「小さき声」 目次


 小さき声 No.15 19631117日発行

松本馨

ユダの死 

福音書記者は、ユダを裏切りという角度から記しているために、その性格は暗く陰欝であるが、ヨハネ126節からは、それとは違った感じをうける。6節は、ユダが金入れを預かっていると記していたことを記しているが、今のことばで言えば会計係である。以下は会計から想像したわたしのユダ観である。 

ユダ観というよりは、ユダの名を借りて、ある考えを述べるといった方がよいかもしれない。ユダは現実的な物の考え方をする。真面目な人で、使徒の中では、教養があった方ではないだろうか。イエスと使徒からは信頼されていた。ユダはまじめな事務屋として又、神の国についても、きわめてはっきりしていたものをもっていたのであろう。彼の神観と神の子イエスとの対立があったと思われる。ユダのメシヤは、世をおさめる地上の主であり、世界の人々に伝えられる堂々たるお方である。 

「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。」(マタイ2028) 

取税人、罪人と食を共にし、ご自身を、死に渡し給う低いメシヤとの対立である。 

パリサイ人と祭司長は、律法と安息日を守るために、律法と安息日の主を、十字架にかけた。ユダも又、己の神観を守るために、イエスを裏切った。イエスを売ったことは許されるべきことではないが、それだけに真剣だったのである。神の言は、聞いて従うか、拒否するかどちらかである。中間はないのである。マタイ274節に 

「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」 

ユダは血を吐くような叫びをしている。イエスの死が決定したとき、ユダは己の罪を知ったのである。この原理は、いつの時代にも変わってはいまい。私たちが罪を知るのは、十字架の前に立つときである。しかし、ユダの痛烈な叫びが悔い改めにならなかったのはなぜか。彼は行くところを間違えたのである。十字架の下に行かずして、祭司長の元へ行った。ユダが犯した第二のあやまちである。ユダは十字架の元にひれふし、彼のなしたすべてを告白し、イエスの許しを乞うべきであった。自身を恥ずかしめ、嘲笑してる群衆のために、十字架上から祈られるイエスは、愛弟子の砕けた姿を見て、許されずにおられるだろうか。ユダが師におくる最上の贈り物である。ユダは群衆を恐れたためであろうか、恐らく彼を打ち殺すか、その場で十字架につけるかもしれない。彼はそれでも喜んで行くべきであった。肉の弱い、無力の私たちは、とうてい出来ない相談であるが、無力なるが故に 

「わが不信を助け給え」 

と、十字架に固執するのである。 

そのとき、不可能なことが可能になり、絶望的なことが喜びとなるのである。ユダは、余りにも立派であり、自己に忠実であった。我と我が身を裁き、自己の義を立てたのである。私たちは、このような最後的な拒否をしてはならない。ユダの死を考えるとき暗い。今も尚、かすかにふるえながら、空中にぶら下がっているユダの姿が見える。 

それに比べると、イエスの死はどうか。その十字架はあまりにも悲惨であるが、私たちが受くるものは、それとは全く逆に希望と喜びである。背後にキリストの復活を見るからである。 

この病は死に至らず 十五

二人の友 

私の観察した人たちはほかにも多くいましたが、ここでは省略します。青いガラスをすかしてみると、あらゆるものが青く見え、赤いガラスをすかして見ると赤く見えるという風に、絶望したものの目には、一切が絶望に見えます。事実この世界には光がなく、死が思考の彼方に一切を拒否し、さし招いています。その前でこの世界は絶望し、緩慢な自殺をしています。死を直接絶望しているのではなく、直接絶望出来ないことが絶望的であるのであって、緩慢な自殺なのです。 

私もその中の住人であります。如何に努力し、もがいてみても、神から切り離されている限り、この世界から脱出することは不可能なのです。ただ一つ可能なことは、決断によって死を受けとることであります。それ以外に最早私に残された道はありません。 

こうした状況の中で、私のために祈り、献身的奉仕をして下さった二人の兄姉があります。一人は園児の教師をしていたNであります。Nは熱心な信者でありましたが、教会の役員をしていたとき、或る問題で教会を追われました。そのとき私は、教会の秩序を乱すものとして、Nに対する教会の処置に同意したものですが、私が苦難の荒野に坐していたとき、最初に訪ねてくれたのはNであります。 

もう一人はM婦人であります。婦人は両義足で、足首から切断しています。両手も又、手首からききません。私が眼科病棟に入室したのを聞いて、訪ねてくれたのですが、私の変わりはてた姿を見たとき、婦人は深く決するところがあったのでしょう。この日を境に、私が信仰に立つまでの数年間を私の目となってくれたのです。 

一週に一度、婦人は昼見え、石原兵衛先生の「回心記」を読んでくれました。Nは夜来て、聖書と関根正雄先生の「預言と福音」と、塚本虎二先生の「聖書知識」の中から抜き読みをしてくれました。しかし、私には一半句も理解することができません。なに一つ語ることができないように、言がかくされていたからです。わからないからといって二人を断ったことは一度もありません。私の目に神はかくれていても、ここにのみ言葉が語られている限り、神は近くにいられたからです。 

たとえ無感覚になっていても、そこには客観的な救いの確かさがあるのです。かりに私が死をおかしても、聖書を抱いて眼科病室に入ったように、聖書を手放さずに持っていくで しょう。地獄に落ちても聖書がある限り、やはり客観的な救いの確かさがあるのではないでしょうか。 

最後の抵抗 

義子の死を通して罪を指摘されてより、私の心にいちじるしい変化が起こりました。それは神への恐れであります。それまで私は、神に対する畏怖の念をもったことがありません。罪をおかしたとき、良心の痛みを感じても神に対する罪意識がないのです。私の神は愛の神であり、善を見て悪を見ないのです。私は善を行うとき神を意識し、悪を行うときは、忘れております。だから収税人のように「神様、罪人の私を助けて下さい」と、胸を打ったこともなげれば、罪に泣いたこともありません。 

不信と不義を裁く義の神を知らない訳ではありませんが、それは教義として受け取っていたのです。出来事として、科学時代の二十世紀の真昼時に受け取ることができません。現実に打たれ裁かれていながら、わからないのです。わからないと言うより、審判の神が恐ろしいのです。 

義子の死を通して知らされた罪は、氷山の一角に過ぎません。自分ではそう思ってはいませんが、魂は自覚していたのです。 

その罪を、法廷に持ち出されて裁かれるとしたら、一体誰が恐れずにいられましょう。不正な裁判官として、拒否するのは当然です。 

世には知恵や、富を利用して貧しいもの、弱い者を苦しめている者がいます。それを取り締まらないで、病苦と貧困の中で、軽犯罪にもならない小さな過失を罰するのは、どう考えても公正な裁判官とは思えません。戦争で夫を亡くし、子を抱え食うに職なく、かつぎ屋をしている主婦を罰し、数百万のワイロを取っている政治家を罰することのできない、裁判官のようなものです。真の神は、私たちの罪のため独子イエスを死に渡し、永遠の生命を与え給う方です。 

この愛の神と、死を裁く神と同一の方とは思われません。では、私を打つのは誰か、罪を恐れたのはなぜか、突風を恐れ、霊安所から逃げ出したのはなぜか、心の迷いであり、偶然の一致だろうか。 

私は約百日、眼科病室に入室していましたが、後の数十日は、文字通り怒りの神との格闘でした。病人を観察しているうちに、死はしだいに私を支配していったのです。魂が弱り身体が衰えたことも原因でした。

しかし、私が死を手に取ろうとしたとき、完全に拒否した善の神の怒りが現れ、魂はそれを直感し、私を恐怖のどん底につき落としてしまったのです。あまりの恐ろしさに、最後の力をしぼって、死の淵からはい上がろうと努力します。やはり気の迷いか、気がついてみると、まるで嘘のように魂はけもののように無感覚になっているのです。死を恐れるからこういうことになるのだ、私は自嘲しながら又死に近づきます。すると全く同様なことが起こります。魂が神の怒りを直感するとき、刀鍛冶が真赤に焼けた刀を水につっこむように一瞬にして全身の力が消滅し、次に死人のように冷たくなります。生きようとすれば神は無く、死を求めると神の怒りがのぞみます。生きることも、死ぬことも出来ず、まるで半殺しにされたような状況なのです。神は愛する者を打ち、聖霊の水をもってきたえるのです。 

こうしたことは、身体にも変化が現れます。お椀をふせたような瘤が肩に出来、肩骨は砕け、腕はちぎれ、今にも心臓が破裂してしまいそうなほど、ものすごい圧力が加わり呼吸が止まりそうになります。こうしたときは、肩の瘤に注射を打つか、メスを入れて凝固した血を取ると楽になります。

一度は注射を待っていることが出来ずに手探りで治療棟に走ったことがあります。眼科室にかけ込むと「早く、早く」と云って床に膝をつきました。一刻を争うのです。看護婦は私の様子に驚きながら、急いで注射の用意をしてくれましたが、石のように固い瘤に針は曲がってささりません。馴れた看護婦は上から垂直に射してくれますが、経験の浅い看護婦にはそれが出来ません。皮下注射を打つように、はすに持ってゆくために針は、曲がってしまうのです。看護婦は注射器を傍に置くと、私のうしろに廻り、両肩を拳でたたきはじめました。瘤がやわらかくなるにしたがって、肩の荷は軽くなり、それに従って呼吸も楽になりました。看護婦は、涙に血が混じっていると言って、きれいなガーゼで拭いてくれました。 

もし、この世に地獄があるとすれば、こういう世界をいうのでしょう。 

あなたのみ手 

「わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれはてた」(詩篇3234)

詩篇には一度読んだだけで忘れることのできないものがある。32篇もその一つである。内容が単純で透明で、悔い改めの詩篇だからである。 

三節で詩人は悔い改める前の苦しみを述べているが、罪のために苦しんだと云わず私が罪を言い現さなかったとき、といっていることに興味をおぼえる。詩人は罪そのものを苦しんだのではなく、内に罪をもっていたために「あなたのみ手が、昼も夜も私の上に重かったからである」と、言うのである。罪のために神から切り離されていること、神に無限に遠いことが苦しみなのである。 

地球をとりまいているのは、厚い空気の層である。人は、それを呼吸している。虫も獣も同様である。鳥はそれによって天を駆け、木は空に枝を張ることができる。海の魚と、その中に棲息するものも海からそれをとっているのである。空気は生物にとって欠くことのできないものである。が、誰の目にも見えていて見えず、わかっていてわからない性質をもっている。空気が希薄になって始めてわかるのである。 

宇宙万物を支配したもう神のみ手は、空気にたとえることができる。勿論汎神論的に言うのではない。その支配を受けていながら御手がわからないと言うのである。罪は真空である。神なき真空で呼吸難におちいり、はじめて外からの重い御手を感ずるのである。 

宇宙のチリは大気圏に突入すると、空気の摩擦で、真紅の炎を発してもえる。それと同じように、罪が焼きつくされるまでみ手は重いのである。この重いみ手は裁きである。罪によって神の義が現れるのである。この義は罪を赦し、真空の子を神の子とする義である。 

詩篇には 

「何故、あなたは私を捨てられたのですか、遠く離れて立たれるのですか、お忘れになるのですか」 

と、神に向かって嘆くことばが多い。真空の中で、外からの重いみ手を受けるからである。アダムの末である人間は、生まれながら真空の中にいるために、外からの重いみ手をさけて、直接恵のみ手を受けることはできない。だから神に捨てられたと思ったとき、無限に遠いと感じたとき、神に最も近くにいるのである。これは矛盾である。が、真空の中では、このような形でしか神を知ることが出来ないのである。

十字架では、この重いみ手と、恵のみ手は一つである。私は、この十字架以外には、神のみ手を知ることはできない。キリストにつがれて、彼の死に会わされ、キリストの生命の義を受けたとき、同時に受け取らされた彼は、私の罪のために、死 に渡され、神なき真空で、身を焼かれているのである。世から葬られ、家族から捨てられたとき、独子神の子キリストは、私のために自身を死に渡されたのである。神の絶対愛を知るとき、誰か感泣せずにおられよう。神の恵に泣かぬものがあろうか。世人から、いみきらわれ、恐れられ、身は暗黒を住家とし、くさりを父として、うじを母、姉妹とするもののために、神はみ子イエス・キリストを死に渡されたのである。私は 霊をもって、今はキリストを知っている。しかし、終わりの日にキリストは再び来たり給うことを、神は約束されている。その栄光の日に、私はこの目で見、この耳で聞き、この手で触れることが出来るのである。その栄光の日を思うとき、私たちが受けている苦しみは、パウロの言の如く、しばらくの軽き悩みに過ぎない。 

ことば

 夏から秋にかけて、自殺者が二人でた。いずれも信者であるが、近年新旧教会に属する者の自殺者が目につく。信者数が多いと言えばそれまでであるが、それでは済まされない問題をふくんでいる。 

日本人には罪の意識がないと言われるが、自殺に対する罪意識は更にない。私たちの体はキリストの血であがなわれている。自殺はキリストの死を無駄にするばかりでなく、人殺しと変わるところがない。我を、我がものとする思想は、信仰とはおおよそ縁のないものである。自殺はその人の信仰の否定である。人は誰でも、死の前に立たされるときがくるが、そのとき神を義としているのか、自己を義としているのか、試みられるのである。「ユダの死」は、自殺に対する私の考えを述べたものである。