「小さき声」 目次


 小さき声 No.22 1964615日発行

松本馨

さすらい

 「あなたはわたしのさすらいを数えられました。わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください。これはみなあなたの書に、しるされているではありませんか」(詩篇568) 

さすらいの語は創世記416節のノドの地と同じだといわれる。 「カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ」 このことから考えられることは、さすらいは、神の審判であり、外国に移されることである。ノドは、カインのさすらいの地であり、バビロン捕囚は、コダヤ民族のさすらいである。詩人のさすらいは、敵に囲まれていることである。そこが、外国か、自国内か、この詩からうかがい知ることはできない。ただいえることは、エルサレムの中心に住んでいても、神から切りはなされるとき、そこが外国になることである。魂が彷徨する砂漠となり、荒野となることである。さすらいは、この詩人のなげきであるが、なげきのなかにも信頼の言葉がある。

 「わたしが恐れるときは、あなたに寄り頼みます。わたしは神によって、そのみ言葉をほめたたえます。わたしは神を信頼するゆえ、恐れることはありません。肉なる者はわたしに何をなし得ましょうか」(34)

詩人の信頼は、母と子の関係に似ている。子は母を疑うことができないごとく、詩人は「神よ、どうか私をあわれんで下さい」と、神を疑うことができない。子は打たれても打たれても、母を慕って、その膝にはい上がってゆくように、詩人は神の膝にすがるのである。しかし、神と詩人の関係は、母と子の自然的関係ではない。さすらいは神の審判であり、拒否である。神と詩人との間には、深い断絶がある。詩人は神なき地、外国をさまよっているのである。恵の神は、詩人には見えないのである。敵のおそれの中で、寄り頼むことのできない神に、詩人はあえて寄り頼み、ほめたたえようとして、ほめたたえることのできない神をあえて讃美し、怒りの神を恵の神に変えるのである。

6節は詩人を踏みつけ、虐げる12節の敵が、直接詩人の生命をねらっている。そこから8節が述べられているような気がする。そして、8節が9節を予測させる転機になっているような気がする。(詩篇568)の「数えられました」「たくわえてください」は、神に知られることである。苦しみが極限に達し、信仰も行為も、救いのたしかさにならなくなったとき、問題は人間の側から神の側に移る。神に知られているか、知られていないかが、すべての問題の解決なのである。ご自身のかたちに似せて、人を作り、これに万物をしたがわせ給う神は義なのか、不義なのかということである。ヨブの苦しんだ問題がそうであった。信仰において、行為において欠けたところがないと自負する彼をさばく神の審判を不当な者として神にせまるのである。しかし、「そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった」ヨブも、義の神に抗することはできなかった。ヨブが最後に発見した一大光明は、彼を贖い給う仲保者によって、彼が知られているという事実である。

「わたしは知る。わたしをあがなう者は生きておられる。後の日に彼は必ず地の上に立たれる。私の皮がこのように滅ばされたのち、わたしは肉をはなれて神を見るであろう。しかもわたしの味方として見るであろう。わたしの見るものはこれ以外のものではない。わたしの心はこれを望んでこがれる」(ヨブ記192527)

8節に仲保者をよむことはできないが、詩人の魂はことばにならぬうめきをもって、贖罪の主を待望しているのではないか。「これはみなあなたの書に記されているではありませんか」は後代の説明的付加だといわれるが、魂の深い言葉である。「あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」(ルカ1020)を思いださせる。さすらいの数をみたし、涙をみたすのは十字架のイエスだけである。彼の血によってのみ、私たちの名は天にしるされるのである。

この病いは死に至らず 二十二

信仰による決断

十字架のイエスを仰いだとき私の道は決定したといっていいでしょう。それは、無教会の道を歩くことですが、そのときはまだ来ておりませんでした。私は詩篇の講義を受けながら他方では従前どおり教会の集まりに出席しておりましたが、これは偽善です。私の心はすでに教会を離れ、何も求めていなかったからです。講義がすすむにしたがって、教会にとどまることが次第に因難になっていきました。心が離れてしまうのです。同一の神に仕えるのになぜ心が離れるのかといえば神の事を思わず、人のこと、自分のことを思うからです。

このころ、私は先生からお葉書を頂きました。私の手紙に対する返事でしたが、今ではなにを書いて差し上げたのか記憶にありません。そのはがきの中に、支障のあるときは信仰によって決断するようにとのお言葉がありましたが、この言葉は世にも不思議な響きをもって、私の耳に聞こえました。私は信仰の決断ということばを知らなかったのです。文学的決断とか、政治的決断というとき、良く解りますが、信仰による決断は、煙にまかれたようで、何を言っているのかまるで見当がつきません。

過去の私は、キリスト教の根底にあるものは諦観であると、漠然たる考えをもっていました。信仰は意志することではなく放棄することであり、積極的でなく、消極的なもの、動的なものではなく、受動的なものです。己を捨て、己が十字架を負って、我にしたがえと言われるとき、この世の一切の望みを諦め、世を捨て、己を捨ててしたがうことになります。映画、演劇、その他の娯楽を楽しむことは罪であり、文学することも、政治をすることも罪です。打たれても、傷つけられても、恥しめられても、奪われても、諦めて羊のように運命に従順にしたがうことです。キリスト者の心は世の無情を悟って旅に出る乞食僧、山や、滝にこもる隠者聖者であると、あこがれに似た誤った先入観を持っていました。ですから、神を求めながら、求めることが出来ないという矛盾におちいっています。このような自己撞着におちいっている私をひきだし、解放してくれたのはイエスです。私は自分を獄につながれている死刑囚にたとえることができます。彼は世から断ち切られて、肉親から断ち切られ、自己からもたち切られ、一切を諦めて、ひたすらに霊魂の救いを待ち望んでいました。

その彼のもとに、ある日一通の書状がとどきました。それは、一人の人が彼の身代わりとなって処刑され、彼の罪が赦されたことを告げる恩赦状でした。彼は信じられない出来事に、しばらくは自分の目を疑い、耳を疑いましたが、それが夢でもまぼろしでもないと解ったとき、彼の感情は爆発しました。彼は狂喜した者のごとく、自分をとじこめていた四囲の壁を叩き、床を踏み鳴らし、喚き、絶叫し、号泣しました。一人の人の死によって、牢獄の罪は砕かれ、彼は解放されたのです。彼は霊魂のみならず、体を贖われたのです。世と肉親を得たのです。

もし、何者かが彼を獄に入れようとするなら、彼は自由のために戦うでしょう。しかし、いま彼は解放の喜びの絶頂におります。彼を再び獄にいれようとひそかに計画をめぐらしていることを夢想することができません。誰かが、そのときは信仰によって決断するように言ったなら、彼はその言葉の意味を理解することができないでしょう。

あなたは、私を死の塵に伏させられる

ある集まりのときです。ロマ書1423の聖言が私に臨みました。

「すべて信仰によらぬことは罪なり」。

この聖言は晴天の霹靂でした。このときはじめて、神の事を思わず、人の事自分のことを思って集まりに出席している自分を知ったのです。そして、このときを境に私は一週間、日の出るときから日の入るときまで、食事以外は野球場の片すみで祈りつづけました。「すべて信仰によらぬことは罪なり」が、教会を出て行けとの天からの御声に聞こえたのです。私は教会をはなれることを恐れました。教会は私の母であり、古里です。私は教会で生まれ教会で育った生粋の教会人です。教会の外に救いがあると考えることもできなかったのです。

私は私のためにつまずく兄弟のことを思い教会をはなれることを恐れました。M夫人とK兄弟はすでに数年、私の口に聖言を入れる奉仕をつづけていました。この二人の兄弟の愛に、あだをもって報いることを恐れました。私が死の周辺をさまよっていたとき、祈ってくれていた兄弟達を裏切ることを恐れました。教会を出なければならない正当な理由は、なに一つ見つかりません。かえって出ることが悪であり、とどまることが善としか考えられません。だが、このとき、私は私の信仰がためされていることを知りました。たとえ私の目に神が悪と見え、偽りと見えても、その神に服従することが信仰です。この一事をぬきにして、信仰を云々することはできません。神の言に聞きしたがうか、自己に従うか、神の義を立てるか、自己の義をたてるかです。私は自己に向かいました。「おまえは、おまえの為に兄弟がつまずいてもよいのか、海に投げ入れられてもよいのか」と。私はそれを恐れる自己を十字架につけました。また、M夫人とK兄弟の愛に、あだをもって報いることを恐れている自己を十字架につけました。また、教会から裏切り者、異端者、恥知らず、狂信者と呼ばれるのを恐れている自己を十字架につけました。私はまた自問しました。「おまえは一人の先生を頼みに教会を出るのではないか。神はその先生をいつかおまえから取り去るであろう。それでもよいのか」と。私は、それを恐れる自己を十字架につけました。

こうして、次々と十字架につけていきましたが、最後にどうしても十字架につけることのできない自己が残りました。それは聖言を絶たれることを恐れる自己です。失明と、肢体の麻痺によって、現実から切り離されている私にとって、聖書は私の唯一の現実です。私は聖言を喰うことによって自分の生きていることを確かめます。神の現在が私の現在です。イエス・キリストを知ることは、私自身を知ることです。

「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった」(ロマ書829)

十字架のイエスを仰ぐとき、そこに見えない地上の破れた自分を見ます。復活のイエスに、私の約束された姿を見ます。これは教義でもなくまた観念でもありません。事実を言っているのです。一日、食事をとらずにいると言うなら我慢します。三日断食しろと言えば、それも辛抱します。一週間断食しろといえば、その言葉にも従うでしょう。しかし、私にむかって神の言を断食せよということは、死ねと言うことと同じです。三日断食していれば体に狂いが生じ、私は呼吸困難におちいってしまうでしょう。一週間断食していれば私は石になってしまいます。それは、墓場の方がどのくらい楽しいかわかりません。このような最後の自己を十字架につけるために、私は文字とおり、ヤコブのごとく神と格闘しました。私は夕べに教会を出ることを決心し、朝に決心がにぶり、迷う生活を一週間つづけていたのです。一日祈り続けていました。そして夕方には体は疲れはてて神にさからう気力をなくしてしまいます。そして、一切を神にまかせる心になりますが、朝には体の疲労も快復し、肉は勢いをもりかえし、私の決心をにぶらせてしまうのです。明日は聖日という前の日の夕方であります。迷い迷ったあげく、肉の私と、聖の私はついに妥協してしまいました。明日の集まりに出席し何事も起こらなかったら教会に止まるということにしたのです。翌日、集まりに出席した私は、いつものように会堂のかたすみに座っていましたが、教会は最早、母なる教会ではありませんでした。不実な女をさばく、審判の座でした。その法廷に引き出されて審判を受けている不実な女は、すなわち私であります。暗い絶望的な気持ちでそこに座っていました。説教は勿論聞いておりません。どのくらいの時間がたったでしょうか、突如、雷鳴の如く天から聖言が私の頭上に落下しました。

「主なるなんじの神を試むべからず」

その日のうちに、私は教会に離籍届けをだしました。そして広場に行き、夜に至るまで祈りました。祈るというよりも泣いていたのです。「あなたは、私の死の塵に伏させられた」 つづく

来信

台南特別皮膚科診療所 A看護婦より

 松本様 はじめまして。台南も大変暑くなって参りました。過日は、I様を通しましてお願いをお聞き入れ下さいまして有り難うございました。たいへんご不自由なお身でございます上に、精神的にもご苦労をおかけし、恐縮に存じております。「小さき声」20号を有り難く拝読させて頂きました。私が台南に参りまして、このお仕事に携わりましてより一年八ヶ月が過ぎました。今まで、結核のサナトリウムで働いておりまして、何も分かりませんでしたが、すこしずつ分かって参りました。 

日本とは少し事情が異なりまして普通治療は外来で行われておりますが、患者さん一人一人の背負っております荷は想像以上のものを感じます。不自由な体をもちましての家庭生活、社会生活は悲惨に思うこともしばしばです。手指は火傷にて深い潰瘍になり、足の裏傷も骨までにも達した深さになりましても、裸足で父親としての責任を果たさねばならず、母親として、水を遠くから汲んで家事、育児をしなければなりません。母親が入院しますと、乳呑児は栄養失調になり、兄弟二人は食事時間になりますと、部落をお茶碗を持って貰い歩く(父親も顧みてくれないのです)。そうしますと、隣近所から嫌われ者になるのです。

この犠牲を払いまして入院し、完全に治癒しましても、一ヶ月たらずして、また腫れあがった足になってしまいます。バス代と時間が与えられず治療できない方もある由・・・全くどうしてよいのやら、小さな問題ではないのですが、顧みてくれる所も知らぬ顔です。これは台南だけでなく、全島共通のものと思います。

長い間、神経痛に悩まされましたJさんも、四月に少しよくなりまして島に帰りました。このい島は気候の変化がひどく、船や飛行機もその時間になりませんと、出航がわからないのだそうです。それ故、一番季候の良い四月にと言ってJさんの家庭の澎湖島に帰りました。今度の熱瘤によりまして足がより不自由になりましたと悲しんでおりました。お送り下さいました「小さき声」もすぐ転送いたしました。

I 様がお送りくださいました旧号を台南の信仰の先輩にお廻ししてより、Jさんにお送りしております。私達は罪深く、例え健康でありましても、イエス様が共にいて下さらない限り悲惨です。この世は結局涙の谷ですが、十字架による希望が与えられ、耐える力も頂き、喜びがありますことをいつももったいないと思っております。この喜びを分かち合うよう祈らずにはおられません。

この「小さき声」は紙二枚の本当に小さきものですが神さまの国にありまして、また聖国を目指しての旅人にとりましては、この一字一字が、美しい玉となって光って参ります。「小さき声」は私に愛のないことを深く教えて下さいました。愛の御方のうちに深く生きない限り私はデクノボウです。神様から沢山の愛を頂いて惜しみなく分かち合えたら、どんなに楽しいことでしょう。私より三年ほど前、台南で働いて下さっているS先生は、今印度でご勉強中です。

御平安をお祈り申し上げます。