「小さき声」 目次


 小さき声 No.7 1963310日発行

松本馨

<ゴルゴダに引き出されて>

 昨年五月、新築の盲人寮に移った。私の部屋は四人で、聾で弱視の老人が一人入って来た。老人はアル中患者で、聾者特有のひがみを持っている。何故か一緒になったときから私に反感を抱き、酒を飲むと、それが時々表れる。老人は私に罵声を浴びせかけるのであるが、部屋のみではなく、寮の人に聞かせようと廊下に出て、他室の前でののしるのである。それでも気がすまないときは、自治会の役員を呼んで来て、面前で私の悪口を言うのである。老人が私を怨む原因には、一つとして真実なものはない。聾のひがみか、他の事が原因であるか。私が蔭で糸を引いていると怨むのである。  聾の不自由、弱視の憤りり、老齢の悲哀、これらによって起こる諸現象が、みな私が陰で糸を引いていることになるのである。これほど迷惑なことはないが、一言半句も私は弁明することが出来ない。相手は聾者である。私の顔を見れば、憎んでいるかいないか判るのであるが、細かな表情を読みとるだけの視力はない。要するに私の潔白を、相手に証明する方法がないのである。これと同じく、たとえ、私が悪人でも、それを証明する方法がない筈であるが、老人には私が悪人であることがわかる。私の存在そのものが罪と言うほかはない。

  私は老人のために、多くの罪を着せられ、はずかしめを受けたが、信仰に関係のない人は凡て赦すことが出来た。尤もこれは私のみでなく、少し忍耐強い人であれば誰にでも出来ることである。一つだけ私にどうしても許せないことがあった。それは老人が私の代りに、キリストをののしることである。私にとってこれほどつらい責苦はない。十字架につけられるような苦しみである。生命そのものに、手をつけられるからである。  イエスは捕えられて、十字架の死に至るまでに、様々なはずかしめと、苦しみを受けられた。その時のイエスのはずかしめと苦しみとが、直接私に伝わって来る。ゴルゴタに引出されて、眼前にイエスの処刑を見ているような、共に十字架につけられるような苦みなのである。そのために自制力をなくし、老人につかみかかろうとしたこともあった。イエスは七度を七○倍するまで、罪を赦せと言われた。この言の背後には十字架がある。ステパノはこの十字架に支えられて、石にて己を打った者のために祈りつつ死ぬことが来た。キリストを迫害する者を赦すことが出来るのは信仰のみである。私に赦せないの不信の故である。今更に自分の罪の深さを知った。しかし、暗いところから神を呼ぶとき神はイエス・キリストの名によって赦して下さる。十字架によりたのむとき、老人のために祈ることが出来る。

 <この病いは死に至らず 七>

 大風の中でその夜、少数の者と、義子を見守りました。その死に顔は安らかで、今にも目を開き何か話しかけて来るのではないかと思われました。その傍らで義子の死によってはっきりした事実の前に、絶望していました。それは永遠に義子を偽ってしまったということです。愛と誠を捧げるかわりに、不義と虚偽とをもって報いたこと、はじめからやり直すことも改めることも出来ない事実の前に絶望していたのです。思うにあのとき死んだのは義子ではなくて、私でした。私は当時、絶望が審判として、外から臨むことにまったく気付きませんでした。  深い夜が静かに過ぎてゆきました。  時が悔恨と、悲しみを私の心に積んでいるときでした。北から南へ寒冷前線が通過しました。初めは山津波のような地鳴りのようなものが北から起こり、それは次第に近づいたかと思うと、一瞬にして病棟を呑んでしまいました。深い眠りにおちいっていた病棟は、たちまち戦場のような騒ぎとなり、つむじ風のように荒れ狂う台風のように、その腹の中に病棟はうめき、窓ガラスは激しくぶつかり合い、一斉に悲鳴をあげました。外では天が獅子のように、地がそれに応え、庭木の枝のへし折れる音、風がトタン板をかじる音、あらゆるものが怒り狂い、激しく叫びを上げました。私はそれを聞きながら、全身の血が凍るような、恐怖と闘っていました。私が恐れたのは大風ではありません。霊が神の怒りを感じたのです。私の罪を怒る、神の怒りに魂は戦きふるえたのです。私は迫り来る恐怖を必死に否定しました。心の迷いだ、義子の死によって気持ちが転倒しているのだ。夕方のラジオは寒冷前線の通過を報じていたに違いない。それを聞かなかったまでではないか。朝にラジオを聞き、新聞を見ればすぐわかることではないか。何を恐れるのだ、気分を落ち着かせよ。冷静になれ、と自分に言い聞かせました。「まるで小説を地でいっているようなものでないか」主人公の絶望を嵐で象徴することは、作家の好んで用いる手法です。私は周囲を見渡しました。眠そうにあくびを噛み殺し、顔の輪郭もみなぼやけています。誰も大風を恐れている様子はありません。私だけが、罪を犯した者が警官を恐れるように、恐れているのです。生きた心地もなく、一体これはどうしたことであろう…と、気持ちが混乱していくのでした。  神を信じない人は、私の臆病を笑うでしょう。私もまた、神を知らなかったとき、自分を笑っていました。しかし、神を知った現在では笑うことは出来ません。かえって一層の恐れなくしては想い出すことは出来ません。ヨハネ黙示録の七ツの封印と、七ツのラッパ、七ツの鉢は、終わりの日の審判を叙したものですが、私は神の審判を信じるからです。日本が大東亜戦争に敗れたとき、無教会のある先生は、神の審判だと言われたことがありました。私はそれを聞いたとき、高慢な一人よがりの思い上がった言葉だと思いました。神の審判だといわれたとき、御前にどれだけ低くされているか、また日本と共に自身を十字架につけているか、思い及ばなかったのです。神の審判は言葉ではなく事実です。十字架は万人にそれを示しています。十字架の世の罪に向けられている、神の審判です。神は世を愛するが故に、世に代わりて一人子イエス・キリストを十字架につけ、世を贖われました。世と言うとき、よそごとの如く考えがちですが、私のことを言わせて頂くならば、十字架は私の罪に向けられている神の審判です。神はご自身の義のために、私の代わりに御子を十字架につけ、私の罪を彼のものとし、彼の義を私のものとして下さいました。  たとえ大風の出来事を否定し、信仰上の一切の体験を否定し、自己の存在を疑い、天地を疑っても……終わりの日にこのことが起こる……十字架の言を疑うことは出来ません。事実だからです。天地を創造し、これを支配し給う神の子羊が、私たちの上に降り、私たちにつかえ、贖いとなられた事実を疑うことは出来ません。私は十字架に神の恵みと、審判とを見ます。

河原の犬

 どのくらい時間が経過したでしょうか。大風が去り、再び静かな夜が来ました。大風がまるで嘘のような、死の如き静寂です。私は夜明けを待ちました。朝が、義子の死をめぐって起った出来事を、消してくれるでしょう。神の怒りを受け入れる勇気が私にはありません。  それは余りにも恐ろしいことで、すべての原因を夜に帰し、朝の光がそれを消してくれることを望みました。救いは、苦しみ悩みをもって臨み、怒りの神に我と我が身を投ずることだと言われます。その御手にすがるとき、怒りの神は恵みの神になり、憐れみの神であることを知らされました。反対に恐れて逃げれば逃げるほど、怒りの神はデイモン的になります。この恵みの神がわからぬ故に、その代わりに私は夜を受け入れたのです。夜は昼と夜が交替する夜のみではなく、常闇の夜、固体のような夜があることを知りました。真に恐れなければならぬのは、かかる夜であり、'その夜を私は受け入れたのです。それにしても私はすでに、それまでの私ではなくなっていました。  らいにかかって家に隠れていたとき、母のすすめる信仰に悩まされ、雨の夜に墓地へ行ったことがあります。そこはめったに人の行ったことのない淋しい所でした。目に見えない霊界があるなら、幽霊でもよいから一目見て、それによって神仏を信じようとしたのです。結果は何事も起こりませんでしたが、母は私が墓地へ行ったのを知ったとき、顔色を変えて言いました。「お前は恐ろしい子だ」この世にらい(死)と人間以外には、恐ろしいものを知らない私でしたが、今、私は夜明けを待っています。  悪夢として、朝がすべてを消してくれるのを待っているのです。間もなく夜が明けようとしている頃でした。私は自分の息の臭さに、急に気分が悪くなりました。生臭いような異様な臭気で、どこかで嗅いだような覚えがあると思った瞬間、少年の頃、河原で見た犬の溺死体が記憶によみがえって来ました。夏の自然の光の下で、腹は破れ、臓物がどろどろに溶けて、焼石の上に流れ出し、無数のヴジが蝿のように連なっています。腐敗した顔は原形がありません。そうして異様な臭気を放っていました。その臭気と全く同じであると知ったとき、私は慌てて玄関に飛び出しました。吐き気が起こったのです。しかし胃のほかは何も出ません。前の日は朝から食事らしいものはとっていなかったのです。それでも吐き気はおさまりません。目、鼻、口から臭気が発散し、それを吸っては新たに吐き気が起きるのです。内臓も、腸も腐敗し、どろどろに溶けているような、そんな臭気なのです。風をいっぱいにはらんでいる五月の鯉のぼりのようにもがき、苦しみ、それらのものをすべて吐き出そうとしました。でもそれは出来ません。膿汁の海、ウジの住家となったこの死の体より、私を救うものは誰か? 気分が少しおさまったとき、キリで揉まれるような腹痛が起こりました。吐くとき体をよじったためか、冷えのためか、息も出来ない程の苦しみと痛みなのです。夜が明けると、義子の遺体は友人たちによって霊安所へ移されました。そしてその足で告別式を行うのが、この中の習慣です。神は私をうちました。腹痛のために一歩も動くことが出来ず、義子を送ることも、告別式に参加することも出来ず、ベッドの上で痛みのため、けもののようにうめいていたのでした。(以下次号)

<ガリラヤ湖の舟(マルコ4・35〜41)>

 ガリラヤ湖の嵐の中の舟は印象的である。舟は彼方の岸へ、天よりの喜びの音信を告げる神の人を運んでいるのである。「先生、わたしどもが溺れ死んでも、おかまいにならないのですか」舟には波を恐れる弟子たちが乗っている。福音伝道には、困難と、危険が伴うことを弟子たちに教えているかのようである。舟は波に呑まれるほど小さい。イエスを運ぶ舟は小さければ小さいほどよい。「イエスは起ち上がって風を叱り、海に向かって『静まれ、黙れ』と言われると、風はやんで大凪となった。嵐にびくともせぬ巨船は、真理に役立たない。イエスは真理そのものである。あってなきがものに現れる。洗礼者ヨハネは、獄屋から二人の弟子をつかわして言わせた。「来たるべき方はあなたなのですか、それともほかの誰かを待つべきでしょうか」イエスは次のように答えられた。「行って、あなたがたがみききしたことをヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人は清まり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている」(マタイ11・5)イエスはかかる人たち、御自身を現された。万人に御自身を現すためには、イエスはこの人たちよりもさらに小さく低くならなければならなかった。「キリストは、神のかたちであらわれたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって己をむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿となられた。その有様は人と異ならず、己を低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」(フィリピ2・6〜8)かくて三日目に甦り、万人の義となり、生命となられた。イエスの舟は小さければ小さいほどよい。その帆柱は十字架である。これに乗るものは、イエスと共に、自己を十字架につけるものでなければならない。   波は象徴的である。詩人は次のようにうたっている。「あなたの怒りは私の上に重く、おなたは諸々の波をもって、私を苦しめられ夢した」(詩88・8)神は苦難災禍の波をもって打つ。或る人はそれによって神を知り、承る人は信仰の試練となり、純化する。或る人は神の愛を知る。人生航路に嵐を避けることは出来ないが、世に嵐を知らぬ人ほど不幸なことはない。ルカ伝16章のラザロの一生は嵐の航海であり、富める人には嵐がない。死後、ラザロはアブラハムのふところに抱かれ、富める人はゲヘナの火のふところに抱かれた。主によって懲らさるる人は幸いである。  ガリラヤ湖を出帆したイエスの舟は、今もなお世界の港々に寄港し、人を招いている。急がねばならない。イエスの舟に乗り、死より生命に移されることを願わねばならない。

<ことば>

 Oさんの案内で、久し振りに結核病棟を訪問した。ここではらいのみでなく、結核とも闘わなければならない。カリエスで何年も仰臥している姉妹は、水晶のような澄明な信仰を持っている。病むことは苦しいが、病気には代えられない信仰だ。しかし、このような人は特別で、多くは肉体と共に、魂も又自覚症状のない病気にかかっている。魂が目を覚ましているためには、信仰によって病気を受け取らなければならない。この意味で旧約の詩人や、ヨブは凄い、と言うほかはない。この人達は病気を、怒りの神の業と受け取っている。如何にしてか、怒りの神を恵みの神にかえる、これが旧約の信仰である。だがどんなに駄目でも、不信の只中にあっても恐れることはない。イエス・キリストは十字架で悩み、苦しみ、「我が神、我が神、なんで我を見捨て給いし」と呼んでいる。十字架を仰ぐだけで救われるのである。そのほかには何も必要としない。私たちの救いは十字架上に完成している。

○○○

 草津の栗生楽泉園から、Kが訪ねて来た。昔、私が園内の少年寮の寮父をしていたときの子供である。彼はませた子供で、十四、五才の頃、洗礼を受け、内村鑑三の著書に親しんでいた。詩や、小説も書いた。二十才の頃、人生の壁に突き当たり、生きる道を求めて栗生楽泉園に転園したのである。  それより十二、三年たつ。私の前に立った彼は、共産党員となり、栗生細胞のとなり、今年、詩集「鬼の面」を出した。私の世話した子供で、信仰の道を選んだのは、なくなったAだけである。後はみな文学に走った。現在園にいる者は少ない。或る者は退院し、或る者は亡くなり、二人の自殺者も出た。  Kを前にして思うことは、寮父をしていんとき、今の私の信仰の半分があったら、子供達の一生は大きく変わっていたであろうということであった。「若き日に汝の造り主をおぼえよ」信仰の種を蒔くときは重大である。二十代、三十代では既に遅い。