「小さき声」 目次


 小さき声 No.141 1974515日発行

松本馨 

うめき

ロマ書8章18節以下に、三つのうめきが書かれている。被造物のうめきと人のうめき、そして御霊のうめきである。この三つのうめきの関係は、人類の罪によって起ったものである。

旧新約聖書は、被造物の虚無を人間の堕罪に帰している。被造物の主人は人間であるからである。創世記1章は、神が言を持って天と地を5日間で造り、6日目にこれを治める人間を神が御自身の形に似せて造られたことを記している。詩篇8篇の詩人も次のように記している。「ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉れとをこうむらせ、これにみ手のわざを治めさせ、よろずの物をその足の下におかれました。」(5・6)

人間は万物を支配する能力を神より授けられているのである。そしてこの人間が罪によって虚無に服したとき、万物もまた虚無に服したのである。エデンの園におけるアダムの堕罪がそれである。アダムのエデンの園からの追放は、神とアダムとの断絶を意味し、その断絶が苦難と死なのである。死の本当の意味は神との断絶である。肉体の死はそれが形となって現れたに過ぎない。

パウロは、被造物全体が神の子の贖われることを待ち望んでいると書いている。被造物によって救いは神の子の救いにかかっていたのである。それは主従の関係にあるからである。

旧新約聖書の宇宙観は決して宗教的観念によるものではない。現代ほどキリスト教的宇宙観の客観的、科学的現実を露呈している時代はない。石油危機に始まる世界の混迷、取分け日本の混迷は、物価狂乱の用語が生れる程すさまじいものがある。そして企業家の精神的頽廃が想像以上に重症であったことも、石油危機の中で明らかにされた。空と地と海の汚染は、偶然でも不可抗力でもなく、企業家の腐敗にあった。企業家というより、日本人全体の腐敗にあったと言えよう。空はよごれ、川と海は毒され、地もまた毒されている。今年になって多くの渡り鳥、鶴や鴨、白鳥が死んだ。街の並木が枯れ、スモッグに因って植物も枯れた。川の魚は死滅し、海の魚も次第に滅びつつある。これら被造物のうめきは、神の子たちの贖われることであろう。それ以外に被造物の生き残る道はない。しかし、神の子たちは、地と空と海を毒し続けている。

私は、この世界の汚染はすでにエデンの園からアダムが追放されたときより始まり、現代に至っている、と観る。しかも現代はそのピークである。そしてそのうめきは全地に満ちている。その解決の道は神との交わりを回復すること以外にないが、人間の側からの救いの道はない。唯一つ残されているのは、御霊のとりなしである。「御霊もまた同じように、弱いわたしたちをたすけて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから言葉に表わさない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。」(ロマ書8・26)

御霊のとりなしのある限り、空の鳥は落ち、野のけもの、地を這う虫、植物、川の魚、海の魚が死滅し、世界が死の世界となるとも、私達は絶望しない。御霊がうめきをもってとりなして下さるからである。

では、私達は何処で御霊のうめきを聞くのだろうか。それは聖書の言を離れては考えられない。神の言と御霊は不即不離でなければならない。イエスは世を去るにのぞんで自分の代りに御霊を降すと言われた。イエスと御霊は一つなのである。この御霊が働くとき、2千年前に起った出来事を現実の出来事として受けとらされるのである。更に終りの日の出来事を今日的出来事として受けとらされるのである。私達は御霊のうめきを十字架の一点において聞くのである。それ以外の処で聞きたいと思わないし、聞く気にもなれない。十字架の下に全身を投げ出すとき、私には十字架のうめきが血のしたたりとなって聞えてくる。私の不信、罪にかかわらず今も尚、十字架上においてとりなしていて下さるその十字架上の血の滴こそ、御霊のうめきであり、御霊のリアルなのである。

現代は科学時代、情報化時代といわれ、神から益々遠い世界におちていっている。しかし、この遠さこそ神に最も近い距離なのである。死の世界になりつつある現代は、神に最も近い世界と言えるだろう。万物すべてがうめきつつ神の子の到来を待望している。それを明確にしているのが御霊のうめきなのである。万物はいかに祈り、うめくべきか知らないが、御霊はそれを知り、とりなして居給う、それが十字架なのである。この故に今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることはない。キリスト・イエスにある命の御霊は、あなた方を罪と死から解放したからである。

ある友へ

4月21日

南国の春は過ぎ、若葉の季節を迎えたものと思います。南国の太陽の強い光りの下に、地も空も、海も新生の生命に満ち満ちていることでしょう。昨年御地を訪問したときの、海の波音と潮の香り、松を渡る風を懐しく想起し、閉ざされた網膜に、海と空と松の青さが痛いほど感じられます。

東京も遅い春が訪れ、桜の花は散り、葉桜の季節を迎えました。今日は朝から雨で、草木にとっては恵みの雨で一斉に芽吹くでしょう。
私は武蔵野の自然が好きです。武蔵野の特長は、空と雑木林にあるように思います。秋の空は雲の去来が激しく、光りと影と、雲の織りなす変化は素晴らしいと云えましょう。それは一刻としてとどまることなく、刻々に変化して行きます。郊外の武蔵野の空に今も尚、昔のような変化に富んだ空を見ることができるでしょうか。

私は5月の雑木林を愛します。黄色く一斉に芽吹き、陽炎のようにもえる雑木林は、いかなる花よりも美しく、動的で、生命に満ち満ちています。

今朝は5時半に起床し、使っていない食堂で一人黙想し祈っていました。その祈りの中で示されたのは、ラザロの復活でした。キェルケゴールは、重要なのはラザロの復活ではなく、彼の傍らにイエスが居給うことである、と云う意味のことを書いていますが、彼の言に深く慰められました。イエスは、ラザロの墓に向って「ラザロよ出て来たれ」と呼びかけています。私達の罪と死の問題について、この言ほど慰めに満ちた言はないでしょう。私達は終りの日、最後の審判の日に、死の世界から引き出され、神の国に移されることを望んでいますが、その意味はどういうことなのでしょうか。私にとって死はそれ程に問題ではありません。問題なのは、ラザロの墓の前にイエスが立たれたように、死者の私の傍らにキリストが立って下さるか、と云うことなのです。キリストが傍らに立って下さるならば、私は生きかえらなくともよいし、そのまま朽ち枯れ骨となっても私の受ける恵みと喜びは計ることはできないほど絶大です。私は朽ちていくことに満足するでしょう。
罪の赦しについても、たとえ罪が赦されず、そのために地獄の苦しみを味わうとも、キリストが傍らに居給うならば、それだけで満足するでしょう。罪のために狂い死するとも、あるいは体を切り裂かれても、キリストが傍らに居給うならば、私は喜びに満たされるでしょう。罪の赦しとは、私の罪が赦され、聖化され自由の身となることではなく、罪による神との断絶を回復することではないだろうか。キリストが傍らに立つとは、この断絶を取り去られることであり、神との交わりを回復することでしょう。遠き神が近き神で居給うことを十字架において見ることでありましょう。神なきところに神を見ることでありましょう。

「この故に今やキリスト・イエスにあるものは、罪に定められることはない」ロマ書8章のパウロは言っています。私達は罪の問題について、終末の問題について誤解しているのではないでしょうか。多くの場合、私達は罪が赦され、自己が、この罪の自己が罪の苦しみから解放され、聖化されることを望んでいるのではないでしょうか。終末においても罪と死の世界から、罪と死のない世界に移されることを願っているのではないでしょうか。しかし重要なことは、キリストが傍らに居給うか、ということではないでしょうか。それは神との交わりを回復することであり、それはまた十字架の義を受けることになるのではないでしょうか。私は自己自身の救いを望むことができなくなりました。自己一個の倖せを望むことができなくなりました。ルターの言うように信仰は、自己を地獄に放棄することでありましょう。

イエスの歩まれた生涯は、ルターの言う地獄への放棄でした。イエスの伝道は、御自身を十字架にかけ、死の底にまで下って行くことでした。私は伝道とは、イエスと共に死にまで下っていくことだと信じます。伝道によって成功し、名声を博するのはどこかに世との妥協があるためではないでしょうか。あるいは伝道が株式会社の手に渡りそこで人工的に製造されてゆくためでしょう。そこでは会社のための功績による出世と名声が与えられます。しかしそれは、イエスの伝道とは何の関わりもありません。「人の子が来るとき地上に一人の信仰を見ることが出来るだろうか」(ルカ伝18・8)と言われたイエスの伝道が、真の伝道でありましょう。

私は信仰的実践として、自治活動をしています。これは関根先生の「世俗の中の福音」に共感したことと、危機的状況にあった全生園を再建するためでありました。信仰が地獄への放棄であるならば、信仰的実践も、地獄への放棄であります。私は自治活動にいかなる報酬も名誉も望みません。逆に自治活動から得るものは絶望であり,最後にはボロ屑のように捨てられることであります。では何のために活動するのか、それはイエスが十字架の道を歩まれたこと、「小さき者の一人を送るは私を送るなり」と言われているからです。貧しき者、病める者、苦しんでいる者に十字架のイエスを見るからです。それは神なきところに神を見るからです。それにしても、この世界は、神から遠い世界であろう。自治活動が激しくなればなる程、神から遠ければ遠い程、神の言に餓え渇き、魂は地獄のうめきをあげます。私は5時半より食堂で祈り黙想していた、と書きましたが、それはこうした魂と体の疲労を癒し、上よりの力を頂くためのものなのです。マルコのイエスは、人のいない淋しい所で、一人祈りましたが、それは伝道によって使い果した力を、上より受くるためでしょう。私もまた、パンフレット伝道を始めて12年目になりますが、祈りなしに出来ませんでしたが、自治活動においても同じです。
 

療養通信

4月は行事の多い月で、慌しい日々を過しました。

4月5日、厚生省療養所課の花見、これは自治会が招待したもので、花見には少し早く、ほころびかけた程度でしたが、療養所課の都合で、午後4時半から約1時間、桜並木の下で観桜会を開きました。観桜会の御馳走は、60円のジュース1本で貧しいものでしたが、コンクリートの省内に缶詰めされていた人達を解放し、全生園の自然に親しんでもらうというのが私達の考えで、課長以下喜んで頂きました。
7日は、東村山市の身患連(身体障害者連絡協議会)主催、市の社会福祉協議会の後援で、同じ場所で観桜会が開催されました。この観桜会には、清瀬市と都の身障団体も参加し(150名)大変賑やかでした。来年も全生園で花見をすることになり、自治会としては、積極的に受け入れることにしました。らいの啓蒙に大きな役割を果すことになるでしょう。

身患連は、多磨全生園患者自治会と結核療養所の患者自治会、結核の快復者団体、身障者団体に依って構成されています。福祉の問題で積極的に市に働きかけています。その一、二を紹介しますと、最近、新聞、テレビ等で報道された身障者のガソリン免税があります。福祉行政と云えば、東村山市と云われる程にマスコミから注目されています。その原動力となっているのは身患連なのです。
身患連が結成された頃、市の身障者で全生園を知っている者は少なく、全生園の門を始めてくぐった時は、不安と恐怖におののいたと言います。しかし現在では肉親の如く、あるいは親戚の如く親しく交わりをさせて頂いております。らいの啓蒙は宣伝カーで呼びかけたり、ビラを撒いたりすることよりも、地域住民と手を結び、共通の問題で運動を起すことでありましょう。その運動を通して理解され、偏見が除去されてゆくようです。身患連の花見に積極的なのは、こうした運動の一環なのです。

厚生省についても同じような経過をたどりました。らい予防法闘争の時、国会陳情に行った患者に対して、厚生省は消毒班を派遣し、患者の歩く後から消毒させました。警察官は防毒マスク、ゴム手袋、ゴム長靴という服装で患者を取り巻いていました。現在は自由に省内に出入りし、大臣室や課長室で陳情することができます。時にはジュースなど御馳走になります。地方医務局ではお茶を出してくれます。らいに対する恐れと云うものはなくなっています。大蔵省には毎年復活折衝の際、陳情に行きますが、そのためでしょうか、私達に対する偏見はありません。しかし、厚生、大蔵以外の省は、らい予防法闘争時代の感覚と変っていません。

ちり紙、洗剤騒ぎで日本が混乱におち入った時、全患本部は、通産省に特別に配慮してくれるよう陳情に行きましたが、応対に出た係官は、らいと聞いて顔面蒼白となり立っていることができない程に震えていたといいます。係官にとってらいは、死者の使いの如く見えたのでしょう。そして、らいの日本における位置は、この係官が代表していると言ってよいでしょう。かくも根深く日本人の内奥にまで浸透しているらいの偏見を取除くことは、絶望に近いと云ってよいでしょう。唯一の可能性は、身患連が教えているように共通の問題で手を結び、運動する以外にないでしょう。それはより多く交わる機会を作り、人間的交わりを深めるよりありません。

9日は盲人会の花見、10日は園内の花見と続きました。15日よりは、東部ブロック会議(駿河療養所、草津の栗生楽泉園、東北新生園、青森の松丘保養園)で私が議長をつとめ3日間に亘って討議しました。それにしても会長というのは挨拶のなんと多いことだろう。私は、花見、会議、あらゆる行事に出席し、あいさつしなければなりません。冠婚葬祭のあいさつは副会長に任せましたが、それでも大変多いので驚いています。私は話すことは書くことよりも苦手であり、出来るだけ必要なこと以外は話さないようにしています。
5月9日より15日は、支部長会議(長島愛生園)が開かれます。今年は休むつもりでしたが、会長になったために参加しなければならないでしょう。少し気分的に重い感じがしますが、今後の全患運動を決める機構改革の議案が提示されており、行かざるを得ないでしょう。機構改革の発案者は多磨支部であり、私の考えが骨子になっています。療養所の将来的展望に立つとき、機構改革は避けられません。それに成功するかしないかは、全患協の運命にかかわるでしょう。機構改革の内容は本部を強化し、本省折衝は本部段階で行い、各支部が上京しないで済むようにすることです。老令化の進んでいる今日、それは必然的方向なのです。将来は全患協そのものが一人立ち出来なくなり、日患同盟に参加するようになるでしょう。そこまで行って始めてらい療養所に起った特殊な患者運動に終止符が打たれるでしょう。