「小さき声」 目次


 小さき声 No.18 1964216日発行

本馨

 レプタ二つ(ルカ2114)

 レプタ二つは、やもめの命の代である。それがなければ生きることはできない。なんと貧しく、そして、小さな命だろう。やもめはレプタ二つで買い取られた肉の奴隷である。やもめと同じく、人はみなレプタ二つの奴隷である。たとえ巨万の富を持っていても、その人のレプタ二つに変更はない。詩人は次のように述べている。 

「たとい彼らはその地を自分の名をもって呼んでも、墓こそ彼らのとこしえのすまい、世々彼らのすみかである」(詩篇4911) 

レプタ二つは死が人間につけた市価である。やもめはレプタ二つの自己に絶望しながら、同時にそれに仕えなければ生きることが出来ない。これは預言であるが、人間はこの預言の中に生きている。やもめはこの預言の自己、レプタ二つをさいせん箱に向かって投げ込むのである。そして、そこに何が起こったであろうか、何も起こらなかった。金持ちは依然として、あり余っている中から多く投げ入れ、貧しい人は、乏しい中から生活のすべてを投げ入れていた。私には、やもめの行為が空しく絶望的であり、人間の限界を示しているように思える。そして、ここまでは他宗教の達することのできる世界である。 

しかし、ここではやもめが中心ではない。その場にイエスが来たり給うことである。神の子イエス・キリストが、やもめの前に立ったのである。やもめはイエスを見たのか、見ないのか、知っていたか、知らなかったかは、ここでは問題ではない。ご自身をレプタ二つの死にわたしてこれをほろぼし、人類を死から解放して下さったお方がごらんになったのである。それがすべてである。すべてはこの事から始まり、このことで終わる。 

一生の間には、神が見えなくなることが、一度や二度必ずおこる。その時、根底から支えてくれるのは、神がごらんになっていると云うことである。神の子イエスは、私のために十字架上で血を流しておられるのである。この事実を知るなら、望みがなくなったときも望むことが出来るし、信仰がなくなったときにも、信ずることが出来る。キリストご自身が、私たちの望となり、信仰となるからである。

この病いは死に至らず 十八

 一本の指

Hは私が寮父をしていた頃の子供で、今は文学青年になっていました。私の書物を処分し、原稿を焼却してくれたのは彼です。私は彼にマタイによる福音書一章のはじめの数節を筆写させ、それをレンズで見ました。マタイからヨハネ黙示録まで、こうして読むつもりだったのです。 

このことが、働いて目にいかなる結果をもたらすか、考える余裕がありません。私は炎につつまれていたのです。私は灯心であり、聖書は油つぼです。その油つぼに全身をしつかりと浸していないと、油が切れれば炎は私を焼きつくしてしまいます。 

私は目を真赤にして、読みつづけました。そのために涙に血が沁み、何日もたたないうちに墨書きが見えなくなってしまいました。しかし、私は恐れません。私は内に真に光を持っているからです。いかに暗く、また真暗であっても私を蔭でおおうことはできません。その光の前には太陽も、昼の 月のように暗いのです。 

私にはまた、教会に多くの兄妹と、文学の友がいました。この人たちは、私のために目を貸してくれるでしょう。事実、私が不自由舎に入ったのを知って、つぎつぎと訪ねてくれましたが、私は見舞いを受ける代わりに、聖書を読んでもらいました。毎日三十分か一時間くらい聞く機会が与えられていましたが、一日は二十四時間あります。後の二十三時間をどうしたらよいのでしょう。私は空しく、壁に向かって座しているよりほかに道はありません。そして、それまで経験したことのない苦しみにおそわれました。壁が、神と私との間に立ってしまうのです。終日、壁に向かって座していると、壁は山のように成長し、神と私との間を完全に断ってしまいます。これは神を知った者が受けねばならぬ刑罰です。神を知らなかったならば、この苦しみは経験せずに済んだでしょう。 

ドストエフスキーは「死の家の記録」で、刑罰の中で恐ろしいのは、無益の仕事をさせることだと言っています。その刑罰が肉体でなく、精神に向けられているためでしょう。肉体の刑罰は、例えば、むちで打たれるような体刑はこらえることができても、何の目的も意味もない、無益な仕事を毎日繰り返しさせるなら、発狂するか自殺してしまうでしょう。その刑罰が肉体でなく、精神に向けられているからです。

壁に向かって座していると、これと同じことが起こります。存在そのものが、無意味なものとなり、私は人でなく、石になってしまいます。私は祈りました。「私に一本の指を与えて下ださい」と、生きている一本の指があれば、点字を習得し、聖書を読むことができます。それによって、壁に向かって座している無益な業から逃れることができます。私は子供が、母の膝をゆすって物をねだるように、神に祈りました。私の願いが大それていたためでしょうか。私は枯れた体を若者のそれのようにして下さいと願ったのではありません。つぶれた目を、少年のそれのようにして下さいと願ったものでもありません。萎えた十本の指をたくましく節くれだった労働者の手の指のようにして下さいと祈るものでもありません。神の言を受くるために、その中の一本を生かして下さいと願ったのです。もしそれが、おおそれた願いであるなら、指の先端の点字の当たる部分だけを生かして頂きたいと願ったのです。

私を墓からひきあげられたお方は、秋の空のように変わりやすい方なのでしょうか。こうして、或る日のことです。空しく壁に向かっている私の耳に聖書を朗読する声が聞こえてきました。隣家の盲人が読んでもらっていたのでしょう。その意味は解りませんがその声が耳に入ったとき、電光のように啓示を受けました。

「神の言をきく耳が私にある」

ということであります。神は私から一切を取り去ってしまったのではなく、必要なものは残しておいて下さったのです。この事実は私には驚きでした。私はそのときを境に、心の罪に神の言をうつ作業を始めました。私は肉の指で点字紙に聖言を打つことを求めましたが、神は、私に霊の指を与え、肉碑に打つことをお示しになったのです。

訓練

私の進むべき道は決定しました。神の言を食らうことです。そして、そのために、すぐに取りかからねばならぬことがありました。

神の言を受くるためには、私はM夫人の寮を訪ねる必要があります。学園のNのところにも行かねばなりません。また、教会の門を叩く必要があります。このために私は一人で歩くこともおぼえなければなりません。盲人の生活は歩くことからはじまります。自己とそれを疎外している自己に向かって、一にも歩き二にも歩くことです。はじめて杖を持つときは勇気を必要とします。グロテスクな裸体をいっせいに見られているようなすべての人の視線を感じます。そして、恥と恐れのために、杖をもつ自己に絶望をします。らい者は自己を恥、世をおそれ自己自身であることを欲しません。そして、自己疎外的な行き方をします。盲人もこれと同じようなことが起こります。このような、自己自身であることに絶望している自己を解放するのは歩くこと以外にありません。

一般盲人と、手足の感覚のないらい盲の不自由度は比較になりません。前者は感覚と全身の感覚で歩き、後者は感覚のみで歩きます。そして、この差は決定的です。この二人が地上に立ったとき、すぐにその差が現れます。前者は其の処が土の上か、舗装路か、手か足の感覚でわかります。しかし、後者には全然わかりません。これは簡単な例ですが、二人を広場に立たせて、杖を持たせずに自由に歩かせます。そして、その前に気づかれないように、等身大の人形と穴を掘っておきます。前者はその手前で止まりますが後者は人形にぶつかり、穴に落ちてしまいます。このために、所内の道路の中央には白線を引いたように石が敷いてあります。それを盲人は杖で叩き、音で歩くのです。

寒い夜でした。教会の帰路、私ははじめて一人で歩きました。行くときは手を引かれて行ったのですが、訓練するには良い機会と思い、後から一人で帰ることにしたのです。会堂と寮との距離は、三百米余りあります。三分の二以上は直線で、その先を右に曲がり、少し行って左に曲がると寮の前に出ます。道順は簡単でありますが、歩いてみると、頭で考えるほど簡単ではありませんでした。足は前に出ますが、目の前に障害物があるような気がして、上半身は後ろにそってしまいます。それに、思いがけない伏兵が待っていました。日没と共に、敷石の両側は氷って、竹杖で叩いても、その音が石か土かわからないのです。

歩いているうちに心細さと、不安が次第につのってきました。時間がたつにしたがって次第にこれが大きくなり、前に真直ぐに歩くことが出来ずにくの字に歩いていました。右に寄りすぎているのではないか。左に寄りすぎているのではないかと思う不安が、そのまま歩行になってしまうのです。ついに、私は石道からそれてしまいました。いくらたたいても、石らしいものがありません。探しまわっているうちに、方向がわからなくなってしまいました。北に向かって歩いていた筈なのに東に向いているのか、西に向いているのかわかりません。寮舎からラジオが流れている筈なのに、それも聞こえません。人声も、足音も全く絶えています。深い夜の沈黙が、海のように広がっていました。そのとき、私の足下から地表がなくなり、水面に浮かんでいる浮き草のように、私の体は空中に浮かんでいました。

後年、ジェット機が頭上を通過するさいにこれに似たことをしばしば経験しました。道路を歩いているとき、私に位置と方向を教えてくれるのは、杖の音と、角々の盲導オルゴールと、寮舎のラジオ、そして人の声であります。ジェット機の轟音は、これら一切の音を私から奪い去り、あっと云う間に、彼方へ飛び去ります。そのとき、私の体は地から引き抜かれ空中へととりさらわれます。一瞬轟音が私の位置と方向をしめす対象となるからです。

深い夜の沈黙が、ここでは轟音に変わって、私を呑んでしまったのです。宇宙の塵の孤独が、歯車のように魂にくいこんできます。会堂と舎の中間に、もと私の住んでいた寮があります。いつの年でしたか、失明してまもなく渥美は雑巾にもならないぽろぽろの袷と鼻緒の切れた駒下駄をかかえて、氷った朝の道を裸足で見えたことがあります。途中でころんで鼻緒が切れてしまったのです。彼は半日遊んで帰りましたが、そのとき、私は門の道まで送り出して、一人で帰るようにわざとつきはなちました。自由に歩ける盲人なら、私は送っていったでしょう。しかし、いまは大切な時期であり、安易な親切心はつつしまねばなりません。

渥美は耳が遠く、片足は足首から垂れていました。そのために、左へ左へと曲がってしまいます。彼もそのことは自覚しているらしく二、三歩いっては立ち止まり、姿勢を正します。それほどに注意しているのに、火の見櫓下に迷いこんでしまいました。私は、二、三歩走りかけて「待って」と自分に言いました。迷うことも訓練であります。迷うだけ迷えば、そこに自ら道が開けます。渥美は火の見櫓の柱を、それがなんであるかをたしかめるため、繰り返し叩きました。そして向きを変えると杖で前面の壁間を横に払い、前方に左に向かって、一生懸命地を叩きはじめました。私は彼に向かって、心の中で叫びました。

「叩け、もっと叩け、その音が道となって開かれるまで、叩け」。

渥美が迷った同じ道で私も迷っているのです。しかし、渥美の背後には私が立っていましたが、私の背後に立ち、私を見守り助けてくれるものは誰か。

「わたしは山に向かって目を上げる。わが助けは、どこから来るのであろうか。わが助けは天と地を造られた主から来る」(詩篇一二一の一〜二)

主イエス・キリスト、あなたは天と地であり、東と西であり、南と北であり、私に位置と方向をしめす一切です。あなたが死に下るとき、私も下りあなたが死人の中から復活し天に昇るとき、私もまた復活し、地から引きぬかれて天にとりさられます。(以下次号)

ことば

昨年秋、新任の園長と事務部長、外数人の職員が、甘酒と席上茶菓を持って、重不自由舎を慰問した。

私服で部屋に入り、一緒に甘酒を飲んだのである。園長が患者の部屋に上がったのは五十年の全生園の歴史はじまって以来のことである。病人と同席しただけでも驚きであるのに、飲み食いを共にしたのである。後でその一人が述懐した。「わしは何時死んでも満足だ」新任の園長になって門の鍵は、はずされ、自由に出入りできる通用門が四方にできた。これで社会と私たちの間が狭められた気がする。

イエスは、新しいブドウ酒は新しい皮袋にいれなければいけないと云われた。まさに真理である。ところで「わしはいつ死んでも満足だ」であるが、イエスは二千年前、治療薬のなかった時代に、この事を実行している。

またイエスは、エルサレムの最後の宿をらい病シモンの家にとった。それだけではない。国からは、捨てられ、親兄弟、妻子からもいみきらわれたらい病人のために死んで下さったのである。

善人のためには、すすんで死ぬ者は或いはいるだろうか。罪と汚れに満ちたらい病人のために死ぬ者が、この世にいるだろうか。

このことをして下さったのは、神の子イエスだけである。神は、何故かえりみ給うのか。いかなれば虫、チリ芥に等しい者をみ心にとめ給うのか。

だが、この事実を知って「わしは、いつ死んでも満足だ」と告白をした人を知らない。なぜ、イエスの死を知って驚かないのか、自分の罪に泣かないのか。その恵を喜ばないのか。

人は、十字架の死が当然であるかのごとく受けとっている。それだけの価値が、自分にあるかのごとく錯覚している。驚くべき錯覚である。

地方の教友から、封筒の裏に住所が書いてあるのが、嬉しい旨のおはがきを頂いた。有難いことであるが、別に深い意味があって記さなかったわけではない。代筆者の手数をはぶくためであったが、宛名の住所を間違えて、二回つづけて戻ってきたことがある。局では開封して、私の住所をたしかめて送り返してくれたのであるが、そのことがひどく胸にこたえた。局に大変迷惑をかけたからである。それ以来、住所を書くことにしたが、ある姉妹が、私の住所を印刷した封筒を沢山送って下さったので、今後はこのことについての心配はない。