「小さき声」 目次


 小さき声 No.88 19691220日発行

松本馨 

学生と警察官

療養所の一角で、学生運動を文字通り耳のみで、ラジオや新聞、雑誌などを通して聞いていると、日本の将来に暗い陰を感じます。それは、学生運動が良いとか悪いとかいうことではなく、過激学生の行動が暴力化してゆくにつれて、それに対応して警察権力が強化されているからです。両者は年ごとにエスカレーションしているようです。

学生運動の発端は、東大医学部の学生処分に始まりました。最初は医学部内の問題が全学部に波及し、東大改革にまで進展しました。東大の改革は全国的な拡がりを持ち、東京、地方を問わず、日本の大学の改革にまで進展しました。今年の一月に安田攻防を契機に学生の大学改革運動は大学否定に進展しました。大学は体制の側に立つものであり、その大学で学問をすることは体制に奉仕することである、それが大学否定論であります。大学否定は更に進展し、保守政党の下にある社会体制の否定とエスカレーションしました。至る処に革命の条件をつくり出すために、社会を混乱におとしいれなければなりません。10・21の反戦デーに見られるように、学生は小グルーブに別れて首相官邸やNHKその他駅を襲撃したり、一部は商店の商品を略奪し、焼くなどしました。交番、自動車も焼かれました。このような過激な行動をとっても、それが体制にどれだけの打撃を与えたというのでしょうか。過激学生に反感を持つ人たちは全々問題にしませんが、過激学生に好意を寄せる人達はその行為を高く評価します。革命のエネルギーである労働者、農民、一般市民に火をつけることだからです。学生運動は核を爆発させる装置に当ります。発火点に当ります。一見 無謀な行動に見えても重要な意味があるというのです。それ故に過激学生の行動はますます激しくなるでしょう。

私が心配するのは、過激学生の行動ではありません。革命の条件をつくり出すエネルギーとしては、彼らは孤立しています。彼らのエネルギーが革新陣営のエネルギーとなり、労働者農民の爆薬装置になるとき、その力を発揮するでしょうが、過激学生は革新陣営内でも孤立し、農民、労働者、一般市民からも孤立していると見ていいでしょう。過激学生を取締る口実のもとに強化されている警察権力こそ恐れねばならないでしょう。

昨年までの大学と警察との関係は全くの敵対関係にありました。大学は大学の自治を守ろうとし、警察は大学内にまで、警察の支配権を及ぼそうとしたからです。昨年までの大学には自治を守ろうとする毅然たる態度が見えましたが、安田攻防以後、特に大学の治安 立法が成立した以後の大学は、完全に警察権力の支配の下にあります。半年も経たぬうちに、警察官をはばむ大学は異常に思われるほど学内に警察官を導入することが日常茶飯事になってしまいました。大学の自治とか、学問の自由を守るとかいっても、その底の浅さを暴露しています。口と腹の中は 違っていたのでしょう。一面、大学といえども、権力に弱いことをまざまざ見せつけられました。警察権力の強化は大学支配にとどまりません。ヘルメットに覆面をし、角材を持って集団行動を取っていた学生達――石原先生はヨハネ黙示録九章のイナゴに似ていると「聖書の言」の中に書いていますが――10・21の反戦デーにヘルメットをかむった学生集団のニュースは一回だけで全員逮捕されています。角材はおろかヘルメットをかむることも出来ない程に警備は厳重でした。10・21で逮捕された学生は千二百人を越えています。こうした警察力の強化は大学や学生にだけ向けられているのではなく、マスコミにも影響しています。10・21の反戦デーのニュースは一方的であります。反体制の声は全々聞かれません。こうしたニュースの取扱いから想像しても警察権力はマスコミにも及んでいるのだということが分ります。そしてそれが労働運動や市民生活にも影響していきます。戦前の警察国家が実現しないと誰が断言できるでしょうか。学生運動の将来に暗い陰を見るのはこのためです。

こうした体制と反体制の中に在ってそのどちらかに立たされているのがキリスト者です。過激学生を支持するキリスト者は、体制内のキリスト者はキリスト者で無いかの如く極言します。体制内のキリスト者は反体制のキリスト者をキリスト者でないかの如く極言します。私は信仰には保守も革新もないと思っています。保守革新は世俗内に生きるキリスト者のこの世の生でありましょう。信仰とは無縁のものです。信仰はこの世の支配を受けません。神の支配だけを受けます。私達はイエスキリストにより、この世を越えた神の支配を受けると同時に、肉だけはこの世の支配を受けます。キリストはこの世の支配を受けませんが、肉にてはこの世の支配を受けます。それが十字架であり、復活であります。私たちは彼の死と生を受けることにより、この世の世界からまぬがれていると同時に、この世の支配を受けます。つまり霊にてはこの世の支配から解放され、肉にてはこの世の支配を受けます。保守か革新かは、肉なる私が一時的に身を寄せる場所に過ぎません。それ以上に意味は無いでしょう。肉にてこの世の支配を受けた十字架の義を仰ぎつつ、肉の支配から解放されるときを待ち望んでいます。それが終末への期待であります。この終末への期待に生かされるが故に、この世に対してもそれが絶望的であればある程、勇気を持って改革につとめることができます。それは十字架の義と生が立つ方向でなければなりません。悪や不正や暴力が排除される改革でなければならないでしょう。義と公平とあわれみが立つ改革でなければならないでしょう。

学生運動と警察権力のエスカレーションを見ていると、日本の未来に、否、世界の未来に期待が持てなくなります。アメリカやソビエトの未来に対しても同様です。科学が如何に進歩し、文化が発展しても、バルトではないが、世界は世界たることをやめず、人間はいつになっても人間たることをやめません。人間の根底にある罪の問題を解決しない限り、現代の世界と人間、二千年後の世界と人間も本質に於ては変らないということです。世界と人間に変革をもたらすものは、それはキリストの到来以外にありません。そしてその終末への期待は十字架の一点以外には無いのです。

死の家覚え書

No.64                                                   

○月○日

花岡 健へ 南条秋雄

お手紙ありがとう、心配しないでほしい、僕は気になど少しもしていません。かえって君に感謝し、喜んでいるくらいです。久しい間、僕は僕に対する批判や、叱責めいた言葉や、怒りを受けたおぼえがありません。僕の姿を見ると、鉾先が鈍ってしまうのだろうか。かりに僕が不正を行ない、不実を働いたとしても、僕をとがめる者は居ません。少し極端ないい方ですが、とがめる替りに僕に同情し、いたわりと慰めの言葉をもって許してくれるでしょう。その愛と同情に満ちた言葉に食傷しています。疲れています。少し絶食し、食傷から解放されたいと思う時が度々あります。

それ故に、君の手紙は貴重なのです。正直に告白して、君の手紙を読んだ時、心臓に匕首を突きさされたようなショックを受けました。同時に泣けました。それは君に対する憤りの涙ではなく、喜びの涙でした。君の真実に打たれたからです。久しい間、音信の絶えていた友と突然邂逅したような驚きを経験しました。これは一体どういうことなのだろうか。君の真実に打たれた、その真実とは何だろうか。僕は君の手紙を繰り返し読みました。特に不貞な妻に対して怒らない僕を責める君の言葉を繰り返し読みました。そこに君の真実を見たからです。そして君の真実とは、君の手紙全体を覆っている十字架の言であることに気がつきました。僕を驚かし、僕を泣かせたもの、僕がめぐり合った君の真実とは十字架だったのです。君の手紙を田代君にも見せましたが、田代君も僕と全く同感でした。

永い間、暗く閉されていた僕の眼からウロコが落ちたような、そんな気持で君に手紙を書いています。これからどうなるか、どのような道を歩くか、分りませんが、君が示してくれた真実に固着し、そこに最後の希みと 拠り所を見出していきたいと思っています。僕が信仰につまづいたのは、先天的に嘘をつく妻の言葉にありました。つまり妻の不信と不義と淫蕩にありましたが、果してそうなのかと反省しています。ということは僕は君の真実に十字架を見たのと同じ理由で、妻の不信の十字架につまづいたのではないか、ということです。神と人間との関係は窮極に於て、僕たち夫婦のような関係ではないだろうか。人間は誰でも、神の前では不貞の妻に過ぎないということです。不信と不義と汚れと、あらゆる罪を負った人間、それが夕子であり、僕であります。そしてそこに十字架があるということです。人間が神の前に義であり、聖であるならば、十字架はいらないでしょう。人間は夕子のように不貞の妻であるが故に、神はその一人子を十字架にかけねばならなかったのです。妻の不実を通して十字架につまづき、君の真実に触れ、今僕は十字架に帰ろうとしています。十字架に帰るのではなく、耳鼻咽喉科病室のベットの上で、人間の原型が崩れ、人間でもなく、動物でもなく、もっと違ったもの、生物なのか、生命のないものか、それすら分らないほどに、無型の混沌の中に居る僕の所まで、イエスキリストは十字架に於て下り、立たれたということです。僕の眼前に神の独り子の十字架が立ったのです。宇宙萬物を支配し給う、いと高き神が、癩という病苦を負ったどん底に居る人間の所まで下り立たれたということです。そしてそれが十字架の意味でありましょう。無型の混沌の中に居る僕は、彼により、十字架により、再び新たに形をなし、創造されるでしょう。その日を僕は心から待ち望んでいます。君のいわれる通り、彼に死に彼に生きることが新たな創造でありましょう。彼が僕の義であり、生でありましょう。

君の手紙を読んだあとで、僕は祈りました。永い間、苦しくて祈れなかった祈りです。そして初めて目に見えない父なる神に祈ることができたのです。祈るとことができるということは人間の力でも、努力でもなく、神の恵みであり、神の許しなくしてはできないことでありましょう。そのことをいやというほど経験しました。

僕は僕を捨てて逃げた女の総ての罪を許します。同時に女の罪を憎みます。それは今まで女に抱いたことのない激しい怒りであり、憎しみであります。これは一体どういうことだろうか。女を許したその瞬間に、今まで経験したこともない憎しみの感情が生れたのです。妻の不貞を許せなかった僕は、自分の肉体が枯れているのに、妻の豊満な肉体を追い求め続けました。けれども今その全く逆なことが起ったのです。このことに就て君に充分説明するだけの時間的余裕はありませんが、君の真実に触れたとき、つまり十字架の義に眼が開かれたとき、僕の内に起った変化なのです。君はヨブの三友人のようになりたくないといっていますが、エリパズ、ビルダデ、ゾパルはヨブにとって真実の友ではなかったろうか。三人は因果応報の神学をもってヨブと論争をかわしました。一つの問題をめぐって討論するときは、両者とも対等の位置に立たなければできないでしょう。三人はヨブと全く同じ位置に立ち神の義をめぐってヨブと論争しています。友にして初めてできることではないだろうか、真実の友でなければ、彼らはヨブを見舞い、ありきたりのいたわりの言葉をかけ、満足をもって帰っていったでしょう。

それは、ヨブのためではなく、友としての義務を果した満足感であります。三人は少くともそのような態度はとらなかったのです。この場合、ヨブに必要なのは同情ではなく、真実の言葉であったに違いありません。真実とはヨブと三人が問題にした神の義であります。

僕は因果応報の教義が間違っているとは思いません。義の神は善を愛し、悪を憎む神で居給う。善人を助け、悪人を滅ぼす神で居給う。現代の道徳の頽廃と混迷は善悪の混淆にありましょう。そしてその原因は神が無いということです。神の義が問題になっている限り、そこには神が居給う。

 療養通信

十一月九日

十月二十八日午前十時より、公会堂で創立六十周年の式典が行なわれました。一堂に会した患者数は約五百人で、過去十年位このように集ったことは無かったようです。夜はまた盲人会ハーモニカバンド、さざなみ会(患者)の日本舞踊、職員民謡会の踊りが開催されましたが、これまた多勢の患者が盛んに声援をおくっていました。外出の自由とテレビの影響で、映画、演芸、名士の講演会などに百人を集めることは容易でありません。それが五百人もの患者が集まったのですから、関係者が驚いたのも無理はありません。式典にはつきものの表彰が行なわれました。厚生省医務局長代理の療養所課長より十年以上の永年勤続職員の表彰。園長からは永年患者の為に尽した各宗団の牧師、坊さん、囲碁将棋、菊盆栽、舞踊、生け花等の指導に当った先生達に感謝状が贈られました。最後に四十年以上の長期療養者に毛布の記念品が贈呈されました。

六十周年の行事に就て、患者側で企画したのは私ですが、行事いっさいが終って肩の荷を下したような気持です。ただ一つだけ、私を憂鬱にしたことがありました。四十人の記念品該当者の名前を有線ラジオで放送しましたが、その日の夕方、該当者のある姉妹が見えて、Mさんが一人洩れているといいます。四十年以上の該当者は、昭和四年九月二十八日までに入所した人達ですが、Mさんは同年の夏、姉妹と一緒に暮していたというのです。私は姉妹の申し出に感謝し、係の職員に収容名簿を調べてもらいました。その結果、Mさんの入所は、五年であることが分り、その旨姉妹に伝えました。ところがその翌日、再び姉妹が見えて、Mさんは確かに昭和四年夏、私と一緒に暮していたといいます。その年の秋Mさんに着物を縫ってもらった人が居ること、病室のMさんにも確めてみたが、間違いなく昭和四年だといい張ります。収容名簿という動かせない事実があるので、それをくつがえすには本人の記憶や周囲の人の記憶だけでは根拠が薄弱であることを伝えると、姉妹は職員は当てにならない、敬老の日のときにも来年一月にならなければ六十五才に達しないと本人が申し出ているのに、係の職員は間違いないといって、市の見舞金千円を渡したといいます。一月説に就ては私の方でも調べて確めてありました。本人は来年一月にならないと六十五才にならないと信じこんでいますが、本人の戸籍謄本は六十五才になっているのてす。こうした事実を確めないで非難することはキリスト者として取るべき態度でないと思います。

私は念の為に医事室長に原簿を調べて頂きました。そして次のことが判明しました、Mさんは確かに昭和四年六月に入所していますが、同年十月に籍が切れて昭和五年四月に再入園になっています。姉妹の主張は一部当っていましたが、再入園に就ては全く触れていないのです、このことを姉妹に伝えて、了解を求めました。姉妹はMさんが十月に逃亡していることに気づかなかったといって了解してくれました。私は事件の落着にほっとしましたが、翌日自治会事務所に行って、同僚の役員から、私が姉妹の処に行った後で、姉妹が同僚を尋ねて行ったことを聞きました。Mさんは逃走していない、ただ籍をほかに移すために、その期間中、全生園に居ないことにした、そのために一時籍が切れたのだといいます。収容年月日と戸籍とは関係がありませんが、あくまでも自己の主張の正しさを貫ぬこうとする姉妹に寒々としたものを感じました。姉妹はMさんのこともあって、記念品を受けた人達は皆喜こんでくれたのに、一言も口に出しません。或る不自由な盲人は老妻に手を引かれて、わざわざ自治会事務所まで御礼に来てくれました。老夫婦に私は思わず頭が下りました。この老夫婦は仏教徒です。永年の伝統の中で仏教は日本人の血となり肉となっているために、それがこうした時現われるのでしょうか。キリスト教は日が浅いために日本人の血となり肉となっていないようです。会堂では敬虔な信者として熱い祈りをしている人が、会堂を出て世俗の中に入るや全く考えられないような世俗の人間になってしまいます。全生園のキリスト者はプロテスタント・カトリックを問わず、両極の二重生活をしている者が多いようです。なぜ信仰が日々の生活の中に生かされないのか、伝統の無さでありま しょうか、ひどく考えさせられました。ではどうしたらば、キリスト教を血肉に浸透させることができるでしょうか。私はイエスの戒めの一つでよいから現実の中に生かそうとする努力だと思いますつまり、律法に生きることです。キリストにあってその罪を赦され、パウロがいっているように、もはや我れ生くるに非ず、キリスト我が内にありて生くるなり、の信仰に立てば人はおのずからキリストの愛に生くることになりましょう。勿論、人間は肉なる罪の身体を持っています。キリストの戒めに生きようとすれば、激しい内部闘争があります。我と我が血みどろの 闘争をすることになるでしょう。パウロはロマ書七章でそのような闘争をしています。そういう闘争の中で自己が十字架につけられることになります。そして彼と共に完全に死に、彼と共に完全に生きることになります。肉の身体を持った私達は、終りの日までこうした闘争を繰返すことになるでしょう。こういう信仰に生きる者は、両極の生き方などできる筈はありません。宗教領域の中に居ても、或いは外に居ても、彼にとっては本質的に何の変る処もありません。信仰とはそういうものではないでしょうか。会堂内でなければ 敬虔な信者になれないような信仰は偽善者のことであり、大衆の集る所や、街角に立ってラッパを吹き鳴らしている偽善者と変らないでしょう。

 

新年集会のお知らせ
講師 関根正雄先生
日時1970年1月11日午前
10
場所多磨全生園内福祉会館