「小さき声」 目次


 小さき声 No.147 197411月15日発行

松本馨 

律法の心 

 

 イエスと対立する立場にあったパリサイ人や、祭司長、律法学者達と、イエスの律法に対する考えの相違は何処にあったのだろうか。律法厳守については、両者の相違はない。イエスは

「私は律法を破壊するために来たのではなく、成就するために来たのである」。

と言われた。更にまた

「律法の一画一点をも残りなく守らなければ、天国に入ることが出来ない」。

とも言われた。この点では彼等と何ら異ることがない。しかし、両者の決定的相違はパリサイ人や、律法学者が外側から問題にしたのに対して、内から問題にしたことだろう。それが、兄弟を怒ることが殺人と変りないこと、心にやましい気持をもって女を見ることは、姦淫したと同じである、という言となって出たものであろう。イエスは、心の奥深くに隠されているものを問題にし、パリサイ人や、律法学者は外側の形だけを問題にした。両者の相違を、より具体的に示しているのが、ヨハネに依る福音書八章の、罪の女を巡ってイエスとパリサイ人、律法学者との問答である。

 「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。

これに対してイエスは言われた。

「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。

 律法は人を生かすために与えられたものであるが、外側の形式だけを問題にするとき、人を死に追いやり偽善的なものとなる。心の奥に隠されているものを、問題にされたイエスの場合、それは愛となって形をとった。律法の中心にあるものは、愛であろう。

 私はらい予防法の下にやがて半世紀になろうとしているが、隔離され、自由を奪われた生活をして来た。始めの約15年は、刑務所の囚人と全く変らない生活を強いられて来た。らい予防法は世界に例を見ない程、非人道的なものと言われる。警察権を導入し、隔離撲滅政策をとったことを指すのであるが、悪法であっても、それを用いる人によって悪法が悪法でない場合もある。隔離収容は、当時としては公共の面から致し方なかったが、所内における運営面で患者の人間性を尊重する政策がとれた筈である。何故、罪人として抑圧し、搾取したのか。

 患者運動は、抑圧と搾取の中から人間性を回復するための人権闘争である。現在は昔のそれと比べて比較にならぬ程向上している。東村山市は、私達を差別することなく、地域住民として身障福祉手当を適用し、身障者の自動車のガソリン税を免除した。らい予防法の枠の中で生きることを余儀なくされていた私達にとって、それは革命的とも言うべき事件であった。何故なら、私達は東村山市民として、市民権を獲得したからである。それは、患者運動の原点である人間復帰だった。

 具体的問題を通して、律法について考えさせられたのは、東京都の身障福祉手当についてである。東京都は、在宅の身障者が施設に入っている者より恵まれていないのを援助するため、在宅の身障者1、2級者に月額5千円の福祉手当を支給することにした。その公報を見るまでは、私は都の福祉手当について、全く無関心であった。対象にならないと思っていたからであるが、公報を読んで愕然とした。該当者は、在宅患者と医療施設に入っている者である。医療施設の入居者が該当すれば、全生園も当然該当しなければならない。しかし都は、らい予防法第6条1項によって除外すると公示した。私は、第6条1項云々に義憤を覚えた。第6条は、都道府県知事が患者に干渉出来る項目なのである。戦前は、この第6条によって強制隔離収容し、応じない場合は、警察に通告し罪人と全く同じように手錠をかけ収容したのである。都の第6条1項云々は、私達を過去の世界に閉じ込めることでしかない。

 WHO「国際保健機構」世界らい学会は、患者を隔離し、差別してはならない、一般患者と平等に扱うことを決定している。それが現在の解放医療で、都の政策は、これと全く逆行している。

 私は、明治42年の創立以来の全生園の歴史と、現在を詳細に書き、第6条の適用を撤回するよう要請した。第6条の適用は、私達を都民からはじき出してしまうことであり、それは、監獄の囚人以外にないのである。それと全く同じ位置に落とすことなのである。私は要請書に二度に亘って書き、直接陳情もした。金銭の問題ではなく、全生園に居る私達はそのまま都民として認められるか、それともらい予防法という牢獄の中に幽閉されるかの問題なのである。

 その結果、都は全生園の歴史を知らなかったことを告白すると共に、第6条1項の適用を廃し年金受給の対象とした。つまり都民として認めたのである。先には東村山市の市民権を獲得し、今また都民権を獲得したのである。全生園は、創立65年に当るが、始めてらい予防法の枠の外にその地位を獲得したのである。法は人を生かすためのものであり、らい予防法は、その法によって人間性を疎外するものである。故に法を適用しないことが、法を生かすことなのである。第6条の干渉は、干渉しないことが干渉なのである。この辺にイエスの、律法観に通じるものを私は見るのである。

 或る友へ

10月6日

 お手紙ありがとうございました。私は、集団の上に立つ指導者は神と民の間に立つ預言者的役割を一部負わされているものと思います。そうでなかったならば、キリスト教的指導者と、この世の指導者と変る処がないでしょう。両者の間に相違点があるとすれば、この一点にあるといってよいでしょう。従ってキリスト教的指導者は、世の組織の中に埋没することは考えられません。埋没しているようでも、彼の望見している処は、現実社会の変革の彼岸にあります。少なくとも私について言うならばそうであり、それ以外の評価は無用と言ってよいでしょう。

 では、私はどのような思想を持って自治活動をしているのか、私の望見しているものは何か、と言えばキリストが私達に約束した終末的世界と言ってよいでしょう。世の終りの日に来たり給うキリストの支配であります。それまで私は、荒野に神なき不信の民と共にさまよい続けるでしょう。

 あなたは1945年の連合軍による日本占領を如何に評価しているのでしょうか。戦後、戦争責任について各階層が自己反省し、あるいは懺悔し、あるいは責任を追及されました。私はしかし、戦争責任の追及にはほとんどと言ってよい程興味はありません。それよりも連合軍がキュロス的役割を果し、民衆を軍国主義国家のもとに、自由を奪われ、搾取と迫害のもとに苦しんでいた民を解放したことに興味があります。第2次大戦による敗戦と、

 連合軍の占領がなかったならば、日本は果してどうなったでしょうか。一時的に繁栄しても、もっと恐るべき罰が下ったのではないでしょうか。ソドム、ゴモラのように民族の滅亡が来ないと断言できません。天皇を生ける神とし、戦争を好む民への審判であり、それは当然の亡びと言えましょう。この意味で第2次大戦による敗戦と、連合軍の占領は、神が日本を完全に見捨て給わなかったしるしであり、神のあわれみによる恵みと言えましょう。

 このことは連合軍に感謝せよということではありません。悔い改めて感謝するのは、神に対してであり、連合軍のキュロスは、神の道具として、用いられたに過ぎず、彼もまたその不信の故に、第二イザヤのキュロスと、同じ道を歩むことになるでしょう。

 連合軍の占領によって、このことは最も明確に、受け取らされたのは、らい園であり、私自身であったと言えましょう。連合軍キュロスは、警察権を導入し、らい者を強制隔離収容し、その人間性を剥奪し奴隷の位置にあった患者、囚人の位置にあった患者を牢獄から解放してくれました。警察権を排し、選挙権を与え、解放療養の道を開いたのです。

 他方、人類の歴史始って以来患者をとりこにしていたらいの牢獄から治らい薬プロミンによって解放してくれました。この二つの解放が、私達にとって如何に大きな喜びであり、慰めであったか、それはイザヤ40章1節以下そのままでありました。長い長いらいの牢獄から解放され、私達はエジプトを脱出した民として、現在荒野をさまよっております。医療センター運動も、全生園の整備も荒野における仮の宿に過ぎません。私達が望見している処は、約束の地カナンであり、それは十字架の一点にありました。

 モーセは、集団を統率し、秩序ある集団の営みを維持するために集団の憲法を、シナイ山で神の啓示を受け作りました。それがモーセ律法であり、イスラエルの憲法であります。集団を指導していく為に生れた必然の律法であります。集団の上に立つ、キリスト教的指導者は預言者的面を持たなければならないと言ったのは、集団の規律を自ら作成し、集団に与えなければならない、その能力を啓示として持たなければならないことを意味します。集団に対して、規律と約束を示すことが出来ないとすれば、集団は混乱し、腐敗し、堕落し、やがては指導者自身、その地位を追われるか、共に亡びてしまうでしょう。この意味で指導者は、創造的でなければならないし、その目標を明確にしなければならないでしょう。こうした創造と目的をいかにして与えられるかと言えば、神の力に依る外ありません。彼ではなく神がそのときどきの必要なものを示して下さるでしょう。

 山上の垂訓は、個人の道徳を示したものでありましょう。集団の上に立つ指導者の場合、この道徳の外に立たなければならないことが屡々あります。それが神と民の間に立つ預言者なのでありましょう。例えば「右の頬を打たば、左も向けよ」と言うイエスの教えがありますが、個人では出来るが、集団の上に立つ場合、出来ないことが起ります。じっと踏みつけられて、我慢している人は幸いだ、とイエスは教えていますが、集団の上に立つ場合、出来ないことが起ります。集団に必要なのは明確な義であり、目標であります。そしてそれを、何処で示されるかと言えば、神御自身からであり、啓示に依る外ありません。私は、この意味でキリスト者の政治活動は限られたものであり、少数の選ばれた人達のように思われてなりません。もし、私の考えが間違っているとすれば、私の自治活動に根本的に間違いがあるからでしょう。それは信仰にかかわることであり、私にとって死活の問題であります。しかし十字架の義に固着することにより、こうした不信の私にもかかわらず、神は私に力を与え給うことを信じ、来るべき新世界を望見することを許して下さいます。

 療養通信

  第二次大戦中閉鎖した目黒慰廃園を経営していたのは、好善社でした。慰廃園なきあとも好善社は、ハンセン氏病患者のために奉仕しています。社長の藤原伊作氏は先代の長子で、親子二代に亘って私達のために尽くしてくれていますが、この程、氏がハンセン氏病教会から2百万円の献金を募り、東南アジヤのハンセン氏病病友に贈る計画は深く考えさせられました。金額が大いことと、その贈る方法に問題があります。

 好善社はアメリカの援助によって運営されてきたものです。戦後、全国13園のハンセン氏病療養所に、好善社を通し教会堂が贈られました。アメリカ宣教師ハナフォード先生の御尽力に依るものと聞いています。藤原伊作氏は、既に召されたハナフォード先生の御恩に報ゆるために、ハナフォード先生の御遺族に2百万円を贈り、米国教会から東南アジヤのハンセン氏病患者に届けて貰うというのです。

 私には、このような方法が信仰から出たとは思われず、人間的、余りにも人間的なやり方と思われます。それは、アメリカへの卑屈であり、媚びであり、信仰とは程遠い奴隷根性と言えましょう。東南アジヤのハンセン氏病患者が、この金を受け取った時、日本はアメリカの植民地と思うでしょう。

 この問題と時を同じうして、印度のハンセン氏病患者に18万円を贈った小さなグループがあります。私の旧友で、原田嘉悦氏が起した「世界ハンセン氏病友の会」です。この会は一口百円で、日本のハンセン氏病患者が会員です。賛助会員として、一般の人も参加していますが、会員は5百名で小さなグループと言えましょう。この会の主旨は、経済的に、あるいは医療面で恵まれた日本のハンセン氏病患者が、世界の幾百万といわれる病友に愛の手を差しのべるのが目的です。金額にしては誠に小さいものですが、施設に入ることも出来ず、地をさまよっている世界の病友に、祈りに似た気持で贈るものです。それがどんなに小さなしるしでも、世界の何処かで自分達の身を案じている病友のあることを知ったとき、幾許かの精神的支えと神の証となることでしょう。

 私は原田氏の相談相手となり、印度に贈るためのお手伝いをしました。幸い千代田集会の大田成美氏が、日本赤十字社に勤務しておられたので、氏にお願いし、贈ることが出来ました。印度赤十字社からは、感動に満ちた手紙を頂きましたが、その中に世界ハンセン氏病友の会がユニークな団体であること、18万円を受けることを名誉に思っている旨のことがしたためてありました。

 私は思うのです。世界ハンセン氏病友の会が贈った18万円と米国教会を通して贈った2百万円と、果してどちらを印度の病友は喜んでくれるだろうか。印度赤十字社のように、どちらを光栄と思い、名誉と思い受け取ってくれるだろうか。

 人に恵みを施すことは大変難しいと言えましょう。日本は東南アジヤに経済援助をしながら、エコノミック・アニマルとして憎まれています。経済援助が紐付きのせいもありましょうが、もっと本質的に、日本人に欠けているものがあるように思われてなりません。

 それは、日本人個有の主体性がないことではないでしょうか。日本人は日本人の手になるもの、例えば美術、音楽、映画を評価することを知りません。外国で有名になって始めて見直すという不思議な国民性をもっています。白人に対する劣等感から来るもので、フランス人やドイツ人から御墨付を貰わないと、同国人の作品に自信をもって推薦することができないのです。

 藤原伊作氏の今回の計画も、これと全く同じことなのですが、白人に対するコンプレックスは、一皮むけば同じ黄色民族に対して優越感となり、暴君となるのです。日本人が東南アジヤの各国から嫌われているのも、この辺にありましょう。日本人は、米、欧に対しては精神的に奴隷であり、東南アジヤに対しては暴君なのです。このことは信仰にも言えるようです。キリストは、自由を得させるために、我等を固く立たされ、奴隷の頸より解放されましたが、このような信仰に立たない限り、キリスト者もまた信仰的奴隷となり、自由に立つことが出来ないでしょう。その結果は、恵むことさえ奴隷としてより恵むことが出来なくなります。ではいかにしたならば信仰の自由に立つことが出来るでしょうか。それは、自己に死に、キリストに生きることでありましょう。しかし、簡単に自己に死ぬことが出来れば問題が容易ですが、自己に死ねない処に人間の罪の重さがあります。徹底的に十字架に固着し、キリストに生きること、そのことが、自己に死ぬことでしょう。回心は何時もそのようにして起ります。現在の神、キリストを知って自己に死ぬのです。イエスは、幼な子の如くにならなければ、神の国に入ることは出来ないと言われましたが、幼子から大人になった人間は、余りにも汚れているために、幼子になることは出来ません。その意味では、イエスは不可能な要求をしていると言えましょう。絶望的な要求と言ってよいでしょう。唯、幼子による可能性が一つだけあります。それは、イエス・キリストを知ることであり、彼の人格、彼の現在に触れることです。その時、人は幼子となり、彼を受け入れることが出来るでしょう。

 信仰はいつもこうして神の側からの働きから始まり、恵みとして来るのです。このことが分らない限り、信仰の自由に立つことが出来ないし、奴隷として世を恐れ、権力を恐れ、送ることになります。パウロは「われは、自主のものならずや、主イエスを見しにあらずや」と言われました。信仰の自由は、この言につきます。