「小さき声」 目次


 小さき声 No.5 1963120日発行

松本馨

<異邦人>

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 パウロはロマ書13節以下で、異邦人の罪に言及し、20節で神を知らなかったと弁解する余地はないときめつけている。まことに手きびしい言葉だが、まさにその通りである。亀は卵から孵ると、誰に教えられなくとも海に還って行く。鶏の雛と一緒に孵ったあひるも、水を知っている。人間は造り主、神を知る心を与えられているのである。 

 知らないと言う者は、世の諸々の事に心が惑わされて、神を忘れているのである。全てのことから切り離されて一人になるとき、人は一度はそれを経験するのである。死と対面するときであるが、そのとき、宇宙に我はただ一人の孤独、息のつまるような孤独の中で、神を憶い出すのである。しかし、そのときはすでに遅い。もし死者に口があるならば、心の底で「私のようになってはならない」と、家族の者に向かって叫ぶであろう。イエスは、ルカ伝16章のラザロと富める者のたとえ話で、死者にものを言わせているが、まことにきびしい。見ずして信ずることの出来ない者は、死者がすすめても無駄だと言うのである。神を知るということは、現実には異邦人である私たちには容易なことではない。聖書も律法もないからだ。私は如何にして知ったのであろうか。 

 若い頃、私はトルストイに熱中したことがある。膨大な「戦争と平和」を何度か読んだ記憶があるから、私のトルストイ熱は相当なものであった。それにもかかわらず、転向後のトルストイの作品は全然読んでいない。神を押しつけるような、人を教えるような作品がどうにも我慢出来なかったのであろう。「復活」は特にきらいであった。題名からして気に喰わないのである。転向後の彼の心にひかれたのは、最後に家出して、名も無い駅で死んだことである。その彼に私は共通なものを自分のうちに見出した。 

 外国文学をあさっているうちに、ドストエフスキーを知り、彼により入信の決意をかためていったのであるが、そこへゆくまでの私の神への反抗はかなり徹底していた。私の一番きらいな書物は宗教書である。所内の図書館に私は何年か勤めたことがあるが、書庫の整理のとき、宗教書を焼却するのに、ある快感を覚えた。そのくせ神に無関心でいることは出来なかった。思うに私は神を敵とし、反抗することによって、神を知っていったようである。 

 人間の罪の深さは神を知らなくとも、神を敵とし、反抗することが出来ることである。私はそれを実験し、見聞した。今のように治療薬のなかった昔のらいの悲惨さは言語に絶していた。はじめてそれを前にしたとき、私の命は三年もつまいと思った。こうした末期症状の中で、絶望したものが神を口にしたことも、思ったこともないのに 、突如として神を呪いはじめ、それから肉親・世間へとつづくのである。 

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  人間は神を敵とする以外には、神を知ることが出来ないのではないか、パウロがそのよい例である。パウロは熱心なユダヤ教の信者で、キリストを敵とし、教会を迫害した。その結果、ダマスコ途上で、「サウロ、サウロなぜ私を迫害するのか」の復活のキリストの声を聞き確信したのである。危険な言い方であるが 、パウロはキリストを敵としたために、キリストを知ったのである。神は御自身の義を、このような方法より他に現されなかった。神は世を愛し、一人子を世に送った。しかし世は彼を 憎み、十字架につけてしまった。このために世は人殺しの罪人となったが、これによって神は御自身の義を現し、御計画を完成されたのである。即ち信仰によってアブラハムの受けた祝福がイエス・キリストにより十字架によって全人類に及んだのである。 

 世は救わるるために、イエスを十字架にかけたのではなく、葬るためである。十字架は神と世の関係、人間の罪をするどく抉り出したものである。イスカリオテのユダの最後は、御前における人間の位置を規定したともとれる。十字架の望みは人間の側にはない。十字架について発言する権利が人間の側にあるとすれば、人殺しの権利だけである。このような亡びの魂に向かって、神は十字架の故にその罪を許すと一方的に宣言されたのである。神の恵みがあまりにも大きいために、私たちはキリストの代償をあたかも当然であるかの如く受け取りがちである。 

 異邦人である私は、ユダヤ人のように律法違反の罪意識はない。罪の意識が生じたのは、十字架のイエス・キリストを知った時からである。パウロの、すべての人が罪を犯したとの言葉は、十字架以外のところでは知ることが出来ない。十字架によって神と世との間には越えることの出来ない深い淵のあること、神の敵であることを知った。その淵を埋め、神と和解させているのは、私たち自身の手で木にかけたイエス・キリストである。逆説と言えばこれほど逆説した救いはなく、わからないと言えばこれほどわからない救いはない。然し私たちは信仰により、神の恵みにより、十字架にある神の義を受け取るだけである。 

 神を敵とする以外に、神を知ることが出来ないとすれば、より深く知るために、敵として止まっていた方が良いとの問題が残る。これについてはパウロがロマ書章で述べているのでここではふれない。章の罪は、私の敵と同じ意味である。神に罪を犯す以外に、神を知ることが出来ないというよりも、神を敵とする云々と言った方が異邦人である私には感覚的にあうのである。 

<この病いは死に至らず 五>

神の審判

  私は過去について少し書き過ぎたようです。一九四九年にかえらねばなりません。この書は自己を語るのが目的でなく、私たちの父なる神と、主イエス・キリストを証詞するためにあります。信仰に関係のないことは、つとめて避けなければなりません。今まで書いたことによって、大体私の生い立ちはわかったことと思いますが、この世から私が 受けたものは、一口に言って人間を恐れる感情でした。内にはライの恐怖があります。このような状況下で、自己が如何に形成されたかと言えば、自尊心が強く、高慢で排他的で

「……ただ私だけで、わたくしのほかにだれもいない」(イザヤ4710)

の高ぶりであります。 

 バビロンはその大いなる故に、傲り高ぶりましたが、私の場合はらいによる劣等感から生じたものです。劣等感の意識過剰は裏をかえすと、バビロンの高ぶりにつながっています。いかなる形の愛をも私が結婚するまで知らなかったのは、愛の人に出会わなかったからではなく、受け入れなかったからであります。私は結婚によって、初めて愛を知り、愛 によって自己以外の者を肯定しました。義による神は、御自身の愛を現すまえに、肉の愛を与えてその罪を罰したのです。 

 義子との結婚生活は四年と言う短いものでしたが、そのうち最後の半年間は、義子は内科病室に入室していました。そしてその年の暮に医師から死の宣告を受けて、二週間後に世を去りました。この二週間を私が絶望したのは、愛する者を失う悲しみ以上に、魂の腐敗を知ったことです。私は結婚するとき、義子に純潔でないのに純潔を誓いました。義子は宗教病院から転院してきたクリスチャンであり、私もまた教会で洗礼を受けていました。神の怒り(ロマ18)は、かかる不信と不義に向かって、愛する者の死を通して私にのぞんだのです。しかし、神は御自身を私に隠しておられたために、神の裁きを裁きとして受け取ることが出来ず、愛する者をあざむいた魂の腐敗に絶望しつつも、神への罪意識がまったくな かったのです。信仰がうわべのみのためでしょう。このような魂は、一度苦難に遭うや、神を呼ぶことも求むることも出来ない唖者であり、盲目であることが明らかにされるのであります。これこそ神の審判によって、神なき魂が御前にあらわにされるのです。 

 「主よ、あなたの憤りをもって、私を責めず、激しい憤りをもって私を懲らさないで下さい。あなたの矢が私に突き刺さり、あなたの手が私の上にくだりました」

紙数の関係で節だけ紹介しましたが、私は詩編38を読むとき、逆説ではなく、神の恵みのすさまじさに圧倒されます。詩人は、さばきの中で神を主、又はあなたと呼んでいます。

恵みの中で、何が一番大きいかと問われるならば、私は躊躇することなく

「私の口に神の言が与えられていることだ」

と答えるでしょう。サタンは神を呼ぶことが出来ません。滅びの魂も、また同様です。 

腐敗した魂の恢復を願う

  義子の病気は腹膜炎で、一進一退をつづけていましたが、冬に向かって俄かに病気が進んだのです。腹水がたまり、産婦のようにお腹が大きくなってしまったのです。注射器て腹水をとりましたが、淡紅色の美しい水は、医師に死の診断を下す資料を提供したに過ぎませんでした。

 この日を境に義子は危篤に陥り、腹水とガスでお腹はますます大きくなり、今にも破れるのではないかと思いました。このために内蔵は圧迫されて、呼吸は重く、胃の働きはまったくなくなり、お湯を飲ませても、コップの水をあけるようにもどしてしまいます。義子は二週間、己の肉を食って生きていましたが、死を知ったとき、私に顔をそむけて泣いていました。そして、幾日も貝のように口を固く閉じて、暗い、けわしい目をしていました。 

 私は一人看護にあたっていましたが、義子の苦しみをよそに、腐敗した魂をいかにして恢復するかに心を奪われていました。虚偽と不信のままで義子を送ることは出来ません。二人の関係を正しくし、信仰をもって神の国に旅立たせたかったのです。それには悔改めて、私が信仰にかえることです。ガラテヤ書でパウロが言っている如く 、義認の信仰に固く立つことでした。

「人の義とされるのは律法の行ないによるのではなく、ただキリスト、イエスを信じる信仰によることを認めて、私たちもキリスト・イエスを信じたのである。それは律法の行ないによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら律法の行ないによっては、だれひとり義とされることがないからである」

 しかし、私は信仰による義を誤解しました。腐敗した魂のままでは御前に立つことが出来ない、義子に告白をなし、義子の審きを受けてのちはじめて立つことが出来る。即ち信仰によるキリストの義の衣を着ることが出来ると考えたのです。この考えの中には神の恵みを空しくし、キリストの死を無駄にする自己の義がありましたが、情事は避けることが出来ない、絶対的なものとして私に臨んでいたのです。 

 私は告白を恐れました。おとろえている義子の心臓は、ショックによって止まるかもしれません。或いは絶望のあまり、即時私に向かって病室から退却を命じるかもしれません。或いは許してくれるかもしれませんが、義子の苦しみは倍加するでしょう。私は告白しようとする自己を、サタンにつかれているのではないか、と一時は怪しみました。義子に絶望以外は何も与えない告白を、なぜしなければならないのか、私はしかし口に手を当てることが私のみならず、義子の魂も滅ぼすことを直感していました。 

 一九五○年を私はこうして暗澹たる気持ちで迎えましたが、この朝、緊張と、秘密を心のうちにもつている苦しみと、看護の疲労が重なり、前後の見さかいもなく、発作的に「ゆるしてくれ」と義子の枕下に体を投げ出しました。 しかし、告白は出来なかったのです。私の絶望的な姿に仰天した義子は、片手で私の口を押さえてしまったのです。 

 「何も言わないで下さい。わかっています」苦しい息の下で喘ぎ喘ぎ言いました。その目は驚きと恐怖におびえていました。そして二度とこのようなことはしないと、私に約束させました。約束するまでは私を離すまいと、恐怖の目は必死に私にしがみついていたのです。私は誓いをたてましたが、そのとき更に深い絶望におちいりました。自己否定と異なるところはなかったのです。告白を封じられたことによって、腐敗した魂を恢復させる望みを断たれてしまったのです。同時に義子も私から離れてゆきました。 このためにその後、目をつぶすほどの苦しみを経験しましたが、私は今にして思います。

 告白を制した義子の手はそのまま義の神を指し示していたのです。裁きを給う方は神であり、十字架の下にのみ告白する場所のあることを私に教えたのです。もし告白をしていたなら、私は小さな良心に満足し、十字架の前に立つことは出来なかったでしょう。義子もまた拒否によって、自己に絶望し、神の中に逃避し、最後の望みを十字架に見出したの です。(以下次号

<ことば

「つぶやき」は、今号より「ことば」とした。つぶやきは信仰とは程遠い。信仰のわからないとき、つぶやくのである。如何にも信仰的でない題名に気がつき、げっそりとしてしまったのである。「ことば」は平凡だが、その点支障はなさそうである。 

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 この頃、一人歩き出来るのが楽しくてならない。信仰による自由の空気を腹一杯吸っている。さらに無教会者の道を、選びとらされたことが感謝である。人は一人歩きは大変であろうと言い、「小さき声」を発行すれば、これまた大変であろうと言う。自己の力や、智恵をたのむとき大変なのであって、神様にすべてをまかせているとき、大変なものは何もない。 

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 「小さき声」を発行するにあたって、私は人間に相談しなかった。相談していたら、一生かかっても実現出来ない。一体誰が聖書や、注解書を調べる目を貸し、代筆の責任を負ってくれるだろう。私は原稿を作るとき、特別に聖書や注解書を調べない。祈ることと、思索することである。代筆は盲人会の職員の方にお願いしている。したがって代筆者の選択はしない。信者でも、未信者でも、老人でも子供でもよいのである。他に一人教会の方が協力してくれている。 

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 神様は必要なものは与え、必要性がなくなれば取り上げる。私は与えられた務めを忠実に守りたいと願うだけである。 

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 私はある兄弟と何年か集会を一緒に守ったが、集会の度に会場の準備が大変だとこぼした。教会の人からも、これと同じ言葉を聞くことがある。神様のために働くことが大変だと感ずるときは、何もしないで働かないことである。そうしてマリヤの如くキリストの傍ら近くに座って、聖書を聞くことである。そうすると前に大変だと思っていたことが、喜びとなり、人の分まで働きたくなるのである。 

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十二月三○日に千代田教会の教友三人が来訪。園からは私と、職員のKさんが参加し、集会を守った、一九六二年の集会中、もっとも大きな集まりの会となった。全生園の集会は月に一度、参加者は三人である。私と小平市のさん、それにご用に当たって下さる関根先生である。先生はテープで参加、実際は二人である。だから五人の集会は私には大きかった。 

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多くの教友より年賀状を戴きました。有り難うございました。本紙をもってお礼にかえさせて戴きます。