「小さき声」 目次


 小さき声 No.137 1974115日発行

松本馨 

新年に思う

日本の正月とクリスマスが比較されますが、恐らく民族の一大祭日として比較されのでしょう。正月は太陽暦による新年を祝うものであり、クリスマスはキリストの降誕を祝う祭りです。

しかし、よく考えてみると、全然関連性が無い訳ではなく、宗教的な祭日であることに変りはありません。日本の神は自然神であり、新年を祝うのも関連がありましょう。現代の若い人達には、もはや理解困難かも知れませんが、戦前の教育を受けた者は、新年の祝い祭りが天皇家に結びつき、軍国主義者によって利用され、第2次大戦に国民全体が巻き込まれことは記憶に新しいところです。

天皇は現人神として、その先祖は自然神である天照大神にまでさかのぼります。このため新年の政は宮中から始まり、市民は初詣といって明治神宮や伊勢神宮などに参拝します。自然神崇拝は日本民族の伝統であり、その伝統の中に生れ、その伝統の中に成長します。正月を祝う事に日本人は何の抵抗も感じないのはそのためでありましょう。それは新年の祝い祭りが血肉となっているからです。

日本人の新年の祝い祭りと同じくらいにクリスマスは欧米人の血肉となっているといえるでしょう。今年は1974年ですが、この西暦の紀元はキリストに始まります。キリスト1年から数えて1974年ということで、日本の正月の祝い祭りが自然神に始まっているのと同じように西暦はキリストに始まっているのです。キリスト教が日本人の血肉とならないのは、この辺にも原因があるのではないだろうか。仏教は日本の神々と妥協し、新年を共に祝うことができます。仏教は唯一神ではなく汎神論の故もありましょう。キリスト教を日本人の血肉とするためには新年の祝い祭りをキリストによる祭りにしないことにはどうにもならないのではないかという気がします。キリスト者は新年の挨拶状に新年にふさわしい聖句を書き、送るのもその一つの表われとみてよいのではないでしょうか。けれどもそれで事は足りるわけではなく、もっと積極的に新年の意味を変える努力がキリスト者の側からなされてよいのではないだろうか。

その一つの表われとして、無教会の新年集会に注目したいと思います。無教会の信仰は内村以来、個が強調され、聖書の共同体(エクレシヤ)の自覚が欠けています。聖書の中心はキリストを頭に共同体を形成するのが中心的なものでありましょう。この共同体がリアルな神の国であり歴史でありましょう。キリスト者は皆この神の国の歴史に参加し、キリストの到来を待望し、運動に参加しているといえましょう。それは聖徒としてではなく、霊と信仰に於て一つなのです。無教会者は制度を持たないために、この面の意識が薄れているのではないだろうか。その意味で全国に散っている無教会者が、それぞれの定められた場所に新年に集合し、数日起居を共にしながら集会を持ち、神の国の一員としての自覚、つまり共同体の一員としての自覚と神の歴史への参加、第一線に派遣されている自覚を新たに受けとらされる新年になれば、これほど意義の深い祝い祭りはないでしょう。新年集会に参加することによって、一年間、ぐらついていた信仰を新たにさせられる機会ともなりましょう。あるいは信仰の友をそれによって与えられるでしょう。新年集会は個のキリスト者にとって、霊に於て一つであることを具体的な場に於て受けとらされることが最も大きな意義を持つものと思われます。

この意味で無教会者は、それぞれの場所に於て起居を共にする新年集会を持つことをすすめたいと思います。

全ての無教会者が自覚的に新年集会を持てば、個々バラバラの神の国運動が更に前進し、福音のあかしとなるのではないだろうか。共同体を口にすることに強く抵抗する無教会者もいますが、私たちの個はあくまでも共同体の一員としての個であり、キリストの枝としての個でありましょう。パウロが第1コリントで云っているように、目は目、手は手で勝手な事をすれば生きてはいけないでしょう。

新年を迎えて無教会の新年集会に私は特別の意義を見るのです。勿論、集会は形式的なものになるのであれば、それはやめたほうがよいでしょう。

西暦の紀元がキリストで始まるほどに欧米のキリスト教は血肉となっていることに驚きを覚えますが、キリスト者の全生活はキリストに始まり、キリストに終る処まで突きぬけてゆかないと世俗内にまで信仰は入ることができないでしょう。わたくしたちの全生活がキリストに始まるとはどういうことか、それは極めて簡単なことです。パウロは第2コリント4章11節で次のように云っています。

「わたくしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたくしたちの死ぬべき肉体に現われるためである。」

これはキリストによる新生を語ったものでありましょう。キリストによる新生は、生活の全てがキリストによって始まります。生きているのは私ではなく、キリストが私のうちに在って生きているからです。自己ではなく、キリストが私の自己なのです。それ故、たとえこの世の信仰とは直接関係のない事業を起しても、それはキリストによって始まった事業なのです。自己はキリストと共に死に、キリストが私となったからです。その私のする生活の全てはキリストによって始まるといってよいでしょう。

 私は自治活動をしていても、キリストにと無縁な仕事とは思いません。キリストによって始まったのだと思っています。それ故に全患協という組織の中で活動していても、それによって拘束され、個が、埋没することもありません。組織に限らず如何なる迫害弾圧に対しても個が疎外されることはなく、自由であります。キリストによって始まる生は罪と死に遭遇しても、それに拘束されることはないでしょう。自己は無く、生きているのはキリストだからです。

或る友へ

19731118

「敗戦の神義論」を送りました。この書は関根正雄先生よりお借りし、千代田集会のKさんに録音して頂いたものです。

「敗戦の神義論」は二代目無教会の4人の先生の戦争責任を追及したものです。中央で何が起っているか、地方の無教会者には容易に把握できない面もありますので、幾分ためらい乍ら送ることにしました。ためらい乍らとはこの書は誰が読んでもよいものだと無条件に奨めることのできない 躓きの可能性をはらんでいるからです。

内村によって起された無教会は大きく分けて二つの流れを持ちました。その一つは信仰のみによる義を説く純福音主義者で塚本虎二によって代表されます。塚本は聖書解訳と注解を天職と考え、政治については 、自身言明しているように、直接関わることは避けました。それは不思議と思われるくらい政治に関心がなく、信仰のみに徹しました。それは福音の重さに、この世の事柄に関わる余裕がなかったためもありましょう。パウロがピリピ書で語っているように、キリストを知った喜びの絶大のために、福音以外のことを全て損と感じたためでしょう。

もう一つの流れは信仰と行為の分離を考えない人たち、信仰即行為へと展開していく実践を重視する社会科学者を中心としたグループで、矢内原忠雄によって代表されます。この流れの人たちは、福音の一面には 預言者の一面もあることを強調します。「敗戦の神義論」はこうした立場に立つ人たちが二代目無教会の先生の戦争責任を追及し告発したものです。

私が、この書を奨めるのをためらったのは、社会科学の立場から信仰を定義づけ、信仰のみの義を説く信仰が間違いであるかの如き誤解を生む危険があるからです。

福音とは何かを定義づけることは神の意志とは本質的に関係が無いのではないでしょうか。神は生ける神であり、意志し決断し給うその神をイエスキリストとその十字架と復活に於て見ることができます。もし福音とは何かを定義づけるとき、その神はもはや生ける神ではなく、死んだ神でありましょう。私は福音は全てを包むものであり、戦争か平和か、体制か反体制かには関係の無いものと思っています。誤解を恐れず云うならば、私は戦争を悪として憎みますが、戦争に賛成した者でも福音を信じたものであれば救われると思います。体制側に立っていても信仰による義に立っているならば救われるでしょう。また戦争に反対した者も反体制側に立っている者も勿論救われます。ロマ書3章21節以下はその事を語っているのではないでしょうか。福音書においても、イエスは信ずる者は誰でも救われると説いています。

戦争に反対しない者は信者でないというとき、それは福音とは異質なものではないでしょうか。なぜなら、そこでは神の義が問題になっているのではなく、絶対者としての生ける神が問題なのでなく、絶対者たる戦争が問われているからです。反体制の側に立たない者は信者でないと云うとき、そこで問題になっているのは、絶対者たる生ける義の神でなく、絶対者たる反体制だからです。「敗戦の神義論」がそうだというのではありませんが、その危険性を感じます。つまり、二代目無教会者の戦争協力、戦争に対する無思想、無批判、無智がそのまま信仰の評価に結びつけられることは 、既述したような危険を生むことになりましょう。二代目無教会者の政治に対する無関心さは現代に於ても余り変っているとは思いません。これは塚本の系列に入る純福音主義者に云えることです。私自身の立場をいうならば私もまたこの系列に属する一人です。戦争に対する考えが日和見で、時の権力者によって利用されたとしても、だからといって信仰的には落伍者で救われないとは思っていません。むしろ、権力に弱く、戦争には日和見で、つまづきやすく、弱い不信仰者なるが故に、私たちに代って私たちの信仰となり、義となり、聖となり、あがないとなられた十字架のイエスに固着するのです。それ以外に私の歩みはありません。毎日毎日が駄目であり、つまづきの人間なのです。その時々刻々十字架の支えが必要なのです。

「敗戦の神義論」が告発した純福音主義者の政治への無関心さが生んだ戦争協力については厳しく自己反省し、政治に関心を持ち、二代目無教会者がおかした誤ちを克服していかなければならないでしょう。純福音に徹すれば徹するほど、一層政治に関心を持つ必要がありましょう。政治に関心を持つことと、行動とは同一ではありません。信仰の場合、一線を引く必要があると思います。政治的関心が行動となるためには、信仰による決断が必要だからです。政治的関心即行動は戦争に反対することが信仰だというのと同じで、福音とは関わりのないことです。

少し堅いことを書いたようですが、「敗戦の神義論」は無教会の純福音的立場をとる者は謙虚に学び聞く必要がありましょう。同時にまた信仰的実践の立場をとる無教会者に戦争絶対反対が信仰とは異質なものになる危険のあることも指摘しておかなければならないでしょう。両者が相互に欠けたるものを補い合う謙虚さが無ければ、無教会はパリサイ的エリートとなり、弱き者、病人、罪びと、不信仰者をはじき出してしまうことになるでしょう。

療養通信

1974年は、多磨全生園にとって大いなる希望の年となりましょう。

昨年、厚生省は多磨全生園を医療センターとして整備するむね内外に明らかにしました。今年は医療センターの治療棟の整備が予定されています。レールは既に敷かれたのです。

また、私の住んでいる第1センターと独身軽症寮の大部屋の個室化の道も拓け、73年度予算から着工しています。

医療権と生活権の獲得をスローガンに、自治会を再建したのは1969年6月でした。生活処遇については既に拠出制障害年金と同額の日用品費支給が確立しています。医療危機におののいている一方、療友の医療は医療センター設立によって保障されましょう。多磨全生園の敷地内には、らい研究所があり、臨床と基礎医学が協力することによって、世界に1千万といわれる、らい者のためにも役立つことになるでしょう。

生活権は確立し、医療センターのレールが敷かれたことによって私の活動家としての使命は終ったように思われます。仲間の活動家たちは最後の完成を見るまで私の使命は終っていないと引続き自治会にとどまる事を希んでいます。私は、どちらでも大衆の望む方向に進むことになるでしょう。自身のために生きる考えは無いからです。ただ、私の希望を述べれば、活動家としての世界からなるべく早い機会に身を退き、パンフレット伝道と祈りの生活に入りたいと思っています。しかし、運動の上で大きな失敗をし、会員に損失を与えない限り、身を退くことは当分できないでしょう。

私がキリスト者のためでしょうか、運動に成功しても、それに酔うことができません。成功すればする程、私の心の中は木枯しのような空しい風が通り過ぎていきます。むしろ一方的に力を消耗し、残るのは肉体的、精神的疲労のみです。自治活動は私にとっては全くの犠牲であり、労苦です。その私の活動の源泉となっているもの、労苦し、心身共に疲労している私に力を与えてくれるのは聖書と祈りなのです。聖書と祈りの中でリアルな十字架のイエスに会い新たな力を与えられるのです。その力を得て働き、夕べには力を無くして帰って来、聖書と祈りによって、また力を与えられ、朝に自治会事務所に出勤します。

ですから自治活動から直接、働く力を与えられたり、生甲斐を感じたりすることはありません。福音は私にとって生命の泉であり、イエスキリストと十字架が福音の全てです。平和運動の伴なわない信仰は間違っているとか、戦争に反対しない信仰は信仰でないといった議論は理解に苦しみます。福音は戦争に参加しない者にも福音であり、体制、反体制によって左右されるものではないでしょう。父なる神とイエスキリストは、戦争か平和か、体制か反体制か、人間の主義主張によって左右される程、無力で小さいものではないでしょう。福音書のイエスは正しい人を招くために来たのではなく、罪人を招くために来たのだと云われました。そして幼な子を抱き上げ、この幼な子の如く信じなければ救われないとも云われました。イエスに招かれた者は祭司長や長老、パリサイ人、聖書学者ではなく、取税人や罪人、らい病人や盲人、唖など、この世に於て最も不幸な貧しい人たちでした。

無教会的福音といえども、この福音に変りはない筈です。それとも無教会キリスト者は、日本的選民として特別な人たちなのだろうか。体制の外に立ち、戦争に反対し、日本の罪を自ら進んで負うもの、予言者的エリートでなければ、無教会者の系列に入ることができないのだろうか。「敗戦の神義論」を読み、自分の自治活動の経験から思いました。

私は活動家として「敗戦の神義論」に見られるような、すさまじいまでの世との緊張関係を持っていません。15年戦争は悪だと思いますが、戦争絶対反対の立場を固守することもできません。意志が堅固でないからです。大東亜戦争のとき、社会に居たなら、私はどういう態度をとったろう。悪だとわかっていても徹底的に戦争に反対できたろうか……思っただけでも身ぶるいし「神さま、私の罪と不信をおゆるし下さい」と祈らずにはおられません。罪の故に、戦争に協力しても神はゆるして下さるのではないだろうか。それがイエスの贖罪であり、十字架ではないだろうか。人間はどんなに立派なことをいっても、極限状況に立たされるときには弱いものです。そこでは神を呼ぶことすらできない程に、暗く絶望的世界なのです。それにも拘わらず尚のぞむ事ができるのは、神のひとり子が十字架上で私たちに代って、神に向って叫び続けて下さるためです。

「わが神、わが神、何ぞわれを見捨て給いし」