましょう。或いは事業に失敗し、或いは政治活動に挫折し、この世に於ける全ての地位、財産を奪われても、彼は自由であり、彼の希望と喜びを彼から奪うことはできないでしょう。彼の希望は終末論的神の国だからです。キリストの到来だからです。世界はキリスト到来までの中間的世界に過ぎないからです。

それ故に私達は、この世にあって絶望することなく、前に向って前進することができます。日々、私達はイエスと共に死に、イエスと共に生きている生活を送っているからです。私はイエスキリストを離れて、私の自治活動を考える事はできません。現代は療養所に於ても最も困難な時代といえましょう。あらゆるものが物質化され、魂までも肉に化してしまったからです。こうした物質文明の世界で、隣人のために生きることは容易なことではありません。ただ、私を根底から支えてくれるものが、「神を愛し隣人を愛せよ」との十字架の言であります。

療養通信

(1)

外来診療所に関する滝沢先生の論文に触発されて、医療センターと外来診療所の関連性について考えてみました。

私は全患協が決議している外来診療所については、消極的態度をとってきました。全患協自体が外来診療所の内容を充分に把握していない事もありますが、外来診療所の思想の根底に、社会の医療差別の対応策としてとらえているからです。外来診療所がこうした思想のもとに設立されれば、社会の医療差別を是認し、その行為を正当化してしまうでしょう。外来診療所が民主的オープンに運営されても本質的には、世界に悪名の高い既存の隔離収容所に 代わって、新たな隔離政策を生むことになるでしょう。

全国には、社会復帰者が約千名いるといわれます。この人達が望んでいるのは、外来診療所ではなく、交通事故や局部マヒから起る外傷、内臓疾患で倒れたとき、健保で大学や一般病院が利用できるようにしてほしいということです。現実には、元患者であることがわかれば、入通院を拒否されてしまいます。その多くは全生園に短期入院し、治療を受けます。この場合、困る事は勤め先に病院名を明かす事ができない事、健保を利用できない事からくる疑惑を解消できないことです。このために折角就職した勤め先を断念することになります。

先年、次の様な事が起りました。大阪で働いていた回復者が傷害のため全生園に短期入院しました。彼は優秀な旋盤工で誠実であったために、社員の信望を集めていました。彼は郷里に帰り、治療してくる旨、会社の了解を得て入院したのですが、会社では幹部と工場長が彼を見舞うために、郷里の東北まで尋ねて行きました。勿論、彼は居りません。家族は親戚の家に行っておる事を告げ、その場を逃れましたが、会社ではその親戚の家にまで彼を見舞うために尋ねて行きました。彼は約1ヵ月の入院で退院しましたが、その後どうなったか私は知りません。

一般の病院が彼を受け入れておればこうした事は起らないで済んだでしょう。この場合、らいの看板を掲げた外来診療所は何の役にも立たないのです。私が医療センターの運動を進めているのは、この事と無縁ではありません。日本には13の施設があり、1万弱の患者が入所しています。このうちの70パーセントから80パーセントは菌陰性者です。つまり、いつでも本人がその気になれば社会復帰できます。しかし、現実には社会復帰する事が困難な現状におかれています。その原因は三つあります。

1.後遺症のために働くことが不可能である事。

2.高令者のために社会復帰できない事。

3.社会復帰の意欲を喪失した長期療養者。

7、80パーセントの菌陰性者は三つのうちのどれかに該当します。療養所は医師不足から医療危機に見舞われていますが、7、80パーセントの数字が示すように療養所は体質的にはコロニー化しており、医者の働く範囲が制約されてきています。医師不足の原因の一つと云えましょう。療養所は終焉に近づいているといってよいでしょう。今世紀のうちに大部分の施設は地上から姿を消しましょう。患者の平均年令は55歳、医者は嘱託医を含めて約120名いますが、その平均年令は59歳です。施設によっては70歳以下の医者は一人もいないという施設もあります。終焉に近づいているのは、患者だけではなく、医者も同じなのです。

(2)

私が医療センターの設立を強く望んでいるのは、こうした療養所の現実を踏まえているためです。現在各施設が困っているのは基本治療(らい)の専門医でなく、外科,内科、眼科等の医者なのです。らいは慢性疾患であり、このためにらいは癒っても、らい以外の病気を併発しているのが多いのです。理論的には菌陰性の癌患者、心臓病患者等、施設では治療できない患者は、癌センターや高度な治療のできる大学病院に入院すればよい筈です。しかし、社会復帰者を拒否する社会の医療が施設からの入通院を認める筈がありません。認めないからといって、このまま放置しておけば、施設の医療は壊滅し、1万の療友は医療から見放されることになりましょう。同時に社会復帰者も医療から見放されることになりましょう。この人達の医療を守るためには、総合医療センターを造るほかないのです。癌やその他高度な治療を必要とする患者を収容できるセンターを造らなければなりません。高度な化学治療施設は、若い医師を確保するためにも効果がありましょう。私は医師確保と海外の同病者を救うため留学生をセンターに招くことを望んでいます。また、医師、看護婦の海外派遣も考える必要がありましょう。そこまでいって始めて必要な医師、看護婦を確保することができましょう。

私のこうしたセンター構想は所長連盟からは余り理解されません。自園の事のみ考えていると非難されるのです。 私はしかし、自園の医療ということを念頭にセンター運動を進める考えはありません。既述したように1万療友の将来と1千万といわれる海外の病友を思うからです。この機会に民間の進めているアグラの救らい事業について言及しておきます。私は日本のらい医療が崩壊する時、アグラの救らい運動は挫折すると思っています。そこに働く医師、看護婦は療養所に働いていた専門の医師、看護婦でなければならないからです。医療センター設立は民間の救らい事業を容易 にするでしょう。しかし、民間の救らい運動家は、日本のらい医療には無関心であり、自分達だけで運動ができると思いこんでいるようです。

少し横道にそれましたが、医療センターは、その本質的には自己防衛的閉鎖的なものといえましょう。社会の医療差別に対応するもので、積極的な開放療養に向うものでないからです。この事は悲しい現実なのです。だが私は医療センターを医療差別という観点からのみ、とらえているのではありません。らいは今世紀のうちに地上から姿を消すという終末的希望に立ってとらえるのです。この事は信仰と無縁ではありません。聖書の終末観は世界の完成を意味し、神の愛の完成を意味します。らいの終末はこの神の愛、キリストによる愛を示すものでありましょう。キリストの愛を離れて終末的希望はないからです。

医療センターは、自己防衛的閉鎖的性格を否むことはできませんが、この自己防衛的閉鎖性を打破する方法は、療養所の尖兵として医療差別をする大学や一般病院の門を叩く機能をもったものが必要になってきます。その機能を外来診療所が果す事ができれば、私は双手を挙げて賛成するでしょう。外来診療所は医療差別を受けている社会復帰者や自宅治療患者の治療を担当することではなく、私達に向って固く閉ざしている社会の医療の扉を開くことでなければならないでしょう。このためには、らい予防法を廃案にしなければなりませんが、予防法は、らいの伝染と隔離を骨子にしたものであり、医療差別の原因となっているからです。しかし、予防法改正は、らい予防法闘争の時代と状況が全く変っています。予防法は患者の人権を抑圧し、虐待するものでしたが、現在は患者の大部分は予防法のお蔭で療養できるのだと信じこんでいます。予防法を廃止するためには、患者の医療と生活を保障する法的なものが必要となってくるでしょう。この保障を示さない限り、患者は予防法の改正、または廃止に反対するでしょう。ともあれ、尖兵的外来診療所を設立することによって医療センターは、その機能をフルに発揮することができるでしょう。