「小さき声」 目次


 小さき声 No.87 19691120日発行

松本馨 

のとき

 

  実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを私たちは知っている。(ロマ八―22)

 

十八節以下に、三つのうめきがあります。人間と被造物と聖霊のうめきがあります。二千年前の使徒パウロは、罪と死の下に苦しみながら、己が身体のあがなわれる日を待ち望んでいる人間と共に、萬物もまた苦しんでいることをここで記しています。人間が救われれば萬物も救われ、人間が亡びれば萬物も亡びるというのがパウロの自然観です。というより聖書の自然観でありましょう。神は萬物を造り、これを人間に治めさせられたというのが旧約の人たちの思想です(創世記一章)。自然は人間と運命を共にするといってよいでしょう。被造物のかしらとして、神は同質の塵より人間を造られました。主人であり、 かしらである人間が亡びれば、それに従う被造物が亡びるのは当然であり、人間が救われれば、被造物が救われることも当然でありましょう。けれども神無き現代人には理解に苦しむ自然観でありましょう。人間は被造物のかしらではなく猿より進化したものと信じているからです。然し私は現代ほど、パウロがロマ書で語っている自然観が、形となって現われている時代は過去に無かったように思います。 以下、このことに就て少し記してみましょう。

 

 十月の声を待っていたかのように、園内至る処に、木犀の花が咲き始め、清潔な香りを放っています。なぜか木犀の花の香気はバイオリンの音色に似ています。ある姉妹から聞いた話ですが、都内では木犀が咲かないということです。空気の汚染が原因のようです。交通量の激しい所では、自動車の排気ガスによって並木が枯れるといわれます。機械文明の発達する所に、人間は集中し、人間の密集するところの天と地は汚染します。工場やビル、一般家庭から吐きだされる煤煙と汚水、自動車の排気ガスによって、天は汚染し、水中に遊泳する魚の群れを見ることのできた清き流れの川はドブ川と化し、悪臭を放ちます。大人も子供も空気の汚染とドブ川の悪臭によって、また自動車の吐きだす排気ガスによって目はただれてかすみ、 気管もただれてぜんそくにおち入っています。ある専問家の調査によると空気の汚染した大阪市内と、空気のキレイな郊外とを比較するとき、死者の数は汚染区域の方がはるかに多いということです。更に汚染のひどい日ほど死亡率が高いといわれます。入間は人間の作り出した機械文明のもとで苦しみ、死を早めています。肉体の死よりもっと恐ろしいことは、精神の亡びでありましょう。近年、新聞、ラジオを賑わしている兇悪な殺人犯は未成年者が大部分であります。これら未成年者は、他人の物をかすめることや殺人に対して罪の意識は全くありません、けもののように無感覚です。大人もまたこれに対して傍観者的態度をとっています。機械文明が作り出した物質化された人間像であります。このような機械文明と物質化された人間社会が都会であります。そこでは空気と川の汚染によって花は散り、草は枯れ、葉はしぼみ、木もまた枯れていきます。空の鳥も死滅し、地を這う虫たち、海の魚もまた亡びて行きます。昔の歌人がこよなく愛した隅田川に魚が住んでいるでしょうか、ドブ川と変じた隅田川は悪臭を放ち、その河畔に住む人たちを悩ましていると聞いています。

 

 機械文明の進出して行く処に、人間も集中し、自然は破壊されて行きます。都会から郊外へ、そして農村へと破壊の手は延びています。工場と団地が出来れぱ、メダカの小川はたちまちにしてドブ川に変じ、川魚は死滅し、稲さえ枯れてしまいます。ロマ書八章十八節以下のパウロの言が、今ほど形となって現われているときは無いように思います。

 

 こうした状況の中で、私たちはうめきつつ栄光の日を待ち望んでいます。そして被造物もまたうめきつつ神の子たちと共にあがなわれる日を待ち望んでいます。うめきは両者だけではなく、聖霊もまたうめきつつ私たちのために、とりなしをしています。私たちのうち誰一人として、その原因となっている罪について知っている者はありません。この世は総て罪であり、罪と対立するものが無い限り、罪を知ることができないからです。私たちが夜を知るのは昼があるためであり、夜だけの世界であれば夜を知ることができないでしょう。光があって初めて夜を知ることができます。罪もまたそれと対立する義があって初めて知ることができます。義とは神の義であります。神の義を知って初めて罪がわかり、人間の悲惨を知ることができます。ではどこで神の義を知るのか、十字架の一点に於てであります。神の義は十字架の一点に啓示されています。十字架による罪のゆるしとは、十字架にある神の義を受くることでありましょう。十字架の義を受くることによって罪を知ります。また、聖霊のうめきも十字架の一点にあります。「エリエリ、レマサバクタニ」は聖霊のうめきでありましょう。私たちはこの聖霊のうめきを十字架上に聞くことができます。それが今のときの苦しみであり、今はめぐみのときであり、「ときは満ちた」のときであります。私は十字架以外の如何なる所でも人間の悲惨を知りたいと思わないし、被造物の悲惨を知りたいと思わないし、聖霊のうめきを知りたいとも思いません。三つのうめきは十字架以外の如何なる所に於ても知ることができないからです。

 

死の家覚え書

No.63

月○日

南条秋雄へ 花岡健

君は辛棒して、僕の手紙を最後まで読んでくれたろうか。昨夜はそのことが心配になって眠れず、今朝は早々にペンを取りました。それというのも、手紙の中であの女に関連して、君に批判めいたことを書いているからです。正直にいって君があの女のことで、僕に多少の疑いを抱いていることに、僕は仰天しました。次に憤りを感じました。その次に友に裏切られたという悲哀に襲われました。それが厳しい批判となり、君を裁くという結果になったのです。冷静になって自分の書いた内容を分析したとき、君に済まないという気持がいっぱいでした。

僕の眼に、あの女がどのような女に見えても、君にとっては愛する妻であり、最も君に近く、君が信じられる女です。その女より、まことしやかに僕との関係が告白されたとすれば、君が僕を疑うのは無理からぬことです。女に対する信頼度が強ければ強いほど、君の僕に対する疑いは不可抗力に近いものでしょう。その後女の淫蕩性が暴露され、女の行為が明らかになるに従って、君の妻に対する信頼感は喪失したものと思われます。しかしそれでもって、君は僕の潔白を信じることができなかったでしょう。姦淫の女であるが故に前よりもいっそう疑わしく思われたに違いありません。そのような泥沼の中で、君は僕の友情を信じようとし、努力し、血みどろの 闘いをしたことと思います。その君のことを思うとき、君に対して憤る資格は僕にありません。むしろそのようなことをしている君に対して、何も知らず、傍観者的態度をとってきた僕自身こそ責められなければならないでしょう。僕は君に対して、ヨブの三友人の位置に立ちたくないと思っています。が、結果的には君に対して三友人の位置に立っているようです。この事実は僕にとって悲しいことですが、ある意味でそれが人間というものでありましょう。僕らは十字架を離れては、一人の友を愛することもできないほど人間的に失格しているといえましょう。ふだんは表面に現われませんが、ヨブや君のような極限に立たされるとき露呈します。そのように不信だらけの人間ですが、それにも 拘わらず僕らが信頼し合えるのが十字架の一点に於てでありましょう。彼がわれわれの不信となり、不義となり、罪となり根底からわれわれを支えていて下さるという事実が僕ら人間同志の連帯性でありましょう。

昨日の続きですが、僕の神観について少し書くことにします。僕は神のリアリティは、神々が死んだということだと信じています。ニイチェは神々が死んだといっています。勿論僕はニイチェのような意味でいっているのではありません。ニイチェの神観は、彼の主観であり、観念に過ぎなかったことです。歴史的、客観的事実性はありませんでした。そこに彼の悲劇があったと言えましょう。彼は「ツアラトウストラ」の中で神の死を実証しようとしました。彼がその究極に於て証明し得たものは彼の発狂と死であります。

聖書の神の死は人間の側にはありません。神の側で起ったできごとなのです。よこしまにして、不義なるこの世に対して、神は神で在り給うがために、いやしい下僕の形をとり、十字架の刑死を遂げたのです。そしてそれは神の死であり、歴史の中に起ったのです。僕は神のリアルを十字架以外の如何なる所でも知りたいとは思いません。そこにだけ僕らと同じ位置に立たれた神を見ます。そこにだけ、喪失した僕らの人間の原型を見ます。眼球はえぐり取られ、鼻は陥没し、歯は腐り、耳は熟柿の柿のように落ち、手足は切り取られ、全身は肥溜のように腐り、蛆だけが喜こんで巣を食う、人間らしい面影はどこにも無く、人間の匂いすらないこの世界 。 虫なのか、けものなのか、それとも何なのか、このような極限で僕らはどこで人間を知るのか。義とは何か、不義とは何か、愛とは何か、真実とは何か、喜びとは、悲哀とは、怒りとは、嘆きとは何なのか、どこでそれを知るのか 。僕らは十字架の一点以外に知ることはできないのです。イザヤ五十三章の苦難のしもべにはリアルな面より、ロマンチックな面が強いようです。詩的面が強いのです。それだけに僕らの慰めとはなりません。けれども十字架にはそのようなロマンチックな詩はありません。神の子の刑死という厳しい現実だけがそこにあります。そしてそれが神のリアルであり、僕らのリアルなのです。これほどに深く厳しいリアルは無いでしょう。それは天上の世界と現実の世界と地獄の世界を一つにしたものだからです。過去、現在、未来を貫ぬいた現実たからです。そこにだけ僕は神の死と神の生を見ます。そこにだけ僕の死と生を見ます。(つづく)

 療養通信

(前号のつづき)神の義は関係概念だといわれます。また神が神で在り給うことだともいわれます。十字架は神が一方的に人間と結んだ契約であります。それが義であり、その子イエスキリストを十字架にかけられたのは義のためであり、神が神で在り給うためでした。神が神で在り給うためには独り子を十字架にかけねばならなかったのです。良いことのためには契約を破棄してもよいというお考えは神ご自身持たれなかったのです。それが契約に示されている義であります。まして人間が善のためには契約を無視してもよいという大それた考えは、神を恐れぬ高慢というほかありません。二分化問題についていえば、機関と機関との約束を守ることが義であり善であります。約束を守れないような園首脳であれば、私は総退陣を希むでしょう。全生園を含めて、癩療養所の混乱は両者の約束を守らないことから来ています。旧自治会が閉鎖した原因も、自治会と園首脳との不信感、両者とも約束を守らなかったことにあります。両者の約束違反は、内に向っては自治会役員の会員との約束違反となって現われました。現代の日本の混乱も政府と国民とに取かわされている契約違反が原因ではないでしょうか。 政治家の契約違反であります。学生の契約違反、或いは一般民衆の契約違反であります。別の言葉を借りていえば、上は総理大臣から下は一般民衆に至るまで、日本国憲法を尊重しようとする意志が無いことです。

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創立六十周年記念行事が一ケ月遅れて、十月二十八日になったために、今月は行事の多い月になりました。二日は草津栗生楽泉園との親善交流がありました。春秋二回、両園とも二十人づつ招待し親善交流を計ります。二日朝二十人づつ乗せた自動車が両園から出発し、利根川で出合います。正午前後になりますが、河原で昼食を共にし、二十人の交換が 行われます。全生園の自動車は楽泉園の患者二十人を乗せ、楽泉園の自動車は全生園の患者二十人を乗せて、それぞれ自園に引返して行きます。四泊五日の親善交流が終ると、同じ方法で利根川でもつて患者の交換が 行われます。 四泊五日の期間中は必ずリクレーションに連れていくことになっています。全生園の場合は東京見物で、楽泉園の場合は善光寺方面のリクレーションです。こうした親善交流は厚生省が許可したもので四ブロックに分れて 行われています。 関東では全生園と楽泉園、駿河療養所が行なっています。東北では新生園と青森の保養園、瀬戸内海では愛生園と光明園それに大島青松園です。九州では菊池恵楓園と鹿児島の敬愛園、それに奄美大島の和光園です。

九日は秋の合同園葬(五人)と秋季慰霊祭(二千百二十人)が行われました。園葬は春秋の二回で、一年の死亡者数は十五人前後です。プロミン以前の冬の期間中に亡くなる一カ月の死亡者数とだいたい同じです。近年死亡者の率が少しづつ上昇しているように思われます。プロミン治療が始まった翌年の死亡者数は確か七人と記憶しています。十人以下の年がしばらく続いたように思いますが、現在は倍になっています。この傾向は他園にも見られますが、その理由は患者の 老齢化をあげることができましょう。他園はそれに医師不足が重なっています。二千百二十人は開園以来の物故者数です。

十日は体育の日。十七日は小中学生(九人)の運動会です。正式には東村山市小中学校分校の運動会ということになります。派遣されている先生が四人で職員と患者の代用教員を加えると、生徒よりも先生の数が多いのが特徴です。運動会には高等看護学園の生徒と医局事務関係の職員、それに自治会役員と全国国立療養所H氏病患者協議会本部の駐在員が参加しました。自治会は運動会用品として萬国旗、録音テープ(五型)とカラーフィルム 8ミリフイルムを購入し贈りました。役員招待に対しては別に千円包みました。

二十日は駿河療養所との親善交流です。

二十一日は全生園全体の整備計畫案に対する賛否投票。現在の時点(十九日)では結果が分りませんが、だいたい支持されるものと思います。治療棟、病棟、一般居住家屋の鉄筋コンクリート化であります。治療棟、病棟は日本の医療センタ一としての性格づけを考えています。将来は日本だけではなく、アジアの医療センターとしての活躍が期待されます。H氏病療養所の医師を確保するためには、若い医師に魅力ある医療センターにしなければならないでしょう。地方の療養所では医師不足が深刻です。そのために全生園の一時転療者が年々増えています。全生園は地理的に恵まれているため医師不足の心配はありませんが、地方の病友のことを考えるとき、医療センターを実現しH氏病医療の近代化と医師確保は是非必要です。私が全生園機関誌「多磨」で医療センター構想を発表してからというもの各園で問題にしているようですが、真意が理解されません。全生園の近代化は、地方の療養所を犠牲にするものだと職員も患者も考えているようです。医師不足から充分な治療を施すこともできず、空しく死んでゆく患者を目の前にして何ら対策を 講じようとしない地方の先生方に私は深い疑問を持ちます。多磨全生園を近代化するならぱ、地方の療養所も近代化してほしいといいます。どのように近代化しても交通不便な避地に就職するお医者さんは居ません。それが分っていて全生園の近代化に反対している先生が多いということです。生命の尊さを考えるならば、かりに患者が反対しても全生園に転園させ、治療を受けさせるのが人の道ではないだろうか。医は仁術と言われましたが、医は算術だと陰口を言う人がありますが、自己の立場のみを考えると算術になってしまう危険が多分にあります。H氏病は癒ると言っても、一般病棟に入院できるまでにはなっていません。それだけに綜合医療センターは是非必要なのです。投票の結果七五パーセ ント以上の支持が得られれば、ただちに運動に入ることになります。運動の見通しは楽観できません。厚生省は、あと二、三十年経てば、癩は無くなる、今更金をかけて整備する必要は無いと言っています。二、三十年後の結果だけを見て現実を意識的に避けようとする厚生省に対して、運動は抗議を含んだものになりましょう。厚生省の出方によっては、運動は過激なものとなるでしょう。信仰と患者運動との両面に立たされて、私の立場は困難なものになることが予想されます。けれども現実との歯み合いは、第三者がとやかく言うべきものではなく、また、合理的に説明できるものでもなく、その場に立たされて、心の奥深くで決断するほかはないでしょう。ただ患者運動はあくまでもこの世のものであり、H氏病患者が人間社会の歴史的現実に自己を位置づけようとする人間復帰運動の一環であります。信仰的には無意味な運動と言えますが、無意味の中に生きているキリスト者の負わねばならぬ矛盾であり、悲哀であります。私は終末への希みに生かされ、この運動に参加することになりましょう。と言うより指導的役割を果すことになります。

二十八日は創立六十周年記念日、当日は午前十時より公会堂で式典が行われます。永年勤続者職員の表彰と永年在園者四〇年以上四十一人に記念品として毛布が贈られます。

この日は菊、盆栽、カメラ、活け花の展示会が行われます。また囲碁将棋大会、午後五時よりは公会堂で盲人会ハーモニカバンド、歌と演奏(歌手は職員)、さざなみ会の日本舞踊(患者)、職員の民謡会の踊りがあります。約二時間半かかる予定です。 このほかに療養四十年以上の人達の明治、大正を語る座談会を計画しています。六十周年記念事業としては、癩文献の蒐集と図書館の設立を計画しています。現在の図書館には 北條民雄の蔵書をもとにした北條文庫がありますが、残っているのは書棚だけだということです。癩文献も散在して余りありません。時機を失した感がありますが、癩文献を集めておかねぱと考えています。そして将来は全生園の歴史編纂と自治会の患者運動史を編纂しておかねばと考えています。