天路讃仰

 ゆっくり遠くまで―原田嘉悦兄へー

 

ゆつくり

遠くまで行かうよ

息を切らさないやうに

行路病者にならないやうに

足下の覚束ない夜があれば

一望千里、輝く朝もあるであらう

焦らず、迫らず

恒に、等分の力を出して

扨て、ゆつくり

遠くまで行かうよ

 

愛は惜しみなく奪ふ

 

あますなく欲りし給へば

惜しみなく捧げざらめや

我が最も小さなる

喜びや

悲しみや

はた苦しみもまた・・・

君ゆゑにわれは生き

君ゆゑにわがいのち

永久(とこしへ)に馨よき匂ひ放てり

 

郷愁

 

君が面輪つねにはつきりとわが裡に住まひ

君がみ聲絶えず凛々とわが裡にひびかひ

君がみ心限りなくわれをつゝめば

ああ故郷(ふるさと)は讃むべきかな

こよひ、晩鐘の彼方

夕映えの空を拜して

心しみじみ思ふかな

嗚呼君がみ心に生きばやとこそ・・・

 


そんなに私が可愛いと云ふなら

さあお前の腕に力をこめて

もつと、しつかり、私を抱擁しておくれ

お前は善良なる同居人、親愛なる友

さうして私の忠實なる僕よ

お前が、恒に、傍に居てくれるゆゑ

愚かな私も、どうやら怠け者にならずにすんでゐる

噫、やがて私の生涯が終る時

私はお前の媒介で

み父の前に、輝く花婿になるのです

 

(「山桜」昭和16月号)

 

 

枯木のある風景

 

こいつはいつも枯木のやうにぶらさがつてゐる

墨灰色で、何かひやびやとしてゐる

季節の感應なんか勿論ありはしない

そのくせ どこか陰見で、本能的で、強靱だ

時にはじたにたと世辭を言ひながら隣に坐つてゐる

風が吹けばぶらぶらと揺れ

お天気の良い日には虔しくとぼけてゐる

こいつめ、一つ、

ポーンと撲りつけてやりたい時がある

噫そんな時は、例の手くだで

美しい小禽の音楽かなんかを聞かせるのだ

うつかり眼が合ふと

眞黒な大鴉を宿めて

凝つとこちらを見つめてゐる

こいつはまるで枯木のやうにぶらさがつてゐる

 

(「山桜」昭和16月号)

 

落葉林にて  

                    東條耿一

   私はけふたそがれの落葉林を歩いた。粛條
と雨が降ってゐた。 何か落し物でも探すやう
に、私の心は虚ろであった。 

 何がかうも空しいのであらうか・・・・・・・。
 私は野良犬のやうに濡れて歩いた。
 幹々は雫に濡れて佇ち、落葉林の奥は深く
 暗かった。

  とある窪地に、私は異様な物を見つけた。
それは、頭と足とバラバラにされた、男の死
體のやうであつた。私は思はず聲を立てると
ころであつた。  

  よく見ると、身體の半ばは落葉に埋もり、
頭と足だけが僅かに覗いてゐる。病みこけた
 皺くちやの顔と、粗れはてた二つの足と……。
その時、瞑じられてゐた眼が開かれ、 白い眼
がチラツと私を見た。
 「アッ、父!!」と私は思はず叫んだ
「親不幸者、到頭來たか……。」
 と父は呻くやうに眩いた。許して下さい、
許して下さい、と私は叫びながら、父の首に抱
きついた。父の首は蝋のやうに冷たかった。
それにしても、どうして父がこんな所に居るのであらうか、
胃癌はどうなのであらうか、
その後の消息を私は知らないのだ。
「胃癌はどうですか、どうして斯んな所に居
るのですか、さあ、私の所へ行きませう。」

  私は確かに癩院の中を歩いてゐたのに、は
て、一體此處は何處なのか、私は不思議でな
らなかった。

 「お前達の不幸が、わしをこんなに苦しめる
のだ。」と父はまた咳くやうに云った。私は
はやぼうぼうと泣き乍ら父に取縋つて、その
身體を起さうとした。しかし、父の身體は石
のやうに重かった。

 「落葉が重いのだ、落葉が重いのだ。」
  と父がまた力なく叫んだ。

「少しの内、待ってゐて下さい。今直ぐに取
除けてあけますから……。」  

私はさう答へると、両手で落葉を掻きのけ
た。雨に濕つて、古い落葉は重かつた。 苔の
馨りが私の鼻を掠めた。しかし、幾ら掻いて
も、後から後からと落葉が降り注いで、父の
身體にはなかなかとどかない。私は次第に疲れ
て來た。腕が痛くなり、息が切れた。私は
悲しくなって、母を呼んだ、兄を呼んだ……。

   どの位経つたのであらうか。
  私は激しい疲勞のために、その揚に尻もち
をついた。ぜいぜいと息か切れた。降り積る
落葉は見る見る父の顔も足も埋め盡して、か
らから佗しい音を立てた。

「噫、父よ、父よ……。」

 日はとつぷりと暮れて、雨はさびさびと降
つてゐた。

「親不孝者、親不孝者……。」

  何處からか苦しげに呻く父の聲が、私の耳
元に、風のやうに流れてゐた……。

(「山桜」昭和16年3月号)