「小さき声」 目次


 小さき声 No.146 19741015日発行

松本馨 

 おそれについて

 
最近、私はある出来事に遭遇し、信仰が問われた。 それは、病棟の看護のことで申し入れたことから、問題が重大化した。と云うのは、ある患者が死亡したことから、園内の世論が高まり、看護科に批判が集中した。死亡した患者に肉親の妹があり、その口から世論が高まった。看護担当の中央委員は、妹の口から看護の状態を聞き、泣いてしまったとか、私に報告する際も鼻をつまらせていた。事件とは次のようなことである。患者は心臓ゼンソクで、病棟に入ったのであるが、1週間でなくなった。私の経験であるが、肉親の亡くなった場合、その責任を医者、看護婦に帰し、責めたものである。それ故私は、問題を取上げることをせず、冷却期間を置いたが、世論は高まるばかりであった。このため私は、問題になった次の点について看護科に申入れ、善処を求めた。

1.病人が苦しんでいた時、痰を取ってくれなかった。2.ベルを使わせなかった。3.痰壷を使わせなかった。

1については痰を取っていたが、たまたま取らなかったこともある。それは気管を傷つける恐れがあったためである。2・3については、掃除の際、脇に動かしその侭にしてしまったためである。 2・3については病人に対する細かな神経と集中力が不足したためで、反省の余地がある。1については、看護する者とされる者との見解の相違で、責めることは出来ない。医者、看護婦の判断に任せる外ないであろう。これだけのことであれば、問題にならなかったのであるが、申し入れの際、世論は痰で苦しんでいるのに取ってくれなかったために、窒息死したと受けとっていた。そのことを前段で説明したため、看護科は医務部長を通し、次のことを申し入れて来た。

1.痰は取ってあげたこと。2.痰を取らなかったために窒息死したのではなく、死因は心臓ゼンソクである。3.自治会はこの点訂正してほしい。  

尚、医務部長は、自治会の申し入れに態度を硬化させ、場合に依っては辞める看護婦も出るかも知れない。また自治会役員に、ある看護婦から直接、看護婦の中に集団で辞める動きがあると伝えて来た。このために自治会は、侃々諤々、挙句の果に私をなじる始末であった。集団で看護婦が辞めるということは、患者にとって死活にかかわる大問題であり、事の是非を問わず、そのような原因を招いた私が悪いということなのである。  しかし私は、騒然とした論議の中にあって、驚くほど冷静であった。それは、詩篇46篇を心の中で読んでいたからである。

 「神はわれらの避けどころまた力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。(詩編46:1ー3)

 「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩編46:10)  

私はある霊感にうたれ、次のことを言った。

 「痰を取らなかったために窒息死したと言った覚えはないが、自治会が訂正しない限り集団で辞めると言うならば訂正はしない。そのような前提のもとの話し合いにも応じない。例え病棟看護婦が全員辞めても撤回はしない。集団でやめることをちらつかせながらの申し入れは脅迫であり、良識ある看護婦のすることでない。それは暴力集団である。たとえ一人になっても私は闘うだろう」。

全員辞めることよりも、暴力集団に服することの方がはるかに恐ろしいからである。私の決意披瀝によってその場は収まったが、私には信じられなかった。清瀬市は病院の街であるが、全生の看護婦は模範看護婦として尊敬されていると聞いている。集団で辞める思想は、看護婦の自殺行為だからである。私の考えた通り、集団退職は一部の看護婦の口からもれたこと、一部の患者の杞憂から出たことで、問題は円満に解決したが、この問題ほど私を孤独にし、神へ追いやった事件はない。このことは集団を指導してゆく私には貴重な体験であった。

モーセは、イスラエルの民をひきいて、エジプトの地を脱出し、約束の地カナンに向った。モーセは神に選ばれ指導者になったのであるが、選挙によって選ばれたものであっても、信仰によって受け取るとき、神のえらびの指導者なのである。ただモーセと違うのは、その民が神なき不信の民であることである。それでも約束の地カナンに向って脱出してゆかなければならない。約束の地とは、イエスキリストと、その十字架と復活が約束している終末的世界である。その世界がない限り世俗集団の上に立つことは出来ないし、それは全く無意味な無益なものになってしまうであろう。この集団が如何に破れ、傷ついても、この世界にこそ、イエスの闘いの場所であり、現在し給う場所なのである。それ故この世のいかなる権力にも屈することなく、ただ義の神を恐れ、それのみに固着し、生きてゆかなければならない。今私のしていることは、らいのエジプトからの脱出なのである。そして目指す地は、終末的世界なのである。  

或る友へ

 9月20日

 ハ氏病療養所の教会の将来は、絶望的であるか、希望的であるか、私は余り考えたことはありません。それは無関心というより、教会をある基準によって評価することは、信仰的でないと考えているからです。その信仰を抜きにして通俗的に考えるならば、教会は絶望的であると言えましょう。教会の門をくぐる若い人はなく、教会を守っているのは、戦前の人達だからです。この人達が地上を去るとき、教会の門は閉ざされるでしょう。 しかしこのことは、ハ氏病療養所に限らず、日本の教会、いな世界の教会が同じような道を歩いていると言われています。このような教会は政治的にも孤立し、この世から忘れられていくでしょう。しかし、こうした現象が信仰的に、絶望的といえるでしょうか。イエスは、自分が再びこの世に現われるとき、地上に一人の信仰を見るだろうか、と言われました。この意味では、教会が絶望的であればある程、私達の救いは近く、望みは確実なものとなったのだ、と言えないでしょうか。  

私は、キリスト者の伝道も、政治活動もこの世的には全く望みがない絶望的なものだと確信しています。私は現実に自治活動をしていますが、この世界に希望や救いを見て活動している訳ではありません。自治活動は、信仰的決断であって、この世的には絶望的活動といえましょう。日本には約9千人の患者が国立、公立の療養所に入所しています。政府は15年後には、2千人になると計算しているようです。患者の年令構成が56才になっているからです。そして今世紀のうちに患者は、日本から姿を消すでしょう。こうした現実に立つとき、働く意欲はなくなるでしょう。何をしても最後と思うからです。しかし自治活動は、この最後から出発しています。信仰的には終末的といってよいでしょう。  

私は過去5年、全生園の医療センター化運動を進めて来ました。日本のらい者の最後の医療を見るためのセンターなのです。今世紀のうちに幕を閉じるであろう療養所を収拾するためのセンターなのです。このような運動は普通には行われません。それは将来性がなく、発展もないからです。キリスト者である私だから出来たのだ、と信じています。  この外に自治活動している者の中に、将来的発展を期待し運動しているものがあるでしょうか、何もありません。私はいつも死を目の前において活動しています。この世界の終りが近いこと、死が近いことを感じれば感じる程、私の希望が大きくなって行きます。そこに十字架を見るからです。  

私は何時かこの世界の病んでいるもの、貧しいもの、苦しんでいるものの中にイエスを見ると、マタイ25章のイエスの言を引用して書いたことがあります。

「あなたは私が飢えた時食わせ、渇いたとき飲ませ、裸のとき着せ、旅人であったとき宿らせ、病みまた獄舎にあったとき尋ねたからである」 (マタイ25:35−36)

これに対して、右に分たれたものが、何時そのようなことをしたか、と言う問いに対して

「これ等小さき者の一人にしたことは、私にしたのである」(マタイ25:40)

とイエスは言われました。これは、私の自治活動の基調をなすものですが、厳密な意味を言うならば、病んでいるもの、貧しいもの、苦しんでいるものにイエスを見るのではなく、十字架のイエスにこれ等小さき者を見ることなのです。十字架の中にこの世界はあるのです。十字架のイエスを知ることは、病んでいるもの、貧しいもの、苦しんでいるものを知ることなのです。イエスはこれ等の人達に替って十字架の死にまで降って行かれたのです。十字架は、世俗の唯中にあるのでなく、十字架の唯中に世俗はあるのです。

「神は一人子を給う程に世を愛された」(ヨハネ3:16)

とあります。世とは、私達の住んでいる現実の世界でありましょう。その中に住んでいる人間を指して言っていることでしょう。神の一人子は、この世界の不信と罪を負って、十字架の死にまで降って行かれました。このことは、この世の不信と罪を神の一人子が飲んだことを意味します。つまりこの世界は、イエスに飲まれ、彼の死と復活に依って、新世界と作り替えられたのです。新生の人とされたのです。唯人間はその不信の故に、十字架のイエスを拒否し、新世界を知ることを拒んでいます。十字架のイエスを知っているものだけがそれを知っています。こういう訳で福音は、世俗の中の福音ではなく、世俗は福音の中の世俗なのです。それ故に、十字架を知るものは、病んでいるもの、貧しいもの、苦しんでいるものを知り、それに仕えるのです。それは、イエスにのまれた人達、十字架の中の人達だからです。それはまた、十字架のイエスと告白してよい程のものなのです。それ故に、この世界が悲惨であればある程そこにリアルな十字架を見ることが出来るでしょう。そして私達の救いが近きを知って望みと喜びが一層大きなものとなって私達を圧倒します。

 「我等四方より悩みを受くれども窮せず、詮方尽きれども望みを失わず、責められるれども亡びず、常にイエスの死をこの身に負う、これイエスの命の我等の身に現われんためなり」 (コリント後書4:8−10)

療養通信

 厳しかった夏も去り、爽やかな秋の季節を迎えました。今年は、寮の庭に除草剤を撒かなかったためか、虫の数が多く毎夜楽しませてくれます。今まで気付かなかったのですが、その声の元気の良いこと、高いことに驚きます。すさまじい虫の生命力に圧倒されます。このように元気な声を何年振りに聞いたでしょう。蝉、松虫、鈴虫、そしてくつわ虫まで進出して来ました。創造主の奇しき御手の業を思わずにおられません。  

読者に御心配かけましたが、口述筆記して下さったUさんの右手首骨折が癒え、10月より再び協力して頂くことになりました。Uさんの事故以来、替って口述筆記してくださったSさんに改めて感謝します。Sさんは、盲人会の書記であると共に熱心な仏教徒で真宗の代表をしておられます。又本誌の発送係として長年協力して頂いております。Uさんは聖公会の信者であり、印刷のYさんは仏教徒です。本誌が世にでるまでには、こうした教派を越えた善意の人達の協力によるものです。  本誌の発行が危いと知って多くの読者からお便りや、直接お尋ねを受けました。何とかして発行を継続してほしいということなのです。中にはカセットに録音して送ってくれれば、原稿にとってくれると申し出た教友もありました。私は本誌の休刊に余りこだわりません。創刊号から休刊は覚悟していたからです。本誌発行に当って、信仰の面から私を理解し、協力を申し出た者はありません。始めから一人であり、凡ては神にゆだね始まったことです。それ故、半年で休刊になるかも知れないし、あるいは1年続くかも知れません。あるいは今日発行出来ても、来月は不可能になるかも知れません。私は、本誌がどうなるか先のことを考えたことはないし、心配したこともありません。そして12年が経過しました。この12年の間に、UさんやHさん、Yさんなどの良き協力者が与えられたこともあって、12年続いたものと思いますが、決定的なことは、その背後に神の御手が働いていたことです。  

休刊の危機に立たされて、改めて思ったことはそのことであり、12年間続いたことは、奇蹟としか受け取れません。例え目が見えても、12年間毎月発行を続けていくことは、物凄い忍耐と、努力が必要でしょう。しかし、私は過去を振り返り、発行のために忍耐し、努力したという感じを持ちません。私が忍耐し努力したと感じることは、文章をまとめるための勉強でした。  

若い頃私は、小説や詩を書きましたが、1枚の文章を書くのに二日も三日もかかったことがあります。フローベルではないが、書くには書いたのですが、10枚書いても1枚もものにならなかったのです。失明後もこのような書き方をしたとすれば、口述筆記してくれる方はないでしょう。いかに快適に協力してもらえるか、そのためには推敲したり、書きなおしたりしないことです。一度筆記したならば、それがそのまま推敲したものでり、清書したものでなければなりません。このため発行当初は、一字一句、間違わず頭の中で文章を作りました。それは聖書を暗記するのと同じ位の忍耐と努力を必要としました。頭の中で草稿を練り、推敲し清書してしまうからです。こうした努力が報いられ、現在は、頭の中で文章を作ることはありません。口から出る言葉がそのまま推敲され、清書されているからです。  

ですから本誌が12年続いたのであり、又そのかたわら自治会の仕事もすることが出来るのです。しかし、どちらにしても信仰なくしては、私の健康度を考えるとき、不可能と言ってよいでしょう。信仰は不可能を可能とし、奇蹟を起すのです。私は思うのです。若し信仰がなかったならば、私は失明と四肢の無感覚によって、廃人となった私一個の体を持て余すでしょう。そして発狂するか自殺してしまうでしょう。その私が、本誌を発行し、自治会の重責を負っているのです。一つとして奇蹟でないものはありません。  

聖書は、からし種一粒程の信仰があれば、山に向って海に入れと言えばその如くなるとしるしています。私にとって、現在の私は、山が海に入るよりも驚きであり、奇蹟です。これは私が、私自身を評価し、讃歌しているわけではありません。若しそうだとすれば、私は呪われて地獄のゲヘナに投げ込まれるがよい。私はそれを望みます。私がここで強調していることは、信仰のもつ不思議な業を言っているのです。

「私は甦りであり、命である。私を信ずる者は死ぬとも生きん」(ヨハネ11:25)

と言われた信仰の奇蹟をいうのです。パウロがロマ書で

「信仰による義人は生きる」(ロマ書1:17)

と言われた信仰について語っているのです。信仰はまた私に、大いなるものを与えています。それは全く自由にされていることです。ルターの「キリスト者の自由」を引き合いに出すまでもなく、あるいはパウロがロマ書、ガラテヤ書、コリント書簡で言っていることを指摘するまでもなく、現実生活の中で私は、完全に自由にされています。

第1に、失明と四肢の無感覚という廃人の不自由から解放されています。
第2には、これが最も重要な根源的な出来事ですが、罪と死から解放されています。
第3には、らいとその偏見から解放されています。
第4には、私を隔離する隔離と、社会的閉鎖から解放されています。
第5には、私を支配する権力から解放されています。

ではどこで解放されているのか。それは最も大切なことであるが、十字架の一点において解放されているのです。義である十字架のイエスに固着するとき、これらのものから解放されているのです。解放され、自由であるが故に、奇蹟が起るのです。それはイエスとともに万人の奴隷となることだからです。上に挙げたようなものからの解放は同時に、その奴隷となることだからです。それは、生来の奴隷ではなく、イエスとともにある奴隷であり、信仰にある奴隷です。  私はかつて、生来の奴隷であったが、現在は、信仰の奴隷なのです。生来の奴隷は私に、絶望と発狂と死をもたらすが、信仰による奴隷は、喜びと希望と自由をもたらします。