「小さき声」 目次


 小さき声 No.144 1974815日発行

松本馨 

 ロマ書1章より8章は、いかにして神の前に義とされるか、個人の救いについて述べたものである。義は、一般には正しさとか、清さとか言う意味に受け取られている。事実、正義、潔白、清潔といった内容を含んだものであろう。

 しかし、旧新約聖書の義は、唯それだけのことではない。前者の義は、外にでなく内にある主観的義であり、人間の側の義なのである。

 後者の義は、内にではなく、外にあり、人間の側でなく神の側にあり、他者の義なのである。旧約の預言者、詩篇記者、ヨブは正にこの義と格闘した人達である。 

 聖書の義は、法的義でもある。義の神は審判官であり、人間は被告なのである。苦難や災禍に会った詩篇記者やヨブは、神に訴えている。「主よ、私を裁いて下さい」−現実に遭遇している苦難は、不当なものであり、審判の神に正しい裁きを要求する訴えなのである。一見、義の神は冷たい厳格な審判の神と思われ、キリスト教が非難されるのは、こうした神 人関係なのである。

 私は初めて旧約の詩篇や、ヨブ記を読んだとき、一番奇異に感じ、そして驚いたのは「主よ、私を裁いて下さい」と自己の黒白を神に迫る祈りであった。しかし私自身が、生ける神、キリストに会わされ、回心したとき、詩篇記者やヨブの祈りが理解出来た。実に、旧約の神は、生ける義の神で居給う。そしてそこから、すべてが始まる。神は観念の神でも、哲学の神でもなく、現在の神で居給う。

 審判の神と旧約の人達との関係は、法治国家の日本の現代に似ている。私達は、不当に人権が侵害された場合、告訴することが出来る。そして、裁判によって自己の正しさを主張するのである。その結果がどうあろうと、裁判の結果に従わなければならない。このため裁判官は、公平無私な義の裁判官でなければならない。正しい裁判が行われて国の秩序が維持されるのである。

 余談であるが、春季闘争に参加した日教組に警察が介入し、大量の幹部が逮捕され、槙枝委員長逮捕にまで発展した。私はそのニュースを聞いたとき、日本の将来に不安を覚えた。日本の民主主義も次第にファッショ化して行くのではないか、しかし、私は、槙枝委員長釈放の録音を偶然ラジオで聞き、日本がひっくり返ったのではないか、という驚きを覚えた。その録音とは、日教組幹部に囲まれた槙枝委員長の談話である。彼は愉快そうに次のようなことを語った。留置されたとき、警察官は彼を先生と呼び、丁重にもてなした。夜具は、新品の毛布が5・6枚用意された。釈放の前夜は風呂が用意され「先生、背中を流しましょうか」と言って警察官が背中を流してくれた。家庭では受けられない、最高の待遇を受けた、と爆笑のうちに語ったのである。

 これがはたして、警察の日教組介入になるのだろうか。弾圧というものだろうか。私には、日教組幹部と警察が、馴れ合いですべてを仕組み、演じているように思えてならない。それとも組織を持った権力者に対して警察は弱い批判を立証したのだろうか。いずれにしても、槙枝発言は不謹慎であり、不真面目極まるものである。このような日教組闘争を真面目に考えることは、馬鹿げたこととしか思われない。そして、日本を滅ぼすものは誰なのか、改めて考えさせられた。恐らく、日本の将来を憂え、真剣に教育に取り組んでいる者は、世間的には名の知れていない無名の教員ではないだろうか。警察についても同じことが言えよう。しかし、どのようなものであるにせよ、私達は警察を信じ、裁判官を信じて生きて行かなければならない。

 もし私達の日常生活に、欠かすことの出来ないもの、社会秩序維持のために必要である警察や、裁判所に対する感覚と同じ感覚を、義の神に持つ国民が居たとすれば、それは驚きであるが、旧約の人達は、そのように神をとらえていた。彼らには、モーゼを通して神の律法が与えられていた。律法は神の戒めであり、それを守ることが義であり、破ることが不義である。しかし律法は、十のうち九つを完全に守っても、最後の一つを破れば不義とされる。完全に守らなければならないからである。しかも人間はアダムの裔であり、生れながらに神への反逆者である。律法を完全に守ることは、不可能なのである。「義人なし、一人だになし」である。かくて、全人類は罪のもとに置かれたのである。パウロは、律法の呪いという言葉を使っている。あるいは、人を生かすべき戒めが、かえって死に至らせた、とも言う。あるいは律法の罪のもとにとも言っている。これは律法が罪なのではなく、律法によって自己の罪が露呈したに過ぎない。もし律法がなかったならば、罪を自覚することが出来なかったであろう。律法に依る義、救いが絶望となったとき、神はイエス・キリストに依る義をこの世界にもたらした。それが十字架に依る義である。「人が義とされるのは、律法の行いに依るのではなく、イエス・キリストを信じる信仰に依る」のである。キリストの義は十字架の義であり、恵みに依り、信仰に依る義なのである。この十字架の義を、身につける者のみが神の前に義とされるのである。自己自身がいかに不信であり、罪深い者であっても、イエス・キリストご自身が、私達にかわって十字架の死を遂げ、私達の義となられたのである。旧約における厳しい義の審判の神は、十字架においてご自身を罰し、私達の義となり、恵みの神となられたのである。けれどもそれは、旧約の神が変身したのではなく、審判の神が同時に恵みの神となられたのである。

 

或る友へ

  お二人のお手紙に接し、昨年、御地を訪問したときのことを懐かしく思い起こしています。お二人の多磨への転園について、誰よりもそれを強く望み、願っているのは恐らくお二人以上に私でしょう。何時でしたか、パンフレット発行に、自治活動に不自由な身で働いている私の側にいることが出来たならばお手伝い出来るのに、とのお手紙に、私がどんなに力付けられ慰められたか、想像できないでしょう。私に今最も必要なのは、パンフレット発行の協力者である。昨年暮れ、永年代筆して下さったUさんが右手首骨折でペンを執ることが不可能になってしまいました。すでに半年以上を経過しましたが、未だにペンが 執れません。幸い盲人会書記のHさんに臨時に、Uさんに代って代筆をして頂いております。この点心配はありませんが、もしお二人が側に居たならば、私にとっては開眼したも同じくらい力付けられるでしょう。

 自治活動を続けていく上で、お二人は、また私にとって必要です。更に私にとって必要なのは、全生園内に無教会の集会を持つことが出来ることです。パウロは、キリストの形の成るまで生みの苦しみをなす、と言われました。お二人を迎えて、そのような生みの苦しみをすることが出来たら、どんなに素晴らしいでしょう。お二人の転園に反対しなければならない理由は、何一つありません。むしろ転園の条件が悉く備わっていると言えましょう。それにもかかわらず私は、お二人に転園は断念するようにおすすめしたいのです。但し、転園の第一条件としては、医療に限って賛成します。多磨は医療センターとして、整備されつつあります。地方施設の医療が、医師の不足に依ってその機能を失いつつありますが、多磨のセンター化は、そうして医療危機を負うためのものであり、多磨の医療を受けたいと願う者は、何人といえども拒むことはゆるされないからです。

 お二人の転園に私が反対するのは信仰的理由に限ります。環境的に、或いは対人関係で、或いはその他の理由で、信仰生活をすすめることが困難であり、それ故の転園である限り、私は転園を断念するようにすすめたいのです。信仰は環境に支配されないし、対人関係やその他、諸々の事柄に支配されないからです。この世界がそのまま信仰の世界であり、生きていく場所でありましょう。世界とは、神なき世俗をいいます。この世俗の只中に、福音はあります。

 私は、信仰にはいかなる制約もなく、自由だと信じています。それ故信仰は、都会の只中にあり、地方の片田舎にあり、或いは病院や獄中にもあります。或いは家庭に、或いは住む家もなく、地上をさまよっている世界にもあります。もしそこに信仰を発見することが出来ないとすれば、どこへ行っても発見することは出来ないでしょう。極端に言えば、教会の中にも、或いは修道院の中にも発見することが出来ないでしょう。

 では、何処でどのようにして、信仰を発見するのでしょうか。それは十字架上の一点にあることです。この十字架は、この世界のいたる所、世俗の只中に立っています。私が至る所に信仰を見ると言ったのは、この世界の至る所、病院や、獄中、或いは家なくしてさまよっている世界に、十字架を見ることだからです。

 私は、そこ以外に信仰を知りません。信仰による義とは、十字架の義であり、魂にその十字架を刻印されることでありましょう。パウロが、私はキリストと共に十字架につけられた、と言ったのもこのことを指しているでしょう。私達が環境的に、或いは対人関係で信仰ができないと判断するならば、それは環境や人の問題でなく、自身にあると言えましょう。それは最悪と思われる環境や、敵と思われる人々の只中に十字架を見ることが出来ないからです。イエスが敵の只中で十字架の死を遂げ、彼らの義となられたのです。若し十字架を見ることが出来たならば、最悪と思われる環境に、敵の只中にたちまちにして、恵みの場所となるでしょう。十字架を発見することは、そこにおいて彼と共に死に、彼と共に生きることだからです。

 私は、自治活動を60で打ち切りたいと思っています。出来ればもっと早くやめたいと願っています。60には後4年ありますが、60は私にとって晩年であり、祈りと聖書の生活に入り、静かに最後の時を待ちたいのです。60と決めたのは、一つにはセンターが形を成し、全生園全体の整備が成ると判断するからです。しかし、前途にどのような困難、試練が待っているか分りません。そして、私を必要とし、60になっても自治会をやめることが出来ず、倒れるまで働くことになるかも知れません。私はしかし、そうなっても悔いはないでしょう。倒れるもよし、晩年を祈りと聖書で過すこともよし、どちらも神のみ旨であり、私は喜んで受け入れるでしょう。其処に十字架を発見する限り、生きているのは私ではなく、キリストが私の内にあって生きているからです。どうかお二人共、この手紙を見て落胆することなく、勇気と希望を持って十字架の義に固着するよう希望します。私達の生きる場所は、この地上にはなく、十字架にあることを示されるでしょう。

 

療養通信

センターの性格について、医局と多磨研との話し合いが始まっています。私にも参加するように一部の先生から話がありましたが、患者自治会は、センターの予算をとる運動はするが内容にまでは入らないと伝えました。これは、先生方に対する患者自治会の姿勢で、先生方の権威を尊重したためです。

 しかし私は、私なりの考えをもって、過去5年間、機関誌多磨と本省に向って、センターの必要性を訴え続けて来ました。この機会にセンターに対する私の希望を少し書いてみたいと思います。

 センターの性格付をする際、最少限必要なことは、センターの対象者を明確に把握しておくことです。次に、治療対象者の病種区分をし、センターの規模と、その内容をどのように方向付けるか、と言うことです。

 治療対象者は、施設にいる約9千人と新発患者、年間数10名と、社会復帰者約3千人です。

 これら対象者の病種は、らいとらい以外の疾病に大別出来ます。地方の施設では難治らい患者が増えています。その原因は専門医がいないことにあります。施設によっては、患者が治療薬を指示し、医者がそれを出すといった所があります。定年まで社会で働き、定年後らいの施設で働くといった未経験な医者のためにこうしたことが起っているのです。数年後には、専門医のいない施設が増えていくでしょう。こうしたことを考慮するときセンターは、らいセンターとして対象者の全責任を負うと共に、らいの専門医と看護婦を養成する重要な使命を負うことになるでしょう。そして最後の一人まで、治療を見守ることになるでしょう。

 らい以外の疾病については、癌を始めとし、高度な科学治療を必要とする難病を治療する高度な総合病院的な性格をもったものでなければなりません。らい以外の疾病については、一般病院を利用することがよいと思いますが、らいに対する偏見と差別は、昔も今も変りなく、一般病院を利用することは絶望的です。

 社会復帰者でも、後遺症のある者は、病院を利用することが出来ません。診察の際、後遺症を聞かれれば、元らい患者であったことを告白しないわけにもいかないし、告白すれば治療を拒否されます。こうして全生園を利用する外来患者は、基本治療の通園患者を含めて年間、延人員千名に達します。こうしたことからも、センターは総合的なものにならざるを得ません。

 医師、看護婦を確保するためにも、総合病院的なものが必要でしょう。らいセンターとして、らいのみの治療を目的にした場合、医者を集めることは絶望的であり、閉鎖的、特殊センターになってしまうでしょう。センターの中心は、基本治療であり、らいセンターとしての性格でなければなりませんが、それを包むものは、総合病院的医療センターでなければなりません。この医療センターは特殊なものでなく、一般病院と同じような医療設備を持ち、国立、公立の医療センター、病院と提携出来る方向にもってゆかなければなりません。医療レベルは一般病院と同じ程度のものであれば、若い医師が進んで就職するでしょう。若い医師にとって、高度な技術を身につけることは、すべてに優先することでしょう。それに応えるだけの医療センターが出来れば、医師不足に悩むことはなくなるでしょう。

 以上がセンターに対する私の希望ですが、この外に、センターとしての使命について述べるならば、終焉に近づいているらいの、最後の医療を見届けることと、東南アジヤを始め、アフリカ、中南米のらい者に医療の手を差し延べてほしいことです。日本のらいは終った。だから、海外に医療の手を差し延べよ、と言った議論は、空しいものと言えましょう。海外に医療の手を差し延べるためには、らいの専門医、看護婦を養成するセンターが必要なのです。それは、全生園の臨床医学と、多磨研の基礎医学が協力して始めて出来ることであり、こうした現実を無視した海外医療派遣説は空論に過ぎません。医療に携る者は社会の無責任な医療派遣説にまどわされず、センター設立に真剣に取り組んでほしいと思います。センター設立の成否は、日本のらい医療の成否にかかわる問題だけでなく、海外の医療協力の成否にかかわる大問題だからです。

 私は、日本の救らい事業が、外国宣教師に依って起されたことを思い、誰よりも強く、センター設立を望んできました。センター設立なくして海外医療協力はないからです。海外医療提携は、医療団の派遣だけではなく、東南アジヤより、医師、看護婦の研修生を受け入れることも、医療協力になるでしょう。毎年、10人くらい研修生を受け入れることが出来たなら、一人の宮崎博士を印度に送るよりも、数十倍の力を発揮することが出来るでしょう。今日本に必要なのは、売名的医療協力でなく、誠実な医療協力でありましょう。