「小さき声」 目次


 小さき声(再刊)No.1 1987615日発行

松本馨

再刊の辞

このたびパンフレット『小さき声』を新たに不定期的に、発行することにした。隔月に発行していくことが目標であるが、私の健康状態と年齢を考慮するとき、隔月は、あくまでも目標である。 

『小さき声』の発行を断念して、早いもので1年が経過した。再び発行する気になったのは、18年続いた自治会活動から身を引くことができたことと、関根先生が言われるように現代は黙示の時代である。誰でも聖書を命の糧としているものであれば、現代が終末であることを疑う者はいないであろう。 

イエスは、『人の子が地上に来るとき信仰を見られるだろうか』と言われた。これは、世の終りのしるしである。神なき時代は、世界的な規模で、人間崩壊が進んでいる。人間崩壊とは、人の命は地球よりも重いという、イエスの血によってあがなわれた、重さ・尊厳・人格を指すものであろう。そして、それが、崩壊しつつあるということである。具体的には、親が子を、子が親を殺し、嫁、姑においても同じようなことが起こっているし、兄が弟を、弟が兄を殺すことが日常当たり前のように起こっている。それを拡大したものが戦争であろう。そして恐しいことは、神を信じていない者が神の名において戦争を起こすことであろう。その究極にあるものは、核戦争であり、おそらくこの世の終わりは、そのような形でくるのであろう。そしてそれは、あくまでも神を信じないところがらくるサタンの働きであり、神の裁きなのである。 

今日、信仰者一人一人に求められているものは、それぞれの置かれている場所で神の賜物を世に向かって証言することではないだろうか。二千年前ゴルゴタの丘で十字架刑に処せられたイエスがキリストであること、終わりの日にこの世界の審判者として来たりたもうお方であることの証人として各自は、立たされているのではないだろうか。 

私の時間は、もう残り少なくなってきた。その為に、今日までいただいた神の賜物の十字架と復活の主イエス・キリストの証人として世に立たなけれはならない。それが『小さき声』再刊の理由である。

故郷

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私の故郷、神の国は聖書の中にある。1951年から約10年近く、毎日が聖書暗誦に暮れていった。当時はカセットのような物もなかったし、手に知覚がなかった為に点字を読む事もできず、暗誦以外に聖書を学ぶ方法がなかった。

1962月より『小さき声』(月刊誌)を発行し、85月までの23年間続いたわけであるが、聖書暗誦の中から生まれたものである。そして、69年より自治会活動へと、押し出されたが、これも聖書の暗誦の中から生まれたものである。自治会活動は私にとって異邦人の世界であり、奴隷となってこの世の民に仕える事であった。総務部長を年、自治会長を13年、計18年間、この異邦の地で働いた。体力を消耗し尽くし、病に倒れ、そして本年月、神は私を自治会から解放した。祖国への帰還が許されたのである。

あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでに許され、そのもろもろの罪のために2倍の刑罰を主の手から受けた。」(イザヤ書40節〜)

これは、第2次世界大戦で日本が敗れ、強制隔離収容所から解放された時の実感であるが、自治会活動から解放された時、再び実感した。私は、故郷へ帰ったのであるが、その故郷には、聖書暗誦に協力してくれた小泉信・光岡義江は既に召され、青年時代大きな影響をうけた原田喜一も地上になく、私の代筆をしてくれた加藤二郎も召され、ロマ書全章を暗記し、私の先達となった渥美孝一も召されていた。この2人は私が寮父をしていた頃の子供である。

私の故郷は、聖書であるが、1年中ほこりをかぶっている聖書でもなく、日曜礼拝以外は棚にかざってある聖書でもない。私は聖書の一語一語を食べてきた。が、食べる事が故郷でもない。私のいう故郷は神の現在の場所である。キリストが現在したもう所である。

1950年、私は信仰が分らず、地獄の苦しみを経験した。その苦しみの中でロマ書21節以下がそれまで全く理解できなかったのに、突如として、生ける神の言葉となって私に語りかけた。この時、私は旧き自己に死んで新しくされた。回心であった。そのように私に働きかけてくれる神の現在の場所、それが私の故郷である。

私は故郷に帰ると塚本虎二訳のマルコ1章から 暗誦を始めた。18年間聖書の暗誦は一度もしていなかった。その時間がなかったのである。そして、せっかく覚えた聖書が、みなうろ覚えになってしまった。マルコの暗誦をする事によって、故郷の生活の第一歩を踏み出したのである。故郷には、ガリラヤ湖とその湖を中心に宣教活動をしていられる主イエスと病人や貧しい人達がいた。故郷の最初の夜、私が経験した事は言葉に現せない程の出来事であった。全ての意識がなくなり、空中へと引き上げられ喜びに満ち満ちた世界であった。

『私はキリストにある人の人を知っている。この人は14年前に第の天にまで引き上げられた−−それが、からだのままであったか、私は知らない。からだを離れてであったかそれも知らない。神がご存じである。』(コリント第二の手紙122)

の天とはいかなるものか、想像できない。私の経験した世界は何であったのだろうか。単なる幻か、霊的体験か知らない。気がついた時、私は父なる神とイエス・キリストに祈っていた。「お願いですから、これ以上私を試みにあわせず、地上より取り上げて下さい。」もし、死をこの様な形でむかえる事ができたとすれば、死も又、楽しみになってくる。

故郷とは、この様なものなのであろう。

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「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」(マルコによる福音書第115)

は、イエスの宣教の第一声である。神の国は、イエスの復活と昇天とを切り離しては考えられない。十字架はこれらのことを約束したもので、イエスの復活は私達の復活であり、イエスの再臨は私達の救いに関わっている。そして、これらは全て十字架と切り離しては考えられない。

私は十字架信仰を関根先生から教えられた。回心直後のことで、決定的に低くされ、弱くされたイエスの十字架に私は狂喜した。数人の女性とすれちがう時、「十字架気違い」と罵られた。それ程に、私は十字架に狂喜したのである。そしてその事は、今も少しも変わっていない。神の国の消息は十字架なしには私には理解できないのである。ヨハネ黙示録は、私には非現実的世界であり、神話としか受け取れなかったが、関根先生から神の小羊に十字架を示され、ヨハネ黙示録は神話ではなく、現実的なものとなった。

しかし、地上から中空へと取り上げられた時から日がたつにしたがって、私の内に微妙に変化が起こってきた。既に書いた様に、神の国の消息は十字架を通して私というものを知る事ができたが、神の国から十字架を通して私を知る、という主体と客体が入れ換わったのである。そして私を仰天させたのは、福音書の中にイエスが世の終りについて弟子達に話している記事があり、マタイによる福音書第24章、マルコによる福音書第13章などである。世の終りには人の子イエス・キリストが来て世を裁くという事である。マタイによる福音書第2530節以下には、人の子は天のみ使いを率いて来られ、羊とやぎとを分かつがごとくにして世を裁くことが示されてある。私はこの世の終りの審判をキリストの側から十字架を通して私を見た時戦慄した。自分は十字架の刻印をおされているから救いは確実だ、とあぐらをかいている姿を見たのである。神がひとり子を世に送り、その血によって世を贖われたのは、十字架の刻印をおされている者達の為だけでなく、敵対者の為、むしろその方が主であった。私自身敵対者であった時、神はひとり子を十字架に架けられたのである。それによって贖われ義とされているのが私であり、信仰者であろう。とすれば、終りの日が明日来るかもしれない。終末的、危機的状況にある信仰者は神に敵対している者の為、その世の終りの到来を知らせ、悔い改めを求めるべきではないだろうか。終りの日の審判を知りながら自分は十字架の刻印をおされているがゆえに心配はない、として、神を知らない者達にその事を告げようともしないキリスト者は宗教的エゴイズムで、神を知らぬ者よりももっと悪い。

イエスは次の様なことを言われている。

「だれでも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うてわたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために、また福音のために自分の命を失う者は、それを救うであろう。」(マルコによる福音書34節〜35) (つづく)

信仰による決断

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 私が総務部長として自治会業務に係わったのは、1969年である。そして総務部長を年務めて、74年よりは、自治会長として13年務めて、今年の31日で退職した。年前、薬害で倒れてからは、回復がはかばかしくなかったので、自治会長を辞めたいという意志表示をしていたが、後任が見つからず辞められなかった。昨年の自治会長就任の挨拶の中で、今年年で自治会長を辞めること、私のいない後の自治会運営と、会長・役員の選出方法を含めて、自治会規約を検討する委員会を設置することを提案した。

そして.年かけて自治会規約の一部を改正し、月に選挙を行い正式に引退することができたのである。日が経つに従って、18年間の私が何であったか明らかになってきた。それは、奴隷として異邦の地に売られ、その民に仕えたということであった。そして、その服役の期間が終わり、解放されたということであった。これは、誇張でも何でもない実感である。

私は、過去において、これと全く同じ様な奴隷からの解放の喜びを経験している。1945年、第二次世界大戦によって我が国が、無条件降伏した時である。連合軍によって、完全隔離撲滅の強制収容所の制度が崩壊すると共に、米軍を通して入ってきたプロミンによって、癩から解放されたことである。

私が、自治会活動をする為の信仰による決断をしたのは、1966年の夏、起こった不良職員追放患者大会が、原因であった。この大会は、患者自治会と、施設が真っ向からぶつかり、一歩間違えれば、殺傷事件にまで発展し、大混乱に陥るところであった。これを契機に患者自治会は、自治会業務を閉鎖してしまったのである。千百人の集団生活をしていた自治会を閉鎖することは、戦後、獲得した自治権を自ら放棄することで、戦前の地位に戻ることに他ならない。これがために自治会活動に未経験であった私が、自治会の再建の信仰による決断をしたのである。その結果、69年より総務部長を年務め、74年より本年月までの13年間自治会長を務めた。

私が信仰による決断をしたのは、ルカによる福音書10章、隣人とは誰か、のたとえ話と、マタイによる福音書2530節以下の人の子による世の審判の記事である。

それでは、奴隷として異邦の地に売られ、その為に18年間仕えたということと、信仰による決断と、どこで一致するのか……。しかし、私にとっては、自治会活動が、信仰による決断であったことと、奴隷として異邦の地に売られたということと、全く矛盾しない一つ事である。信仰による決断は、自治会活動に入る時の決断であり、奴隷として異邦の地に売られ、それから解放されたということは、自治会活動から解放されたことから受けとらされたものである。前者は、積極的であり、後者は、受け身である。信仰による決断は、信仰による積極性と、受け身からなっているのではないだろうか。

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私が、信仰者として最初に決断をしたのは、秋津教会から無教会に変わる時であった。私は、1941年に秋津教会で洗霊を受けた。そして、52年に、無教会の関根正雄先生との出会いがあった。そして、十字架信仰を示され自分の進むべき道が無教会的な信仰であることを受けとらされた。その為に教会を退会しようとしたが、どうしてもできなかった。私は、教会で生まれた人間であり、私の友人、知人は、皆、教会者である。又、当時私は、失明のただ中で、聖書暗誦に夜も昼もなく熱中していた。できることなら新約聖書全巻を暗記したいと願っていた。失明の他に手に知覚はなく聖書を暗記する以外道がなかったのである。この私の強い願いを喜んで受け入れ聖書暗誦に協力してくれた人の兄姉がいた。教会を去ることは、これら兄姉と別れ、全く人になることである。視力があれば、人になったからといって驚く程のことではないが、失明の私にとっては、死にも等しい暴挙にも思えた。週間私は祈り通した。朝から夕まで祈り通したが、どうしても決断できない。そして、週間日の聖日礼拝に出席した。教会も無教会も同じ神を信じているのであり、教会か無教会かで苦しむのは、愚かにさえ思えた。その頃、関根先生から何か事が起こった場合には、信仰によって決断するように、はがきを頂いていたが、信仰による決断という言葉は、10年間、教会生活した私の脳裏にはなかった。私の知っている決断は、政治的決断とか、文学的決断であった。信仰による決断は、全く理解できなかった為に一層苦しんだのである。聖日礼拝に出席し、何も起こらなければ、それで良いではないかと思った。しかし、このような信仰を神は、見逃したもうはずがなかった。礼拝中に、天の一角から雷の様に私の頭上に「主なるあなたの神を試てはならない」という言葉が落ち私を震憾させた。私は、心で泣く泣く退会届けを教会に提出した。そして、来る日も来る日も部屋の一隅に座っていた。誰も訪ねて来る者なく、恐れていた人にされてしまったのである。そして、その中で、私は、信仰による決断とは何か、を体で受けとらされていた。それは、古き自己に死に、イエスと共に十字架にくぎ付けられることである。そして、徹底的に受け身にされたのであった。屠り場に引かれる仔羊の様に受け身にされるのである。

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信仰による決断で私が思い出すのは、アブラハムのイサク献上の記事である。イサクは神がアブラハムに約束された子である。その子を燔祭として捧げよという神の言葉に、記事には直接ふれていないが、アブラハムの衝撃・不安・動揺は大変なものであったであろう。しかし。最終的に彼は信仰によって決断したものと思う。イサクにたきぎを負わせ、彼を屠る為にモリヤの山に登っていった。信仰の分らない者でも、神とアブラハムとの対話と、アブラハムの決断に深い感銘をうけない者はいないだろう。この箇所を取り上げている信仰書は多くでている。そして、それらは新約の十字架のイエスを指し示していることを指摘しているものも少なくない。

私もその事に全く同感するが、最近少し違った考えを持つ様になった。モリヤの山に登っていくアブラハムに鉄のような意志をもった信仰の勇者を見るのである。神の言葉に決然と従うアブラハムは世人の及ばない比類まれな信仰の勇者なのである。

我が子を縛って燔祭として捧げ刃物で殺そうとするアブラハムに、アブラハムの心情は推測できない世界であるが、鉄のような意志がなければ、そして信仰がなければ決断できない事であろう。しかし、この様な信仰の勇者が一瞬にして変貌したのは、神の御言葉であった。

「わらべを手にかけてはならない」(創生記2212)

 イサクに代って神が用意された雄羊を燔祭として捧げて山を下るアブラハムは、十字架を負ってゴルゴダへ向って歩いていくイエスに見えるのである。全くの無力にされ、弱くされたアブラハムは、屠り場にひかれる小羊のように全く受け身にされている。

信仰による決断とは、人間の側の主体的決断であり、そこには強い意志と信仰が必要である。しかし、信仰による決断は古い自己に死んで、イエスの死と生にあわされる事である。もし、信仰による決断に十字架が欠落しているとすれば、聖書が求めている決断とは違うのではないか。ガリラヤの海辺でペテロとアンデレに「私についてこい。」と、言われたイエスの言葉にすぐ網をすてて従った2人は信仰による決断であり、その事は今日に於ても少しも変っていない。

しかし、信仰による決断についてふれておかねばならない事はイエスの決断であろう。回目の受難予告は、イエスの決断ではなかったろうか。

「…イエスが先頭に立って行かれたので彼らは驚きあやしみ…」(マルコ1032)

この箇所に私はアブラハムがモリヤの山に登っていく姿と同じもの、信仰の勇者を見るのである。そして、決断のあとのイエスはゲッセマネの祈りに見られるように全く弱くされ、無力にされている。十字架を負ってゴルゴダの丘に向ってゆくイエス、十字架のイエスは、屠り場にひかれる小羊である。信仰そのものすら奪われ、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ぶイエスであった。そして、墓に葬られ日目に復活し天に上げられるのであるが、信仰による決断とはイエスが歩まれた道を歩まされる事であろう。

信仰による決断といっても、人によって様々である。私自身の事を顧みても、教会か無教会かで決断を迫られ、自治会活動に関わる時も決断した。しかし、どの様な決断であっても既述した様に、十字架を欠落させた決断は考えられない。18年間の自治会活動から解放された時の実感は異郷の地に奴隷として売られ 、その民に仕え解放されたという喜びであった。視覚障害の重度障害者が会長としてそれに携わる事は名誉でも光栄でもない。むしろ私にとって奴隷として仕える事でしがなかった。神のみ前に徹底的に弱くされ無信仰の信仰の道を歩いたのである。

年をとり、この世に対する希望が薄らいできた為であろうか、霊的世界が見えてきた。若い時は、好き勝手な事をしておきながら、神の御意志であったと勝手な理屈をつけ、合法化してきた。しかし今では神の御手の外では生きられない事を知らされ、これから先何が起るか分らないが、「主よ、これ以上の試みにあわせないで下さい」というのが私の祈りの中心にある。エゴイズムであろうか。たとえそうであっても、生ける神を知った者の恐れからの言葉なのである。そして私を根底 える主から、どの様な試練にあわされても結局逃げ出す事もできず、ついて行く事になるであろう。

あとがき

色々な事情で、「小さき声」の発行を停止して、1年が経過した。やめた時点で復刊したいという願いを持っていたが、その時が以外に早く来た。自治会をやめて体に良かったのか最近は、午後時頃までは無理をしないで起きていられるようになった。

月より塚本訳のマルコによる福音書の暗記を始めて12章まできた。若い頃と違って暗記力は弱っている。しかし、暗記は、神の言葉を私に伝達してくれる唯一の霊的作業であった。聖書は霊の湖である。章にイエスの海上歩行の記事がある。生物は水から生まれたと言う。イエスの海上歩行は万物を支配したもう主であることを示すものである。弟子達はこのでき事を理解することができず、幽霊だと思った。私は今、マルコと言う湖の上を十字架をおって歩きはじめたのである。私の海上歩行は地上の生の終わる時である。「小さき声」がそこにたどりつくまでの旅行記であることを望んでいる。