「小さき声」 目次


 小さき声 No.23 196477日発行

松本馨 

世の光

「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ51416) 

「あなたがたは世の光であり」は16節「あなたがたの光」の光である。光について、ヨハネ伝は詳しくしるしている。
「この言に命があった。そしてこの命は人の光であった」
言に命があり、この命は人の光であり、光は世にきた。
「すべての人を照らすまことの光があって、世にきた」(ヨハネ149) 

この光を人々の前に隠れることのない山の上の町や、燭台の火のように輝かせと言うのである。山なるキリストとは、燭台のキリストのことである。そして、信仰の油をもやすことである。しかし、これでは抽象的である。人々の前に光を輝かすと言うことは、どういうことであろうか。イエスは「ヨハネは燃えて輝くあかりであった」(ヨハネ535)といわれた。ヨハネのもえて輝くあかりとは、彼の あかしをさして言われている。 

「この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである」(ヨハネ178)

彼の務はあかしであり、イエスを世に紹介することであった。光を輝かせとは、言葉とよき行為をもって光をあかしすることである。ここでは言葉と行為、信仰と愛は分離していない。しかし、前後の連関から光を世の人が光として仰ぐような聖人を想像することはできない。13節は外に捨てられて人々に踏みつけられるような塩が、神の国では地の塩である。17節は世の罪を贖い、律法を満たし給うイエス・キリストが立っておられる。この両節の間に、光がはさまっているのである。この光は世に隠れている光である。ほのぐらい燈芯の火であり、世の人の目には、それと定かに解らない光である。神を信ずるが故に、愚かとなり、世からあなどられ、辱しめられ、踏みつけられているような光である。光が光として現れるときは、キリスト再び来たり給う世の終わりの日である。 

私は私の言葉を聞く人が、一人もいなくとも、私のすることなすこと、すべての人が誤解し、曲解しても、驚かない。私の望みは、世に受け入れられることではない。終わりの日、キリストが来たり給うとき、そこにて、すべてが明らかにされることである。 

この病い死に至らず 二十三 

私は石であって人ではない

私の恐れていたことが、ついに起こりました。神の言を入れる者がなくなってしまったのです。私は終日、空しく壁に向かって座っていました。それ以外に可能なものは何一つ残されていなかったのです。 

私と同じような失明者の座る生活の座り方には、二通りあります。一つは壁に向かって座ることであり、一つは壁に背を向けて座ることですが、ここでは神から切り離された人間の罪が、鋭角的に露呈します。壁を背にして座っている者は、一日中頭を振っているか、体をゆすっているか、手で膝を叩いています。それが、この人たちの生活の歌なのです。壁に向かって座る者は内面的な生き方をする人達で、詩、短歌などを作っていましたが、この人達も多くの時間は壁を後ろに座っていました。壁との対決なしに、壁と対座することはできないからです。目の見える頃、私が最後的に恐れていたのは咽喉の切開でも、手足の切断でもなく、この壁の生活であります。壁は人と天との間を裂いてしまいます。また、地から、自然から、文化から、人間から、自己とそれにかかわる自己との間を裂いてしまいます。 

神は己の壁の中に、私をとじこめてしまったのです。はじめの火は、心に記された十字架の言と祈りによって、サタンの誘惑をさけることができました。二日目も同様であります。三日目も同じようにして、試練に耐えることができました。しかし壁は四日、五日、六日と、暦をめくるようにつづき、壁に明けて、壁に暮れていきました。目が壁なのか、壁が目なのかわからないような状況の中で、ついに私は、十字架の主イエス・キリストとの間を裂かれてしまいました。壁は私を無感覚なものにしてしまったのです。詩人は告白して言います。 

「わたしは愚かで悟りがなく、あなたに対しては獣のようであった」(詩篇7322) 

私は告白しています。「私は石であって人でない」

イエスから切り離されて、私は私が人であることを自己自身にむかって説明することができません。十字架のイエスに私は失われている自己を見ていたからです。また、彼によらないで、事物を知ることができません。万物は彼によってできた。できたものの中で、彼によらないものは一つもないからです。(ヨハネ.13)

私はイエスから切りはなされるとき、一切のものが信じられなくなります。私の住んでいる地球そのものも、信じられなくなり、すわることも、立つことも、歩くこともできなくなります。私の足はふみしめている大地を知ることができないからです。目は見ることができず、手はさぐることができないのです。ですから、神なき道を一人で歩いているとき、突然、地球がガラス玉のように感じられて、すべってころんではずみに、地球から空中に投げられるような、前に一歩足をだしたはずみに、地球をふみはずして、真逆様に宇宙の谷におちていくような、恐怖におそわれ、四つん這いになって、大地にしがみついていたい衝動にかられることがあります。このような恐怖と不安から私を解放してくれるのは、朝夕に、あるいは時々刻々に、口にいれられる十字架の言です。

土を喰う

聖言をはなれて、私は天地を知ることも、世を知ることも欲しません。また、聖言以外の食物を食べたいとも思いません。パンを食わねばならぬ現実は、悲しみであり、苦しみです。私の魂は、世をはなれてキリストと共にあることです。

「イエスは彼らに言われた『よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなた方の内に命はない。わたしの肉を食べ、私の血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。私の肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。』…『人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にもたたない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である』」(ヨハネ65357,63)

聖言は私の真の食物なのです。聖言からきりはなされるとき、自己からきりはなされるとき、自己分裂が起こり、一切の物との断絶がおこります。そして飢えとかわきと、孤独とに襲われます。私は時々、壁からのがれて野に行き、草むらの中に虫のようにうずくまっていましたが、そこにも星がありました。壁は内側から私をかこみ、一切の物から私を切りはなしていたのです。四つん這いになって、大地にしがみついていたいような、突発的な病気はますます重くなり、ついにミミズをうらやむほどになりました。ミミズは土を食って生きているのだと昔の人は言います。ミミズは地の暗黒の中に生れてそれを住家とし、食物とし、墓場としています。ミミズには分裂もなく、断絶もありません。マカロニのようなミミズの性は、暗黒と土だからです。神にかたどられて、造られた人間にのみ、分裂がおこります。「神様、私の罪をお赦し下さい」。私は土を喰いました。草むらの中にうずくまっている私の下にある地が無限に遠いのです。口と胃袋で、それを確かめ、断絶を埋めようとしたのです。しかし、麻痺した舌は、 士を土として知ることができず、僅かに味覚が甘く、からい土の味を伝えてくれました。感覚によって最早知る時がないのです。神から切りはなされているとき、壁の中にとざされているアダムを始祖にもつ人間は、自らの力で自己をすくおうとするとき土を喰う以外に物がないようです。高利貸しの老婆を殺したラスコーリニコフも、あのとき土を喰ったのです。スタブロオギンも最後に 土を喰いました。しかし、悲惨のさいたる土を喰いつくしたのはラスコリーニコフでも、スタブロオギンでもなく、神の子イエスです。彼は人が喰わねばならぬ土を喰いつくして死にまでくだり、三日目に復活し、私たちの知恵となり、義となり、霊となり、贖いとなられました。彼の言を口から取りさられるとき、私は自分が生きているのか、死んでいるのか、人であるのか、石であるのかわからなくなります。世界もまた、創造前の混沌に還ってしまいます。(つづく)

ことば 

不自由者の患者付添夫を職員に切り替えるため、全国十一ヶ所の国立療養所の代表と、多磨、栗生、駿河の不自由者を主体とした陳情団(約百二十人)が六月五日より九日まで厚生省の第一会議室、大臣室前の廊下に座り込んだ。厚生省は五ヵ年計画で、四年前から切り替えを始めた。今年は五年目であるが、切り替えられたのは、全体の四十%である。

多磨は一部をのこすのみであるが、全然、手のつけられていない療養所がある。それなのに切り替え継続の第二次案を厚生省は示さないばかりでなく、打ち切る気配をみせた。そのための座り込みである。私も全国患者協議会の指令で七日午後から八日の夜まで、第一会議室と大臣室前の廊下に座り込んだ。そして、いろいろと考えさせられた。

その一つは、新聞は誰のものかと言うことである。全国一万の患者がわれわれを人間扱いにしろと、所内作業を放棄し、所内で厚生省に五日間も座り込みをつづけた。が、新聞はついに一度も記事にしなかった。 第一会議室で患者代表と記者団と面談しているのであるが、載せなかった。 ラジオ、テレビも取材に来たが、発表しなかった。厚生省に押さえられてしまったのである。患者の要求は、要求前の要求だといわれる。厚生省は世論をおそれたのである。日本人の政治権力に対する従順はいまにはじまったことではないが、こんなに無力とは思わなかった。お隣の国のような独裁者が現れるとき、自由のために命を賭けるようなジャーナリストがいるだろうか。

その二は、厚生省がテストケースとして示した、回復者の職員採用に対する職員の反応である。 回復者に職場を開放しなければならないときがきていると、頭ではわかるが、気持ちが許さないというのが支配的であった。古い職員ほど、回復者の職員採用に対しては抵抗が強く、新しい職員ほど、抵抗が少ないようである。古きはすぎ去り、新しい時代はすでに来つつある。われわれは忍耐して、職員の心が開かれるのを待とう。ひところ、東北新生園の近くに回復者のアパートと養豚場を建て、そこから通勤させるウワサがたった。これは私に言わせれば新しい隔離政策である。一般職員と分けて、優遇したり冷遇したりすることは許されない。回復者に宿舎を開放するまでは如何なる条件も拒否しなければいけない。われわれは、五○余年の暗い隔離生活をつづけてきたのである。この苦しみを回復者に負わせてはならない。

その三は、政治闘争は私の世界ではないと言うことである。座り込みに、一万の患者の幸福がつながっているとしても、生命を賭ける気にはならない。私の口から毎日、聖書を一節聞くことに、すべての望みをかけている兄弟がいる。この兄弟一人のために私は喜んで自分を犠牲にすることができる。