たそがれの魔術師

                                                            東條環

 

たそがれの花花はひつそりと呼吸(いき)をひそめ

あの(ひと)は私の眼前(まえ)純白(しろい)い肉體を展げて

碧玉(あほ)い眼を瞑る

 

そして眞黒い服を纏つた空虚(うつろ)な匂のする侏儒(こびと)が黴臭い

片隅から手術台を曳出すと、私は口に呪文を唱へ乍ら

恐恐(こはごは)でも、手馴れた様を見せてメスを握る

 

こん度は眞紅な服を纏つた獣類(けだもの)の臭氣のする侏儒が

純白な絹布(きぬ)裸體(はだか)の女の上に(かけ)ると私の全身は繊細(こまか) 

に顫ひを呼び、唇まで蒼白になるがそれは彼等に解

らない

 

――花花は(なり)を静め、呼吸を抹殺(ころす)す――

私は突如(いきなり)、女の肉體にメスを()れる

瞬く間に首を切り、乳房を刳り股を斷つが――

その女の歔欷(すすりなき)は矢つ張り私の情をぐいぐい引き毮るので

私のメスを持つ手は石のやうに重くなるので、ああ、

私は何度こんな魔術を中止(やめ)ようと想つたか知れない

 

でも獣類の臭氣の失なつた青い侏儒が急いで純白な

絹布を剥取ると、あの女は純白い肉體を包み乍ら碧

玉い眼を開いて微笑むので……

 

たそがれ花花はまた賑やかな呼吸をはじめる

 

(「山桜」昭和11月号)

 


病猿の詩

                                             東條環

閨房の女猿は寄り添へど

病める(ましら)は悲しげに

夕べの星をさしのぞく

 

(はだへ)にさむき生活(なりはひ)

眼はうすれ、毛はさびれ

ありやなしやの息凍ゆ

 

想ひ常世に馳せばとて

既にきはまる生命ゆゑ

こころ建つれどいたましや

あるがまゝなるきぬぎぬに

深山(やま)温泉(いでゆ)の香を包み

病める猿は杖取りつ

 

遣瀬なしとや想いけん

淋しく、苦し、(たなぞこ)

銀の小鈴ぞうち鳴らす

      ――一九三六、一、十五――

(「山桜」昭和11月号)

 

 葬列のあるくれがた


                                            武蔵野 東條環

くれがた廃墟のやうなこの村にも
蜜柑色の灯が(とも)ると
風のやうに流れ出す葬列がある

銀の刺繍(ぬいとり)の送り()、銀の牽牛、真中に取囲れ
た銀の棺、何もかも銀色の長い葬列に跫音も
なく、声も無く、遐時(おもかげ)の正月を迎へた松飾り
の村を霧のやうにひつそりと覗いて行く

遊び(つか)れて母の膝に(ねむ)る子供等の夢に
新たな年に幸多かれと祈る年寄達の想念(おもひ)
働き疲れた若者等にせめてもの夜の絆を結ぶ
娘等(おとめら)の肉体の底に
なほこれら哀しい葬列は影のごとく練り歩く
のであろうか

私は道端にとろとろ枯柴を焚いて葬列を見送
つた。しかしそれはいつまで見送っても()
ることがなかつた
憂愁(かなしみ)に疼く私の胸に遠くふるさとから寄せる
潮風がおもたい
ああ私はいつの頃からこの哀美(うつく)しい葬列を見
るようになつたのであらう
くれがた焙絵(あぶりだし)のやうに浮ぶ銀色の葬列は
ひつそりと跫音もなく、声も無し
私の心の村にいつまでも続く



(「蝋人形」昭和11年2月号(二月読者作品号推薦詩集))

 

羽子をつく

                                        東條環

 

おとなびしわれにてあれど

苦しさの堪えがたければ

妹の羽子板取りて

たわむれに羽子をばつきぬ

 

松飾り緑のかげに

玉砂利白き奥庭(おくど)

あるまじき狂ひごとかや

羽子の音こつんこつんと

ひそやかに静寂(しじま)を縫ひて

 

たはむれにつきてみれど

こぞの初春(はる)追羽子つきし

かの君のかの日の姿

眼に映り消えもやらねば

苦しさのひとしほつのる

 

おとなびしわれにてあれど

苦しさの堪えがたければ

たはむれの羽子をつきつゝ

いつしかに涙ながしぬ
                   
(「蝋人形」昭和11年2月号)

 

葬列 

                                     東條環

 

白日の強靭な光線(ひかり)を浴びて

遂に炎天の草叢にのびてしまつた男の

爛れた眼には最早一抹の光りも通はない

ジクジクとうす汚れた繃帯に滲み出す濃汁に

芬芬と飛び交ふ蒼蝿の群――

 

宿命の定法の中に斃れたこの腐肉を

私は抱いて哀しく草叢に(ねむ)つた

仄かに頬に冷たい青草の匂、屍より漂

ひ出る芳醇な悪臭の色を縫つて悠久な

青空を静かに飛ぶ白雲――

 

ゆらゆらとよろめき、がつがつと重い

足どりで眞黒い一群の葬列が微風のご

とく傍を掠める私達を見て、送り人の

中からペッと唾を投げたのは、紛れも

なくアリストテレスに違ひない

その慄つとする白眼を見ても直ぐわかる

僅かに優しく目禮を置いていつたのは

確かプラトン。ニイチェはせゝら嘲ひ

カントは(そつぽ)を向いて……

凡ゆる侮蔑と、唾棄と、憐愍が炎のやうに

渦巻き、押流れ

まだ見たことのないこの葬列は私の視

野の中を西から東へ音も無く消えて行つた

 

後には白日を翳る濃汁の臭氣と

芬芬と飛び交ふ蒼蝿の群と

炎天の草叢にのびてしまつた腐れ屍に

はまだ何處からかひつそりと通ふ息吹

きがあるのであらう

荘厳な音楽がすずしくその咽喉より流

れ出てゐた

ああ此處にも彼等の識らない眞理が生

まれてゐた

 

(「山桜」昭和11年3月号)

 

コント   氣紛れ蟲

−−氣紛れ蟲とはあなたの腹の中に

         巣喰つてゐる虫のことである−−

東條 環

 

 燻銀の空に雲雀が消えてからどの位過つたのか、彼は不圖少女の体臭の中に冷たい現實味を感じて、ポツンと沈黙に落ちて了つた。乱れた髪を掻き上け乍ら甘酸ツぽく匂ひ立つ花菜畑からそつと立上つた時、少女はもうまつかになつて狂女のやうに眞向ひの堤の上を走つてゐた。………花菜の上にはニンフのやうな淡緑の蜉蝣が戯れ、草の中にはRRR………と蟲が鳴いて………。

 と云つたやうな、まるでフイルムの一齣でも観るやうな過去が彼にはあつた。今の彼はすつかり新進コント作家になり澄ましてゐた。

 その彼が同人雑誌へ載せるたつた四枚のコントが書けなくて爰二三日、哀れな程悄氣返つてゐるといふ始末なのである。

 彼は午後になつてぶらりと家を出た。

 公園で暫し頭を休めて、途中喫茶店に寄ると、備へ付けのコレポン・カードへ文筆家らしい意識を働らかせてちらツと注意を配ばる。いつもの習慣である。すると彼はカードの中からこんなのを引き抜いた。

 ーー今晩7時30分にMキヤンデイ・ストアの喫茶部までお越し下さい。何故ですか?つて、理由はお訊きにならないことにして、私は白のボックス。お時間は紳士的に。では是非……お待ちしております。

 

                    癸夷子

  このカードお讀みの方へ

 

 「へん。今時の気紛れ者にしちやあ念入りだなあ。」彼は吐出すやうに呟いたが、そつとカードをポケツトヘ藏ひ込んだ。たつた四枚のコントが書けなくつて憔悴してゐる彼である。ひよつとしたら材料位になるかも知れないと思ひ乍ら……否もつと彼を好奇的に結び肘けたのは、癸夷子といふネームが、以前の彼のそれもたつた一度の戀愛の對象と同じであることが、未だ二十四の彼をしてロマンチックな空想を構成させるのである。

勿論破はカツキリ七時三十分に指定された喫茶部へ來て見た。ぐるりとボックスを見廻した彼は、一番奥のたつた一つの白のボツクスに、ダンサアといふタイプの綺麗な女性を發見した。

     ×         ×        ×        ×

 感覚的な紫の星座に、英雄的なバルコンの存在を喜ぶ彼である。

「矢つ張り癸夷子さんでしたか。……あれから三年になりますね。」

「だから過去が懐かしいと仰有るんでせう。」

「まあ、さうかも知れません。併し今晩ここであなたに逢へるなんて夢ぢやないでせうか。僕はあれ以來:……あなたを………。」

「愛してゐて下さつたの。アリガタウ。だけど私:…あなたの材料になるやうな女ぢやなくてよ。」

「それはどういふ意味ですか。」

「粉飾してゐるつてことよ。」

「その點、僕も同様ですが、あなたはどうして………。」

「東京へ來たかと仰有るんでせう。ホホホ……これで私、文學に憧れて……:お定まりのオフイスガール、女給、そしてダンサアの今。」

「ほう。で、カードの念入りな招待は?」

「未知の方を未知の儘、戀愛遊戯をするつてのよ。どう?一寸面白いぢやない。」

「何故そんな氣持になつたんですか。」

「氣紛れよ。」

「え、では、あの時の僕への態度は?。」

「仕方がないわ。あの時は十五でしたもの…………………。」

「ぢやあ、矢つ張り………。」

沈黙がちよいと彼の口を抑へる。

「ホホホ……氣紛れよ。」

 星が流れて方向を替へる。彼の腹の中でも氣紛蟲がごうごう鳴り出した。

 

                       「山桜」昭和11月号

そんな夜

                                        東條環
そんな夜―― 

あなたの瞳は月夜の澄んだ湖になるので

私は銀の魚になつてピチピチ泳ぎ廻る

 

そしてあなたの黒髪は匂高い青麦の丘になるので、私は終日(ひねもす)

るりるり麦笛を吹き乍ら雲雀の巣を尋ねる

 

そしてあなたの眉は紫罌粟(けし)の群咲いてゐる堤になるので、私

は瑠璃の洋杖(ステッキ)をふり振り陽気になつて何べんも行つたり來たりする

 

そしてあなたの紅唇(くちびる)は瑞瑞しく熟れた苺畑になるので、私は

針を持たない蜜蜂になつてちゆうちゆう吸ひまはる

 

そしてあなたの乳房は誰も知らない宝物(たから)の山になるので、私

妖精(フェアリー)侏儒(こびと)になつて銀の鶴嘴を入れる

 

そしてあなたの肉体は焼立ての柔かい麺麭になるので、私は

飢えた子供になつて戴いてしまふ

 

そして、そんな夜――

あなたはまだ若いくせに隠してゐた地味な装身珠(くびかざり)を周章てて

落してしまふのです。


(「蝋人形」昭和11年3月号)

 

 

散歩

                                             東條環

 

踏んでしまふには惜しい嫩草。病院の垣に添ふて行くと微風まで青い。一寸伊達巻にでも巻いて見たくなる青空。雲雀の唄が幾つでも(こぼ)れて來る。小川(せゝらぎ)は無いけれど、何處かでひつそり透蠶の()れる音がする。

 

GOSTOPのやうに氣取つて大きく手をひろげてゐる蜘蛛の巣。ちよいと啄ばんでしまつた愛らしい存在よ、殺さうと生かさうと私の思ひのまま。けれど私は寛大主義者(リベラリスト)、愉快に散歩しなければならない。  ふうつと吹飛ばすとくるくる舞つて行く小さな生命。私のやうに

 

道端の破損(こわ)れた淡暗い小屋を覗くと、泥土(つち)に塗れてこつこつ骨甕を造つてゐる人。こちら向いたら、どすとふすきいのやうな瞳。傍に積まれてある骨甕にゆくりなくも泛んでくる幾つかの面影。ぶううんと匂ふ静寂を私はこよなく愛する。

 

道は白く息づいて何處までも續いてゐる。空ばかり見てると、ひつそり翔ける銀の馬車があるやうで私はふと目許に妖精(フエヤリー)の長い睫毛を感じる。チラッと傍らを掠めて行くセルの明るい緑色。春は何處かにミレーのやうなペインターを隠してゐるに違ひない。

 

 

(「山桜」昭和11月号)


 

桐の花

                                     東條耿一

 

桐の花の下に佇つと

鼓動は昂かつた

 

   ★

桐の花びらを噛むと

ほろほろと苦い、ぼくは胸が熱くなつた。

   ★

つひ知らず切裂いた花びらに

つうーん つうーんと

ぼくは水つぽい寂しさをなめた。

   ★

せめて(ひら)いてる間を

今日もまた見る花なのに

何故にかうも懐しいのか

苛だたしいのか 悲しいのか

桐の花よ。  

   ★

桐の花は紫ぼかし

何故にお前は花をつけた・・・・。

 

(「山桜」昭和11月号)

 

 

 

                                 東條耿一

 

秋近き風のまろびかに

湯上がりのすがしき憩ひ。

愛しみつ、繃帯を除けば

花石榴顫ふかに群れひらき

ふとも流れ来るにほひ。

 

訝しみ、うち見れば

黒蟻のあまた集ひて

花びらのへりより覗き、

あるは仄紅きおくがを揺りて

ふかふかと蜜()る蜂の

こそばゆげ、見えつ

隠れつ・・・・・。

 

(「山桜」昭和11年10月号)

 

 

 

ゆふぐれ

 

ゆふぐれになると、雀のようにはしやぎだす子供達!

けれどまだあたりは、大地に酔ひ痴れてゐる酔漢の臭い息

のやうに熱い。

 

棕櫚の葉に戯れてゐる小さな風

子供達はぶらんこに乗つて夕焼けの空高く

上つて行く。

 

夕月のやうに白い脛を見せて

子供達よ、

ふるさとの空に挨拶をおし。

ぶらんこは明るい音をたて

子供達の笑ひ聲が

紅い花びらのやうに落ちて来る。

 

傍をそつと神さまの白い散歩

ああ ゆふぐれよ。

 

繃帯の白さを巻いて

私はまだこんな美しい風景の中に

立つてゐた。

 

(「山桜」昭和11年10月号)