「小さき声」 目次


 小さき声 No.9 1963512日発行

松本馨

<Sと神父>

 (一)

Sがマタイ伝の暗記を始めたのは、一九五九年の初めである。Sは六十才の盲人で、手はきかず、足は室内をしばらく歩ける程度で、物に寄りかからなければ立っていることが出来ない。結核で病室にいたが、退室して間もなく、神様の言を聞きたいと私に言った。私は、マタイ伝を一、二章ずつ毎日読んであげた。そしてマタイ伝が終って、マルコに移ろうとしたとき「わしは頭が悪い、マタイだけでよいから、わしに神様の言を一言でもよいから教えてくれ」と言った。私は 5章3節「幸福なるかな、心の貧しき者、天国はその人のものなり」を午前と午後、就寝前の三回に分けて教えた。

Sは小学校中途退学で、講談本以外は読んだことがない。そのためか非常に喜び、寝ている間に忘れてしまわないかと心配になり、その夜は眠れなかったとのことである。あくる日、もう一言教えてくれ、とSは言った。私は次節を前と同じ方法で教えた。その次の日になると、もう一言、と言った。そして、もう一言、もう一言と言って山上の垂訓を暗記してしまった。長い節は三日くらいかかったが、終わりの頃には、一度に一節が覚えられるようになった。午後は間違っているかいないかを聞いてやればよかった。

Sは山上の垂訓が終ると、マタイ伝を全部暗記したいと言い出し、1章から始めた。Sの暗記方法はおもしろい。頭の中で、まず大腿部にひらがなで聖句を書き、それを完全に覚えると、消して次の聖句を書く。私が繰り返し読んでいると、待ってくれ、と大きな声でストップをかけることがあった。大腿部に、書くところがなくなってしまったというのである。もっと小さく書いたら、と注意すると、小さいと読みにくい、とすましている。 9章まで進んだとき、Sは新築の特別重不自由舎に移ることになった。患者看護が職員看護に移るためである。Sは暗記が出来なくなる、と私と別れるのを悲しんだ。私は聖句を伝えるために、毎日訪問することを約束した。しかし Sの気持ちは沈んでいた。わからないときはいつでも聞かれるから暗記が出来たが、もうこれからはそれが出来ないと言うのである。私は一度に一節が無理であるなら、その半分でもよいではないかと励ました。そして日曜日を除いて毎日午前十時に、聖言を伝えるために Sを訪問した。Sは、心配したほどのことはなく、毎日一節ずつ覚えていった。わからないときは、補導員(付添)さんが聖書を見てくれた。

こうして、今年の二月、マタイ伝28章を暗記してしまった。丸四年かかったが、この間、夏には必ず倒れた。Sの全身の皮膚は麻痺し、毛細血管は摩滅し、汗が出ないのである。気温が三十度を越えると、体温の調節はとれず、起きていることが出来ないのである。気温が三十五度を越えると、 Sの体温は三十九度から四十度になる。発汗しない者の苦しみは、風呂に入って頭からふたをし、口だけ外に出しているとよくわかる。頭はモーターのように捻り出し、心臓は今にも飛び出すのではないかと思われるほど、激しくおどる。ゲヘナの火の苦しみである。涼しくなるまでの約百日をこの苦にあうのである。  昨年の夏は、初めてSは元気に過ごした。一時倒れたのであるが、間もなく特別重不自由者寮の各寮に扇風機が備え付けられた。そして、その日からSは元気になった。扇風機が、発汗の役割を果たしたのである。私は扇風機が整備されたとき、涙を抑えることが出来なかった。 S一人のためではなく、特別重不自由寮にいる人たちが、ゲヘナの火から救われたのである。この人たちの受けている苦しみは、看護に当たっている人たちは勿論、同病者にさえわからない。それを知っているのは十字架のイエスのみである。

(二)

Sのところには、カトリックの外人神父と患者のWが時々見える。教会に入らず、洗礼を受けないSを、あるときは脅し、あるときは難問をもってSを追いつめ、カトリックに入れようとするが、その度に Sは聖句をもってその場を逃れている。わしは頭が悪いからと、Sは自分の考えを持たず、すべてを聖句をもって応えているのである。神父も最近Sを知って、聖句には聖句をもつて臨んだ。そして、二人の間に面白い問答が交わされているが、次にそれを少し紹介する。神父はカトリックのみが真の教会であると説明し「汝はペテロなり。われ、この岩の上にわが教会を建てん」(16・ 18)を、いかに考えるかと質問した。Sは頭の中のマタイ伝をひらいて答えた。「二、三人わが名によりて集まる所には、われもその中に在るなり」(18・20) 28章が終わったとき、それを待っていたかの如く、神父は 28章19節を示した。Sはただちにそれに応じた。「われは汝の悔い改めのために、水にてバプテスマを施す。……彼は聖霊と火とにて汝にバプテスマを施さん」(3・11) 神父は、 Sさんは頭に水をかけるのは嫌いか、と言って退散した。

Wは露骨で、聖書では救われない、と脅した。また、聖書は誤って伝えられた記事が多いために、勝手に読んではいけないとも言った。そして聖書の暗記を断念し、カトリックに入って洗礼を受けるようにすすめた。その際、無教会を攻撃することを忘れなかった。  私は不思議でならない。Sは限界状況の中で、昼もなく、夜もなく、神様の声を食べるのだと言って、聖書を暗記しているのである。どうしてそこに、神の御業を見ることが出来ないのであろうか。園では、カトリックは創価学会と並んで盛んである。が、ロマ書 2章17節以下を自身の問題として読んでみる必要はないであろうか。

私はSを無教会者にするつもりはない。Sが希望するならカトリックにいってもよいと考えている。足は不自由で、教会に行くことは出来ない。わしみたいな者でも神様を信ずれば救われるか、とSは真剣に尋ねたことがある。私は答えた。十字架の贖罪を信ずる者は、誰でもその信仰によりて救われると。私のなすべきことは、 Sのように教会に行くことが出来ない者に、神の言を伝えることである。

私は私の先生から無教会について学んだ記憶はない。私が聞いたのは、聖書の御講義のみである。もっとはっきり言うと、イエス・キリストと、その十字架のみである。その信仰に命をかけたとき、私は無教会になった。必要なものはただ一つ、神の言である。終りの日に、御前に私の誇ることが出来るのは、この十字架の言のみである。限界状況の中で、 Sがとらえたものは、この一事ではなかったろうか。「だれも今後は、わたしに煩いをかけないでほしい。わたしは、イエスの焼印を身におびているのだから」(ガラテヤ6・ 17)

<この病いは死に至らず 九〉

しかし、それは無駄でした。義子の死によって、わたしは生命のない影のようになってしまったのです。生命のない者に、何をうたい、何を誇ることが出来るでしょう。影は私のみではなく、目に映るすべてのものが、影になってしまいました。その影の中を、昼となく夜となく義子の姿を求め、私は夢にまで入って行きました。生命のない影の私は、スースーと飛ぶように世界をかけめぐっていました。太陽も、月も星も、海山川、草も木も、その中のすべての生物もみな影です。都会の建物も、虫のようにひしめきあっている人も、車もみな影てす。砂漠のような平原に、黒い建物がありました。病院です。門をくぐって中に入り、病室の前に立つと、扉は自然に開き、私は中に入りました。すると、それまで離れていた私の心が胸に入り、私は生命を持ち、物が見えるようになりました。雪よりも白い壁、カーテン、窓の外には青い空と、その下に緑の森が広がっています。小鳥は囀り、小さな動物たちは駆け回っています。静かな、そして爽やかな空気が病室の中を流れています。その病室の中に、義子がただ一人病んでいました。長病みのためにやつれてはいますが、目はあの天の一角を見つめていたときの涼しい目をしています。私は義子を見たとき、胸の痛みを覚えました。彼女の記憶が、それまで私の内にまったくなかったからです。自分の生命よりも愛しているのに、その愛を心にとめておくことが出来ないのはなにか、愛が足りないためか。私は死ぬほど愛している、では何故か。私の心が私から抜け出してしまうからです。私は深い悩みに襲われ、その場にうずくまって祈りました。

「神よ、私の心を私から取り去らないで下さい。私の生命を、記憶を消さないで下さい」

それには答えず、どこからともなく声が聞こえて来ました。

「時間です」

その声が耳に入ると、私の足は意思とは無関係に、スックと立ち上がり、真っ直ぐに出口に向かって歩きはじめました。そして外に出ると同時に、心は私から離れて、またも生命のない影となり、砂漠のような平原を飛んで行きました。どのくらいの月日が経ったのか、地の果てから果てまでめぐり、再び私は病室の前に立ちました。そして中に入ると、心は戻ってき、私は生命を持ち、物が見えるようになりました。雪よりも白い壁、微風に揺れているカーテン、それを透かして見える青い空と森、大理石の床、義子がただ一人病んでいます。前と少しも変わっていませんが、愛する者を愛することが出来ない、私の苦しみは一層激しくなっていました。私は最早、私ではなく、何者かが私を人形のように操っているのです。私は絶望に襲われ、その場に倒れ伏して祈りました。

「神よ、私の心を私から取り去らないで下さい。私の命を、記憶を消さないで下さい」

すると、またしてもあの声が聞こえてきました。

「時間です」

そして私は、私の意思とは無関係に、出口に向かって歩いているのです。その声に抵抗し、もがこうとしてもがくことが出来ず、神を呼ぼうとしても呼ぶことが出来ず、外に出てしまうのです。そして心は、私から離れて、生命のない影となり、砂漠のような平原を飛んで行きました。同じことが何回となく繰り返されましたが、一回よりも二回、二回よりも三回と、回数が重なるに従って苦しみが増して来ました。

「あなたの御手が、昼も夜もわたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた」(詩編32・4)

第三回の攻撃  

生命のない影は、第三回攻撃の前ぶれでした。いつか冬が去り、草木が芽をふき、花を咲かせ、毛虫がよみがえって花のリボンとなり、或いは二枚のバラの花びらのように、ゆるやかに空中を舞い、雀はひなをかえす巣を作り、燕は古巣に帰って来る季節となりました。

ある朝、私は寝床の中で目を覚ましました。昔の詩人は告白します

「そのいかりは、ただつかのまで、その恵みは生命の限り長いからである。夜はよもすがら泣き悲しむ。でも朝と共に喜びがくる」(詩篇30・5) 

だが、朝は黒い喪服を着て私のそばに立っていました。その黒い喪服の裾で、私は目隠しをされて、物を見ることが出来ませんでした。私は身を起して、それを取ろうとしましたが、いくらつかんでも空をつかむようで手応えがありません。私は目隠しをされたまま、確かに裾の端を握っているはずの右手を口に持っていき、唇で掌の中をさがしましたがありません。このとき、既に手も私のものではなくなっていたのです。しかし私はそれに気付きませんでした。私は首を前に伸ばして、今度は両手で払い落とそうとしましたが、目は依然として隠されたままです。恐怖が電気のように全身を走りました。私は震える手で、頭、顔となでまわし、そしてすべてを悟ったとき、「アッ」と口の中で鋭い叫びを発しました。生命のない影が、そのまま現実になっていたのです。

「これはあなたの憤りと怒りのゆえです。あなたはわたしをもたげて投げられました」(詩篇102・10) 

神は狂気したのか、私を蛙か蛇のごとくつまみ上げて、地に叩きつけたのです。何故かく私を打ち、責め悩ますのか。神は義の神か、愛の神か、それとも運命の神か、私にはわかりません。神は私を虫よりも、蛇よりも、狼よりも、世の人の忌み嫌うものとされました。人は私の名を聞いただけで、不快と嫌悪を禁ずることが出来ません。私の姿を見た者は、顔色を変えて逃げ出しました。そのときのみじめさ。雲なら消え、雪なら溶けてしまいたい。獄舎につながれて十有余年、故国を思わぬ日は一日としてあったろうか。

「われはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。……エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならば、わが右の手を衰えさせて下さい」(詩篇137・1〜5) 

捕囚の民のなげきはそのまま私たちのなげきであります。

ときに天より声がありました。

「あなたがたの神は言われる。慰めよ。わが民を慰めよ。ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでに許され、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を主の手から引き受けた」(イザヤ40・1〜2) 

獄舎にどよめきが起こりました。アダムの贖罪以来、私たちを幽閉していた獄舎の扉が砕かれたのです。帰還の日が到来したのです。私は思いました。自由はこの日のために準備され、道はこの日のためにつくられ、太陽はこの日のために輝き、空の広がり、雲の流れ、すべてのものがこの日のためにあるのだ、と。私は悲しみの涙のほかに、歓喜の涙のあることを知りました。神よ、われらはあなたをたたえ、あなたをほめうたいましょう。しかし、神は突如として私の帰還を取り消しました。そして私の両眼をえぐり取り、鉄の鎖につなぎ、前よりも過酷な服役につかせたのです。なにゆえ死を与えないのか、何故、息を取り去らないのか。

「このような人は死を望んでも来ない」(ヨブ3・21) 

生きる力も、死ぬ力も、私から抜けてしまいました。ああ、この無力、無残、孤独、寂蓼、神は宇宙の監獄にただ一人私を監禁してしまったのです。(以下次号)

<ことば>

全生園と都職療養所の間に、清瀬町他三町の、し尿処理場が出来るという。全生園とは垣根と道を境にするだけで、寮からは数十メートルしか離れていない。二寮とも反対してきたが、五月一日より工事に着工した。そして、二寮の職員患者が座り込むということになった。町では絶対に造ると言い、二寮では絶対に造らせないと言う。なんとか円満な解決の道は、ないものであろうか。  町長たちは、十五万の町民のために、二寮の犠牲はやむをえないと言っている。権力を握る者が、弱い民衆を弾圧するときは、いつも人民の名においてするのである。多数の者の幸福のためには、少数の者は犠牲にしてもよいという理論である。この理論をすすめると多数の者の幸福のためには人殺しをしてもよいことになる。神の国はこれとは反対である。キリストは世からしいたげられている人たちのために、神の子の権威と力を放擲し、十字架にかかって死にまで下り、御自身の生命を与えたのである。

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 五月六日より新規約による自治会中央委員の選挙の準備に入った。昨年夏、役員が総辞職して八ヶ月日である。中央委員に多く期待できないが、せめて善悪の判断のできる新人が出ることを望む。