桃李百韻について

 桃李歌壇では2003年度の立春に百韻興行をいたします。歌仙と較べて、百韻は皆様それほど経験がないと思いますので、桃李歌壇での百韻の式目について説明します。

 桃李歌壇では「連句」という言葉を使いません。あくまでも我々が巻くのは新しいスタイルの「連歌」であって、「連句」ではありません。「連句」というのは明治時代に高浜虚子が発明した用語であって、「俳句と連句」というように対で使ったのが始まりでした。桃李歌壇は、子規の俳句論や虚子の連句論は、連歌と俳諧の本義を忘却したものであるという立場から、連歌と俳諧の伝統を復活することを目指しています。それはまた、芭蕉の俳諧の見直しという意味もあります。芭蕉の「俳句」とか「連句」とかいうものは本当は存在せず、芭蕉の「発句」と「俳諧」というのが正しい用法であったのですから。

 俳諧というのは連歌を巻くときの創作者の態度、ヒユーモアや機知が感じられる歌の連なりという意味で使います。つまり純正の連歌と俳諧の連歌というようにジャンルを分けずに、広義の「連歌」を巻くということをもって、桃李歌壇の連歌といたします。

連歌においては百韻が正式、歌仙は略式

 まず、歌仙と百韻とを比較すると、連歌においては百韻が正式であって、歌仙は略式であったことが分かります。

   百韻          歌仙

初折表  8句(月)    6句(月)
初折裏 14句(月花)  12句(月花)
二折表 14句(月)
二折裏 14句(月花)
三折表 14句(月)
三折裏 14句(月花)
名残表 14句(月)   12句(月)
名残裏  8句(花)    6句(花)

歌仙で「名残折」といっても、それは二折なので、あまり名残が惜しいという気がしませんが、百韻は四折になるので、「名残折」というのが自然ですね。百韻は四花七月  歌仙は二花三月で、花の定座は、それぞれの折裏の最後から二番目の長句です。ただし、この定座というのは、あくまでも一応の目安であって、花は引き上げられることがありますし、月の出所はかなり自由です。また、百韻では、四花八月となる事例もあります。

 式目は本来、百韻を基準にして創られたので、江戸時代の俳諧ではそれを歌仙式目に転用したにすぎません。俳諧とは、簡単に言えば、「俳言(俗語や漢語など、和歌の伝統からはずれた新奇な表現)を以て巻かれた連歌」という意味であって、式目の上で違いがあるわけではありません。

連歌の黄金律


 連歌の歴史は、短連歌(短歌の上の句と下の句を二人の人が詠みあう) から鎖連歌への展開として語ることが出来ます。 五七五+七七 で二人が短歌を共同製作して終わるのではなく 五七五+七七にさらに五七五を続けて、交互に長句と短句を 反復させ、百韻、三六韻と続けていくのが「鎖連歌」。鎖連歌が藝術として成立するためには、第三の五七五が はじめの五七五の世界の繰り返しにならないことが 必要不可欠でした。 この考え方は、発句と第三の間だけでなく 一般に、連続する三句の連なりにも適用されました。つまり 

→A→B→C→ と展開するときに、Cの世界はAの世界から、あらゆる意味で 徹底して離れることを求めます。これが、連歌式目の中の「黄金律」とも言うべきもので、 そこを抑えれば、連歌の他の約束事も自然に了解されますCの世界がAの世界の繰返しとなること(輪廻)は 連歌俳諧の根本を支える美意識に反するのです。

それではこの黄金律に反する典型的事例である「観音開き」について説明しましょう。観音様を安置している厨子は扉を開けると左右対称になっています。 そこで、中の句を挟んで、前句とつけ句が同じ姿をしているもの、 同じ趣向になっているものを「観音開き」といいます。
観音開き、あるいは一般に輪廻となる連なりは、自由連句」をやっている場合には問題ありませんが、連歌俳諧の伝統の中ではもっとも嫌われたものです。

百韻の題材とその配列

 百韻は四楽章形式の交響曲になぞらえることができるでしょう。歌仙は二楽章の交響詩ですね。連歌の素材は俳句よりも広く、四季折々の花鳥諷詠のみならず、世態人情、恋、述懐、羈旅、藝能、神祇釈教など、およそ詩歌の扱いうるすべてにわたっています。百韻の中にそれらを言うなれば、万華鏡のように詠み込むことが必要です。しかしながら、それらを詠むにあたって、一定の秩序と調和が必要になるので、それを句数と去嫌の式目によって定めます。

句数と去嫌の式目

句数\去嫌 二句去
(最低二句隔てる)
三句去
(最低三句隔てる)
五句去
(最低五句隔てる)
一句のみ 天象   同字(漢字)
一句から二句続ける 異時分・藝能
降物・聳物
食物・衣類
名所・国名
異生類・異植物
同時分
同生類・同植物
 
一句から三句続ける   夜分
山類・水辺・居所
 
二句から五句続ける 世態人情句 神祇・釈教
旅・述懐の句
夏季・冬季の句
三句から五句続ける   恋の句 春季・秋季の句

注:「去」とは、 たとえば ○○×××○ のような連なりを○について三句去といいます。

季戻りと季移り (質疑応答)

>1.春の句を続けるとき,晩春→仲春→早春 というように時間の流れに逆って詠むのは良くなくって,時間のながれに沿ってつなげて行く方が望ましい,と聞いた>ことがありますが,そうなのでしょうか。

晩春→仲春→初春 のような付けを「季戻り」といい、これは連歌俳諧では避けなければいけません。春や秋の句を三句から五句続けるときに、単調さを避けるとともに「季戻り」しないように配慮する必要があります。したがって歳時記も、初春・仲春・晩春・三春(初中晩を兼ねる)の区別のある歳時記が望ましいですね。(たとえば、山本健吉 「基本季語500選」 講談社学術文庫 など)

>2.春の句のあと,五句(以上)隔てれば,また春を詠んで良いということのよう>ですが,そのように,春のあとに,又,春を詠むということは よく なされること>なのでしょうか。何か →夏に行くとか,→秋に行くとかの方が良い,ということ>はあるのでしょうか。

春の句がでて、五句雑の句が続き、また春の句が出るというケースは実際には少ないですね。もっと多彩な変化があったほうが「一般には」望ましいでしょう。ただし、あらかじめ季題の配分をせずに自由に巻く俳諧などでは、場合によっては、句の内容上、オリジナルな付け句をしたときに、どうしても、また春になってしまったということが起こる可能性があるので、五句去を満たしていればよし、と定めているのです。

>それから,逆に,→冬に行く,というのは望ましくない,というようなことはあるのでしょうか。

春→冬 のような展開は「季戻り」とはいわずに、「季移り」の事例で、それほど一般的なものではありませんが、式目では許容されています。

    「猿蓑」の俳諧から例を挙げましょう

    道心のおこりは花のつぼむとき    去来
    能登の七尾の冬は住み憂き      凡兆

これは、春→冬 「季移り」の例です。前句の「人」を北陸の厳しい風土を行脚している僧(西行の北陸行脚の面影あり)の回想とみて付けました。だから、句の現在は「冬」ですが、そこで、春の発心の時を回想しているわけですね。ですから、季節が戻ったわけではなく、実際には、春→(夏)→(秋)→冬 という具合に、時間が経過しているのです。
   
>3.春を詠んだあと,→夏に行く,あるいは →秋に行く,などのときは,五句隔てるなどという」ことは必要なく,春の句に続けて いきなり夏あるいは秋を詠んで良い,という理解に(私は)なってしまいますが,それで良いのでしょうか。

春夏秋冬を順番に詠むのも一興ですが、とくに俳諧では、そういう連続的な推移では、あたりまえすぎて面白くないので、むしろ有季の句の間に雑の句を挟むのが一般的です。「季移り」にも予想外な事態があったほうが面白いので、「露」「霧」「月」などの複数の季節にまたがる季語をうまく使って、春→秋、秋→春 のような「季移り」をすることもよくあります。

(2003年2月2日更新)