「小さき声」 目次


 小さき声 No.135 19731115日発行

松本馨 

塚本虎二先生を悼む

(一) 

9月9日に塚本虎二先生がご逝去されました。先生と私の関係は1950年、月刊誌「聖書知識」を購読させて頂いたことから始まります。始まるといっても、先生からお手紙を頂いた記憶はありません。私の方からは「聖書知識」の礼状を何度か出した記憶がありますが、その礼状の一つが先生の集会で読まれたことがあります。

集会に出席していた姉妹(看護婦)より、その事を聞かされたとき、私のような者の手紙が先生の目にとまった事を知って深い感動に打たれた事を今も昨日の如く思い出す事ができます。

購読を始めた当時、私は聖書の暗誦をしていました。失明と四肢の知覚マヒにより、心の扉に聖書を刻むほか学ぶ方法のない事を祈りの中で示され、聖書の暗誦に全てを賭けていました。幸い教会の二人の兄姉が協力し、日曜を除いて暗誦することができましたが、暗誦の後で30分位読んで頂いたのが、友人より借りた「聖書知識」に連載された「イエス伝」でした。

先生の聖書注解の特徴は初心者にも未信者にもわかる平易なものでした。教会にも行くことができず、先生につくことが出来ない療養者や地方に居る者は「聖書知識」を通して聖書を学んでいたといってよいでしょう。先生の聖書訳が示しているように、神の秘儀に関わる難解な事柄をも、先生は言葉でもって誰にもわかるように説明されました。先生の口語訳聖書はそのことを証明しています。

ルターの宗教改革は、坊さんの手から聖書を民衆の手に取り戻したことだといわれます。塚本先生の日本に於ける使命は、このルターに似た面があります。すなわち、聖書を平信徒の誰にもわかるものにし、民衆のものにして下さったことにあります。

1945年の終戦直後の事でした。全生園に一人の青年が入院して来ました。当時は治らい薬は無く、この世に訣別し死ぬための入院を意味しました。それは監獄と全く変りなく、入院したが最後、厳しい監視の下におかれ、二度と世に出る事ができませんでした。矢嶋園長の言葉によると、隔離時代の発病から死ぬまでの患者の平均寿命は11年でした。如何に悲惨なものであったか、この事からも理解できましょう。北條民雄の「いのちの初夜」にも見られるように、患者は一度は死を決意します。青年もまた、同じ道を歩いて来たと思いますが、彼は入院の際、1冊の旧新約聖書と「聖書知識」を持っていました。らい園に入院の決意をさせたのも彼に死を思いとどまらせたのも1巻の旧新約聖書と「聖書知識」でした。

結核に於ても決定的な治療薬はまだ出現しておりません。らいと共に病気の王といってよいでしょう。これら療養していた患者の中に、「聖書知識」を通し聖書を学んでいたものが多く居ました。この人達には先生はおらず、教会もありません。療養者に限らず、戦時中、聖書と「聖書知識」を唯一の拠りどころとして戦場に行き、そして戦死した者もありましょう。戦中戦後の暗い時代に「聖書知識」の果した役割は私たちの想像を遥かに越えたものでありましょう。

戦後、無教会に戦争責任が問われ、その代表者として先生がいつも問題にされたと聞いています。福音を伝えることが先生の使命であり、先生の戦争責任を問うことは問題の所在をはき違えているように思われてなりません。先生の聖書知識を通し聖書を学んでいた療養者の多くは天に召されていきましたが、その絶望的病気にも拘わらず、来るべき神の国に大きな希望と喜びをもって召されました。先生の伝道の使命は、こうした病んでいる者、悩んでいる者、苦しんでいる者、貧しい者、弱い者に、希望と慰めと喜びの福音、聖書を示すことにありました。先生はこの点で神の最も忠実な僕として福音を伝えた伝道者といえましょう。                 

(ニ)

先生と私の関係は聖書に限られていましたが、第一線を退かれてからは「聖書知識」に替って本誌が両者の関係を保つことになりました。勿論、本誌が先生のお目にとまるなどと考えたことはなく、「聖書知識」によって受けためぐみの感謝のしるしとして送っていたものです。

数年前、未知の姉妹より本誌の読者にしてほしいと云うお手紙を頂きました。その手紙には、塚本先生をお見舞した折、本誌が目にとまり、先生から私の事を聞かされたということでした。この手紙は私を喜ばせると共に力づけてくれました。先生が貧しい本誌に心をとめておられた事を知ったからです。

先生と私の関係は書くに足りない程、遠いものだったといってよいでしょう。それにも拘わらず私がここに取上げたのは、私の信仰にとって、関根先生と共に塚本先生は恩人だからです。最後に先生が第一線を退かれたことの意義と使命について少し触れておきたいと思います。

先生は何びとも予想しなかった時、突如として倒れ、第一線を退かれました。先生の聖書解訳の完成が待たれていた時でした。先生自身その日を急いでいたかの如く、解訳の完成に集中的に取組んでいた矢先でした。私達読者の受けた衝撃は大きなものがありました。それと共に神のなし給うことの厳しさを思わずにはおられませんでした。神は先生の事業の完成を欲し給わず、それを目の前にして打たれ、ペンを折り、神の言を取上げられてしまったのです。それは約束の地を目の前にして打たれたモーセの最後に似ています。神はなぜ目的の成就を希まなかったのだろうか。モーセの場合、荒野における彼の罪が問われています。先生もまた、罪を問われたのであろうか。

神はイスラエルの民をエジプトから解放するためにモーセを起し、荒野へとみちびかれました。エジプト脱出に神は一人の指導者を必要とし、モーセを起したのです。日本の暗い時代、昭和の初期から敗戦後の暗黒時代に神は日本に霊の指導者を必要とされ、内村鑑三に続き、塚本虎二を起したのではなかったろうか。先生の使命は聖書の福音を民衆に伝えることではなかったろうか。希望の無い絶望的な戦争へと狩り出されていく民衆に福音を伝えることではなかったろうか。既に書いたように、聖書と「聖書知識」を抱いて、らい園の門をくぐった青年に象徴されているように、先生の使命はそこにあったように思います。

近年、無教会者の戦争責任が問題視されていますが、先生の使命を、その面からのみとらえることは危険なように思われます。宣教の中心は聖書に書かれている福音を伝えることでありましょう。私は自治活動し政治活動していますが、それによって人間が幸せになるとは思っていません。どんなに立派な福祉国家が実現しても人間はそれだけで心に平和を得ることができないからです。神に作られた人間は神のもとに帰るまでは心に平和を得ることができないからです。

私は自治活動によって生甲斐を感じたり、心に平和を感じたことはありません。むしろその反対で、いつも自治活動に失望し、その仕事に空しさを覚えます。その失望、空しさを根底から支えているのが信仰であり、神の言なのです。具体的に申しますと、私は自治会事務所に行くまえに、毎朝2時間以上は聖書とそれに関係した書物を読みます。それによって自治活動をする力を与えられるのです。信仰とはそういうものではないでしょうか。伝道の評価は聖言を如何に伝えるかによって評価されなければならないでしょう。暗い時代に、私のように神の言をねがわなければ生きてゆけない人間が日本に多くいた筈です。神はそのような病んでいる者のために塚本を起し、派遣したといってよいでしょう。

しかし、敗戦の混乱が収まり、平和を回復し、新たな危機が再び日本を襲っていますが、塚本先生の使命は即ち福音宣教の使命は敗戦の混乱期で終ったとみてよいでしょう。神は、かく判断し、先生のペンを折り、唖にさせられてしまいました。その一生を神に捧げた預言者に対する報いは余りにも厳しいものであり、人間の知恵をもって計ることはできません。事実を事実として神の決定に服従するほかありません。

ペンを折り、唖とされた先生に向って世の批判は厳しいものがありました。それに一言半句答えることも、ペンを持って反論することも神は塚本にゆるされなかったからです。その晩年の先生にモーセの最後を見、イザヤ53章の苦難の僕を見ます。現代の日本は経済的に富み、繁栄を続けていますが、神から最も遠い位置、ソドム、ゴモラの位置にあるのではないだろうか。姦淫殺人が日常化しています。アメリカでは20数名という大量の少年殺害事件が起りました。そのニュースを聞いたとき、アメリカの社会構造の絶望的なことに改めて戦慄しました。地域社会の中で少年が次々と殺され葬むられていっても発覚しないアメリカの社会構造は狂っているといえないだろうか。その中心にあるのは人間の精神構造であり、大量殺人のニュースを通してアメリカに神は居ないのではないかと考えさせられます。そのアメリカの大量殺戮は日本にも始まっています。私達は戦争責任や日本の混迷退廃を論じます。そして進んで戦争責任を負い、十字架を負おうとしております。キリスト者としてそれは大切なことかも知れません。政治活動も平和運動も十字架を負おうとする真剣な戦いといえましょう。だが十字架は自ら希望して負えるものなのだろうか。現代の日本の罪は意志することによって負うことのできる程度の罪なのであろうか。混迷なのであろうか。

日本に対する神の怒りはロマ1章18節にあるようにもっと厳しいものではないだろうか。イエスと共に十字架を負うことが人間の側でなく、神の側から要求され、それによって現代の日本が支えられているのではないだろうか。神は、日本を救うためにイエスと共に十字架を負う多くの僕を要求し給うその一人として晩年の塚本先生を選ばれ、苦難の僕の道を歩ませたのではないだろうか。しかし先生は山の頂きでモーセが望んだ約束の地を望むことができたのだろうか。

或る友へ

9月16日

地球から脱出して、地球の外から、そこに住む人間と生物を観察し、研究する科学時代に、聖書の奇蹟は非科学的、神話的であるが、あなたは奇蹟を信じるのかと問われたことがあります。私はそれに答えて、奇蹟は信じていないと答えました。

あなたは私のその大胆な告白に驚かれ、「では、聖書の中に記されている歴史的な一回的出来事を信じないのか」と問うでしょう。

「断じて、もしあの一回的出来事を疑うならば、私は立ちどころに死ぬか、発狂したほうがよいでしょう。」

私はイエスの十字架と復活は歴史的な事実として疑うことはできませんが、そのほかの奇蹟については私にはどうでもよいことなのです。ということは、この事とかのこととは比較対象にならないし、絶対的な事実として回心を通し、受けとらされているからです。パウロは第1コリント15章 で次のように言っています。

わたしが最も大事な事として、あなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、ケパに現れ、次に、12人に現れたことである。そののち、500人以上の兄弟たちに同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。そののちヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、そして最後に、いわば月足らずに生れたようなわたしにも現れたのである。(3〜8)

パウロは最後に、月足らずのような私にも現れたと告白していますが、パウロ以後のキリスト者が現代の私たちをも含めてパウロと同じ位置に立ち、復活のイエスの証人とされているのではないでしょうか。「最後に月足らずのような私にも現れた」と告白しなければならないということです。

パウロは、復活のイエスの証人として、使徒たちを筆頭に多くの人をあげ、最後にパウロ自身をあげていますが、パウロと使徒たちに現れたイエスは違うのではないでしょうか。パウロの回心は現代の私たちと異なるところはありませんが、使徒達に現れたイエスは昇天前の墓から復活されたイエスです。復活は超自然的出来事ですが、昇天前のイエスは歴史的イエスです。使徒達とイエスを取巻いていた女達に現れたイエスはトマスによって代表されるように、イエスの手の傷跡と脇腹の傷跡を確めなければ信じないと主張できるほどに歴史的事実なのです。

これに対してダマスコ途上でパウロに現れたイエスは、事情が少し違うようです。パウロは「サウロ、サウロなんぞわれを迫害するか」と呼びかける復活のイエスを見ることができましたが、パウロに同行した人達には全く見えなかったのです。パウロに現れたイエスは歴史的イエスではなく、霊的イエスであります。この霊的イエスが死して葬られ、三日目に復活し給うた歴史的イエスである事を信仰に於て受けとらされています。

使徒達には、こうした霊的イエスと歴史的イエスと信仰に於て結ぶという時間的、空間的距離はありません。ガリラヤからエルサレムへと行動を共にし、最後に十字架にかけられた師が三日間の時間を置いて、厳密には丸一日ですが、彼らの前から姿をかくし、そして現れたのです。この場合のイエスの復活は使徒達の信仰に先行し、歴史的現実としてあるのです。この歴史的現実によって使徒達の信仰が生れます。それが使徒行伝にあるペテロの信仰告白でありましょう。使徒行伝のペテロとパウロの信仰告白は、その意味で時間的にまた、その内容に於ても微妙に違うのではないでしょうか。つまり、使徒達の見た復活のイエスは昇天前の歴史的イエスであり、パウロのイエスは、歴史を越えたイエスであり、昇天後のイエスといえましょう。この意味で、パウロ以後のキリスト者はパウロと同じ位置に立ち、復活のイエスの証人になることができます。また、ならねばならないでしょう。聖書には、イエスが行われた奇蹟が多く記してありますが、それらの記事にはイエスの復活と同列に考えることはできません。使徒達が目で見、手で触れた生前のイエスが死して葬られ、三日目に復活し、天に上げられた神の子キリストであることを如何にして証しするために聖書記者は多くの奇蹟を記したものと思います。そのこと以外に病気の治癒や海上歩行、パンの奇蹟は意味がありません。私が十字架と復活という出来事以外に奇蹟を信じないといったのもこのようなわけで、イエスの復活を信ずる者にとって他の奇蹟はどうでもよいということではありません。奇蹟の意図を理解すれば、信じてもよし、信じなくともよいということです。

月には昔から兎がお餅を搗いているという伝説がありました。アポロによって月には空気も水も無く、死の砂漠であることがわかりましたが、兎がお餅を搗いているという美しい伝説の価値は少しもそこなわれておりません。イエスの病人の治癒が非科学的あると実証されてもイエスがキリストであるということに、いささかも変更を加えることはできないでしょう。イエス・キリストは時間空間を越えた神で居給う。その神が歴史の中にご自身を啓示されたのが十字架と復活であり、それゆえに、それは歴史を越えた方であると共に歴史的現実なのです。このことを信仰によって理解するなら ば、非科学的な奇蹟をそのまま信じても、それが偽りだと笑うことができません。むしろ、笑う人間のほうが偽りであり、悲惨といえましょう。現代は神を嘲笑し、偽りとする人間が余りにも多すぎるようです。私には、その人たちが兎がお餅を搗いているという美しい物語を理解することができない程に詩情のない死んだ人間、砂漠の人間になってしまったような気がしてなりません。その砂漠とは神を否定し、自然を破かいしていく世界です。空気を汚染し、陸を汚染し、海を汚染し、この地球を死へと追いやっている世界です。誤解を避けるために、奇蹟を信じないといったのは、科学的には信じないということであることを付記しておきます。