「小さき声」 目次


 小さき声 No.2 1962108日発行

松本馨

<たたかい>

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手紙のほかには私はものを書くとき、二・三の例を除いては本名を使ったことがない。活字がこわいのである。どのような経路を辿って肉親や、近親者の目にとまるかわからない。 

一九三五年(昭和十年)私は多磨全生園の門をくぐった。兄嫁や、近親者には、私は道楽者で日本を食いつぶし満州に居たことにし、その後生死不明になっている。在園二十七年の歳月は流れた。兄たちの子供は結婚し、家庭をもっているであろう。道楽者の叔父が生存していることは、恐らく夢にも知らないであろう。たとえ知っていても昔死んだ人である。あるいは父母の墓の傍らに、私の墓があるかもしれない。死んだはずの叔父がこともあろうにらい患者として、生存していることがわかったらどういうことになるであろうか。 

現代医学はらいを征服した。かつての天刑病、不治の病ではない。全国には十一ヶ所の国立療養所が在る。患者数は約一万であるが、そのうち約五十%は後遺症のため、社会復帰できない無菌者と言われている。医師によっては七十%から八十%と言っている。この数字は長期療養中の全員をさしているのである。残りは社会復帰可能の比較的少ない人と、新患者である。療養所は大きく変わったが現実は少しも変わっていない。社会の私たちに対する偏見と、私たちの社会に対する偏見は少しも改まっていない。こういう情況の下で私がらいであることが、肉親に知れた場合どういうことになるのか、離婚、別居、あるいはその他様々な不幸が招来するであろう。そしてそれは過大に考えているわけではない。現実にはらい予防法が今も生きているのである。法律によって、身は拘束されているが、反面また法律によって、患者の身元は秘密が守られ、保護されている。療養所の職員と言えど、みだりに患者の身元を他人にあかすことは出来ない。家族に災いの及ぶとき罰せられるのである。 

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私は偽名を使うことに問題を感じたことはなかったが、「小さき声」を出すにあたって、はじめから問題になった。「小さき声」は主にある兄姉との交わりを目的にしたもので、偽名を使うことは許されない。それは兄姉を偽り、欺くことであって、許されるべきことではないからである。私には選ぶべき道が二つあった。一つは「小さき声」を断念して肉親の安全を図り、今まで通り世にかくれ、生を終ることである。 

もう一つは神より受けた恵みを、世の人々に分かつために姿を世に現すことである。この場合、自分自身を十字架につけるのみではなく、肉親をも十字架につけなければならない。私は後者の道を選んだ。 

 ヨブは裸で母の体を出てきたから、又裸で帰ると言っている。裸で帰るとは全てのものを、神に返すことであろう。私はイエスの如く裸になった人を知らない。十字架上のイエスは裸になった人間の真の姿である。十字架によってはじめて全てのものを神に帰属させることが出来る。肉なる私は弱く、罪深い。裸になることはとうてい出来ないが 、十字架により頼むときそれが出来る。偽名を本名に変えることは何でもないようであるが、私には決断を要する。裸にならなければならないからだ。二十七年かくれていた姿をあらわし、福音の戦列に参加させて戴くことである。 

<この病いは死に至らず 二>

ニつの死(

私は父の膝を知りません。また、ふところに抱かれた記憶もありません。少年の私にはこの世で一番恐ろしい人でした。父は八字ひげをはやし、鷲のようにするどい目をしていました。肩幅が広く、胸囲が発達し、丈よりも横に広く、見るからに頑健な体をしていました。父は若い頃、剣の道に志し、後に政治に関心をもつようになり、村のいくつかの役についていました。私の家は代々百姓ですが次男坊の父は、祖父から土地をわけてもらえませんでした。土地がなかったのです。父は次男坊のために、生まれながらに小作人に運命づけられていたのです。剣道から政治に走ったのも、封建社会に対する反発があったのでしょう。父は酒飲みです。父の酒は陽性ではなく陰性で、飲むと顔面蒼白になります。相手があると、国政や村の政治を論じ、一晩中飲み明かします。家の者には不機嫌で無口になります。そしていろり端にあぐらをかき、一点をじっと見つめています。そのようなとき、私たち兄弟は、父の目の届かぬところで息を殺していました。父の手は口よりも早く飛んできたのです。 

父を知るためには、家についてもう少し記しておく必要があります。私の家は小高い丘の上にありました。前は桑畑で、その下に小川が流れ、田園が広がっています。その向うに幾戸かの家と、森のかたまりが点々としてあります。家の裏は深い雑木林でした。私の網膜には田舎の風景が、一幅の絵のように映ります。その風景の中に、私の家は小さなお城のように存在しています。家は、家の歴史を物語るかの如く、屋敷内には欅、桧、杉の大木がうっそうと繁っていますが、私の家は桑畑の中に、大きな体を裸で、辺りの景色とは全く不調和に建っているのです。父もそのことを意識したのか、家の周囲に樫の生垣を作りました。樫は直径が十センチくらいはあったろうか、先は二階の屋根に届く高さで切ってしまい、枝も幹から二、三十センチのところで切り落してありました。その切り口から針金のように細い枝がのび、その先に数枚の葉がついています。若しその葉を見ないのならば、樫の丸太で垣根を作ったのかと見あやまってしまうでしょう。 

 庭の半分は樹齢百年を越える松と、様々な木が植えてありましたが、みな枝が中途で切り落されてあります。移植するとき、枝を落すのは常識ですが、父の場合は徹底していたのです。そのために家も木も自然の姿はなく無理に強いられている感じでした。私は樫の木や松の切り口を見るとき、自分の手足をもがれたような痛みを覚えたものです。私が父を恐れたのは父の容貌にもありましたが、こうした荒々しい性格にあります。首吊りの家として買い手がなく、荒れるに荒れていた家を買って建てる、父の激しい気性を恐れたのです。 

父は三男の死後、八日目に亡くなりましたが、晩年の二年は神経痛に苦しみました。頑健な父の体も、酒には勝てなかったのです。父は酒に心をとられることはありませんでしたが、それが最後になったのですが、家の者を驚かすような行動をとりました。宵の中に深酒をして床についた父が、夜中になんと思ったのか床から起き出すと、寝巻きのまま外へ飛び出したのです。父は表の道を東に向かって直線的に走りました。五百メートルくらい走ったでしょうか、父は農家の垣根に激突し、昏倒しました。道は垣根に沿って直角に左に曲っていたのですが、父は曲らなかったのです。母と兄たちに助けられて家に帰って来た父は魂の抜けたように肩を落し、空ろな目をしていました。このときリュウマチと言う病気をおこしてしまったのです。そしてその時以来医師より酒を禁じられてしまいました。 

私は子供の時、心に誓ったことが三つあります。その一つは生涯酒を飲まぬことです。酒は身をそこなうのみでなく、人をも害します。ノアはぶどう酒に心をとられた為に、ハムの子カンナは、セム及びヤベテの僕の僕となり、奴隷制度をつくる原因となりました。人類の歴史に奴隷制度ほど悲惨なものはありません。また、毎日のラジオ、新聞を賑わしている交通事故、犯罪には必ずと言ってよい程酒に関係があります。酒は魂を腐敗させる発酵菌の様なものです。父は酒で命をちぢめたばかりでなく、そのために一家を窮乏のどん底に追いやったのです。 

父は元旦に亡くなりました。朝御不浄に起きた父は、座敷のまん中で朽ち木のように倒れたのです。そして、それから数時間後に息を引きとりました。私は母の横で、最後まで様子を見守って居りましたが、心は少しも動かされませんでした。動物の死を見ているようなのです。私は父を同列におく気はありません。それより更に大きな死が、私の心を占領していたために、父の死に動かされなかったことと、父への愛情がなかったことが言いたかったのです。 

当時、私は三男の死に悩まされていました。私の忘れていた頃、何の予兆もなしにてんかんのように私をおそい、恐怖、戦慄せしめたのです。何秒、何十秒という短い時間でしたが、二階で見たときの三男の死が、そのまま現れるのです。幻影にしてはあまりにもリアルであり、現実にしては奇怪な出来事です。目がくらみ、息が切れ立っていることができないほどの恐怖が、骨々節々まで突きささりました。私はこのことについては誰にも口外しませんでした。なぜか人に知られるのを恐れ、固く口をつぐんでいたのです。 

その後、世に出て、五体ばらばらになった女の礫死体を見ました。また、らい園では指で数え切れないほど沢山の縊死体を見ましたが、一度として心を動かされたことはありません。それらの死よりも、更に大きな死が私を占領していたためです。その死より私を解放してくれるものは、それよりも更に大き な死に会わされることでした。そのような死はどこにあるのか、人類の歴史に唯一回だけでありました。それは十字架のイエスの死です。彼の死は宇宙大です。彼の死によって人類はみな死に、万物はこれに従いました。イエスが墓より三日目に甦ったとき、人類もまた彼の甦りにあずかるべく、信仰による望みを抱き、万物これに倣いました。 

私はイエスの死に会わされたとき、私を占領していた死が、彼に吸収され、彼の生命に呑まれた驚くべき経験をしました。しかしそれは後のことで、私はさらに多くの試練にあわねばなりませんでした。 

父を納棺するとき、母と兄たち、近親者たちが声をたてて泣いたのを憶えていますが、私の目から一滴の涙も落ちませんでした。私は泣かないことが何か悪いことをしているようで、大黒柱のかげにかくれて、目に唾をつけて手の甲でこすり泣くまねをしました。私が意識して世をあざむいたのは、このときが初めてであります。 

<おぼえがき>

「わたくしは伏して眠り、また目を覚ます。主が私を支えられるからだ」(詩篇5)

はわかり易い詩で、まとまっている。小題はアブサロムの謀叛によって、ダビデがそれを避けたときのうたである。はたしてダビデの作であるか問題であるようであるが、詩人がそのような状況にあったことがわかる。そこで、それが節の背景にある。「わたくしは伏して眠り」は、静夜をやすらかに眠る眠りではない。生命を危険にさらしながら、眠ろうとして眠ることの出来ない眠りである。詩人は敵の只中にいる。天地間に身をおく場所もない危機的な状況にある。その状況の下で、詩人は主の中に眠るのである。主は盾となって詩人の前と後ろと横に立つ。それが詩人の唯一の隠れ場所である。避け所、眠る場所である。「わたくしは伏して眠り、また目を覚ます」は、詩人の驚きがあり、ふかい感動がある。「主がわたくしを支えられるからだ」は詩人の実感である。詩人のこの感動がわからない人は、眠られぬ夜を経験したことのない人である。人生の旅路においては、神がみ顔をかくし、怒りの神としか考えられない時がある。その時万物みな敵となり 、茫々たる宇宙にわれはただ一人の孤独、不安、恐怖に捕えられる。神なき人生は砂漠であり、煉獄である。このことを深刻に経験したのはヨブである。 

 ヨブは「そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった」(ヨブ記1・1)

ヨブは義人であるが、神の矢はヨブの心臓をつらぬきヨブをうった。ヨブは義人をうつ神の御旨がわからない。かくて己の生まれた日を呪い、死を望むが死はこない。せめて夜の眠っている間でも休息したいとのぞむが、それもゆるされない。『わたくしの床はわたくしを慰め、わたくしの寝床はわが歎きを軽くする』と、わたくしが言うとき、あなたは夢をもってわたくしをおどろかし、幻をもつてわたくしを恐れさせられる」(ヨブ7.13〜14)

 苦難の最大の解決の道はただ一つである。神をみることである。神がみ顔を現さるるとき、苦難は一瞬にして歓喜に変わる。福音的にいえば、神と人との仲保者、人間の罪を負って十字架にかけられたイエス・キリストを、信仰によってうけとめることである。苦しみの中から十字架をあおぐとき、我にかわりて苦しみ、うめき給うたイエスを知るのである。 

 一度、キリストに会わされたものは、いかなる苦難、いかなる敵をも恐れない。明日、死がくることも安心であり、平安であり、敵をゆるすことができるのである。身はイエスの死を負い、彼の生命に呑まれているからである。詩人はヨブ記節で神が立って敵をほろぼすことをねがうが、福音においては神は敵をうつかわりに、御自身を十字架につけて敵をゆるすのである。それが真に敵との和解であり、平和である。新約の神は敵をうつ代わりに御自身をうち、御子イエス・キリストを十字架につけるのである。かくて敵を許し、敵と和解するのである。われわれには敵がある。信仰が深くなればなるほど敵は多い。しかし敵が多いことは、神に愛されているからである。

御名の故に多くの敵をもち、これをゆるし愛し、祈ることのできるのは神により、キリストによりて、より多くゆるされ愛されているからである。 

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みみずの歌

お前はみみず

お前が泣くと、おけらが泣いたと言い

おけらが泣くと、お前が泣いたと言う

お前は暗い深い、沈黙の中に

いつもひとりでいる

お前はまかろにのように空洞だ。

 

だからお前は土を喰う

こんぺえい糖のように甘く

梅干のようにすっぱい土を

とがった口でうがっては食い

食ってはうがつ

そのあとまかろにのような空洞ができる。

 

傷つき、やぶれた口でお前が掘るとおけらが掘ったと言い

おけらが掘ると、お前が掘ったと言う

お前の運命もお前を誤解している

それは道ではない、家ではなく、墓場でもない

お前はまかろにのように空洞だ

 

風がその空洞を吹き抜ける。

その度にお前は一管の笛となって泣く

だからお前は土を喰う

 

ああ天井はやぶれ

矢で心臓を射ぬかれた

鳩が落ちてくる。

 


「小さき声」は部数に余裕がありますので希望の方に差し上げます。世の病める人に紹介して頂けたらと望んでおります。