「小さき声」 目次


 小さき声 No.10 1963618日発行

松本馨

<ただイエスを語る>

(一)

私が入院した頃(一九三五年)の病気の社会的地位は、囚人と同じであった。否、それよりも低い。私はらい病人よりも、囚人となっていたら、世からこれほど恐れられ、はずかしめられることはないと思った。当時の療養所は名のみで、刑務所と変わらなかった。園長は患者を検束し、懲戒する権限を持っていた。このために全国療養所には、付属施設として、監房が建っていた。草津の監獄は有名である。罪の重い者は草津へ送ったのであるが、草津へ送ると聞いただけで、貧血をおこし卒倒するほどだった。  

園の中央には、見張所があった。そこに勤務する職員は監督と言って、看守であった。昼となく夜となく、二十四時間、園の内外を巡回し、脱走者の警戒にあたっていた。朝には必ず点呼があった。また、極秘のうちに患者の思想調査も行われ、注意人物と目される患者の周辺には、いつも監視の目があった。

面会には監督が立会った。面会人から直接金品を受け取ることは出来ない。郵便物も同様だつた。厳重な検査があった。そしてお金と刃物類と薬品は没収された。お金は園発行の金券と交換され、月いくらと決まった額だけ使用が許可されたが、なんでも買えるわけではなかった。食物を例にとると、肉類と魚類とはぜいたく品とされて禁止されていた。医師の診察によって、特別に許されることもあったが、対象となる人は、余命いくばくもない重症者である。印刷物では、中央公論と新聞の購読が禁止されていた。園で検閲した新聞が図書館に数部置いてあったが、時々新聞に窓が開いていた。患者に読ませてはならない記事は切り取ってあったのである。  

職員と患者の関係は、看守と囚人の関係である。監督の態度は尊大で、患者に対して「オイ、こら」警官の口調だった。病んでいるとき、医師や看護婦から労わりの言葉をかけられ、感動したことがあった。人間として扱われた感激なのである。いつくずれるかしれない病気に対する恐怖がある。こうした中で、若かった私は、自分のために涙を流してくれる人は、この世の中に一人もいないのかと天に訴え、地に訴え叫んだ。そして、それから十数年後、霊肉共死のベッドで、私のために十字架上で血を流しつつ、神にとりなしをしているイエスを知った。

 (二)

イエス・キリスト、御名を口にするとき、私の心は喜びで震える。十字架上のイエスの姿を仰いだとき、私は知った。誰かイエスの如く、らいを病んだ者はいるか、誰か彼の如く、めしいとなった者はいるか、誰か彼の歩く手足の萎えたる者、聾唖者、囚人、罪人、誰か彼の如く恥を負った者はいるか、彼は世のもろもろの病い、もろもろの苦しみ、もろもろの恥を負って下さるのである。 

誰かイエスの如く、死にまで下った者がいるか。日本が第二次世界大戦に敗れたとき、多くの戦犯者が死刑になったが、この人たちほど死に近く、死を知った者はいない。死の判決を受けたとき、或いは病重くして、医師からその宣告を受けたとき、死に最も近く、死を知ることが出来るのである。しかしそれは外側から知るのみであって、内側から知ることは出来ない。内側から知るとき、生はもはや生ではなく死である。人間は最後に死ぬ。その意味で誰もが死を持っている。だが誰も死を実験したり、経験することは出来ない。誰も死を知っていながら、その実、誰も知らないのである。  ただイエスのみが知っている。人間の罪を負って死にまで下り、御自身を死の支配に委ねられた。これを御手の業に修めしめ、万物をその足の下に従わせ給う御子の死である。この日は暗く、昼の十二時より地は暗黒におおわれた。そして三日目に、イエスは死の服を破って甦りたもうた。死を征服されたのである。そのとき、被造物もまた甦ったのである。パウロはアダムを来たるべき者の型として次の如く説明する。

「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世に入り、また罪によって死が入ってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。……しかし恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。即ち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして神の恵みと、ひとりの人、イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ち溢れたはずではないか。かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。なぜなら、裁きの場合は、ひとりの罪過から罪に定めることになったが、恵みの場合には多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。もしひとりの罪過によって、そのひとりを通して死が支配するに至ったとすれば、まして溢れるばかりの恵みと義の賜物を受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストを通し、いのちにあって、さらに力強く、支配するはずではないか」 (ロマ5・12以下)

 一人の不従順によりて、死はすべての人に臨み、一人の従順によりて、義はすべての人に臨んだのである。イエスの死は、義のためではなく、罪人を招くためである。彼に永世の命を与えるためである。彼に御自身のものとして、御自身を彼のものとし、知恵と義と聖と、贖いとなられたのである。  

私には誇るべきものは一つもない。三才の幼児の如く、人の目と手足を借りなければ、食物をロへ入れることは出来ない。また、私に美しいところはなく、世人からけものの如く恐れられた。第二次大戦中、私は少年寮の寮父をしていた。ある日、裸のすねを出したまま寒さに震えているのを見て、なんとかしてくれるように園へお願いした。そのとき、係の職員は、政府の要人の言葉なるものを聞かせてくれた。「らいは日本の害虫である。死ぬにまかせよ」と。近村の人たちは、私たちをこう呼んだ。「山の豚」と。獅子らいを見た人は言った。「獅子だ」。手足のない者を見た人は言った。「芋虫だ」と。らい盲の歩いているのを見て、同病者は笑って言った。「かがしだ」と。また、壁に寄りかかって座っているのを見た同病者は言った。「生ける屍だ」と。私はけものであり、獅子であり、山の豚であり、芋虫であり、かがしであり、生ける屍である。もし私に誇ることが許されるとすれば、ただイエスを誇る。これによってイエスを知ったのである。世が私を捨て、敵となっても、彼にあるときはなお歓喜、平安があり希望がある。彼は義の剣を持ち、すでに勝利し給うのである。私には誇るべき何もない。が、だだ神なきところまで下りて来て下さったイエスを誇る。

<この病いは死に至らず 十〉

 白夜  

私は頭から布団をかぶり、そのまま寝込んでしまいました。そして夏が来ても、厚い綿の布団にくるまって寒さに震えていました。この夏、一日として暖かいと感じた日はありません。

来る日も来る日も、太陽は見えず、暗黒の夜が続きました。そして暗黒の夜が終ると、今度は太陽のない昼が続きました。昼と夜が混濁した白夜です。そこではあらゆるものが黒い影に見えます。それもすぐ目の前にあるものが見えるだけです。少し離れると白夜に消されてしまいます。

その白夜の中から時たま人間の声、動物の声、自動車、飛行機の音が聞こえてきます。私の住んでいる星とは別の星から、電波によって聞こえて来るようです。かの星には太陽があり、光があります。自由があり、生命があります。美しい自然があります。この星は、濃いガスに覆われ、生命のない影のみがあります。なんという深い孤独・深い沈黙だろう。

私は三度の食事を恐れました。前にはこうばしかつた米の香りも、黒い影になったとき、腐乱した犬を想起させる臭気に変わってしまいました。おかずが肉や魚のときは、鼻に運ばれて来ただけで、吐き気をもよおしました。目で見て食べていたものが、においで食べるようになったとき、あらゆるものが腐臭を放っていました。  

それでも私は、においをかがないようにして、御飯は少しずつ食べました。そして、食べている自分に泣けて来ました。胃が空になっているときは気分が楽でしたが、少しでも食べると、そのものは胃の中でたちまち腐敗し、耳、鼻、口から臭気を発して私を苦しめました。それでも食べているのです。何故食わねばならぬのか、けもののような性に泣けてきました。  

今はあらゆるものが敵となって、私を苦しめました。庭木にとまって、てんぷらを揚げるような鳴声の蝉でさえ、私を攻撃します。唯一の休憩は、深い眠りにおちいることでしたが、

「『わたくしの床はわたくしを慰め、わたくしの寝床は、わが嘆きを軽くする』とわたくしが言うとき、あなたは夢をもってわたくしをおどろかし、幻をもってわたくしを恐れさせる」(ヨブ7・13〜14) 

人はみな私の敵なのです。そして出会い頭に、けもののように殺し合いました。短刀で胸や脇腹を突き刺され、或いは刺し、そのものが亡霊となって枕元に立ちます。人を殺した者のように毎夜の如くうなされました。神の御手が、毎夜のように重かったからです。

「神よ、わたくしの罪をお赦し下さい」

この煉獄より逃れる道は、口から罪を吐き出ずことですが、それが出来ません。罪に苦しんでいながら、罪がわからないからです。なぜか、理由は明らかです。私をうつ審判の神を拒否し続けていたためであります。審判の神が同時に恵みの神であることを、当時の私は夢にも知りませんでした。私の神は、回心後わかったのですが、私の不義を見ず、不信を見ない。私が右を向けと言えば右を向き、左を向けと言えば左を向く神です。要するに偶像で、苦難に遭わされたとき、このような神がいかに空しく、あてにならぬものであるか言うまでもありません。が、人間は心の奥を探れば、みなこのような神を持っているのではないだろうか。義の神を知っている者のみが、このことに気付いているのでしょう。一九五十年に私が経験したことは、一口に言えば、この偶像の神の空しさです。

墓  

死が完全なる休息であるなら、死が肉体と共に霊魂をも塵にかえるなら、どんなにか慰めだろう。私は時々、休息を求めて布団から抜け出すと、足で道を探りつつ墓に行きました。墓は寮からあまり遠くないところにあります。墓地の中央には、座布団を幾枚も重ねたように正方形に土が盛ってあって、その上に土饅頭の形をした納骨堂がのっかっています。そこに、開園以来の死者の遺骨が納めてあります。亡き妻の遺骨もその中にあります。友人、知人、先輩も眠っています。その数は、地上のそれよりも多くなっています。

墓に来るとなぜか私は、心に平安を得ました。故国に帰ってきたような、なつかしさがあるのです。十五年間夢にまで見た帰還の日の故国は、今は墓となってしまったのです。墓は母なる私の故国、私の恋人、私の友人となってしまったのです。死を考えるとき、私の心はあやしく震えました。

しかし、何故か神への恐れなくしては、死に近づくことは出来ません。魂は神の怒りを目覚まし、その前に震えおののいているのです。妻の死をめぐって私に臨んだ審判の神ですが、もはや拒否する力も、反抗する力もありません。その神に私はすがろうとしました。しかし、私が憐れみ求めるとき、怒りの神は御顔を隠してしまいます。そして魂は、石のように無感覚になってしまいます。死を求めると怒りの神は現われ、助けを求めると御顔を隠し、心は石になってしまいます。死ぬにも死ねず、生きるにも生きられないとは、このような状況をさすのでしょう。暑くもなく、冷たくもないラオデキヤの信仰は、かくて神の国から吐き出されたのです。  

この頃、若い男が雑木林の中で首を吊って死にました。彼は陽気で、すすんで道化の役をかつて人を笑わせていましたが、彼の妻が急死したとき、その後を追って自殺してしまったのです。私は彼を羨望しました。状況は私と異なるところはありませんが、私は盲目となり、唖となって「アハハハ」と世の笑い者になっているのです。彼には神がなく、信仰がありません。それ故に愛する者の後を地獄までも追って行くことが出来たのです。

私も神なき者ですが、彼と異なるところは、彼には初めから神がなく、私にはあったことです。そして審判によってなくしたことです。神なき愛は私には無意味です。義子はキリストの花嫁となって神の国へ嫁いで行ったのです。彼の如く神なくして後を追うことは出来ません。もし、そのようなことをすれば、それは目隠しされて後を追うのと変わりありません。神との交わりを回復することは、いっさいの交わりを回復することであり、神との断絶は、いっさいの断絶です。墓は私のヨルダンの地、ヘルモン山、ミザルの山です。ここより私は神のふところに抱かれているあなたを思いました。また、あなたの骨のひとかけらでも胸に抱くことが出来たら、宇宙の牢獄にただ一人幽閉されている孤独を、軽くすることが出来るでしょう。(以下次号)

<ことば>

らい盲を食いものにしている患者がいるとの声を聞く。自分のあわれさ、みじめさを売って、世の同情を買っているというのである。直接私に向けられた批判ではないが、私は答える義務を感じた。「ただイエスを誇る」は、その答えである。少し力んだところもあるが、これは私の信仰問題である。もしこの世界について黙しているならば、石が叫ぶであろう。

○○○

近年、療養所には社会復帰という言葉が流行している。療養所の社会復帰、不自由者の社会復帰、教会の社会復帰である。療養所の社会復帰とは、隔離療養所から、一般療養所へ、そして養老院への移行である。不自由者の社会復帰とは、もはや、らい患者ではない、肢体不自由者の自覚に立てとのことである。どれも結構なことであるが、教会の社会復帰には頭をかしげる。教会の復帰は、社会ではない。悔い改めて神にかえることである。このことがなされないで、社会復帰とは単に世俗化することである。私の心にうつるこの頃の姿は、新旧ともに教会の美しさを競い、数の多きを誇り、献金の多きを喜び、それをもって信仰の盛んであるかの如く思っているような気がする。昔は会堂はなく、ぼろぼろの畳の上で集会を守った。衣服は粗末で、手足に頭に包帯をぐるぐる巻きつけていた。しかし神の言はそこに生きて働いていた。現在の人たちは信仰を先生にまかせている。日曜日に教会へ行けば愛は忘れている。そして映画、テレビとこの世のことを追求している。そして日曜日になれば、神様を思い出すのである。これで神の言が聞こえるのだろうか。

 ○○○

 梅雨に入ってから雨の日が多いが、全生園は水飢饉である。井戸が枯れてしまったのである。私は散歩に行くたびに水たまりに飛び込み、靴下を濡らし、毎日の如く洗濯をしている。地の表には水たまりがあるのに、地下水が枯れているのはどういうわけだろうか。水たまりに飛び込むたびに不思議でならない。原因は、近くに工場、住宅が建ち、むやみに井戸が掘られるためとのことである。  ヨハネ福音書4章のイエスとサマリヤの女との井戸の問答を思い出す。この世の中の井戸は枯れるが、神の井戸は枯れることはない。また、かわくこともない。