松本馨著作集目次


決断の時

「多磨」1985年12月号 
松本馨(全生園患者自治会長)

 (一) 

 全患協第三十二回定期支部長会議に従い、全支部代表が出席して多磨支部中央集会所で、九月五〜六日の二日間、上西、成田、大谷の三講師を招いてライ予防法に関する学習会を開いた。多磨支部会議も参加して学習会は大いに盛り上った。三講師の講演と質疑の内容は、多磨盲人会の協力でダビングし、既に本部から各支部に送っている。全支部会員は、これを聞くとともに、今後二年間に渡って学習し、現行予防法の改正の是非について検討し結論を出すことになっている。この機会に現行予防法をめぐる幾つかの問題点についても私見を述べさせて貰うことにする。国際的にも悪名高い現行予防法が、戦後四十年を経ても手がつけられず生きのびてきた原因は何であったか。終身隔離とワゼクトミー、そし治療薬の市販を禁じ患者を地上から抹殺することに執念を燃やした勢力は、戦後も生きのびて、ハンセン病医療行政の中枢にいたことである。この勢力は、化学療法を過少評価し我国のハンセン病が終息に向かっているのは、隔離撲滅の成果であると先輩の功績を讃えているのである。

 思想的には、超国家主義の亜流で、ライは神国日本の恥、日の丸の汚点であると隔離撲滅に狂奔し、軍国主義者に協力した。第二次大戦に敗れた時患者弾圧の責任をとらされた者は、わずかに一人で、重監房設置に重要な役割を果した者は何のとがめも受けず、返って勲章をもらった程である。国際非難を受けながら、今日まで予防法が存続したのもこの辺にあった。しかし、本誌十月号に書いたように、時はこれら勢力を追放し、改たな時代を迎えようとしている。先輩の隔離撲滅政策を公然と批判する所長や、良心のために危険手当を返還する介護員が現われた。我々を罪人としてではなく、人格として人間として認める新しい型の職員があらわれたのである。 

(二) 

 ライ予防法の改正に反対する人達の言い分は、現行予防法は悪法だが、我々が高い処遇を受けながら療養を受けられるのは、、予防法のおかげであるというのであるが、論理的ではない。現行予防法によって幸せな療養生活を送っているのであれば、それは悪法ではなく良き法律であろう。このような視点から論じることは、誤りである。現行予防法は、我々の人権を浸害しているか、差別法かそうでないか、の一点から論ずべきではないか。この意味で、曽我野会長が「侍になるか、乞食になるか」の論文を全患協ニュースに発表した内容は正しい。一部の人達から、表現が適切でないと批判を受けたようであるが、問題のとらえ方に誤りがあったとは思われない。表現についていえば、私は「侍になるか、乞食か」ではなく、自由か、奴隷か、が適切な表現ではないだろうか。奴隷で想い出すのは、黒人奴隷である。白人は黒人を商品として売買した。日本でも貧しい家では娘を人買いに売った。人買いは娘を遊郭や妻子のある者に売ったのである。予防法は悪法だが云々は、金で売られたこの女達とかわらない。「自分たちには外出の自由がある」と反論するかも知れないが、売られた女でも、あきらめてその地位に甘んずれば、結構自由はあるものだ。しかし、私がここで問題にしているのは、そのような自由ではない。差別の中の主観的自由ではなく、普遍的な自由、憲法が保障しうる人間の尊厳に関わる自由である。我々には、医師を選択する自由はなく、健康保険を使うことも許されていない。日本人でありながら、市民権の一部を凍結されたままになっているのである。昨年、高松宮一行が全生園を慰問された時、私は病の床で主と対面していたが、中央委員会は、私に謝辞を述べるようにとのことであった。私は、連日連夜激しい痛みに悩まされていたが、当日は痛みの注射をし、さらに会場で激痛が起った場合のことを考え、注射を用意した。こうまでして私が訴えたかったことは、五十年間全生園で隔離され市民権を奪われたまま差別民族として世を去って行くのがいかにも残念であるからであった。市民権を回復し、それを冥土のみやげにしたいと現行予防法の改正を求めたのであった。物質的に豊かに暮せるならば、奴隷でも構わないという気持ちにはなれない。貧しくても市民の一人として万人平等の自由を望むのである。こういう感覚は異常なのであろうか。

 私のことはともかくとして、現行予防法の改正を断念すれば、全患協は崩壊するであろう。患者運動の理念は、現行予防法に奪われている人権の回復と、自由を求めることにあるからである。また、全患協は、過去の強制隔離収容によって受けた損失の保障をすべての要求の基礎においているが、現行予防法を肯定することは、これら要求の権利を放棄することに他ならない。

 (三) 

 全患協の崩壊する時は、現行予防法の改正に挫折した時か、会員数の減少によって組織の維持ができなくなった時であろう。その時死文化した現行予防法が息を吹き返し本性を現わすようなことはないか、考えておく必要がある。全生園では、現行予防法をたてに、ここは外部の人間が来る所ではない、とボランティアを追放しようとしたり、施設が許可した者にはバッチをつけさせ、それ以外の者は一切中に入れない、また子供は危険だから入れてはいけないと、あくまでも隔離しようとする勢力が残っている。自治会は、組織の力でこれらを封じ込めてきたが、息を吹き返すようなことが起るであろう。現行予防法が存続する限り、このようなことはありえないと考えることは、余りにも現実を知らなすぎる。こうした危険なものは、後の人のためにも排除しておかなければならないし、今をおいてその機会はないように思える。

 その理由は国民の我々に対する同情が高いことと、百人を越える超党派の国会議員懇談会があること、厚生省と全患協の関係は、大谷課長の時代より引き続いてよいこと、所長連盟と全患協が協力して予防法改正にとり組むことのできる状況が生まれたことなどである。全患協の会員は、我国の人口一億一千万人の中の八千人弱であるが、これだけの同情と支援があるのは異常といってよい。すべての障害者団体、患者団体からうらやまれるほど厚く見守られている。世界の如何なる国においても、ハンセン病患者が、このように厚く優遇されている所はないであろう。これは過去の誤った強制隔離撲滅政策に対するつぐないと、同情によるものである。こうして幾重にもとり巻かれている同青と理解の中で、全患協が所長連盟と一体となって進めようとしている現行予防法改正が、我々に不利になると考えることができようか。むしろ、そのような考えは不自然といわなければならない。

 厚生省は、ハンセン病の定床を毎年一七〇ベッド程度減らしている。患者の死亡が主な原因であり、老齢化によってこの数字は毎年大きくなっていくであろう。三年後には確実に六千人台になり、国民から忘れられてしまう日がそう遠くはない。超党派による国会議員懇談会も、やがては解散するであろう。厚生省もまた行政の中でハンセン病療養所だけを特別に考えることができにくくなってくるであろう。

 全患協は、その時一組織として残っているだろうか。

 はっきりしていることは、国際的に批判のある現行予防法が、厚生省にとっても重荷であり、早晩必ず廃止か、改正に踏み切ることであろう。その時期はいっか、予測はできないが、我々自身は今が良いのか、国民から忘れられた状況の中で選択するのがよいのか、今後二年間の検討のなかで全患協自らが選択しなければならない。