霜の花精神病棟日誌

東條耿一

 

士官候補生

 

精神病棟の裏は一面の竹林になつてゐる。日暮にはこの竹林に何百羽と云ふ雀が群がり集ふて、さながら一揆でも始めたやうな騒ぎ様を呈す。

士官候補生殿はこの光景を眺めるのが何より好きであつた。日暮れにはきまつて松葉杖を突き、非常口の扉に凭れるやうにして佇んでゐられる。片足を痛めてゐるので、その足は折畳式のやうに屈めて片方の大腿部に吸ひ付け、上半身を稍乗出すやうに、首をさしのべて佇つてゐる姿は、まるで汀に佇む鶴のやうである。併し、それにしては何と顔色の悪い、尾羽打ち枯らした鶴であらう。頭には殆ど一本の毛髪も見られず、潰瘍しきつた顔の皮膚はところどころ糸で結んだやうに引つ攣れてゐる。そのうへ恐しく白いのである。その白さも只の白さではなく、何となく不氣味な、蒼白を超えた一種異様な白さなのである。その白色の中に、陥落した鼻孔と、たるんだ唇、大きなどんよりとした二つの眼がそれぞれの位置を占めてゐる。手足が不自由なので動作もひどく鈍い。たいてい特別室に閉じ籠つたきりで明り窓から凝つと空を見てゐる。明り窓からは竹の葉のそよぐ様や、移り行く雲の片影ぐらいしか見えないのだが、候補生殿は殆ど身動きもせず、それらの小部分の光景に見惚れておられる。彼が特別室の外へ出るのは、日暮れになつて雀の立騒ぐ様を眺める時だけで、その時はコトンコトンと松葉杖の音をさせながら、幽霊のやうな姿を非常口へ運んで行く。幽霊のやうなと私は云つたが、まつたく候補生殿の姿は輪廓がおぼろげで、特別室の入口に、それも眞夜中に、しょんぼり好んでゐる彼の姿を、厠へ立ちながら何氣なく眼にした時など、眞實亡霊のやうに思われてぞーんと寒氣立つことがある。

候補生殿は殆ど口をきくこともなく、終日、むつつりと押し黙つてゐられるが、時にどうかすると、氣を付けえーと云ふ凄じい號令が特別室の中から聞えて來ることがある。續いて、

長上ノ命令ハ其事ノ如何ヲ問ハズ直チニ之に服從シ抗抵干犯ノ所為アルベカラザル事。と、軍人讀法を一ケ条ずつはきはきした口調で讀み上げる。それが濟むと、何かぼそぼそと相手の者に説明してゐるやうな聲が聞えて來る。私も最初のうちは候補生殿の室に誰か他室の者でも來てゐるのだろうかと思つて覗きに行つたが、彼の他には誰も居ないのだ。候補生殿只一人、便所の入口に不動の姿勢を取り、あれこれと説諭し、命令していられるのである。松葉杖を放り出し、足の悪い彼がおごそかに佇ちつくしてゐる姿は、滑稽と云ふよりもむしろ憐れである。

私はある時こんな場面を見た。それは私が附添夫になつてまだ間もない頃の事で、その日は特にぎらぎらと眩らむほどの暑い日であつた。ふと、晝寝から醒めてみると、と云ふより本當は醒まされたのであるが、どつし、どつしと歩調を整えた足音が長い廊下を行つたり來たりしてゐる。その足音は隣室の前から非常口の方に遠のき、再び響きを立ててこちらに帰つて來るのだ。誰もがぐんなりと疲れて聲も立て得ないこの日中に、一體何であらうと思つて、私はそつと立つて行つて廊下を覗いて見た。そして、瞬間、云い様もない佗しい氣持にさせられた。それは蔵さんと云ふ白痴の小男が、汗をだらだら流しながら、箒を銃替りに担い軍靴ならぬ厚ぼつたい繃帯の足をどしんどしんと板の間へぶちつける様にして歩いてゐるのだ。而も繃帯には血が滲んで、それが一足毎に赤黒い汚點を廊下へ印して行くのだ。それだけならまだしも、非常口の所には肌ぬぎになつた候補生殿が、いかめしく直立して監視してゐられる。それも松葉杖を指揮刀がはりに構えて、今や調練のさ中と云つた恰好なのである。私が呆氣に取られて見てゐると、やがてのことに、候補生殿は、全隊止まれえー、と大喝して持つてゐた松葉杖を振つた。とたんにこちらに向つて進軍して來た蔵さんは、候補生殿の前にピツタリ止まつて挙手の禮をした。候補生殿はおもむろに禮を返して、而して眞面目な面持で、御苦労であつたと聲を落して云つた。

私は彼が死ぬまで、彼が本當に士官候補生なのかどうかはもちろん知る由もなかつたが、同僚の話では、軍隊から直接この病院に送られて來たのだと云ふ。癩院生活二十年と云ふから、現在の彼の病状から見ると、病勢の進行はまあ普通であつたと云えよう。入院して二年目あたりから幾分精神に異状を來し始めたらしいと云ふ。その頃の事情は審らかではないが、一時は相當錯乱の程度も激しかつたやうで、特別室に放り込まれると、その夜、いきなり、電球に飛付いて笠を叩き割り、その破片で左腕の動脈を切斷してしまつたと云ふ。手當の早かつたのと治療の宜しきを得て、どうやら生命は取止めたが、爾來、體の調子がはかばかしくなく、あまつさえ病の方も癒えぬままに、精神病棟の候補生殿で暮して來たのであると云ふ。動脈をどうして切る氣になつたのか?と氣の鎮まつた時に醫者が訊ねると、動脈を切れと云ふ上官の命令があつたからだと彼は答えた。その時上官はお前の面前に居たのか?と重ねて訊ねると、いや無電が掛つて來たのだと答えたさうである。彼の動脈切斷後、特別室の電燈は高い天井板にじかに點されるやうになつた。ある日。候補生殿の食事を運んで行くと、附添さん、と彼は哀れげな聲で私を呼んだ。同僚の附添夫の一人が急性結節で急に寝込んだので、候補生殿の世話は臨時に私が受持つてゐた。彼の招くままに私は候補生殿の傍らに跼んで何の用かと訊ねた。彼はひどく悲しげな面持で暫く私の顔を凝視めてゐたが、實は私は氣狂ひでも何でもないと言ひ出した。

「私は氣なんぞ狂つてはいない。みんなが寄つてたかつて私を氣狂ひ扱ひにして、こんな所へ放り込んでしまつたのだ。それを思ふと私は腹が立つてならぬ。私は立派な帝国の軍人なのだ。歩兵士官なのだ。だのに先生(醫者)始め患者めまで、立派な軍人に對して侮辱を與へるのだ。私はもうこんなところにはいられない。郷里へ帰るのだ。郷里には母が居る。私が帰れば母は喜んで私の世話をしてくれる。―あれが私の母です。そしてこちらが私の若い頃のものです。どちらも二十年前に撮つたものです・・・・。」

そこで候補生殿は傍らの古びた蜜柑箱を伏せて台となし、その上に飾つてある二葉の写眞を示した。それは何時も只一つの彼の荷物、古風な信玄袋と共に同じ場所に飾つてあるものであつた。私は別に興味もおぼえなかつたので、まだしみじみとその写眞を見たことはなかつた。母と云ふのは五十近い上品な感じの婦人で、何かの鉢の木を傍らにして撮つてゐる。それに隣り合つて並んでゐる一葉は、恐らく士官學校卒業の時、記念に撮つたものでもあらうか、候補生の軍服を着用し、軍刀を握つてゐる姿はなかなか凛然としてゐる。併し、眉の濃い苦みばしつた男振りは、今の彼の何處を探しても見當らない。私は癩者の變貌の激しさに愕ろくよりも、現在の彼と写眞の主とが同一人であるとは何としても受取り得なかつた。私はしみじみと候補生殿の姿を眺めてゐた。

そこで、實は、あなたにお願いがあるのです。と彼は相變らず悲しげな調子で私に云つた。「私は明日にも郷里へ帰らうと思ひます。で、あなた私を連れて行つて下さいませんか?荷車とあなたを借り受ける交渉は私がします。あなたさへ承知してくれたら、只今から院長に直接會つて掛合ひます。お願いです。廃兵の私を哀れと思つてどうぞ郷里へ送り届けて下さい。この通りお願いします・・・・。」

彼は涙を流しながら、私の前に両手をつかへて頼むのである。その様子はまんざらの狂人とも思えぬほど、虔しく、物静かな態度である。私はどう答えてよいやら返答に困つて、ただ凝つと聞いてゐた。私が黙つてゐるので、彼は益々熱心に連れて行つてくれと云つてきかなかつた。

「で、あなたの郷里と云ふのは何處ですか。」愈々返答に窮したので私は仕方なくさう訊ねてみた。すると、彼は急に瞳を輝かせて欣しさうに涙を拭きながら答えた。 「山梨です。」

「山梨?」と鸚鵡返しに云つたまま私は暫し唖然としてゐた。充分彼の心情は掬すべきであつたけれど、山梨までこの男を荷車に乗せて曳いて行く。さう思つただけで私は何か慄ツと寒氣立つのをおぼえ、とにかく私一人の考へでは答へられぬからと云つて、尚ほも取縋つてくる彼を払い除けるやうにして、ひとまず候補生殿の室を引上げてきた。早速、同僚達を招集してこの話をすると、彼等はくすくす笑ひながら、君はまだいい所があるよ、あれは奴のおはこなんだよ、と云つて一笑に附してしまつた。私もそれで思はずほつとしたが、候補生殿の様子が餘り眞剣だつたので、この儘素知らぬふりですごすのは何となく悪い様な氣がした。恐らく彼は私にした様に涙を流しながらどの附添夫にも頼み込んだのであらう。そして誰からも相手にされなかつたのであらう。偶々新米の私を見て、何度目からの熱誠溢れる郷里行の懇願を始めたのであつたらう。そして私からも他の附添同様色よい返事を聞かれなかつたわけなのだ。併し、彼は新しい附添夫の來る毎に、切々たる荷車行の心情を變ることなく吐露するに違ひない。何故なら、それは彼の最も哀れな病の一部であるから。

その後、候補生殿は二度と私に物を云はなかつた。

その年の冬。ある寒氣の厳しい眞夜に、彼は特別室の畳に腹匍つたまま眠つた様に死んでゐた。彼の只一つの荷物、色褪せた信玄袋には汚れた繃帯が半ば腐りかけてぎつしり詰つてゐた。そして、それらの中にくるまつて、彼の唯一の身許証明書、軍隊手帖がでてきた。それには「軍法第二十六條二依リ兵役免除云々」の文字があり、明らかに陸軍歩兵士官候補生と記されてあつた。因みに彼が特別室に入つてゐたのは、本人の意志に依るものであつた。彼くらいの病状では、當病棟は普通静養室を用ひてゐる。

  

眞理屋さん

 

眞理屋さんはあるくれがた多勢の舎の者に送られて賑やかな精神病棟入りをした。私が彼を受持つことになつてゐたので、取敢へず玄關まで迎へに出た。そして、成程、これは眞理屋に違ひないと思わず微苦笑させられた。布團や荷物を抱えた舎の者の背後に、院支給の棒縞の單衣を着た背のひよろ長い男が、どす黒い手足を振りまわしてからから笑つてゐる。而も、その顔には、半紙大の厚紙一ぱいに墨痕も鮮やか「眞理」と書きなぐつた四角な面を附けてゐるのだ。それには普通のお面のやうに目、鼻、口などがちやんとくりぬいてある。御當人はその眞理の面を越後獅子かなんぞのやうに面白お可笑く振つてゐるのだ。彼は寝る間もそれを附けて離さないのだと云ふ。

「私の別荘はどちらですかねえ・・・・」と彼はひどく間のびた調子で云いながら、長い廊下をひょこひょこと私の背ろに從いて來る。

「君の別荘はそら此処だよ。」

と私がろ號特別室の扉を開いて招じ入れると、彼は如何にも嬉しさうにぴよこんと一つ私に頭を下げてから室内に飛込み、さうしてきよろきよろと四邊を眺めまわしてゐる。

「いやあ、これはいい別荘だ。豊臣秀吉だつてこんないい別荘には住んでゐなかつた。いやあ、これは素晴しい。附添さん、どうも有難うございます。有難うございます。」

さも嬉しさうに小躍りして手を打ち叩き、けらけらと笑いやまない。 「眞理」の面を附けてゐるので、彼がどんな容貌の男なのか判らない。

同室者の話では、發狂前は非常におとなしい内氣な男で、作業は構内清掃に從事してゐた。體も小まめによく動き、部屋の雑事、拭き掃除から食器磨きに至るまで殆ど一人で担當してゐた。それに親切で病人の面倒もよかつたので、舎中の者から尊敬されてゐたと云ふ。讀書が好きで、仕事の傍ら寸暇も惜しむやうにして勉強してゐた。殊に哲學書を耽讀し、發狂前の二三ケ月は文字通り寝食を忘れて勉學瞑想した。ために一時は健康を害ねたほどであつた。同室者達が見かねて、そんなに夢中になつて勉強しては體に障るからと注意したが、癩者の生命は短かい。その短かい間に永遠の眞理を發見せねばならんので、私はとても無理せずにはいられない、と答えて相變らず哲學書に耽溺してゐた。すると、ある夜のこと、ああ眞理は去つた・・・・といとも悲しげに呟きながら、ふらふらと戸外へ出て行くので、何か間違ひがあつてはと部屋のものが案じてそつと後を尾けて行つた。彼は沈思黙考、躁踉として林の中を逍遙してゐたが、やがて帯を解いて首をくくろうとした。尾けて來た男は喫驚して押し留め、無理矢理彼を連れ帰つたので幸ひその場は事無きを得た。併し、それ以來彼の頭脳は變調を來し、眞理眞理と大聲に喚き叫びながらけらけらと笑ひこける。今まで戯談一つ云へなかつたものが、油紙に火の付ゐたやうべらべらと喋り立てる。飯を喰うにも眞理と云い、蟲一匹見ても眞理だと叫んで喜ぶ。果ては厠の壁といわず、室の戸障子、又は自分の持物から同室の者の衣類に至るまで眞理、大眞理と書きなぐるやうになり、自分では胸と背に太文字で眞理と大書した着物を着してゐた。そのうちに到頭眞理の面までつくつてしまつた。眞理の探求者は、斯くしてついに憐れな眞理(心理)病患者になつてしまつたのである。彼を特別室に収容したのは静養室が滿員のためであつた。

翌朝、彼が當箱を借りに來たので、どうするのかと私は訊いてみた。當箱をどうするとは自分ながらお可笑な質問であるが、相手が相手だけにさう訊ねてみたのだ。すると、彼は面の中で笑いながら手紙を書くのですと答えた。

「手紙? 君、自分で書けるのか。」

「え、書けますよ。」

「何處へ出すのだ。郷里かい? 僕が書いてやろうか。」

「いいですよ、附添さんに書いて貰つては申譯がないです。それに親書ですからね。私、カントの所へ出すのです。」

「え? カント。」私は思わずびつくりして訊ね返した。

「いけませんかね。それともショウペンファエルにしましようか・・・・」

さう云つて四角な面を私に眞面に向けて例のけらけら笑ひをするのである。こいつ氣の毒に大分よく狂つてゐるなと私は少々憐れに思つた。彼は昨日からずつと面を取らないのだ。同室者の言もあるので、私は昨夜試みに夜中に起きて、覗き窓からそつと彼の寝姿を覗いて見た。彼は室の中央に、荒木綿の布團を跳ねのけ、全身變色した不氣味な體を投出すやうにして睡てゐたが、併し、眞理の面はしつかと顔に附けてゐた。その寝姿は何のことはない、首無しの變死人のやうな恰好に見えた。併し、この面も、食事の時には取るのだらうと私は密かに思つてゐた。が、今朝になつて、朝食中の彼を見たが、以前として彼の面には眞理の文字が輝いてゐるのだ。彼は面を附けたまま、くりぬいた口の中に食物を放り込んでゐるのである。之には流石に私も呆れて、しばし唖然と見惚れてゐた。

暫くして、彼は封筒を貼るのだからと云つて糊を貰ひに來た。さてはカント宛の手紙が書上つたんだなと思ひ、二時間ほどしてから、私は彼の室に行つてみた。そして、扉を開くなり、私は思わず眼を瞠り、ほうと嘆聲を洩らさずにはゐられなかつた。室内の羽目板一面に、それは恰も碁盤の目のやうに整然と「眞理」の文字が貼られてあるのだ。それは塵紙にひとつひとつ丹念に書いたものである。御當人は室の眞ん中に端坐してそれらの文字に眺め入つてゐたが、私を見ると、よく來てくれました、さあお這入り下さいと頻りに招じ入れるのである。

「カントヘの手紙はどうしたね?」と訊ねると、

「はははは・・・・手紙ですか。止めました。お手紙するより、直接、カントさんに會つてお話した方がいいやうですよ。」

さう云つて彼は嬉しさうに書き連ねた眞理の文字に見入るのであつた。その日は午後から院長の廻診があつた。彼の室には眞理の文字が更に何十枚か殖ゑてゐた。支給された塵紙全部をそれに充ててしまつたのである。院長が大勢の醫者や看護婦を從えて來た時にも、彼は手足を墨で眞黒に染めながら、頻りに眞理の浄書に餘念もなかつた。

「M・K・・・・どんな男だつたかね。」

院長は彼の姿を見てから私に尋ねた。私はまだ顔を見ていない旨を答えた。どんな男なのか名前だけでは測りがたかつた。それで愈々彼の眞理の面を剥ぐことになつた。が、いざ私が近づいて面に手を掛けようとすると、彼は急に獣のやうな奇聲を上げ、怖しい力でそれを拒んだ。再度私が同じ行動を繰返すと、彼は片隅に樽つてきいきいと悲鳴を上げるのである。いい、いい、と云つて院長は私を制し、

「どうだ、眞理を發見したかな・・・・。」

と彼の方へ明るく笑いかけた。すると、彼はくるりと向き直つてぺこんと頭を下げ、憑かれたやうに叫び出した。

「眞理ですか。眞理と云いますと・・・・あつ、さうですが、眞理、眞理、いやあ、眞理ほど良いものはありませんね。」

さうして昂然と胸を張り、面を揺すつて何時までも笑ふのであつた。

あるくれがたのことである。

私は北側の非常口に腰を下ろして、夕食後の憩ひを撮りながら出鱈目の歌など口吟んでゐた。―この非常口は、士官候補生殿が生前よく竹藪の雀を眺めてゐたところである。今も雀達が潮騒のやうな羽音を撒いて藪一ぱいに群がつてゐる。私は暫らくいい氣持で歌つてゐた。と、突然、ろ號特別室の扉がばたんと慌しく開いて、

「あつ、似てゐる、似てゐる、あの人だツ」

と頓狂な聲が泳ぐやうにこちらへ近づいて來た。まつたく不意打ちだつたので、私は思はずぎよつとして腰を浮かせた。

「あつ、あつ、似てゐる、似てゐる、やつぱりさうだ。・・・・」

眞理の面を不氣味にぬつと突き出して、私の顔をしげしげと眺めるのである。「何が似てゐるんだ。びつくりするじやないか。」私は漸く落着を取戻して叱るやうに云つた。

「似てゐるんですよ。あなたはべートヴエンに似てゐるんです。いや、べートヴェンだ。ね、お願ひです、お願ひです、べートヴエンになつて下さい。べートヴエンだとおつしゃつて下さい・・・。」

彼は私のまえに跪づき、両手を合せて、伏し拝む眞似をする。私が黙つてゐると、彼はおろおろ聲で頻りに嘆願するのである。

「じゃあ、私がべートヴェンになればいいのかい?」

私はついお可笑しくなつて笑ひ出しながらさう訊いてみた。

「ええ、さうです、さうです。あなたはべートヴエンです。間違ひなくさうなんです。それで、私が、べートヴエンさんと呼びましたら、どうぞ『ハイ』と返事をして下さい。お願いします。どうぞこの願いを聞き届けて下さい。」

彼は熱心にさう云つて頭をぺこぺこと下げるのである。そんな御用ならいと容易いことなので私は直ぐ承諾した。すると、彼は、あつあつと叫んで手を打ち、飛上つて、恐ろしく喜ぶのである。

「有難い、有難い。べートヴエンさんが私の願ひを聞入れて下さつた。ああ嬉しい・・・・」

大仰な歓喜の身ぶりを示し、さうして、べートヴエンさんと改めて私を呼んだ。私は到頭楽聖にされたのかと苦笑しながら、ハイと元氣よく答へてやつた。

「あつ、返事をしてくれましたね。ああ、こりや堪らん。べートヴェンさんは返事をしてくれた・・・・。」

彼は私の手を取らんばかりにして、再度私の顔をまじまじと凝視めるのである。軒看板のやうな目前の眞理の面を眺めながら、私は、不図、寒々しいものを身内におぼえた。

不思議なことに、その翌日から、彼は眞理の面を附けなかつた。取去るのをあれほど嫌つて、執拗に長い間掛け續けてゐた面を、どうして急に彼がかなぐりすてるやうになつたのか、私は理解に苦しんだ。彼の顔はその肉體と同様、潰瘍し切つたどす黒い色を呈してゐた。眉毛も頭髪も殆ど脱落してゐて、私の一向見知らぬ男であつた。

 これもある白晝の事件である。その日は特に暑さがきびしかつた。じつとしていてもだらだらと汗が流れやまない。私は廊下に出て晝食の塩魚を焼いてゐた。焼きながら窓越しに裏庭の風景を慢然と眺めてゐた。たださへ暑いところへ炭火の熱氣に煽られて、胸といはず背中といはず汗が淋漓と小止みもなく流れた。と、その時、まつたく不意に、背後から音もなく私に組付いて來た者がある。私はびつくりして思わずわツと叫びを上げ、不意を衝かれてたじたじと後ろに踉めゐた。途端に、そのまま折重つて堂と倒れた。そして、仰向けになつた私の體の下で眞理屋の彼がゲラゲラ笑つてゐるのだ。私はカツと怒りが湧いた。

「バカツ、離せ、何をするんだ。」

併し、彼は下敷になつたまま両手を私の腹に廻し、しつかと抱き付いていて離さない。彼も裸なので、汗みどろの肌同志がぬらりぬらりと粘着して氣分の悪いこと一通りではない。漸く彼の手足を振りほどいた時には、魚は眞黒に焦げてゐた。

「バカツ君はどうしてこんな眞似をするんだ。」

私は體の汗を拭いながら彼をきめつけた。すると、彼はにやにやしながら、私の前に葡萄色した頭を突き出した。

「べートヴエンさん、さあ私を擲つて下さい。蹴りつけて下さい。あなたにさうして戴けますと、私は本當に嬉しいのです。さあ思ひきり擲つて下さい。あなたは私の戀人です。私の大好きなべートヴェンさん・・・・。」

私は苦々しく顔を顰めたまま黙つて部屋へ這入つてしまつた。この男ばかりはどうも本氣になつて怒れない。張合がないのである、私が擲るぞと睨みつけても、彼は笑いながら頭を突き出し、どうぞ存分に擲つて下さいと云ふ。お前みたいな奴は監禁してしまつて、一歩も外へ出さないぞと大きな鍵を出してじやらじやらさせて見せても、彼は頭をぺこぺこ下げながら光栄ですと答え、自分から特別室の扉を閉ざして音なしく待つてゐる仕末なのだ。ある時、本當に監禁してしまうと、彼は室内を小踊りして廻り、べートヴェンさん、私の好きなべートヴェンさんと呼び立てていつさううるさい。

彼が私に對して、斯のやうな抱きつくていの素振りを示したのはこれが始めてではない。何かにつけてそれとなく私の體に觸れてみたいらしいのである。始めのうちは私もそれに氣付かなかつたが、彼の不作法な、一種の變態性慾者的行為が度重なるにつれ、それは彼が故意にしてゐるのであることを私は知つた。一度こんな事があつた。ある朝、私がまだよく睡つてゐるうちに彼がこつそり入つて來た。そして、いきなり、私の被つてゐた掛布團を足許からばつと取除けた。さうしてその布團をそのまま抱え込んで、寝巻一つで愕いて飛起た私の姿を見て絶間もなく笑ひこけるのである。私も流石に腹を立てて、お前みたいな奴は水風呂へ叩き込んでやると怒鳴りつけて彼の手首を捉えた。勿論、脅しの積りだつた。が彼は悄氣返るどころか有難うございます有難うございますと禮を述べ、いそいそと自分から先に立つて湯殿へ行くのである。之には私も呆れ果てて、腹を立てた自分がお可笑しくもあるやら面映ゆくもあつた。その時、彼は同僚の附添夫の一人に私についてこんなことを云つたさうである。

「あの人は女じやないですか。體のつくりや動作はどう見ても女ですよ。私はあの人がめつぽう好きなんです。あの人になら殺されても惜しくはありません。ああ、私のべートヴエンさん・・・・。」

彼は私に對して次第に特別な科や性癖を示すやうになつた。彼は他の附添夫の云ふ事は一切聞き入れなかつた。併し、それがひとたび私の唇から出た言葉であると、彼は欣んでどのやうな事でも聞分けた。ニケ月もすると、彼は明けても暮れても最早や私なしではすごせないほどの、執拗な、奇好な愛情を現し始めた。私の側に附纏つたきり金輪際離れやうとしないのである。配給所へ行くにも、賣店へも、彼はまるで私の腰巾着のやうに尾いて來る。はては厠へ行くにも後を慕い、用が濟むまで扉の外で待つてゐる。

やがて、彼は保管金の通帖から在金全部を私の所に持つて來た。どうぞお願いですから自由に使つて下さいと云ふのである。他の事とは違ひ、金の事であるから、そればかりはならぬと私は固く突つぱねた。すると、彼はそれでは棄てて了うと云つてきかない。押問答してみたが無駄である。私は困つて同僚とも相談し、彼の金はひとまず主任のTさんに預つて貰うことにして、この話は一段落ついた。が、この金の問題があつてからは、彼はこん度は色々な品物を買込んで來て私の所に持つて來る。菓子、果物、飲料水、タバコ等々である。私はこれらも同様きびしく叱つて取上げなかつた。すると彼は忽ち悲觀してそれらの品を全部下水壕に棄ててしまつた。ついには私の居ない隙を狙つて、机の上とか戸棚の隅にこつそり置いて行く。それを彼は毎日のやうに繰返す。いくら叱つてみても効果がなかつた。私は再度同僚と相談して、賣店の店員に彼が來ても一切物を賣らぬやうに頼み込んだ。斯うして彼のプレゼント癖は一時中止のやむなきに至つた。併し、彼は三度、私へのプレゼントを考へついた。そして、直ちにそれを實行に移した。併し、このプレゼントは些か時日を要し、私は彼から彼の誠心こめた?プレゼントを手にするまで少しもそれに氣付かなかつた。賣店で相手にされなくなつてから、彼は編物を始めたのである。終日、特別室に閉じ籠つたきりで、彼は器用な手つきでせつせと編棒を動かしてゐた。編物は發狂前にもやつてゐたらしい。賣店から客扱いにされない彼が、どうして夥しい毛糸類を持つてゐるのか始め私は不審に思つたが、それは發狂前に買い込んで置いたのと、郷里から送つて寄越した物とであることが判明した。薄暗い室に黙念とあぐらを組み、明り窓から差し込んで來る光に眞向つて編物に餘念もない彼の姿を、私は毎日のやうに眼にした。眞理眞理と叫ぶこともなくなつた。眞理の面を取除けて以來、彼は眞理と云ふ語をついぞ口にしたことはなかつた。口癖のやうな眞理の二字は、べートヴエンと云ふ私への愛称に替へられたのである。

やがて彼の編物は、見事なスエターとなつて完成した。そして、彼は早速それを私に着てくれと懇願し始めた。私は始めて彼が何故編物に専念しだしたのか、その眞意を納得することができた。私はとにかく預つて置くと云つてスエターを受取つた。併し、彼の編物は更に續けられた。スエターは二枚となり三枚となつた。その中の一枚には苦心してべートヴエンと云ふ文字まで編み込んだ。彼はしだいに衰弱して來た。三度の食事も欠ける日が多くなつた。それでも彼は編棒を離さなかつた。私は彼に對して、云い様もない寂蓼と憐憫、恐怖の情の募るのをおぼえた。何もかも私に責任があり、何もかも私の所為のやうに思はれだした。併し、幸ひなことに毛糸が盡きた。編み果してしまつたのである。私は思はずほつとしたが、彼はひどく弱り切つて口をきくこともなくなつた。特別室の羽目に凭れて、明り窓からぼんやりと空を眺めてゐる日が多くなつた。煙突事件が起きたのはそれから間もなくである。

 窓にさしのぞく蜂屋柿が艶やかな色を見せてゐる。百舌の聲がきんきん泌みる。今朝も又眞白な霜であらうか。狂人を相手に他愛もなく暮してゐる間に早やそのやうな季節になつたのである。不図、時の素早い推移に愕ろきながら、起床前の數分をその日も私はうつらうつらしてゐた。起床時間は既に來てゐる。僅々數分にすぎない床の中のひと時は、併し、附添夫に取つてはなかなか味わいの深いものである。

起きよう起きようと努力してゐた時である。慌しく走つて來る下駄の音が直ぐ窓下に近づいて、突然、窓硝子を激しく叩き出した。「おい、上野さん、大變だ、眞理屋さんが………」「え?大變だ?首でもくくつたのかい。」外の叫び聲に私はひどく泡を喰つて飛起ると窓を開いた。Nと云ふ収容病室の附添夫が慌しげに佇つてゐる。

「どうしたんです?大變だつて。」

「眞理屋さんが煙突のてつぺんに上つてゐるんだ、あれ、あれ・・・・」

さう云つて彼は機關場の方を指さして見せるのである。建並んでゐる病棟の彼方、濛々と黒煙を噴上げてゐる三十米の大煙突の頂上には、成程、人間らしい黒い影が枝上の猿のやうに留つてゐる。眞理屋め何時の間にあんな離れ業を始めたのか。それにしても人違ひではあるまいか、さう思つて私は一應彼の室を覗きに行つた。寝床はそのままになつてゐるが、彼の姿は見えない、直ちに附添全部を動員して棟内を探したが何處にも見當らない。何時出て行つたのか誰も知らぬと云ふ。恐らくまだ皆の寝静つてゐる間に出て行つたものであらう。してみると煙突男はやはり彼に違ひない。それつと云ふので私は同僚と一緒に機關場に駈け付けた。併し、私達が行つた時には早や煙突の周囲は眞黒な人垣であつた。院長も多勢の事務員を從えて出動してゐた。私ははげしい苛責をおぼえた。病人の逸走を知らぬと云ふのは明らかに附添夫の越度である。ましてこのやうな騒ぎを引起すまで知らぬと云ふのは職務怠慢も甚だしい。煙突の眞下には消防手に依つて一面に救助網が張られてゐた。醫者は聴診器を持つて駈け付けるし、看護婦は應急手當用の諸材料を運んで來る。火事場のやうな物々しい騒ぎ様である。

「おーい、早く下りて來いようー。」

「やあーい、眞理屋ア危いからトつトと下りて來いようー。」

「院長殿が心配しておられるぞう。お前一人のためにこんなに騒いでゐるのが判らないのかアー。」

「こらあつ、落ちたら死んじまうぞうー。」

大勢の者がかわるがわる煙突を仰いで叫んだ。併し、彼はなかなか下りて來さうにもなかつた。片手きりで梯子にぶら下がつてみたり、今にも飛下りさうな恰好に手足をさつと離したりする。そして、何事か叫んではげらげらと笑つてゐる。「誰か早く下ろしてやつて下さい。あれあれ、危い、早く、早く、早く下ろしてやつて下さい・・・・」

女醫の一人が聴診器を振りまわしながらおろおろ聲で叫んでゐる。その時、消防手の一人が猿のやうに素早く梯子に飛付いてするすると上り始めた。觀衆は一斉に鳴をひそめてその男を眺めてゐた。煙突のてつぺんでも小手を翳して同じやうに上つて來る男を眺めてゐる風である。恰度、半ば頃まで上つて行つた時である。突然、頂上から眞理屋さんの聲が落ちて來た。

「やあ一い、上つて來ると、飛下りてしまうぞう」

だが、消防手は構わずに上つて行つた。と、頂上の彼はいきなり煙突の内側へ飛込む身振りを示した。

「あつ!危い。」

觀衆は一斉に叫んだ。

「おーい、上つちゃ駄目だ、下りて來い、下りて來いよう。」

上つてゆく消防手を押し留める聲が續いて起つた。この騒ぎが始まつてから機關場は運転を停止してゐたので、煙はピつタリ止んでゐた。消防手はすごすごと下りて來た。煙突の上では、再度彼が危険な離れ業を演じてはげらげら笑つてゐる。こん度は同僚のKと主任のTさんが上り出したが、前と同様、半ば頃に達すると、彼は忽ち口内めがけて飛下りる氣勢を示すのである。院長が眞下に停つた。そして、危いから下りて來いと叫んだが、それすら何の効果もなかつた。彼は相も變らず人々の無能を嘲笑するかのやうに、朝日を浴びて笑つてゐる。

つひに手の施しようがなくなつた。といつて、彼が自發的に下りて來るまで放任して置くことは危険であつた。まして衰弱してゐる體を持ちながら、何時までもあんな高層物の上に留つてゐられやう筈がない。ひと度梯子を握つてゐる手が辷つたらその時はどうなるであらうか。尚お又、彼自身何時どんな氣になつて口内に飛下りぬとも限らぬ。

その時、だしぬけに同僚のKが私を見て叫んだ。

「あつ、さうださうだ。君がいい、君がいい、君が行けば奴は間違ひなく下りて來る。さうだつた、忘れてゐた・・・。」

彼はさう云つて狂氣のやうに人垣を分け、私を煙突の眞下に引つ張つて行つて据えた。觀衆はワアツとどよめいて一斉に私を見た。人がやつて駄目なら、私がやつたとて同じことにきまつてゐる。さう思つたが、もともと私が彼の附添夫であつてみればともかく一應はやつてみる責務があつた。眞下に佇つて仰ぐ煙突は物凄く巨大に見える。その遥か彼方、青空を背に彼は眞黒い塊りになつて蠢めいてゐる。上る前に私はまず彼に向つて叫んでみた。

「おーい、お坊つちゃあーん。(私は何時も彼をさう呼んでゐたのである)僕だようー、僕が判るかあ、べートヴエンだよう、どうしてお前は煙突へなんぞ上つたんだア、みんなが心配してゐるから早く下りて來いようー。」

さうして私は腰の手拭をはずして頻りに振つた。煙突の上では私の様子をじつと凝視めてゐるふうであつた。が、暫くして意外にも嬉しさうな聲が落ちて來た。

「あ、あ、べートヴェンさんですかア、べートヴェンさん、判りますよう。判りますよう。」

彼も私の手拭に答えて頻りに手を振つてゐる。觀衆はわあつと聲援を送つて寄越す。私は再度両手で輪をつくつて口に當ててありたけの聲を絞り出して叫んだ。

「お坊ちゃあーん、君が下りて來ないと、僕が困つちゃうんだ、頼むから下りてくれないかア、それとも迎えに行こうかあア・・・・」

「いいえ、モツタイない、下りますよ。下りますよう。べートヴエンさん、今直ぐ下りますよ。あなたに御心配かけては罰が當ります。 危いから上つて來ないで下さいよう・・・・。」

意想外に素直な調子でさう答えながら、早や彼は梯子を下り始めてゐた。觀衆はわあつわあつと喜びの聲を放つた。消防手達は萬一の場合に備えて網を強く張り直して待構へた。上つて來れば飛下りると云つて示威運動をしてゐた彼が、私のたつた一言にあんなにも素直に下りて來るのだ。彼の姿を眺めながら、私は無性に涙が湧いた。彼に對する強い愛情の涙なのだ、私は幾度か視野を煙らせながらしつかと彼の姿を追つてゐた。彼は梯子をつたつて徐々に下りて來る。そして半ば頃まで下りて來た時である。あつと云ふ叫びが觀衆の間に起つた。瞬間、彼の體は一包みの風呂敷のやうに落ちて來た。長い間、煙突の頂上に寒氣に晒されてゐた彼の肉體は、硬直して痙攣を起したのであつたろう。彼の體は網の上に拾はれて幸ひ事なきを得た。

 

(「山桜」昭和15年10月特輯号)