元旦スケッチ集

                             東條耿一

 

   静かなる微笑みに明け

 

静かなる微笑みに明け

わがこころ悦しみに憂ゆ

何事の願ひぞありや

この慶き日

我やすらかに御霊を(かへ)さん

 

門松に光在り

 

門松に光りあり

いちはやくおおつもごりの日めぐりをはぐ

曲り木は曲れるままに

病める身は病めるままに ほどのよさ

御供に歳を點して

ああこれでよし これでよし。

 

              七千の針の群れ

       
−神経痛を病める者あり−

 

七千の針の群れ

恰も肉の中を駆けめぐる如

御飾りの何にめでたからん

着布團をばりばり噛みて

終日 哀號哀號と叫ぶあり。

 

              静臥

 

とつくにの少女(をとめ)あり

青き()の静かに光る

につぽんの羽子板抱きて

とつくにの初日を臥める。

 

(新春詩集―詩話会編)

 (「山桜」昭和13月号)

 

 

  

 木枯の日の記

―ひと日サーカスを観てー

 

                            東條耿一

 

木枯の 寒い寒い日であつた

微酔の 悲しい機嫌の日であつた

 

少女が綱を渡つてた

露はな肌も寒むさうに

いのちの綱を渡つてた

 

綺麗な素足が宙を踏む

一寸道化てまた渡る

細い細い綱だつた

 

宙に咲いたり 返つたり

余り見事に恍惚と

 

観衆(ひとびと)は面白さう

一杯機嫌で眺めてた

 

浮かれ心に誘はれて

この私もうかうかと

悲しい気持ちで眺めてた

 

少女が綱を渡つてた

恰も宙を踏むやうに

いのちの綱を渡つてた

 

木枯の 寒い日であつた

微酔の 悲しい機嫌の日であつた

 

            一九三七・十一・二九・作

 

(「山桜」昭和13月号)

 

 

 念願

 

何を思ふといふでもなく

ぼんやり坐つてゐる机の前

草編みのすだれの蔭へ

不意に訪なふ蝉一つ

挨拶もなく (みえ)もなく

忽ち 高々と歌ひ出す 描き出す

天来の妙音 ゆかしい心象

可愛い奴 神々しい奴

蝉 蝉よ

嗚呼お前のやうに歌ひたい

巧まずに 無雑作に

私の日頃の百の感情・・・・

 

(「山桜」昭和13月号)

 


囚われて
小さな籠の明け暮れも
障子圍ひや 温室住居
外は牡丹の雪降るに
春ぢや
春ぢや
 と教へられ 思はず
ケキョ…………
 知らずに
ホケキョ…………
と啼いてみた
嗚呼やつぱり生命の限り
歌はにやならん 私の性
(「山桜」昭和十三年九月号)
 

 

 

 

夕雲物語

 

―改稿・その二―

                                 東條耿一

 

 落葉を踏んでふたりは歩みました。やはらかに肩を組合つて愉しいのでありました。さうして天の刑罰でこんな病に()つたのだとは少しも思はないのでありました。二つの魂が歩む度に、落葉が小さな旋風をあげて足下を駈けまわつてゐました。空は痛いほど青く澄んで、すつかり坊主になつた林の向うから犬が啼きました。それが空の中で啼いたやうに思はれるのでありました。

 わう、わう、わう、ばう・・・・・

 男は口をすぼめて啼真似ながら、林の向うへ挑むのでありました。それは空の青に皹がはいるやうに思はれました。すると、林の向うからは前よりも激しく食つて掛るのでありました。それはどうやら空から落ちてくるやうでした。

 わう、わう、わう、ばう・・・・・

 男は面白くなつて、負けずに林の向うへ啼き返すのでありました。それはやつぱり空の青に皹がはいるやうでした。―あなたお止しなさいよ―女は微笑みながら、林の向うへ首をかしげ、男の肩をそつと抓りました。男の啼声が早くなると、林の向うでも早くなりました。林の向ふから思ひ出したやうに飛んでくると、男の方でも急いでそれに相槌を打ちました。さうして女の間のびた足が、道端の堆肥を丁寧にさらつた時、始めて男の啼声が途中でひつ切れました。その煽りで、落葉がながいことふたりの周囲をくるくるくるくる廻つてゐました。女は美しい盲でありました。詰らなくなつてやめたのか、林の向うは静かになつて、いつの間にか、皹のはいつた空から、美しい夕雲が覗いてゐるのでありました。

 

(「山桜」昭和1310月号) 

 

 

盂蘭盆

 

み佛を迎へるとは何といふ美しいこの世の習慣(ならはし)でありませう 遠き祖先(みおや)(はら)(から)や親しい友のたれかれと仏間に虔しく見えるのは何といふ麗はしい団欒(まどゐ)でありませう あの夜の和楽 この世の愚痴を 彼等は賑やかに取り交はすでありませう 賽の河原のわらべらも 今宵茄子のお馬で愉しく一夜を遊ぶでありませう 岐阜(ぼん)提灯のやはらかな青い燈は それをこの世ならぬものに 仄かに照すでありませう 香煙は縷々として夜つぴても饗宴(うたげ)の膳を囲繞(へめぐ)るでありませう まことに今宵ほど あの世がこの世であり この世があの世でないと誰が言へるでありませう 入滅といひ 昇天といひ 何といふ厳かな人の世の嬉しい有情でありませう やがて 佛間に夜は更けるでありませう されどみ佛とわれ等の(さざ)(めき)は尽きることなくめんめんと続くでありませう み佛たちに別れるのは何にもまして悲しいでありませう 暫しの別れではありませうがそれがどのやうに深い悲愁(かなしみ)であるかは 佛間に集ふ者のみが知るところでありませう おつつけこちらから訪ねることに致ませう やがて彼等は涙を呑んで袂を別つでありませう 嗚呼この有情の激しさ 抒情の精華 永遠の人間性は何時も斯くの如くでありませう み佛を迎へるとは何と言ふ美しいこの世の習慣でありませう

 

(「山桜」昭和1310月号)