連歌と俳諧

桃李歌壇通信

講演会記録

講演者: 田中裕  (東鶴)

エラノス学会での講演

主題:沈黙の声(連歌の場所論)

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その1

今日は、「エラノス学会」にお招きいただきまして有り難うございました。文部省の科研費補助が今年で終了するそうで、その最後の時期にご招待いただきましてまことに光栄に存じます。

私の話の主題は「沈黙の声(連歌の場所論)」というのですが、これを聞いて皆さんの中には怪訝に思われた方もきっといらっしゃると思います。というのは、私をよんで下さった方は、おそらく科学哲学か宗教哲学か、とにかく私の専門の分野の話を聞こうと思ってお集まりではないかと思うからです。

アインシュタインとボーアの論争のような、私がここ数年の間、著書で展開した議論の続編や、あるいは仏教とキリスト教との対話というような米国の宗教学会で発表した論文の日本語版を期待されているかも知れません。その私が、なぜ今、よりによって「連歌の可能性」というような主題で話すのでしょうか。

私は、まことに拙いながらも連歌の実作に手を染めていますが、連歌や俳句を趣味で嗜んでいるというつもりは全くありません。私自身の心づもりとしては、哲学の思索と全く同じく、いつも一期一会の真剣勝負をしているという気概をもって句作をしたいと思っております。こう申しますと、おまえは、いつも真摯にして高雅な連歌よりも西鶴の浮世草子のごとき駄洒落が性にあっていると言っているが、それと矛盾するではないかとおしかりを受けそうですが。

とにかく、哲学や科学においても、真に独創的な研究のなかには必ず詩のこころがあり、ある意味で知性や意志よりも情緒が人間の経験にとって本質的なものであること、科学も哲学も宗教も、本来そこから生まれるのだという考えを私は持っています。そのことについては今日の話の中で、あとで触れるつもりです。

最近は俳句を嗜む人の中に連歌(連句)に挑戦する方が多くなりました。もともと俳句という言葉は明治時代になってから使われるようになった比較的新しいもので、俳諧の連歌の発句が独立して創作鑑賞されるようになったものです。

江戸時代の俳諧師はみな、連歌を巻いておりましたから、連句をするということは、俳句の源流に帰ることを意味するわけであります。「挙げ句の果て」とか、「花を持たせる」のように、私たちが何気なく使っている言葉の中には、連歌の付け合いに由来する言葉が、日常の人と人との付き合いのなかで使われるようになったものでして、連句の「うたごころ」は、実はそのまま日常的な交際の中で必要とされる他者に対する気遣いでもあり、心配りでもあったわけです。

私が、今日試みますのは、連歌の「詩学」です。我が国の文学の伝統では、歌論や俳論はありますが、それらは多くの場合、宗匠から門弟に面授される「秘伝」という形をとっており、西欧の「詩学」のような普遍性を志向する哲学的立場からのものは、きわめて少ないというのが事実です。アリストテレスが希臘の悲劇と喜劇を念頭に置いて「詩学」を書いたことなど、真の哲学は藝術作品の機微に触れるものであることを想起しますと、日本において哲学に志すものが、連歌について独自の哲学的考察をしないのは怠慢といわれても仕方がありますまい。

結論をやや先取りする形で言わせていただくと、私は、連歌連句はポスト・モダーンの藝術であると思っております。「近代以後」という意味は、近代藝術の既成概念を一歩越えて思索する心構えがないと、その真の価値を理解し損なうという意味です。

敗戦後の混乱期に、「俳句は第二藝術である」という意見を述べたのは、若き日の桑原武夫でした。俳句結社の閉鎖性、封建性、権威に対する批判精神の欠如、それに起因する作品の質の低下など、その批判には、今日読んでも古くなっていない事柄がたくさんありますが、桑原が「藝術」の規範として念頭に置いていたのは、やはり「西欧」の、それも「近代」の詩や小説であって、それとの断絶ないし落差を指摘することで、俳句の芸術性を貶めたのだと思います。

桑原の論文を読んだのは、もう随分昔のことなので、私も細部まで記憶しているわけではありませんが、作者と鑑賞者が分離せずに、「だれでも俳句をきやすく作れる」こと、大家といわれる人の俳句でも、無名の市井のひとがつくった俳句でも、もし作者名を伏せておくならば、その優劣は見極め難いことがしばしばであることなどを、「俳句の藝術性」を否定する論拠としていました。

しかしながら、詩とはミューズの女神の霊感に恵まれた少数の天才のつくるものであって、市井に暮らす平々凡々たる庶民のつくるものではないというのは伝統的な西欧に於ける詩人像であります。

例えば、ソクラテスは真実の知恵を求める哲学の遍歴の旅において当時のアテネの高名な詩人のもとを訪れますが、彼らの作品について対話を交わしたときに、作者その人が自分の作品に歌われている事柄についていかに無知であるかに驚き、「詩人が詩作するのは、どこかよそから来る神憑りのようなものに突き動かされるのであって、その人自身に由来するものではない」と言っております。詩は天与のものですから、実人生における経験などはさほど問題にならぬ訳で、ミューズの女神も、だいたいにおいて若い詩人を好まれたようであります。

これに対して、連歌のようなものは、若い人よりは、ある程度人生の経験を積んだ人の方が面白い作品ができるようです。例えば、歌仙三六韻の中には、人生の種々相が盛り込まれねばなりません。季節の変化によって移りゆく自然を詠むばかりでなく、社会風俗、世態描写、恋、釈教、神祇などその場に応じて随意に作句する事が求められるわけですから、やはりそれ相応の人生経験が必要となってくるわけであります。

日本では中世以来、藝道の完成を老年におくのが普通であります。能や歌舞伎で還暦を超えた俳優が若い娘役で登場しても、それを不自然とは考えない美学が日本にはありました。若い役者は、老いというものを経験していませんから、老人を演じることは難しいが、老人は逆に、若さとは何かと言うことを、自分自身の経験から、また外から青年を客観的に見る事によって、よく知っております。

それ故、例えば、小説家が、青年と老人を同時に描けるのは五〇歳くらいがもっとも良いとされています。ドフトエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の主人公は青年ですが、それを描いている作者はその父親の世代に属していましたし、ゲーテが「ファウスト」で青春をもう一度やり直す老人を描く事ができたのも、自分自身が老齢期というものを体験した後でした。

しかし、実人生に於ける経験がいかに重要であるといっても、芸術作品はあくまでも創作であり、虚構によって真実を表現するものであります。俳句も連歌もその点においては、他の芸術のジャンルと変わるものではありません。芸術に於ける「詩と真実」がいかに関わるか、それは美学のもっとも根本的な問題ですが、今日は、それを特に連歌の成立する場所の観点から考察してみたいと思います。

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