「小さき声」 目次


 小さき声 No.136 19731215日発行

松本馨 

イエスの受肉(マタイ1・18〜23)

イエスの誕生には、超自然的な面と自然的な面とあります。前者はマリアが聖霊によってイエスをみごもったことであり、後者はイエスが世の人と同じくマリアという女から生れたことです。聖霊による妊娠は、神の秘儀に関わることで、人間の知恵をもって考察することはできませんが、マリアは歴史的実在の女で、それから生れたイエスは歴史的にも社会科学の面からも考察の対象となります。

こうした相容れない矛盾する面をもっているがために、教会は多くの教派を生み、2千年の間キリスト教史は大きく揺れ動いてきたといってよいでしょう。

日本にもイエスの霊的面のみを強調する聖霊派あり、イエスの神性を否定するブルトマンの系列に属する一派もあります。聖書は多様であり、どちらも間違っていると断定することはできないでしょう。

教会はこうした二つの矛盾の上に乗っかっているといってよいでしょう。イエスが聖霊によってみごもったことを神の秘儀として信じ、マリアから生れたことを歴史的事実として信じます。それが神の子にして人の子ということでしょう。ではなぜ神はそのひとり子を世に給わったのでしょうか。神はひとり子を給う程に世を愛されたとヨハネ 伝記者は記しています。またパウロは、神がそのひとり子を十字架にかけたのは、ご自身の義のため、また彼を信ずる者を義とされるためだとロマ書3章で述べています。つまりイエスの受肉は、神が世を愛し、世を救うためであり、その手段としてひとり子を十字架にかけたことでありましょう。神は明らかに世の罪をあがなうために、そのひとり子を世に派遣されたのです。それ故わたしはイエスの受肉は罪人として世に来られたのだと信じますし、聖書はそのように伝えているのではないでしょうか。受肉は十字架を意味し、罪人を意味します。

イエスが罪人でなかったならば、即ち受肉が私達と全く同じ人となられたのでなかったならば、彼の苦しみがなぜ私達の苦しみとなり、彼の死が何故私達の死なのでしょうか。

神の子が人となられたということが恵みなのは罪と死の虜となり、絶望的状況にある人間と全く同質の人となり、同じ位置に立たれたためでしょう。神の側から、いやしい下僕となり私達と同じ血族になって下さったということです。私にとって、イエスの受肉は死活に関わる大問題であり、イエスは人となられたが、私達 とは違った人、異質の人であったとすれば、つまり罪人でなかったとすれば、如何にして彼の死と生にあずかることができるのだろうか。神との人格関係が回復されるのだろうか。

だいいち悩みとか死は罪の結果生れたものであり、罪がなければ苦悩もなければ死もないというのが旧新約聖書に記してある人間観ではないでしょうか。

人間に罪と死がのぞんだのは、苦悩や悲惨がのぞんだのは、アダムとエバが神の戒めを破り、禁断の木の実を食べたことに始まります。パウロがロマ書5章12節で、この事を説明し、一人の人の罪によって死がこの世に来た事、また一人の人の罪によって罪が全ての人に及び、全ての人が罪を犯したために、全ての人が死ぬのだと述べています。これは聖書の人間観でありましょう。マリアもこの系列に属します。そしてマリアから生れたイエスもこの系列に属します。つまりアダムの末であります。アダムの末であることは、彼の罪と死を負っていることです。神がそのひとり子をこの世に派遣されたのも、この罪と死を彼に負わせ、彼の死と復活によって、アダムの末である血族を断ち、その罪と死から解放することにありました。第2のアダム、イエスの血族に加えるためでした。

もしイエスがアダムの末として世に来られたのではなかったならば、ゲッセマネにおける苦祷と十字架の死は彼にのぞまなかったでしょう。人間にのぞんだ苦悩と悲惨は、アダムの末にだけあるものだからです。つまり人間にだけあるものだからです。

私達がイエスに固着できるのは、彼が私達と全く同じ人になられたからです。アダムの末として彼に苦悩と悲惨がのぞんだからです。ただイエスと私達の相違は、彼には神の霊が宿り、彼を支えていたことにあります。そのことが明らかになるのがイエスの復活でありましょう。「肉によればダビデの子孫から生れ、聖なる霊によれば死からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたくしたちの主イエスキリストである」(ロマ1・3〜4) 復活に於て、イエスは第二のアダムとなられました。第一のアダムは肉のアダムであり、苦悩と悲惨をもたらしました。神はこの苦悩と悲惨をあがなうためにイエスを世に使わし、つまりマリアを通して受肉させ、この苦悩と悲惨を負わせ、十字架の死にまで追いやったのです。そして復活に於て肉のアダムを滅ぼし、霊のアダムとなられました。コリント第1の15章にこのことが記されてあります。

私がイエスの罪人説を説くのは、彼が罪を犯したということではありません。あくまでもアダムの末として受肉されたこと、マリアから生れた事実を云うのです。マリアから生れたことはロマ5の12を意味します。もしイエスの誕生にこの事が欠除していたとすれば 、イエスは人の子とはいえないでしょう。彼の苦悩も死も無意味なものでしょう。私達に何の関係もない苦悩であり死だからです。

しかし、イエスの誕生を論ずることは非常に危険が伴ないます。あくまでも神の秘儀に関わることだからです。パウロがイエスの誕生に触れなかったのはその危険を感じていたからではなかったでしょうか。パウロのとった態度は賢明であったように思います。私達にとって最大の関心事は、神の子が私達と全く同じ位置に立たれたという事でありましょう。私達の苦悩と悲惨を負って神が人となられたということでありましょう。このことだけが最初にして最後の問題なのです。

或る友へ

10月31日

5月に初めてお会いし、再会を約し別れてからこんなにも早くお会いできて、夢のようです。神のみ手の働きがあったことを信じます。

お二人とMご夫妻の上京が私と集会を持つためであると知って私の驚きと喜びは筆舌に表わすことはできません。私は「イエス」という題で3回に亘り話しました。イエスは神の子であると同時に、罪人(人の子)であるという聖書に記されている事実をマタイをテキストに話しました。この問題は、私の信仰の死活に関わる大問題で、本誌今月号にも「イエスの受肉」という題で書きました。

私は集会で語るのを得意としていませんので、お二人を千代田集会に案内したいという気持を強く持ちましたが、それを言葉にすることができませんでした。その理由は次のような事です。

私達は中央集会に参加する機会は余りありません。鹿児島から上京したお二人にとっては一生のうちにその機会があるかないかわからない程参加は貴重なものでしょう。それだけに中央の集会参加は大切にしなければと思っています。テープによる関根先生のご講義を聞き始めてからお二人とも日が浅く、千代田集会に参加するには、心の準備ができていないように思われました。集会に参加するためには、最低1年はテープによるご講義を聞いた後の方が心の準備ができるのではないかと思いました。私達に参加の機会が少なくないだけに、それだけにそれは大切に大切にしたいと思います。お二人とも私のこの考えに賛成して下さるものと思います。上京を機会に、仮に私が集会参加をおすすめしてもお二人は断ったものと信じます。しかし、次の機会にはご案内しましょう。恐らく先生も喜んで下さるに違いありません。

旅の疲れはもうとれたでしょうか。お約束通り1975年には宮古南静園の兄弟たちを訪問しましょう。今からその心の準備と祈りをお願いします。お二人と南静園の兄弟たちと宮古島の海岸で祈祷会を持つのが私の夢です。太平洋の波音は原始の頃と変りなく、創造の神の御業に触れる思いがします。現代は文化が発達し、自然も人為的に作り変えられ、創造の御業に触れる事が困難になりつつあります。そういう中で波と風は、直接、創造神に触れる思いです。宮古島の空と海は公害が無く、美しい青に包まれていることでしょう。宮古島訪問の日が今から待たれます。

私は上京のお二人に心から感謝し、御礼を云わなければならないことがあります。ご存知でしょうが面会宿泊所の宿泊代金を決済するときのお二人と私が取りかわした言葉です。

お二人の来園に当って自治会のTさんは私に好意的で、自治会再建以来、今日に至るまで何の報いも受けず、黙々と働いて来た私に、その労を報いる意味で私のお客さんの宿泊代は全部無料にすると云われました。それは困ると云いましたが、Tさんは既に職員の係りの者に話し諒解を得ていました。本来であれば無料にできないような規定になっています。その規定は私が作ったもので、宿泊代は一泊2百円、食費は一食現価で百円、サービス料は一食について50円になっています。また重体の肉親を見舞うために来園した家族の面宿代は一切無料にしています。遺骨を取りに来た家族にも適用されます。更に他園の自治会代表が公務のために来園した場合も無にします。Tさんはお二人とMご夫妻を公務のために来園したものとして免除してくれのです。

私がはっきりとした態度をとらなかったためにTさんは好意的に手続きをとってくれたものと思います。この事をお二人に話した時、規則を破ることはいけないと云われました。また、今後私が施設に対しても自治会内に於ても正しい発言ができなくなると強く反対され、宿泊代を払うのは当然であるといって払われていかれました。

お二人の言葉に、その場でもやもやしていた私の心も霧が晴れるように爽かになり、喜びに満たされました。その場で私は直接、係りの職員に電話を入れ、お二人とMご夫妻は公務でない事、私の個人的面会人であることを話し、面宿代を払うむね伝えました。

係りの職員は、Tさんからも話しがあった事と私に対しても好意的で払わなくてもよいとすすめるのでした。私は善意に満ちた職員の言葉とお二人のこの問題に対する断固たるお言葉に、獄中で毒杯をあおって死んでいったソクラテスの最後を想起しました。ソクラテスは国法を破ることを自ら禁じ、脱獄をすすめる弟子たちの勧告をしりぞけて毒杯をあおり、死んでいきました。私の場合、療養所内の面会宿泊所代金に関わる小さな事件ですが、その精神はソクラテスと共通のものを感じました。否、それよりも神の前に正しくある事ができたのです。これは皆、あの時のお二人の断固たる態度によるもので、もしあの時、お二人が断固たる態度をおとりにならなかったならば、私はTさんと職員の好意を受入れていたかも知りません。それは決して人に責められる行為ではなく、何のやましい処はありませんが、神の前には罪であり不法であり、責められるべき行為です。それは信仰者のみ問われる罪の問題でありましょう。お二人が反対されたのもキリスト者として、神のまえに正しくあらねばならぬと考えたからでありましょう。

これは第三者が聞けば取るに足らぬ問題かも知れませんが、私にとっては信仰に関わる大事件でした、この出来事が信仰の上に、今後の自治活動の上に大きな益となって働くことになるでしょう。こういう訳で、お二人に対する私の感謝は尽きないのです。最近、お二人を知ってから、ダビデとヨナタンの友情が少しわかるような気がしてきました。

療養通信

今年も残り少ない日となりました。1年を回顧する時、二つの収穫があったように思います。その一つは星塚敬愛園に信仰の友を発見したことです。もう一つは過去4年に亘る運動の結果、国立療養所課長が多磨全生園の医療センター設立に踏みきったことです。

10月23日には病棟の落成式を行いました。らい療養所で近代的な鉄筋コンクリートの病棟が建ったのは全生園が初めてといってよいでしょう。49年度の整備として、治療棟の予算が厚生省から大蔵省に提示されています。

大谷療養所課長は京大医学部出身で、学生時代、北條民雄や、明石海人の作品に接したといいます。私も「この病いは死に至らず」を贈呈しました。課長は在任中に医療センターを設立し療養所の医療を確立する旨、決意を披瀝されました。その言葉が私には金か銀のような重味をもって、ずっしり身にこたえました。昨年まで厚生省では「医療センター」は禁句だったといいます。多磨全生園を医療センターにする事に、所長連盟を初めとし、全国患者が反対したからです。その反対を押し切って過去4年、ペンに口に運動をしてきました。それだけに大谷課長の決意が身に沁みてわかるのです。だがそれは私にだけ理解できるのであって、二、三の職員と患者に、大谷課長の決意を伝えたところ、課長は2,3年で転任になるから信用できないという言葉が返ってきました。これが一般の人の感覚で、この問題で労苦した者でなければ、金や銀の重味は理解できないのです。療養所は斜陽であり、今世紀のうちに、その大部分は姿を消しましょう。先の見えた療養所に優秀な医師は集って来ないし、医療の充実を図る事はできません。年毎に衰微し、滅びの道を歩むのが自然の摂理でありましょう。しかし現実には1万の患者が居り、医療の不安を持たせる事なく、永劫の滅びへと送らなければなりません。劇的なドラマで終らせる事は人道上ゆるされないことです。そこに斜陽の医療を守るむずかしさがあり、私の考えた医療センターもこうした医療危機から生れたものです。医師、看護婦の集めやすい場所に医療センターを造り、全国の新発患者、難治らい患者、癌その他の悪質な病気を持った患者の治療センターにすることです。これは私の信仰的決断によるもので、過去4年、所長連盟を始めとして全国患者の反対を押し切って進めてきました。全生園の医者の中にも反対者が居り、これら反対者は私を最も悪い人間として内外に宣伝しています。一つの事を仕遂げようとすれば当然起る事で、余り問題にしておりません。

医療センターは私の永年に亘る運動の結果として喜びですが、それ以上に星塚敬愛園に少数の友を発見したことは喜びです。私には社会に多くの友がいます。その友の協力を得て、失明と四肢の無感覚という限界状況の中で、信仰の道を歩くことがゆるされているのだと云ってよいでしょう。

しかし、内(療養所内)には信仰の友が一人もおりません。余りにも信仰的に厳し過ぎるためでしょうか。信仰の質にも原因があるようです。孤独に馴れたためか余りその事を苦にしておりませんでしたが、星塚の兄姉を知ってからは孤独についてときどき考えさせられます。そして結論としては、孤独は信仰の質によるのだという結論です。

5月に知った星塚のお二人が、もう二人の兄姉と共に9月末に上京してきました。その目的は私と一緒に集会を守るためでした。その際、お二人は全生園に転園したい希望を語りました。私と一緒に集会をもつのが、その主な目的なのです。お二人の言葉に私がいかに感激し、喜んだか言葉に表わすことができないくらいです。お二人とも元気であり、私の身近かに居て、私の目となり手となって働いて頂ければ、集会を持つ上に、また小誌発行にどんなに力強く頼もしいかわかりません。私の方から積極的に転園をお願いしたい程なのです。それなのに私はお二人に、全生園は信仰的に不毛の地であり、お二人にとって良い結果をもたらさないと転園に反対しました。結局、お二人とも私の言葉に従い、転園を思いとどまり帰ってゆかれました。お二人の帰って後は、私は孤独にさいなまれました。それは私の本心ではなかったからです。私自身はあくまでもお二人に来て欲しいのです。その私の願いを拒否しているのが信仰なのです。何年かかかって小遣いをため、私との集会を守るために上京してくる信仰の方が、そば近くに居て助け合う信仰よりも遥かに神の義にかなう信仰であることを十字架のイエスは示しているからです。

1975年には、私が星塚を訪問し、お二人と一緒に宮古南静園の兄姉を尋ねることにしています。南静園にも星塚の兄姉たちのような小集団が居り、今から会うのが楽しみです。年のせいか、友を見出し尋ねるのが楽しみになってきました。それにも拘わらず、すでに書いたような面もあります。それが私の信仰であり、十字架の義の厳しさと恵みなのです。この厳しさと恵みを外にして信仰は無いのです。