「小さき声」 目次


 小さき声 No.127 1973315日発行

松本馨 

信仰と政治

信仰と政治の問題は、自治活動をしていることもあって、私の念頭を去らない問題である。これは一人私のみでなく、真面目に生きようとする者にとって問題になる事柄であろう。

本誌で何度か取りあげた記憶があるが、信仰と政治の問題についての私の考えは「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」のイエスの言に忠実に従うことである。霊にては神の法に仕え、肉にては罪の法に仕えることである。

イエスは人間を罪と死から解放し、この世界を完成するためにこの世に来られた。それが十字架と復活の持つ意味であろう。別の言葉を借りていえば、罪と死の奴隷から人間を解放することであった。世界の悲惨、戦争、 殺戮、破壊、飢餓、疫病、すべては罪の結果生じたものであると云うのが聖書観であり、罪と死からの解放は、これら悲惨からの解放を意味しよう。この意味でイエスは世界の改革者であり、革命家である。体制側に立たず、いつも革新の側に立つ革命家なのである。イザヤ40章以下は、捕囚からの解放を告げる慰めに満ちた神の言である。第2イザヤの解放の頂点は53章の苦難の僕である。神の解放の言は世の考えるような勝利者でもなければ、勇者でもない。屠場に引かれる子羊なのである。この苦難の僕は十字架のイエスによって現実の出来事となり、真の意味の解放がもたらされたのである。

キリスト者が、この世と関わりを持つとき、それは当然、世の法則に従うことになるだろう。信仰と世とを妥協させるような関わり方は信仰そのものを腐敗させてしまうだろう。私は自治活動 をするとき、その中に信仰を持ち込むことはしない。「カイザルのものはカイザルに」あくまでも自治会規定に従って行動し、活動することになる。しかし同時にキリストによって、罪と死から解放されたものであり、その改革的精神は生きている。従って体制側に立つことはできない。私達患者を抑圧し、人間として生きることを疎外している諸制度に対して否定的態度をとるであろう。私達は自治活動を患者運動と呼んでいる。患者運動 の歴史は、1953年のらい予防法闘争に始まる。この闘争は警察権力によって、患者を強制隔離収容し、患者の人間性を抑圧し、剥奪していた諸制度を、特に所長が持っていた懲戒検束権を否定することにあった。私達はこの患者運動を人間復帰運動、人権闘争とも呼んでいる。

キリスト者が、政治に関与するとき、何らかの形で解放闘争の姿をとるのではないだろうか。絶えず体制と妥協し、人民を搾取する思想は聖書からは生まれない。

洗礼者ヨハネが獄中から弟子をイエスに遣わして、「来るべきものはあなたであるか、それともほかに待つべきか」と問わせたとき、答えて云われた。「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている」(マタイ11:4〜5)

これは病気その他の、とりことなっている者を解放した言である。しかし注目しておかなければならない事は、これらの人達も死をまぬかれる事はできなかったことである。イエスの場合でも、こうしてこの世の法には従ったのである。それを否定する事はイエスと云えども許されなかった。

しかし、もしこの世の関わり合いが改革だけにあるとすれば、キリスト者とマルクス主義者とどう違うのだろうか。全く同じものになってしまわないだろうか。これについて最近私は両者の根本的な相違といったものを新たに受けとらされた。それはキリスト者の世界観は、キリストに依る世界の完成以外に救いのないことである。キリスト者の政治活動は終末的希望に立っていることである。終末は遠い将来の事でなく、現在の問題である。再臨のキリストに十字架を見ることによって、終末の現在化が起る。十字架に在って世界の審判とゆるし、そして宇宙の完成は成就しているのである。未来に起る出来事を現在の出来事として十字架によって受けとらされることが不合理であるならば、2千年前のイエスの死を私達の罪科のために死なれたと考えることも不合理になってしま うであろう。十字架は信仰に依らなければ理解できない問題である。

イエスキリストをその十字架に世界の完成を見ることに依って私達のこの世との関わり方は積極的にならざると得ない。なぜなら、この世は既にキリストに在って完成しているのである。

療養通信

2月25日

「この病いは死に至らず」の二部に収めてある『Sと神父』のSは、秋津教会にて福音のよき証人として用いられています。Sに秋津教会入会を奨めたのはSが大病を患った直後でした。入会を奨めたのは、私はSの聖書暗誦のお手伝いをすることができるが、その他の求めに応じられなかったためでした。

このSより、秋津教会離籍の是非について意見を求められました。教会は73年の役員選挙を行いましたが、その新役員は空席となっている牧師を迎えることを決議したために、牧師の代行をしていた0を事実上罷免する結果となりました。0は長島愛生園の聖書学舎の出身で、東北新生園から転園してきました。教会の牧師が他に転任になった後は、牧師の替りに講壇に立ち、日曜毎の説教を勤めてきました。教会の若い人達は専任の牧師を置くことを希望し、0と久しい間対立していたようです。0は4人の同志と語らい、教会に連名の離籍届を出しました。そしてSにも時期をみて教会を離れるように奨めたのです。Sはそのために私の意見を求めたわけですが、私は教会を離れることに賛成できないむね答えておきました。

全生園という小さな地域に、同系の教会が二つ出来ることは不自然であり、また教会を離れなければならない必然性もなく、むしろ5人が教会に戻るように祈ることが大切であることを述べました。Sは5人の去った教会はいのちの無い形ばかりの教会になってしまうと云います。そこに集るものは日曜の説教を聞き賛美歌を歌うだけで、あとは教会のために何もしない日曜信者だけになってしまうといいます。そしてS自身は5人に惹かれているようでした。

Sは教会の人であり、離籍については、求められたので意見は述べるが、責任を持つことはできない事、S自身の信仰において態度を決するように申し添えました。

5人の離籍は、私と全く無縁ではありません。1950年より62〜3年の約12〜3年の間、私の目となって聖書暗誦に代筆に朗読に奉仕してくれた者が3人あります。その一人はK子の夫であり、あとの二人は、この5人の中に含まれているからです。

その一人は1950年、眼科病棟の一室で生死の間をさ迷っていた時、石原先生の回心記を読んでくれた婦人です。婦人はまた聖書暗誦に長年奉仕してくれました。もう一人の兄弟は代筆と聖書暗誦に尽してくれました。この二人が0と行動を共にし、教会を離れる事は、よくよくの事でありましょう。それだけに同情を禁じ得ませんが、それにも拘わらず、二人が教会を離れる事に信仰的でないものを感じます。二人が教会を離れるときは目に見える教会そのものを否定するときでなければならないでしょう。そしてそれはあくまでも信仰による決断でなければならないでしょう。

外部の私にはよくわかりませんが、今度の争いは、第1コリントのパウロが述べているような派閥の争いのように思われてなりません。

Sの教会離籍の問題から、私自身が教会を去らなければならなかった当時を昨日の如く、想起し、感無量でした。私の場合、問題になったのは教会に席を置きながら、関根先生の集会に参加することの矛盾でした。どちらかを選択しなければならぬ状況に追いこまれていきましたが、最後に決断したのは二者択一ではなく、神に服従するかそれとも己れに聞くかということでした。教会か無教会か、そのいずれかを選ぶために祈り苦しんでいるうちは決断がつきませんでした。朝に迷い、夕べに心を定める、そのような日を一週間も過しました。私は関根先生のご講義に強く惹かれていました。十字架を指し示してくれたのは先生であり、永年求めていた先生を関根先生に見ました。すべて無教会でなければならないことはわかっていても教会を去ることができませんでした。それは私のために献身的に奉仕してくれた3人の兄弟がいた事、そのほかにも私が暗黒の中をさ迷っていたとき、ひそかに祈っていてくれた兄姉がいます。私は教会で生れ、教会で育った人間です。これらの兄姉達を裏切るだけでなく、つまずく者も出ましょう。

他方、関根先生のご講義に惹かれながらも、ご講義を聞く機会は月1回のチャンスであり、それもいつか聞けなくなる時が来るでしょう。その時どうなるのか。私には決断がつきませんでした。結局、不信仰な私は二股をかけ、同じ神を信ずるのに、どちらかに決めねばならぬことはないと、教会の日曜礼拝に参加しました。そこで何ごとも起らなければ、それでよいではないか、何を苦しむ必要があろう。

しかし、礼拝に出席したとき、私の頭上に「主なる汝の神を試むべからず」が雷の如く落ちました。私は教会を出るとすぐ離籍届を出しましたが、それによって私は教会に死に、無教会にも死に、関根先生からも死に、十字架に釘づけられました。

信仰的決断というには余りにもだらしない教会離籍でしたが、この小さな体験を通して信仰的決断とは何か知らされました。それは神の言に服従し、自己に死ぬことであります。その自己に死ぬことに依って秋津教会から解放されただけでなく、無教会からも関根先生からも解放されました。人間的なつながりを断ったということです。直接的信仰から解放されたということです。

今日まで全生園に於て無教会者として一人歩んで来られたのも、関根先生との関係が持続できたのも、自己に死ぬことができたためでありましょう。つまり「主なる汝の神を試むべからず」に固着することに依って自己に死んだためであります。

もし私が教会と無教会を比較し、相対的に受けとめ、無教会を選んだとすれば無教会につまずいていたでしょう。先生にもつまずいていたに違いありません。教会離籍は私にとって二義的なことであり、神に服従することが第一義であり、教会離籍はその結果に過ぎなかったのです。ですから教会では救われないなどという考えは毛頭ありません。神によって示された道を忠実に生きることが、私にとって無教会者としての道だったのです。

それ故に、私はSが教会にとどまることを望むし、5人が教会に戻ることも心から望みます。

教会にとどまる者も離れる者も大切なことは、いかに神に固着し、忠実に従うかと云うことでしょう。教会は人間同士の権力闘争の場でもなければ派閥の争う場でもありません。あくまでもそれはキリストの身として御栄えを現わす場所であります。

この小さな全生園の中に同じ系統の教会が二つ生れ、自分の方こそまことの教会であると会員の争奪をするようなことになれば、これほど悲惨な出来事はないでしょう。らい療養所の終末は近づいています。イエスの云われるように、世の終りにはこうした現象が起るものでしょうか。兄姉のために祈らざるを得ません。そして全ての兄姉は十字架の前に悔い改めて和解するように、その日が一日も早く来るように希求します。