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松本馨 『小さき聲』 WEB復刻

校訂・編集  田中 裕   解題


「小さき声」復刻

「小さき声」 第一期

1 福音伝道の始まり: 回心の記ーこの病いは死に至らず

創刊号

19629

No.2

196210

No.3

196211

No.4

196212

No.5

19631

No.6

19632

No.7

19633

No.8

19634

No.9

19635

No.10

19636

No.11

19637

No.12

19638

No.13

19639

No.14

196310

No.15

196311

No.16

196312

No.17

19641

No.18

19642

No.19

19643

No.20

19644

No.21

19645

No.22

19646

No.23

19647

No.24

19648

2 世俗のなかの福音: 自治会活動の開始

No.85

19699

No.86

196910

No.87

196911

No.88

196912

No.89

19701

No.126

19732

No.127

19733

No.128

19734

No.129

19735

No.130

19736

No.131

19737

No.132

19738

No.133

19739

No.134

197310

No.135

197311

No.136

197312

No.137

19741

No.138

19742

No.139

19743

No.140

19744

No.141

19745

No.142

19746

No.143

19747

No.144

19748

No.145

19749

No.146

197410

No.147

197411

No.148

197412

No.149

19751

No.150

19752

No.151

19753

3 人権のための闘い: 自治会長時代 「倶会一処」発刊 の頃 

No180

19778

No.181

19779

No.200

19794

No.201

19795

No.202

19796

No.203

19797

No.204

19798

No.205

19799

No.206

197910

No.207

197911

「小さき声」 第二期

再刊-No.1

19876

 

    

「小さき声」 主題別

『預言と福音』三百号に寄せて

197611

自己からの解放

19783

無教会     198211月 −

1983年1月 

終末と言うこと

19858

 

評論集

自由を奪うもの

19674

70年の沈黙を破って

197912

医療センター −療養所の終末

196712

決断の時

198512

最後の一人のために

196811

いのちの重み

19864-7

 

 

部分改正か廃止か

19873

創立70周年に寄せて

19799

原田嘉悦さんを悼む

19875

 

解題

  多磨全生園の自治会長として、らい予防法の改正・廃止の運動に早くからかかわってきた松本馨さんについては、荒井英子さんの書かれた「ハンセン病とキリスト教」 (岩波書店 1996) を通じて知ったが、「信仰と人権の二元性」を越えるキリスト者の実践のあり方を知る上で、彼の無教会主義キリスト教の信仰がいかなるものであったのか知りたいと思った。

  松本さんが1962年(昭和37年)から1986年(昭和61年)にかけて毎月一回刊行された個人誌「小さき聲」 の原本のコピーを纏めて製本したものが全生園の図書館にある。私は「小さき聲」の最初の100頁ほどを読んだが、その内容に強く惹かれた。  松本さんは1918年4月25日、埼玉県に生まれ、1935年、17歳の時にハンセン病と診断されて、全生病院に収容され、2005年5月23日に、87才でなくなられるまで、70年の間、療養所で過ごされた。プロミンが開発される前の戦前の療養所、戦中のもっとも苦しい暗黒の時代、戦後まもなく起きた最初の予防法改正運動、1960年代後半の自治会再建の呼びかけ、療養所の歴史を療養者の目から纏めた「倶会一処」の刊行、ハンセン病図書館の創設、など療養所の過去の歴史をつぶさに体験しつつ、そのただなかで活動された方である。 戦後まもなく、奥様が若くしてなくなられたあと、御自身も1950年に失明されるという大きな試練に出会われたが、関根正雄の無教会主義キリスト教との出会いによって立ち直られ、1962年から一信徒としての伝道の書「小さき声」を24年にわたって刊行された。

  松本さんの伝道活動は、全生園のなかでの自治会活動と不可分の関係にある。世俗の直中において福音を証すること、という無教会主義の思想の実践者として、1968年に自治会の再建を呼びかけ、1974年から87年までの13年間、自治会長として、また全国の療養所の支部長会議と連帯しつつ、らい予防法の改正ないし廃止の必要性を訴えられた。そういう活動も、多磨誌への寄稿も、「小さき声」の刊行も、すべて、盲目と肢体麻痺というハンディキャップを乗り越えて、多くの方々の協力を得て為されたものである。

 晩年の松本さんは、口述筆記故の誤植を含むこの個人誌を推敲した上でもういちど出版したいという願いをもっておられたようで、2003年5月から前田靖晴さんのご協力を得て読み上げの作業を続けられた。 2004年7月にこの作業が一応終了したので、前田さんは修正ずみの原本を拡大コピーし、数部を製本された。現在ハンセン病図書館にあるものはそのうちの一部であるとのことであった。 松本馨さんの公刊された著作(単著)は、

(1)「この病は死に至らず」(1971)  キリスト教夜間講座出版部
(2)「十字架のもとに」(1987)   キリスト教図書出版社
(3)「生まれたのは何のために―ハンセン病者の手記」 (1993) 教文館
(4)「零点状況―ハンセン病患者闘いの物語」     (2003) 文芸社
の4点である。 (1)(2)(3)はハンセン病資料館で閲覧可能。また(4)は新刊として入手可能だが、あとはなかなか書店から入手するのも、一般の図書館で閲覧するのも難しい。

   これらの著作の内、創作である(4)以外は、すべて「小さき聲」に掲載されたものを中心として編集・出版された。たとえば(1)の第一部は、松本さんの「回心記」であって、「小さき聲」の一号から二四にわたって連載された。松本さんはこの「小さき聲」を毎月刊行しつつ、自治会の激務をこなされ、同時に、「多磨」誌におおくの評論を寄せているが、そういう自治会活動にかかわる評論も(1)の第三部に収録されている。

  「小さき声」という伝道の書の「小さき」が何を意味するかについて考えてみた。列王記上19章のホレブに於ける預言者エリヤが「主」とであった経験を叙述する箇所につぎのような文がある。

 「見よ、主が過ぎゆかれ、主の前に強い大風が山を裂き、を砕いた。しかし、風の中には主はいまさなかった。風の後に地震があったが、地震の中には主はいまさなかった。地震の後に火があったが、火の中に主はいまさなかった。火の後でかすかな沈黙の声があった」

  この「かすかな沈黙の声」のなかに、預言者エリヤは、主の言葉を聞いた。この声こそ、松本さんの「小さき声」そのものではないだろうか。大風、地震、火のような天変地異、大げさな現象の中には主はいない。むしろ、その後の、「かすかな沈黙の声」のなかでエリヤは主とであう、という内容である。  そういう「かすかな沈黙の声」、そのなかに主の声を聞いたエリヤに倣って、松本さんの「小さき声」のメッセージに虚心に耳を傾けたい。


最後に、この「小さき声」を出すために、口述筆記やテープおこし、校正作業などに協力された諸先達の皆様に、そしてWEB上での転載を許諾して下さった松本馨さんの弟の進さんに、こころから感謝を捧げます。

このWEB復刻版の底本は今井館所蔵の原本です。また、全生園ハンセン病図書館所蔵の コピー製本版には、松本さんの了解を得て為された前田先生の校正が書き込まれているので、これも参考にさせて頂きました。


                              校訂・編集者 田中 裕