「小さき声」 目次


 小さき声 No.139 1974315日発行

松本馨 

神の支配 

ブルトマンの著作を読むと、彼は神の国を神の支配と訳している。どちらが原文に近いのか、私は知らないが、ブルトマンにとって神の国は、あすこにもある、ここにもある、と云ったものでなく、主体的決断に依る開かれた世界(神の支配)だった。 

神の国の語感から受けるものは、時間的、空間的、場所的なものであるが、神の支配から受けるものは、神と人との全人格的関係、ダイナミックな関係である。神の支配は言に依る支配である。「はじめに神は天と地を創造された」(創世記1の1)創世記1は、神が言に依って天と地をつくられたことを書いている。言の支配が創造者と、被創造者の関係を表わしたものであろう。そしてこの言に依る支配の原形を、エデンの園に見ることができよう。 

エデンの園の中心は、エデンそのものにあるのではなく、園の中央にある、律法(神の言)の木にあった。律法の木の実を食べてはいけない、食べると死ぬから、と云うのが律法の木の戒めである。この戒めに依ってエデンの園は治められた。この戒めに服従することが、言による支配であり、反逆することが罪なのである。それは言の支配からの、転落を意味する。 

アダムは蛇の誘惑に負け、戒めを破り、言の支配の領域の外に脱落した。そこは呪われた地であり、苦難と死がアダムとエバにのぞんだ。神の戒めを破ることが何を意味するか、アダムは身をもって知らされたであろう。その最たるものはカインのアベル殺害である。親にとって子供達の殺害程、悲惨で不幸なものはないであろう。自分が殺されるよりも、つらく絶望的なものである。ダビデもまた、アダムと同じ経験をした。第2次大戦以降、これと同じような事件が起っている。そして、教育のあり方が問題にされ、社会の腐敗が論じられている。けれども殺人や盗み、姦淫は罪そのものではなく、それは罪の結果である。罪はアダムによる、神への不服従というエデンの園における一回的出来事であった。もしアダムが罪を犯さなかったならば、罪は存在しなかったのである。それがロマ5章のパウロが云っていることである。一人の人の罪に依って、罪は世に入り、凡ての人が罪を犯したために、死は凡ての人に及んだのである。 

罪が分ったようで分らないのは、アダムにその原因があるからである。即ちアダムの裔として生れながら罪と死を負っているためである。言の支配の領域外に生れたことである。だからと云って、罪に対して責任がないということはではない。あくまでも罪は自己の責任なのである。 

言に依る支配は、新約ではキリストである。「…言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまことに満ちていた」(ヨハネ1の14)。アダムのそむきによって、人間は神の支配の領域外に転落した。そして人間の側からの回復を求める手段は全く絶たれていた。唯一つの方法は、アダムが悔い改めて、やり直すことであったが、それは不可能であった。このように絶望的状況の下にあった人間の世界、神の側から交りを回復する方策がとられた。それがイエス・キリストの派遣であった。イエスは、人間の罪を贖うために、十字架にかけられ、死して葬られ、三日目に復活された。アダムの反逆が人類に罪と死をもたらしたように、イエス・キリストの死と復活は、全人類に義をもたらした。神の支配の領域内にその地位を回復したのである。 

では具体的に神の支配とは、どういうことなのだろうか。いかにしたならば、それを受けることが出来るのだろうか、この点についてイエスの死後現在に至るまで、まちまちである。それが信仰の相違をもたらし、多くの教派を生んだ。私は神の支配は難しいことではなく、神の言に固着することだと信じている。それが言に依る支配を受けることなのである。神の言に固着するとは、イエス・キリストに固着することである。十字架の義に固着することである。イエス・キリストの死と生をこの身に受けることである。私達は神なき不信のどん底にいる。私の側から十字架のイエスに固着することは出来ないが、彼は私を捉えてはなさない。十字架の死まで降ったイエスが私を捉えてはなさない。私が捉えるのでなく、イエスが私を捉えてはなさないのである。言に依る支配とはそういうものであろう。彼でなく私が捉えているとすれば、何時かは力尽きて彼を捉えていることを断念してしまうであろう。しかし私でなく、彼が私を捉えてはなさないのである。言に依る支配とは彼が私を捉えてはなさないことである。それにもかかわらず、私が彼を引き離し、逃亡するとすればそれは私の罪である。それはまた言に依る支配の領域外に転落することである。アダムの1回的な罪によって全人類が滅びの宣告を受けたように、イエス・キリストの1回的出来事に依って救いは全人類に及んだのである。 

療養通信

  2月17日 

2月は自治会役員選挙の月で前号で触れたと思いますが、役員選出に困難をきたしています。過去5年間、私と労苦を共にしてきた会長のHが休ませて欲しいということから始まっています。つまり、会長になる者がいないのです。最悪の場合、私が負うことになるかも知れませんが、不自由度と健康度を併せ考える時、私の会長は無理ですが、自治会を閉鎖することは出来ませんので苦慮しています。

 それにしても、千人からの患者がおり、能力的にも、健康的にも、会長となるべき人材がおるにもかかわらず、自治会にそっぽを向いている現状は淋しいです。自分の事以外は考えないという日本全体の風潮が、療養所にも浸透しているようです。自治会を再建してから5年になりますが、医療センターとしての機能を発揮するまでには、後2、3年はかかるでしょう。それまでは自治会を閉鎖することは出来ません。

 しかし、それにもかかわらず自治会活動に対して最近は、絶望しています。その原因は管理者にあるようです。現在の管理者に医療センターの管理能力があるのだろうか。職員に医療センターへの意欲があるのだろうか、という疑念がセンターの形が整うに従って大きくなってゆきます。自治会内にあっても、意見の対立がしばしばおこります。過去にはなかったことですが、センターの具体化によって表面化して来たと云えましょう。問題はセンターの内容如何ではなく、もっと本質的な事柄、人間そのものにあるように思われます。その具体例として、次のような事がありました。私は、長島愛生園の高校卒業生は希望によって、全生園に転園させ進学や社会復帰の道を開きました。これは或る高校生が折角高校を出ても、愛生園に2、3年居ると、社会復帰の意欲も、向学の意欲もなくしてしまうこと、全生園に来てその眠りから覚めた、と聞かされました。その時以来高校卒業生は、全生園に転園させるように施設に働きかけ受け入れて来ました。全生園は進学、職能訓練、就職とあらゆる可能性をもっております。東京という地理的条件と、療養所と社会を分かつ壁がなくなったためでしょう。

 愛生園の高校卒業生は4名、その中の2名が転園を希望してきました。1人は大学への進学を希望し、もう1人は、技能の習得を希望しています。これに対して施設幹部会は、高校生はだらしがないから受け入れないという事を決めました。だらしないとは園内作業に従事しない事、寮の庭の清掃をしない事、共同生活に対して協力的でない事などを挙げています。

 私に云わせれば、こうした日常的な事は管理者の指導が間違っているからです。高校生に責任はありません。作業に従事しないのは、月額2万5千円の日用品を貰っているからで、働く必要を認めないからです。園内作業よりも社会復帰がより重要な問題で、園内作業は問題にしていないのではないだろうか。こうしたことが理由で高校卒業生を、今後受け入れないという管理者の思想は、若者達を社会に復帰させてやろうという思想に欠けています。面倒なことには一切かかわらず、穏かに任期を全うしたいというエゴが働いているように思われてなりません。

大学への進学と、技能習得に心を燃やしている若い二人のことを思う時、私の心は暗く、転園拒否の手紙を発送する気持になれません。それは二人にとって死にも等しい宣告でありましょう。何故安易にこうした決定を下してしまうのだろうか。私が管理者に対して疑念を持ってきたのはこのことなのです。それは患者に対する思いやりが欠けていること、人の命が地球より重いということに対する無理解からくるものと云えましょう。

らい療養所の隔離政策に対して私が批判し続けてきたのは、らいなるが故に、患者の生命が軽視されてきたこと、人間の尊厳が不問に付されてきたことに対する憤りなのです。センターの具体化に従って、それが表面に現れつつあるように思われてなりません。二人の高校卒業生の転園問題に就ても、この問題がぬけておれば転園拒否という軽率な決定は下さないでしょう。要するにこうした思想でセンターを管理されることに、私は絶望します。

私のとるべき道は、あれか、これかでありましょう。それは管理運営に対して介入するか、それとも身を引くか、ということです。前者は人事権にまで入って行くでしょう。体制への抵抗であり、それはラジカルなものとならざるを得ません。もう一つの道は、患者として止まり、体制に従うことです。しかし、この決断はもう少し先になるでしょう。私の現在の願いは、何時如何なる時でも、キリスト者としての道をすすむことであり、すべてが信仰に依る決断でなければならないことです。

 或る友へ

  2月27日

 「聖書の言」1月号に掲載された「らい患者と共に」を読みましたが、これは塩沼英之助先生退任記念講演の要旨を掲載したものです。44年にわたる先生の労苦を謝して、無教会の先生方が計画された講演会からとったものです。是非お読みするようおすすめ致します。

 先生は、昭和4年に多磨全生園に就職され、それから鹿児島の星塚敬愛園、沖縄愛楽園、長島愛生園、邑久光明園等、眼科医として、また園長、医務部長として転勤されました。

 私は先生の40年にわたるらい療養所の思い出に耳を傾けながら、深い感慨に襲われました。先生の退任に当って、無教会の先生方は、記念講演会を開催して下さいましたが、私達患者は先生の一生を賭けた労苦に対していかなる意志表示をしたのであろうか、誠に無関心と云おうか、殆ど省みられなかった、と云ってよいでしょう。昭和の初め、若い優秀な医師が、家族の反対を押して全生園に就職されました。その中の林文雄、田尻敢両先生は、すでに召されて世にありません。塩沼先生を始め、同時代の先生方は、既に年老いて第一線を退かれ、あるいは去ろうとしています。こうした両先生方に私達は何等かの方法で、感謝の気持ちを形に表わすべきではないでしょうか。

 治らい薬の発見と、第2次大戦による社会変革によって、私達の地位は著しく改善されたと云えましょう。刑務所的療養所から、解放療養へ、非人間的地位から人間へと、昔を思う時、今日の私達を誰が予想出来たでしょう。療養権を拡大し、生活権を獲得した私達は、監督を恐れ、人間を恐れた昔の囚人ではなく、あるいは、人間を恐怖する動物的感情を植えつけられた人間失格者ではなく、希望と自信をもって歩く解放療養下の快復者なのです。

 過去の隔離政策に対して、私達は徹底的に批判し、その非人間的政策を否定します。けれども私達は現実を肯定し、過去を批判するのに急な余り、あの暗黒時代に、黙々として医療に従事して下さった先生、看護婦さんを忘れてしまっているのではないだろうか。これらの先生、看護婦さんは、40年から50年在職し、第一線を退かれ、あるいは退かれようとしています。私は塩沼先生の講演を聞きながら、このことに思いを深く致しました。これ等の先生、看護婦さんは、患者から報酬を求めるつもりは全然ないでしょう。その多くはキリスト者、特に無教会キリスト者だからです。塩沼先生は、畔上賢造、藤本正高両先生を通し、無教会の信仰に導かれました。慈恵医大の学生の頃だと云われます。その頃、光田健輔との出会いがありました。らい患者に一生を捧げる決意をされたのも、光田との出会いが決定的な要因となったようです。40年、50年と勤務しているうちに、信仰をなくした先生もいます。俗化してしまったのですが、先生にはそれがありません。医者としてらい者のために一生を捧げることは、容易なことではなかったと思いますが、それ以上に信仰を守ることは容易ではありません。厳しい戦いがあったものと思われます。

 先生は医師不足の邑久光明園に、退任後も毎週1回診療に行っておられると聞いております。何時までもお元気に患者のためにお働き下さることを祈ります。

   2月28日 

私は次のことが言いたかったのです。私達の療養社会が一般社会と近接し、医療、文化が社会の水準に近づけば近づく程、昔を忘れてはならないということです。あの暗黒の時代に働いて下さった先生や看護婦さんを、常に想起しなければならない、ということです。高令のためと、医学の進歩によって、現代の療養所は、昔の先生や看護婦さんを、それほど必要としません。皆な望んでいるのは、優秀な技術を身につけた若い医師であり、看護婦でしょう。だからと云って、昔を忘れてしまってよいのでしょうか。私達は強制隔離から解放され、人間を回復したと自負していますが、それは形だけのものになってしまうでしょう。私達が真の人間を回復するためには、昔を忘れないことです。そこに働いておられた人達を想起し、何等かの形でその恩に報いなけれがならないでしょう。その最も良い報いとは、先生や看護婦さんをらい園にくぎ付けにした信仰に至ることでしょう。十字架のイエスを知ることです。私は、十字架の一点に先生や看護婦さんをらい園にくぎ付けした秘密があるように思われてなりません。

 恩に報いるとは、世俗的な匂いがしますが、この人達の信仰に習うと云った方がよいでしょう。社会復帰をするにしても、所内復帰するにしても、自身を十字架にくぎ付け、新生することです。このことなしに私達にとって社会復帰は意味のないものとなってしまうでしょう。

療養所から社会復帰した快復者は、千数百人を越えますが、そのうちの果して何人が十字架を負っているでしょうか。その大部分は快復者であることを隠し、いつか秘密が露見するのではないかと世を恐れ、人間を恐れて暮しています。これほど痛ましい不幸な現実はないでしょう。全生園では、大きな変革期を迎えています。強制隔離収容所から医療センターへと、歴史的転換期を迎えております。私はしかし、この歴史的転換期を終末的観点に立ってよりほかに、受取ることができません。らいから解放され、医療が充実しても、それだけで人間は救われないからです。まことの救いは、キリストに依る新生であり、終末的世界の到来でありましょう。こうした展望に立つとき、あの暗黒時代に、その青春をらい患者に捧げた先生や看護婦さんと同一線上に立つことができるでしょう。

療養通信を書いたのち、事態は急変し、自治会長として74年の自治会の全責任を負うことになりました。私の自治活動は、信仰的決断に因るもので、キリストに在って自己に死ぬ、という回心を通過しています。それ故会長の重荷をそれほど感じていません。キリストに在って自由だからです。会長も小使も私にとっては同じことなのです。


校訂者註

@原本3頁下から5行目
「日本全体が自分の事以外は考えないという風潮が、療養所にも低迷しているようです。」
は文意が通るように、
「自分の事以外は考えないという日本全体の風潮が、療養所にも浸透しているようです。」
と改めた。

Aこの号では、「イエスキリスト」と表記されているが、他の号との整合性を重んじて「イエス・キリスト」に統一した。

B原本の7頁左11行目
畦上健三」は「畔上賢造」の誤記であるので訂正した。

C原本の8頁左1−4行目
「その最も良い報いとは、先生は看護婦さんをらい園に釘付けにした信仰に至ったことでしょう。」
は文意が通るように
「その最も良い報いとは、先生や看護婦さんをらい園に釘付けにした信仰に至ることでしょう。」
に改めた。