桃李歌壇 主宰の部屋

T.S.エリオットについて

その2 「荒地」の俳諧性のことなど

  「荒地」の俳諧性というタイトルでお話しします。この作品は、エリオットの詩の中ではもっとも有名で戦後の日本の現代詩にも大きな影響を与えました。
清水昶さんもこの詩の翻訳出版に関わったと言うことを増殖掲示板に書いておられましたね。

「荒地」は、詩のスタイルについて暗中模索していたエリオットが漸く自分独自の
詩法を見いだした作品、完成されたものと言うよりは、あくまでも生成の途上にあった一つの実験的な創作です。

芭蕉で言えば、漢詩文調を大幅に採り入れ、談林風の俳諧の卑俗さを克服し、
新しい俳諧を実験的に創作していた時期に相当しますね。

この作品、どこが実験的か。

まず英詩には違いないけれども、多言語の世界を内包していると言うこと。
詩句の殆どの部分が、俳諧的に言えば、「本歌とり」から出来ています。
英国だけでなく、同時代の独仏の文藝、そして広くヨーロッパの文藝の伝統に
棹さしつつ、それを諧謔と皮肉によって味付けしながら引用しています。

エリオットのこの詩は、もともと「荒地(the waste land=不毛の地)」ではなく
「彼は様々な声色で警官の真似をする(He do the Police in different voices)」
という奇妙なタイトルであったものが、エズラ・パウンドと一緒に推敲を重ねているうちに「荒地」になったといういきさつがあります。

ベストセラー作家ディケンズの小説の登場人物である孤児の少年が、養母に、
新聞の三面記事のネタになっている場面を読み上げる時、様々な声色を使い分けて警察官の話をするときの情景をそのままタイトルに流用していた。
(こんなタイトルの儘だったら、カッコわるくて、戦後日本の詩誌「荒地」は生まれなかったかも)

ともかく、「様々な声色」がこの詩の中では使い分けられます。
まず、詩の前書きは、古代ローマの文人、ペテロニウスの小説「サティリコン」
(これは以前イタリアで映画化されたのを見た記憶がある)からの引用ですが、これはラテン語。猥雑な内容を典雅なラテン語に盛ったことで知られるペテロニウスの使うラテン語の中の決定的な言葉はギリシャ語の儘。拙訳ですが、日本語に直すと

 クーマエ(ギリシャの地名)で、
 巫女(古代ギリシャの女預言者シビラ)が
 小さな瓶の中で、ぶらぶら揺れているのを、私はこの目で見た。
 子供らがギリシャ語で 「巫女さん、何がお望み?」 と聞くと
 彼女はいつも      「私、死にたいわ」       と答えたものだ。

クーマエの巫女は、この時、700歳、年をとりすぎて身体がしぼんでしまい
洞窟の天上からぶら下がっている瓶の中に入っています。
かつての女預言者としての能力も失せて、子供達にからかわれている。
−−そんな情景を想像すればよいでしょう。

実は、この前書きも、エリオットの最初のアイデアでは、コンラッドの「闇の奧」からの引用を使う予定であったのを、パウンドから、
「コンラッドは引用にたえるほど重みがあるかどうか疑わしい」と注意され
現在のものに変更したといういきさつがあります。

「闇の奧」からの引用(初案)は「地獄だ! 地獄だ!」という言葉で、終わっていますが言葉遣いが大袈裟で、改案のような俳諧味がありません。
(ただし、内容的には、「荒地」の結びの部分の持つ宗教的な性格には良く合っていますが)

「荒地」は、「不毛の地=現代」に生きる一詩人のきわめて個人的な経験に根ざしているのですがそれは、さしあたっては、個の姿を消去して、「様々な声色で」、様々なイメージの断絶と流れのなかで語られます。そのポリフォニイの始まりが、丁度、キリスト教が入る前の爛熟し衰頽していくギリシャ・羅馬文化を象徴するペテロニウスの文なのです。

古典を縦横無尽に引用するといっても、それは様々な仕方があります。
あるときはあからさまに、ある時はさりげなく。
丁度芭蕉が、俳諧連歌の中で行ったような「匂いづけ」、「面影づけ」といった手法は「荒地」のいたるところで見られます。

一見すると、それはペダンチックな文人趣味のように見えますが、実はそうではない。もっと切実な動機が詩人の中にあって、かれはやむにやまれず、そのようなスタイルで書いたいや、すくなくもその当時は、そのようなスタイルでしか書けなかったと思っています。