随筆   病床漫筆

東條 環

  切つても切つても伸びる爪。不思議な爪だと思ふ泌々とさう想ふ。何處と云つて不必要の箇所の無い人體の内、伸びれば切つてしまふ爪が泌々惜しいなあと思うことがある。

 造物主は人間を造り出した時、爪が伸びたら切れ等と教へなかつたかも知れない。勝手に人間が切る事を考へ出したのだ。だから他の動物の中で爪が伸びたら切るなんて洒落た、否不心得な動物の名を聞ひた事が無い。人間ばかりらしい。切つても切つても伸びるこの爪の粘り強きには飽きれる事さへあるそして余りに生命の根強さを感じさせられて驚嘆する事もある。

 爪の中には貝殻の山がある。凝つと爪を見詰めてゐると色々な想念が浮かんでくる。小兒の指の血の色が透通つて見える様な可愛いゝ、又は女性の純白な牛乳の肌の様な爪、或ひは不器用な恰好をした自分の爪を見てゐる中に、いつの間にか故郷の海邊をさ迷ふて居る自分に氣が付く。磯打つ波の心良い響、目映ゆい銀砂の光り、波間に散らばつては群れ飛んでゐる鴎、不圖向ふの丘を見れば懐かしい母や妹が、眞白い爪を太陽に輝かせ乍ら手を振つて私を呼んでゐる。沓い遠い母がこんな'所に居たのか知ら、もう一生逢へないと思つてゐた母や妹が直ぐ向ふの丘に居るので、私は唯もう嬉しくて泣乍ら丘の方へ駈けて行く、併し不思議な事には私がいくら根限り駈けて近づかうとしても、いくらひた走りに行つても丘と私の距離は前と少しも變わらない。私は悲しくなつて砂地に泣倒れる。とその砂の中には、たくさんの爪が貝殼を敷き詰めた様に落ちてゐる。私は妙にどぎまぎし乍ら恐る恐るその一つを拾つて見る。何とそれが懐かしい父や母や、はては沓い祖先の人々の爪なのだ、一つ一つが變つた、それでゐて肉親の匂ひがするのだ。私はもうそれらの爪の一つづゝに熱い接吻をし乍ら掌上に拾ひ乗せる。拾ひ集めてゐるうちに不圖私に堪らなく不氣味になつて、切角拾ひ上げた爪を砂上に投げつけて、一目散に的度も無く駈出してしまふ。此處で私の想念が消える。現實に皈つた私は改めて自分の爪を見直す。見てゐるうちに素晴らしい勢で爪が伸びて行く。奇術師の箱の中から五色のテープが面白い程出る様に自分の爪もぐんぐん伸びる。眞白い飴の様に伸びる伸びる。それが軟かくてほかほかと湯氣が上がつてゐる。そして障子を突破り、庭を横切り、垣を越して往來に迄伸びる。軈て付近の子供が見つけて、多勢寄つて爪引きをやる。初めは我慢してゐるが堪らなく痛くなつて來て、大聲で悲鳴を上げる。再び私の想念が消える。私は全身びつしよりに冷汗をかいて横臥して居る。明るい午後の陽差しが窓幕の隙間から洩れてゐる。病室なのだ、そして自分は病んでゐる、と意識付け様としてゐる私自身である事に氣が付く。

       ×            ×

 足音が近づく、來たかなと聴耳を立てる。あの昔は高下駄かな、それとも駒下駄かな、女の様だな噫ッ 違つた!! 焦心がぐつと頭をもたげる。又下駄の音がする。聴耳を立てる。微かな念願が寒暖計の様に上下する。下駄の音が他へ消える。がつかりする。そして疑念が擡頭する、怨嗟心が逆行し始める脈搏が激昂する。

 こんなに待つてゐるのに、何をしてゐるんだらう來たらうんと叱り付けて貴様のやうな奴とは絶交だと云つてやらうか、併しそれは早計だ、一時の憤怒で親友を棄てるのは自縄自縛だ、俺は奴を信頼してゐる、寧ろ信頼し切つてゐるのだ、それだけに反動も激しい。奴だつて何かと用事が有るんだろう。でなければ來る筈だ、併しこんなに奴を待つてゐる俺の気持も察して呉れさうなものだ。やつぱり俺が信頼し過ぎてゐるのだらうか。

これが病者特有の気持だなとも思つて、強ひて心を落着け様とするが、反對に心は焦立ち、全身がかつかつと熱くなつてくる。俺は眼を瞑むる。一つ二つと數へて氣を静める事に努力する。知らぬ間に心が和やかになつてくる。不圖想念が故郷へ飛ぶ。むくむくと郷愁が込上げて來て、手足を顫はせ乍ら故郷への慕心に悶える。おつ母さん!!と呼んで見る達者か知ら、今年はお幾つだつたらう、相変らず老眼鏡を掛けて、暗い十燭の電燈の下でぼろ衣を縫ひ乍ら俺を思つてゝ呉れるんだらうなア:…そんな事を想つて、再びおつ母さんと呼んで見る。幼い頃呼んだ、お母さんの語韻が懐かしく胎内を揺すつてゆく。

 突然、母の姿が白壁の中に浮んでくる。その後にもう一人母が重なつて浮ぶ、果ては數切れない程の母の姿が、走馬燈の様にぐるぐると私の視野の中を廻る。こんなにおつ母さんは年老ひたんだらうか、それに眼鏡にあんなに塵が附いてゐて見悪くはないんだらうか、何んだか氣になるなア等と呟き乍ら不圖窓を見ると、父に叱られて家の中に這入る事も出來無くて、雪の降る夜に寒さに顫へつゝ泣いてゐた幼い日の私が、冷たい硝子に顔を當てゝ部屋の中の灯を怨めしさうに眺め乍らしくしくと泣いてゐる。私は急に悲しくなつて、お這入り?と幼い私にやさしく寝台の中から呼びかける。けれど頻りにしやくりあげて泣いてゐる幼い私は見向いても呉れない私は益々悲しくなつて、ベッドに起上る。肺がぢくざくと痛くなる。幼い私はいつの間にか消えて居無い。あゝ幻だつたのか……私は救はれた様にほつとする。

 足音が聞えてくる。私は凝ッと紳経を研ぎ澄まして微妙な足音の差異とその足昔の主を想像して見て失望する。やつぱり奴は來ない。裏切り者!!お前は世界で一番情熱の無い男だ。蝙蝠とゐもりが争つたらどちらが勝つか? お前なんかには解らないだらう。

 私は自分にも解らない事を口走る。むせる様な咳が間断無く出る。再び肺がぢぐざくと痛む。忘れ様、奴の事なんか思切らう。いくら頼つても、火の様な同性愛を感じても死ぬ時は俺一人だ。結局は孤獨でしか無い。俺は余りに奴の存在を俺の心に結びつけて考へるから失望するのだ。足音がまた聞える。忘れ様と努める一方激しい思慕の聴耳を澄ます。肺がぢくざくと痛む。泌々自分が情無くなつてくる。頼つては不可無い。私は努めて私一人の存在を考へ様とする隣の病友が苦しさうに呻いた。乱れ勝な呼吸が聴える。チエッ何てしみつたれな呼吸をするんだらう。鳩がぼうと奇聲をあげる。時計の點鐘が十を報じる。瞬間寝台がぐらぐらつと揺れる。地震だ、さう感じた時又激しく揺れた。何もかも潰れて了へばいゝ、そして俺もその下敷きとなつて:……だがまだ死に度く無い。と云ふ當然の慾望が擡頭する。………………………………そんな事も浮かんでくる。

(おーい)と私を呼ぶ。はつと耳に神経を注ぐ。(おーい)と又呼んでゐる。確かに私を呼んでゐるのだ私はきよろきよろと四方を眺める。誰も私を呼んだ様な氣配も無くすやすやと眠つてゐる。不思議だ、私は尚も耳を澄まし神経を尖らせる。(おーい)と連呼す聲は、どうやら壁画の中かららしい。よく見ると雲を衝く山上の切崖に一人の女が降りられずに救ひを求めてゐるのだ。そしてそれが懐かしい母なのだ。母は狂氣の様になつて先刻から私に呼びかけてゐたのだ。どうしておつ母さんはあんな高い山へ登つたんだらう。雲の上まで聳えてゐる山だー、肺の悪い私にはとても救ひに行く事は出來無い。さう思ふと堪らなく母が痛々しくなつて、瞼の裏がちくちくと熱くなつて涙線がふくらんでくる。到々私は思ひ切つて山上へ母を迎へに出かける。肺がぢくざぐとまた痛む。途中まで行つた頃、後から私を呼ぶ聲がする。振返つて見る。奴だ、おゝやつばり奴だ。瞬間、幻想はフイルムの切れた様にかき消える。……………………………

 私は奴の腕の中で嬉し泣きに泣いて居る。併しまだ心の隅の方では、怨嗟の奴が虫下しを飲んだ後の様にちくちくと動いてゐた。

        ――病床にて二十九日夜――  了

                    (「山桜」昭和10年1月号)

病床・断片

            東條 環

地震

微かな力にも

時計は運行を中止し

薬瓶は冬眠から醒まされて

神経を尖らせてゐる。

 

病床

萬物の霊長と誇つてゐた俺も

口端の蝿すら追へなくなつたのか

あれ、蝿の奴!

俺の鼻毛を數へてゐる。

  

軽業師

するするつと

蜘蛛が天井裏から下りて來た

ほら見給へ!

蜘蛛の奴、おれの鼻の上で

一寸氣取つて切口上を述べてゐるぞ

世界一の曲藝が

これから始まるんだらう。

 

(「山桜」昭和10月号)

買はれ人形
―婚禮の夜に或る娘の歌へるー

              東條環
 

思はぬひとに嫁げとて

胸にきざめる初戀の

せつなき文字を何とせう

思ひは沓し君にとぶ。

 

十九の春の夢浅く

つれない風のたはむれに

散れば淋しや糸やなぎ

戀のつばめも拗ねて泣く

 

戀のむくろを着飾りて

こゝろすゝまぬみだれ夜を

買はれぬ人形の悲しさは

泣いて涙で 虹をぬる。

            

(「詩人時代」昭和10年1月号)

 


雪達磨

––––––御慶の意味にて―――

            東條環
 

ころころ轉がそ、ころんとしよ
やれそれころんと 
雪達磨  ころ  ころん と  
高下駄の緒が切れた。      
     (笹の葉だけが、青かつた)
ころころ轉がそ、ころんとしよ
やれそれころんと 雪達磨
ころころころん と  躓づいた 
木の根つこ      
     (南天の實だけが、赤かつた)
ころころ轉がそ、ころんとしよ
やれそれころんと 雪達磨
ころころころん と  
二つに破れた 雪達磨      
     (お手々が急に、冷たいな)

(「山桜」昭和10年2月号)



林檎(小曲)


            東條環

するすると、脱がれてゆく

絢びやかな衣装。 

滴たるはじらひに微恐怖(ふるい)つゝ

純白な(はだへ)をさらす 

あはれ、銀の小皿の

林檎よ・・・・・。

 

(「山桜」昭和10年2月号)


やくざ節峠の唄

           東條環

見えるふるさと戸毎の灯り

ひとつ二つと數へた少年(ころ)

思出戀し峠に立てば

寒や月さへ濡れかゝる。

  

  戀し母御よ、おふくろ様よ

  達者で御座りよかひと眼でよいが

  逢ふに逢へないやくざが崇る

  追はれ故郷よ、ふるさとよ。

 

やくざ意地なら人をも斬るが

義理と人情の絆は切れぬ

これが未練か、男の涙

結ぶ草鞋の紐に散る。

  

  明日は何處ぞ、のう月様よ

  空の鳥さえ塒はあるに

  男一匹、安居の宿を

  尋ね行く行く三度笠。

 

(「山桜」昭和10年2月号)

 

階段(芝間甫先生に捧ぐ)

東條環

それはいくら昇つたとて
果しが無い
肺は壊れかゝつて
青い呼吸(いき)をする。
宿縁の段階に俺は一匹の
紅蜘蛛を捉へた。

間断無き秒速の狂ひ
降りて來る手術衣とメス。

(「野の家族」昭和10年4月)

雨の音に想ふ

                                          東條環

私は布団の中で凝つといきをひそめて
雨の音を聴いてゐる。
 とう…るるるるる
 とう…るるるるる
樋を流れる雨水の音は、胸を病む少女の
臨終の吐息を純白な青春譜になすりつける。
あるひは、私の胸の上にふんわりと被ひ蔽さ
つてくるあのひとのやわらかな聴診器。
ほのぼのと白い花の様に顫へて、探り寄つた
深夜のひそやかな香芬(かをり)のする囁きと、むせる
様な甘い接吻の後の涙・・・・

つうるつうるしるるつうるしるる
つうるつうるしるるつうるしるる
ふるさとの母の顔にたゝまる皺が一本一本
蒼白い電波となつて私の瞼のうらに
ひつかゝつてくる
黒いコマ、桃色のコマを綴つて、永劫に廻轉
して止まぬ歳月の歯車の上を、はるかに流れ
てゆくフイルムの青い軋音。

とうるとうるらりるりりるりりりるり
とうるとうるらりるりりるりりりるり

私は布団の中で、かるめの様にふくらむ
感傷を抱いて凝つと雨の音を聴いてゐる。



(「野の家族」昭和10年4月)
 


秋三唱  

                               環眞沙緒子

九月は…
茜の斜光を浴びて
帰る荷馬車の後を慕ふ
少年のおさない
感情です

十月は…
新妻にあられもない
疑をかけて
寂しがらせた姿です

十一月は…
留学の子を
彼の彼方に送った
母の…
波止場の感触です。


(「野の家族」昭和10年4月)

 

マドロス哀歌

                            東條環

波をまくらのマドロス稼業
ちゃちな浮世に未練はないが
なまじ一夜の契りの夢に
泣いて待つだろう娘を思へや
やるせ涙が頬濡らす

ひろい海原口笛飛ばしや
星も泣き泣き流れて消える
鷗啼くなよ寂しゆてならぬ
男心のそぞろに鈍りや
知らぬ港の灯もうるむ

野暮な命と思ふちやをれど
すさむ心がかなしゆてならぬ
来る日来る日も潮に暮れて
こころ泌々古巣を慕へや
海に侘びしい春がくる


(「野の家族」昭和10年4月)

 

夕暮れ・小暮れ

                         東條環

夕暮れ 小暮れ
野の原包む
 蜻蛉釣り止めて
 お家へ帰ろ
  ランプの下で
  母さんも待たう。

野の沼 静寂(しづ)か
どろんと澄んで
 ざわざわ芒

 誰かが呼ぶよ
  おお怖 怖い
  後見ずに帰ろ。

夕暮れ 小暮れ
ひつそり野原
 ひたひた下駄の
 音さへ寂し
  里の遠灯(ひ)一つ
  ちろちろ招く。


(「野の家族」昭和10年4月)
 


便り 

                                東條環

女房は安産
男だそうな。
  母御は達者で
  繭引くそうな。

月の光りを
塹壕に浴びて、

守護札まで添へた
便りを見れば
  高粱枕も
  苦にゃならぬ。
           

(「詩人時代」昭和10年4月号)

病床哀戀賦

            東條環

ほゝよせて あつきさゝやき

うつとりと ながるゝちしほ

まぼろしの こひとてうれし

 

みとりめの しろきふくにも

やははだの きみをおもひて

せつなしや うるむひとみよ

 

むねやめる せんなきみなれ

たそがれて けふもむなしく

しらかべに はくといきよ

 

(「山桜」昭和10月号)

 

大境の子守唄

                             東條環

終日―――

病金魚の如く寝台に浮かべば

郷愁は疼く病胸を貫き

ふかぶかと克明の死脈を越えて

おゝ、流れて来る子守唄がある。

 

白壁に冬蝿は不動と合掌し

晩鴉は枯木に苛苛と祈れど

嗚呼、蒼白の輪燈は

光明無明の大境に明滅し

 凛、凛と空中に映へ

地下に響きて

父ならず、母ならず

将又、祖先にあらず

聴こえ来る、響き来る

   ・・・・誰が哀音(うたね)そ。

 

がば!! とどす黒き喀血は

終曲に一枚の地圖を加へて

燃上がり、かき消ゆる輪燈よ。

のた打ちつ、仄めぐり

潮の引く如く消えて行く

あゝ・・・・消えて行く

. ・・・・子守唄よ

 

(「山桜」昭和10年5月号)

 

 

想い出

     ―― 心の空に流星は

         今宵も逝きたり―――  

                                         東條環

蕭條の

砂原杳く續く靴跡は

僕の微笑む人生のコース・…

傍に添へる小刻みな木履の跡は

彼女の明朗な戀愛のコース・…

 

されど

 

二條の線の消え行くところ

あゝ・・…永久に悲し

  破鏡の流星は逝く

 

過し方には、

涙する雪洞の灯

  揺らめきて・…。

(「山桜」昭和10年5月号)

 

掌篇 蚤


 その事があったのは九月の若馬の瞳のやうに晴れた日でした。四五日臥せつて居た風邪も癒つたので、散歩乍ら受持病室を訪問しようと消毒衣も附けずに出掛たのです。私の脳裡には薄暗い六疊の獨房に結飯を懐に入れてニヤニヤ 薄笑ひしてゐる中年男や、便所の前に跪いて君が代を歌つてゐる私と同年位の若い女の方や、空鑵に林檎の種を埋めて團扇で煽いでゐる老人の姿に交つて、コツコツと原稿紙のマスを埋めてゐる赤木さんの蝋のやうな顔が微笑ましく浮んで来るのでした。赤木さんがこの精神病室に來られたのは昨年のジメジメした梅雨期の頃でした。赤木さんが……主義の過激思想を抱いてゐたことはお友達からも聞かされてゐましたが、癩といふ悲惨な病気の上に肺を悪くして喀血されてからは、當然の宗教との激突にああいふ方でも氣が變になつたらしく、「……!」と呼んだり、「……!」なんて大聲を上げますので、周圍を慮かつて獨房に監禁されて了つたのでした。私が赤木さんと親しくなったのは、獨房に來てから赤木さんが癩特有の神經痛で苦んでゐらつしやる時でした。注射しに來る私は、いつも赤木さんの痛みの止る迄お慰めするのでした。否私が赤木さんに慰めて戴いたと云った方が的確かも知れません。それ程赤木さんは凡てに深い造詣を持たれ、特に信奉する…………には精鋭な理論を持續してゐられるのでした。
 私と語る時の赤木さんは理智的なでもその奥には情熱の潤んでゐる瞳を輝かせて落着いた齒切れのいゝ調子で話すのでした。そんな時には、とても精神異常者などとは思へない辛辣な頭脳の冴へを見せるのでした。でもいつだつたか話してゐるうちに昂奮して私を同志と呼んだ時など一寸變な感じがしましたが、多くは、…………の精神や、…………の根本などに就て素晴しい意見を開陳し、或る時は社會に活躍してゐた當時の勞働大會の話や、入獄中の心境と今の療養所生活の心境を比較して、私たちの想像範囲の及ばない病者の半面を見せて呉れるのでした。
 その頃、私もイプセンからエンゲルスやマルクスを讀みはじめてゐたので、赤木さんの…………は亂れがちな私の思想をぐつと力強く掴んで呉れるのでしたが…………。
 斯うして語る機會の重なるにつれて、私は私と同年位のこの若い異性に幾つかの共通性を見出し、そして時には或る激しい何者かの憔燥を感じる様にさへなつたのでした。併し赤木さんにとつては、異性である私の存在も無味乾燥な者らしく心憎い程平然たるものでした。私にはそれが時折堪らなく寂しく思はれるのでした。赤木さんはどちらかといふと沈思黙考の方らしく、いつも机に向つて何かコツコツと書いて居るのです。「…………!」なんて呼ぶ様な方とは思へません。寧ろこの狂人獨房が、探し求めてゐた安住の所ででもあるかのやうでした。赤木さんは準子さんと私を呼び、時には看護婦さんと呼ぶこともありますが、そんな時は誰か他の人のゐる場合でした。
 私は赤木さんを驚してやらうと思ひそつと扉を開けて這入りました。此方に背を向けて机に向つてゐた赤木さんは、急に讀んで居た本を伏せて、ギヨツとして振り向きましたが、今迄にない紅潮の頬と情熱的な瞳をチラツと輝かせて「…………」の儘立上り私を凝視してゐたが「準子さん。」とかすれた聲で呼び「あなたは僕を好きですか?」と凡そ不作法な事をおこつたやうな表情で云つて、「…………」余りに突然この質問に唖然としてゐる私へ混亂した數語を吃つてゐましたが、次の瞬間、私は男の体臭に息苦しくなるのを感じてゐました。落雷の後のやうなポツンと沈默に落ちた何も解らない私に、赤木さんの襟首を這つゐる可愛らしい蚤だけが、赤く大きく伸縮して見えるのでした。只赤く、大きく…………。

(「山桜」昭和十年五月号 「掌篇六人集」文学サークル結成記念)

 

野 道 (小曲)

                            東條環

別れて歸る野道には

ほろほろ野鳩が啼いてゐた。

 

別れて歸る野道には

月もしろじろ照るばかり。

 

別れて歸る野道には

忘れな草の花の色。

 

(「山桜」昭和10月号)

 

愛人の歌

 ――わが限りなき思慕のひとに――

                                 東條環

愛人よ。愛人よ。

朝、眼が醒めたら

そつと口の中でそう云つて御覧。

あの人の甘い體臭が匂つて来ます。カルシュ

ームの体内を廻るやうに、お花畑の花蜜の

やうに、みんな昇降機(エレベーター)のやうに膨らんで来

るあのひとへのアッピールです。

 

愛人よ。愛人よ。

晝の休憩のひと時を、螺せん階段に立つて、

そつと口の中でそう云つて御覧。

オフィスに疲れたあなたは、夏の海邊を散歩

するでせう。あのひとの微笑みはヨットの

様に海を滑り、鴎のやうに波に散るでせう。

 

愛人よ。愛人よ。

あなたが懐郷病(ほーむしつく)に寂しくなつた時

そつと口の中でそう云つて御覧。

ふるさとのゆるやかに廻る水車の銀玉を浴び

た片隅に、雲雀の飛立つ段々畑の丘に、馬車

に轢かれて死んだ久さんの墓の土饅頭の周

圍にはねゐど端の日當りのいゝ蕗畑に、眠

そうな牛の反すうする牧場に、あのひとの

微笑みは柔かな若草になつて青々と萌える

でせう。そしてじやすみんのやうに、あな

たの心に甦つて来るでせう。

 

(「山桜」昭和10月号)

 

 

 春の悲歌 (小曲)

――未刊詩集「銀河に泣く」より

                                            東條環

われの優しきひとあらば

胸の痛みを心の傷を

笑める愛撫に訴えつゝ

甘へてもみん春宵を。

 

   われの優しきひとあらば

   花の訪なう窓の邊に

   君が歌音の花詩集

   涙ながしつ聞かうもの。

 

われの優しきひとあらば

胸にきざめる初戀の

思い出永久に育みつゝ

語り歌はんよもすがら。

 

   されども、われは胸病めぬ

   嘆きのなかに 幻を

   求めまさぐるかたいなれ

   「・・・・・あはれ、優しきひとあらば」

 

(「山桜」昭和10月号)

 

郷愁譜

                                     東條環

季節のサキソフォンは、

マドリガルを奏で

緑の曲馬團旗(サーカス)を靡かせて

大陸を南へ、南へ・・・・

渡るというもの。

 

ひび割れた、いかつい横顔を

ひきむしられた私は

今日も大陸に向かつて

高々と手を振るのであるが・・・・

 

季節の觸手に持ち去られた灰の脱穴は

ぎくぎくと痛み、哀愁の白鳩は

もう私に反すうしては呉れない。

千嗟、今日も ひねもす

蹌踉と想ひ出の貝殻を綴れば

おお、聴こえるよ

 季節の奏でるサキソフォンの

 郷愁譜・・・・。

 

(「山桜」昭和10年6月号)

 

日光ばやし (小唄)      

 

 東條環

 

ハアー

 山は男體 ハツソレソレ

 三国一よ サツサヤレコノ

 婿にとりたい婿にとりたい

   器量者

 ソーレヤレコノホイトコリヤセ

 ヤンレヤレソレホホイノホイ。

 

ハアー

 霧の衣を ハツソレソレ

 さらりと脱げば

  サツサヤレコノ

仰ぐ華厳も仰ぐ華厳も

  虹のかげ

 ソーレヤレコノホイトコリヤセ

 ヤンレヤレソレホホイノホイ。

 

ハアー

 左甚五の ハツソレソレ

 眠りの猫に

   サツサヤレコノ

 龍も啼きます龍も啼きます 

 ソーレヤレコノホイトコリヤセ

 ヤンレヤレソレホホイノホイ。

           

「詩人時代」昭和10年6月号)

 
 

 

春雨戀慕抄

                                 東條環

ひそひそと

ひそひそと

 胸にやさしく囁くは

 いとしききみのみ言葉か

 接吻(ベーゼ)に せしほろよひか

 いやいや あれは・・・・・・

    春雨 こさめ 窓の雨

 

ほろほろと

ほろほろと

忍びやかなる骸韻音(すすりね)

 胸にやさしく顔埋めて

 悲戀を哭きし君なるか

 いやいや あれは ・・・ ・・・

    春雨 こさめ 窓の雨

 

忘りよとて

忘りよとて

 消せど消えざる面影を

 思い出だせと春の夜を

 君の泪か わが泣聲(こゑ)

いやいや あれは・・・・・・・・

    春雨 こさめ 窓の雨 

 

悲戀(はつこひ)

悲戀を

秘めて嫁いだきみ故に

捨て得ぬ性の悲しさは

今宵も窓に泣き濡るゝ

ほほ ほんに あれは…………

    春雨 こさめ 戀の雨

 

(「山桜」昭和10年7月号)

 

 

忍從の謝肉祭(カアニバル)

                                             東條環

騒雨(あめ)にがつくり首垂れた軍鶏の姿を

俺は、俺の姿の中に見たくないのだ

 

腹を見せて浮かんだ病金魚(きんぎょ)の呼吸を

俺は、俺の息吹の中に識りたくないのだ。

 

よしや腐れ爛れた四肢であつても

ぎりぎり蝕まれる病肺に拍車を驅けよと

俺は、俺の惨めな容態(すがた)を投げ()つて

おお、傲然と反りかへるのだ。

 

譬へ、解剖台にメスは閃き待たうと

いかつい悪魔の横顔をぐわんと()りつけて

俺は、傲然と嘯き、

冷たき歳月の距離(デスタンス)を睥睨するのだ

そして、最後の血潮の一滴まで

灼熱と燃え狂ひ、

俺は、俺の肉体もて捧ぐるのだ

呼呼・・・・・忍從の謝肉祭を・・・・・・・・・・・

(「山桜」昭和10月号)

 

合圖(民謡)

                             東條環

ぴろゝ口笛
    合だ ホイ

  雨戸 細目に
    開いたぞ ホイ

  お絹さーかよ
    聲かけりや

  憎や しもつた
    親父だ ホイ

 

山桜」昭和10月号

 

 

 

 乳房

  或るコンミュニストの妻に代りて

                                                東條環 

夫は獄舎に疲労の蹠を虐めて

蒼白に錆び付く苦々しきおきての陰影に哭き

いじらしき愛兒は無慈悲な表情と剥落する

母親(わたし)の乳房に氷柱(つらゝ)飛沫(かなしみ)を泣き(もと)むる

 

憧憬(よろこび)は朽ち、はらからの白き眼裏に追はれ

音もなく崩壊(くづ)れゆく信念(こゝろ)思想(ほのむら)・・・・・

吁嗟今ぞ、つかれた網膜に見る時代に敗惨し

土像の、あはれ、身を裂く泥滅への生活よ

 

乳房よ、落魄の凋落(おも)きつづれよ

夢を破壊し、團欒の葩片をむしり、病患の

肺臓を侵して、日毎黝ずみ、夜毎萎れ果て

悶絶の、いきどほりの、焦燥よ。

 

されど

乳々(パイパイ)よ、乳々よと乳房まさぐる

(なれ)兒あればこそ、尚生きて死ぬ

愛兒愛すればこそ、よれよれの乳房なりとて

悲しみの母體なりとて、榮冠を孕み

赫赫と大鵬を呼び・・・・・

 

(「山桜」昭和10月号)

 

 

白鳩に寄す (小曲)

 

白鳩の………

………ああ白鳩の

仄かな胸のふくらみは

きみの乳房にやうも似た

甘き香芬よ ときめきよ

  ほろほろ浮ぶ面影よ。

 

白鳩の………

……‥ああ白鳩の

 あかくうるめるつぶら瞳は

 きみの瞳にやうも似た

 静かな微笑よはじらひよ

  ほろほろ泛ぶ接吻よ

 

散りし純情(はなびら)……‥

………破壊れ夢

 果敢なきものよ追憶よ

 ああ白鳩の白鳩の

 純白きやは肌抱きつゝ

  淡き灯影の窓に凭る

 

(「山桜」昭和10月号)

 

Chocolateのゆふぐれ

                                     東條環

異人墓地の見える海邊を

Canvaspastelを抱えた新嘉坡の少女は

チエホフのやうな貌をして

スカートの裾から貝殻を落としては

歩んだ。

 

貝殻は砂の中で、みんなひとつ一つ

寂しさに顫えながら それでも

ひらひら翻る少女のスカートに

サインすることを忘れない。

 

やがて貝殻たちは

侘しい潮鳴りをギタアのやうに聞き乍ら

新嘉坡の港から来た金口を喫付け

ごとごとゝ殻の中に赤いベレエを

かむつて眠る。

 

かうして、みんな みんな

静かに生れる

Chocolate色のゆふぐれ……

 

(「山桜」昭和10月号)

 

 ねがひ(小曲)

                                         東條環

あはれ われ

微風とならまし

 

匂やかなきみのはだへに

そと甘えつゝ、はじらひつゝ

わが想ひ かたらん

 

あはれ われ

蜩とならまし

 

きみ住みたまふ窓の邊に

やさしきそが友となりてよ

ひねもすを奏で歌はん

 

あはれ われ

貝殻とならまし

 

やさしきひと

來りて拾ふ時

微笑みてその掌上に眠らん

 

あはれ われ

せつなる ねがひ……

 

(「山桜」昭和10年9月号)

 

金婚式                                    

東條環

いかつい掟の息吹は

病患(いたつき)の頬を毮り、切々と骨を碎きて

今宵もわが冷床(ふしど)に冷笑の笞鞭ち

たぶ、たぶ、と嘯く。

 

あゝ 煙突(ファナ)よ、浚渫船(クリストマン)

がらがらと黒き煤を飛翔(とば)し、重油(マシン)飛沫(にほは)

夢の如、白き眠の如、遙か幻滅の彼方

滔々と流れ去り、消え去り行く渦巻(なか)

誰が祝祭(よろこび)ぞ、わが冷床(ふしど)()

獄窓の静寂(しじま)揺すつて

るる……るるりん…………

流れ來る、響き來る、金婚式の顫音(トレモロ)……

 

闇を斷ち、宙に轉び

さめざめと獄窓(まど)を仰げば、月光(つきかげ)亡妻(つま)映像(うつ)し、

白々とわが痩驅を哭く

その中に巍然と存在し、傲然と嘯く

人生のフルートよ

運命のサクソフォンよ。

 

乾枯びぬ乳房なりとて、

よれよれの臥床(ふしど)なりとて

われを待ち、われを迎ふる團欒(まどゐ)あらば

貧しくも、泌々と、心濡るゝを……

 

吁々 亡妻(つま)よ、

夢の如、現實(うつゝ)の如、歌音聞きつゝ

今宵も白びた無精(ひげ)をまさぐり

われは戀ふ、おん身の體臭を、

あゝ……金婚式を…………。

(「詩人時代」昭和10月号)

 

 酸漿の詩

                        東條環

ほほづき、ほほづき
そは圓らなるかの赤きメノウ
はた麗はしきかの珊瑚。

われ、その美しさに(こころ)うばはれ
その麗はしさにそと接吻けみて
ああ かくも手痛き
そが苦味を知れり。

されど
われいまだ若く人の世の
まことの憂さを知らず
沁々とその苦味を忘れ得ず。

ほほづき、ほほづき
そは赤く、苦き
はた忘れ得ぬ、思い出の苦味
ああ、さればわれ
ほほづきの
その苦味を愛ず。

 

(「山桜」昭和1010月号)

 

ひめごと(小曲)

                          東條環 

燃え燃ゆる・・・・

情熱の滾りそ秘めて

寄り添へば、寄り添ふて

闇にからむ

掌とて汗ばむ。

 

はじめての・・・・

接吻に、接吻に

羞恥ひつ、崩るゝうなじ

仄かにも闇をくまどり

わが唇に淡く殘れる

紅の香の甘きもうれし

 

感傷の、胸とてうづき

 しのびかに、しのびかに

 行きつ、戻りつ・・・・・・

 只、それだけに

ああかくもわが魂は躍るか

夜半の密會・・・・・・ 

         ――近作集より――

(「山桜」昭和10年10月号)

 子供

                                東條環

                     
父は逞しい背を向けて背負(をんぶ)してやらうといふ

母はやはらかい膝の上に抱つこしてやらうといふ、

だのに子供は、どちらにも嫌、嫌をして

獨り危つかしい足どりでよちよちと歩み出すのだ。

白鳥の浮んでゐる公園の池の淵の回轉木馬に乗つてから、

七色の風車のくるくる廻つてゐる紙芝居の屋台店を覗いて、

鳩ポツポが仲良く豆を喰べてゐる観音様で少し遊んで、

映画館(かつだう)音楽(ヂンタ)も聞かせてやるよ。

それから坊やの好きなチョコレートを一ぱい買つて・・・

と父はいふ。


含むととろりと甘い母乳(おつぱひ)をたくさん呑み乍ら

昨日の續きの面白い御伽噺をお聞き。

それに飽きたら母ちやんの優しい子守唄で静かにお寝みね。

屹度いつもの綺麗な夢の國から美しい小人達がどつさり

お玩具を持つて遊びに來るから…と母はいふ。

だのに子供はどちらにも嫌、嫌をして

庭のまだ熟れない青い蜜柑が食べたいといふ

お池の金魚を掴んで来て石で潰すのだといふ

父は困つてどうしたものだらうと母にいふ

母も困つてどうしたものだらうと父にいふ

二人のもてあましてゐる子供は不思議さうに

父と母の顔を見る。その黒曜石の様な瞳には

おもうい灰色の空がどんよりと映つてゐる。

 

(「山桜」昭和1011月号)

 

彼女とゆふぐれ


                  武蔵野  東條環

乳房は海に續いてゐるのだらうか
貴女の肉體(からだ)の中を小人のやうに歩き廻る私
に辛い潮の香が痛く咽喉(のど)に沁み、波に打上
げられた海草が乾枯びて生臭い。

私の立つてゐる丘の向ふにも大きな丘があ
つて疎らな雑木林を透いて砂丘は沓く何處
までも伸びてゐるのか、血のやうな夕焼けが
その向ふにある。

私は不圖懐かしい母乳(ちち)の匂を聽いて
丘から丘を行つたり來たりする。
誰も通らないと思つてゐたのに、その道に
は煙草の吸殻が棄ててあつて寂寥(さび)しい。

ゆふぐれがかあてんをひろげて行くので
海水の溜まつてゐさうな窪地に
貝殻は喪章のやうに侘しいといふのか

少しも弾んでくれないゴム毬のやうな
戀情を抱いて
私はゆふぐれの丘を下る

 (昭和10年「蝋人形」11月号)
 

祈り(小曲)

                            東條環

實にきみよ はかなからずや
春の野に懸れる虹の
窓の邊に寄する櫻の
若き日のあまたの戀の。

ひとゝきの 美酒醉寐の
みじか夜のそのひめごとの
ものみなの世のたのしさは
木梢なる、銀の白露。

さこそあれ、はかなき者は
ただにこそ天にならへて
とむらはむ、曇る思ひを
祈るかな、憂さし運命を。

(「山桜」昭和10年11月号)

 

   
―― 私の恐迫観念症より ――
                                          東條環

ごろりと横になると定つて
  私の腹を狙ふ鋭どい槍がある

  何處の誰奴(どやつ)がどう狙ふのかは知らないが
  研澄まされた穂尖がピカリ――
  ピカリ――空間に閃き
  見えない、そ奴の、殺気立つた眼が
  凝乎と私の腹を凝視しているのだ

  

私はもう怖ろしさに全身がおのゝいて
  無我夢中に跳起きやうとするのだが
  一寸でも動いたら、その瞬間!!
  槍は私の腹を貫ぬくだらう。

  全身の何處が痛んでも
  腹にぐつと力を入れて耐えるものなのに
  その腹を突尖されて
  一體、何處で痛みに耐へよう

  槍は秒速の隙も興へず、ヂリ、ヂリと
  私の腹を狙つて
  ―― 近寄り
  ―― 遠退き
  尚もギラギラと空間に閃いてゐる

  私は何に縋ろう、誰の力を求めよう
  然し、幾ら悶掻いたとて、歯痒んだとて
  この場合どうなるものか ――
  私は悲しく諦めて静かに眼を閉じる
  悲しくも諦観し、眼を閉じれば
  おお、ありありと
  名も知らぬ美しい花が咲いて繞る
  仄かなるその香が馥郁と私を包んでめぐる…
  おお、繞る……

(「山桜」昭和10年12月号)

 

花言葉(小曲)

                  東條環 

ひそかにあなたを戀してた

あたしは赤い欝金香(ちゆうりつぷ)

 

甘い囁き 戀の雨

濡れて育つた風信子(ヒヤシンス)

想ひは永劫(いつまで)かはらない

赤紫のライラツク

 

四ッ葉、クローバァー、櫻草

可憐な戀のジャスミンよ

見せて上げたいこの純情

 

どうして想ひが通うやら

あなたの胸の戀占ひ

若しやさうでなかつたら?

迷つて焦がれてとつおいつ

あはれなマーガレットのあたしなの

こんなに煩悩のシネラリア

いつも憂鬱(メラン)のゼラニユーム

片輪想ひの矢車草

淋しい戀の花なのよ

 

胸に開いて胸に散る

スヰートピイやら君影草

いつか悲しい想ひ出の

忽忘草になりました。

(「山桜」昭和1012月号)

 

海亀

                        東條環

海亀の海の匂よ
こつこつと甲を叩けば
ひえびえとつたふ空虚しさ

こぞの夏、君とあそびし
房総の海を憶ひて
諦念とひとり佇ずみ
色あせし夢を偲べば
ほろほろと身にしむ憂ひ

海亀の海の匂い
こつこつと甲を叩きて
しみじみと涙ながしぬ
               
(「蝋人形」昭和10年12月号)
 

ゆふぐれの中の私

                                                            東條環

ゆふぐれになると定つて私の視野の中へ這入つて怯て伊達巻
を解く女(ひと)がある
片隅の黒色のかあてんの蔭に
私の純白い寝臺があるからだろうか
その女はいつもひようひようと鳴らない口笛を鳴らしてゐる

その女は素早く私を脇の下に包んでしまふ
それは親鳩の愛撫のやうに優しく
――それは母さんの乳房のやうに甘く

その女は鋭どい銀の針で突然(いきなり)私の唇(くち)にお黙りをしてしまふ
――それは妖精(ふえやあり)の王子様の悪戯(おいた)のやうに
――それは父さんのお折檻のやうに

その女の姿を見ると私は何もかも解らなくなつてしまふ
――それはお伽國の魔法の杖に觸れたやうに
――それはその女を見たようでもあるし見ないようでもある
ように

私はその女が烏のやうに無氣味で怖い
私はその女が雛鳥のやうに懐しく可愛いい
私はその女に伊達巻を解くことを教えはしない
だのに、ゆふぐれになると定つて
私の視野の中を
――物憂く
――掠め
――突つ走り
ひよろひよろと鳴らない口笛を鳴らし乍ら
伊達巻を解く女がある

(「蝋人形」昭和10年12月号)