第101回句会桃李6月定例句会披講
選句方法:天地人方式(各3、2、1点)
兼題:葵、鹿の子、百
雑詠または題詠
兼題1(季題): 「葵」
兼題2(季題): 「鹿の子」
兼題3(キーワード題):「百」
披講
・13点句
鹿の子のみゅうと母恋う日暮れかな 馬客
- <青榧(地)>
- 子が母を慕う、大方の動物に共通したもので、作者の心でもあるのでしょう。心に沁みます。
- <やんま(地)>
- さんざ我を忘れて遊んでいた鹿の子も日暮れになれば母が恋しくなる。みゅうという鳴き声が夕焼に響く。
- <双六(人)>
- ちょっと甘いかなとも思いますが、「みゅう」という音に魅せられて採ってしまいました。
- <雛菊(地)>
- ママを慕ってみゅうと鳴くのですか。子鹿のかわいい姿目に浮かびます。 他には苔を食む鹿、一番星を見てる鹿、船着き場で待つ鹿の句が良いと思いました
- <しゅう(天)>
- 「みゅう」というオノマトペが鹿の子の実態感があり、とても愛らしいと思った。「みゅう」一発で天に頂いた。
- <四万歩(天)>
- 鹿の子のいじらしいまでの姿が「みゅう」という鳴き声にあらわれています。
百穴に百の暗がり草茂る 晴雨
- <顎オッサン(天)>
- 闇の黒と伸びきった青。
七転び八起きの世界を感じます。
- <童奈(天)>
- いかにも俳句的。
- <木菟(地)>
- なんでもないことですが自然はそんな顔色をしています。
- <四万歩(地)>
- 百穴のそれぞれに隠された暗がりが、秘密めいて暗示されています。
- <丹仙(天)>
- 「百」の題詠、百回記念ということで、めでたい句を期待しましたが、これは虚をつかれた感じで、却って印象に残りました。百の反復がなかなか効果的です。
日盛や百葉箱の影深し 青榧
- <芳生(天)>
- 日盛の情景が見えてきます。
- <月雫(地)>
- 淡々と爪先立ちをしているような百葉箱の寡黙な様を、よく見いだしたなと感心しました。なんでもない事を見つけ出し感情を介入させずに詠むのはとても難しい事だと思います。そういう点でこの句は客観写生とは何ぞやを理解されて詠まれた秀句だと評します。
- <ぎふう(天)>
- 昔通った学校が浮んで来ました。日盛と百葉箱がとても懐かしさを感じさせてくれました。
- <馬客(天)>
- 当番一人欠けし夏風邪
- <丹仙(地)>
- 「百葉箱の影深し」は良いですね。「日盛りや」はややつき過ぎか。上五をもう一工夫したら素晴らしい句になる予感有り。
・10点句
立葵生まれた家で逝きにけり たま
- <英治(天)>
- 深みのある句。立葵がよく効いている。
- <童奈(地)>
- 大きな農家の庭先に咲く色とりどりの立葵が静かに見送っているようです。
- <潮音(地)>
- 朝起きたとき、自分が死んでいくときの姿を想像して救いようのない不安にかられることが多い。「生まれた家で逝きにけり」とさらりと詠める作者はどのような深い人生を送ってこられたのであろう。番茶でも喫しながらお話を伺ってみたい。
- <庚申堂(天)>
- うらやましいかぎりです。
・9点句
杖止めし母の見上ぐる立葵 径
- <浮遊軒(地)>
- 大きな立葵と小さい母との対比よし。
- <鞠(地)>
- 老いて小さくなった母は、杖を引いて背高な立葵を見上げている。
- <梵論(天)>
- <東彦(地)>
- 背中の曲がった、前かがみの母が、葵に気がつき見上げる様子を写生して無駄がない。
キューポラの赤きコークス立葵 海月
- <青榧(天)>
- 鋳物工場の側に咲いている葵でしょうか。取り合わせがよいと思います。葵は環境をあまり苦にしないで咲いています。
- <たま(天)>
- かつては、一番の名花といわれた立葵も私の中では、埃臭く丈夫な田舎の花というイメージです。そんな思いにぴったりだったのが、この句。昼下がりの町工場の景が見えてきます。キューポラもすっかり廃れてしまったと聞きますから、これは作者の中の郷愁の景なのかも・・・。
- <雛菊(天)>
- 鋳物の町のひりひりする熱さと暑さが伝わってきました。立葵が暑さに火を注ぐ?のか清々さを連れて来るのかどっちでも良い句と思います。学生時代キューポラのある町で過ごしましたもので………
百合の花少女穢れず呆けにけり 潮音
- <佳音(天)>
- 音の無い、でも無音ではない世界、ほの白い光の中のようです。
- <夜宵(地)>
- 永遠のマドンナ。
恥じらいを残したまあるい背中が浮かんできました。
あったかい句。
- <ぽぽな(人)>
- 作者にとって愛おしいであろう小さい老女の姿が見えます。
- <月雫(天)>
- 近親の方が少女還りをなさってるのでしょうか。「穢れず」の表現が秀逸だと感じます。いろいろ大変でしょうが、お大事になさってください。
・8点句
漉き舟は白く乾びて花葵 明子
- <浮遊軒(天)>
- 白く乾びてが良い。これで句が締まったものになる。
- <双六(地)>
- 人気のない紙漉き小屋、久しく漉く人のない漉き舟は乾ききって白く、
その小屋の脇には、紅い花葵が咲いている。美しい色の対照としんとした夏の日の風景が浮かび上がってきました。
- <雪女(天)>
- かつては生活の資だったが今はもう使われていない紙漉き舟。作業場にそのまま放置されているのだろうか、白くひっそりと乾びている。しかし窓の外では葵の花が昔と同じように今もまた夏の日に輝いて鮮やかに並び立っている。この白く乾びた漉き舟と花葵の取り合わせが印象的。
青梅雨の打つ無住寺の百度石 鞠
- <佳音(人)>
- 撫でられてなめらかな百度石を打つ、雨の音だけがする。
- <やんま(天)>
- 木の葉を叩く梅雨の雨。無住寺のお百度石が雨に光る。雨の音がひたひたという足音にも聞こえてくる。
- <木菟(天)>
- 死者の世界によく似た究極の寂寥がせまって来ます。
- <丹仙(人)>
- 青梅雨と百度石という配合にひかれました。発句に相応しい切れがないのが惜しまれますが。
・7点句
鹿の子や男も母性持ちにけり ぽぽな
- <双六(天)>
- 母性は女の特許とか、女はすべて母性を持つべきものと思えば窮屈。男にだって小鹿を愛しいと思う心、母性のようなものはそなわっていると、鹿を見ながら考えている作者の心に乾杯!
- <月雫(人)>
- 男にある母性を動物の仔を通して読みあげるのは良くある手法ですが、鹿の子のあのあどけない黒瞳は特にそれを感じさせてくれます。類句性が高い猫でなくて良かったと思います。
- <明子(天)>
- どんな動物でも子供はかわいいのですが、それは幼い時期をなんとか生き延びるための、ひとつの方策として自然に備わっているのだと聞いたことがあります。守ってやりたいと思わせるのだそうです。
鹿の子のあのかわいさ、いとおしさが良く伝わってきます。
・6点句
花葵羽あるものは天目指す 月雫
- <潮音(天)>
- 投句一覧にざっと目を通して抜きんでて輝いている一句に出会えたときの喜びは形容できない。第百回記念句会・第百一回記念句会と続けて、わたしにとっての「この一句」を無条件に天の句として選ぶことが出来た。光栄である。
- <素蘭(天)>
- 羽衣のような花弁の花が下から上に咲きのぼってゆく様子は
天をめざして駆け上ってゆくようです
地をはう蟻の視点で見るならば
百戦に敗れし馬や草を干す 馬客
- <顎オッサン(地)>
- 絆と愛ですね。
- <浮遊軒(人)>
- 負け続ける馬への応援歌。馬丁もきっとこんな風に草を干しているのでしょう。
- <晴雨(地)>
- <径(人)>
- ハルウララのイメージですね。
負け続ける馬のために干す夏草。
勝つばかりが人生じゃないから。
三川の梅雨の濁りをそれぞれに 径
- <葉子(天)>
- <英治(人)>
- 川が合流するあたりではよく見られる景。とくに梅雨出水の時期には・・。
- <しゅう(地)>
- 雨が降れば、川は濁る。しかし、それを「梅雨の濁り」としたことにより、景がぐっと広がった。「三川」、さんせんという響きもきれいで、日本の美しい、梅雨時の山河へ想を繋いでくれる。
・5点句
百合の香に噎せたる蜂の天仰ぐ 康
- <梵論(地)>
- <水(天)>
- 香水も山葵もほどほどに、でしょうね。 「天仰ぐ」がよい。 ワサビの効きすぎのときに、ぼくは鼻をつまみ、天を仰ぐ癖があるので、蜂のしぐさに共感です。 季語の二重奏(百合、蜂)も、軽妙である。
ここいらは百尋夏の潮の色 明子
- <葉子(地)>
- <素人(天)>
- 水深200m弱、海の青さが冴えるでしょう。夏の潮の色、魅かれます。
・4点句
鹿の子を見てゐたはずが見つめられ たま
- <木菟(人)>
- 無心というものの美しさはそんなものでしょう。
- <康(天)>
- ひとつの命を見ていたはずなのに、いつのまにかそれを忘れていた。そのことに気づいて面映がっている作者の心情に共感。
花葵ベルをならして三輪車 やんま
- <たま(人)>
- 明るい花葵。最近道路で遊んでいる子を見なくなってしまいました。車が危険、紫外線も危険、人間はもっと危険、の世の中で子供たちも大変です。
微笑ましい句でいただきました。
- <素人(人)>
- 無邪気に遊ぶ子が髣髴とします。すくすく育つ子に葵を取り合わせたのも巧い。
- <庚申堂(地)>
道をしへ百戸の村の集会所 佳音
- <やんま(人)>
- 道をしえとか時には蝶とかに案内されて、よそ者が過疎の村を用あって訪ねる。この地を離れられない人達の顔と顔が集会場ある。
- <晴雨(人)>
- <径(地)>
- いかにも山里の雰囲気が表されています。
腕組みをして鹿の子に視つめらる 雪女
- <鞠(人)>
- 子鹿の無垢な瞳と向合うと、腕組みでガードしてみても、内心まで見透される
気がする。
- <晴雨(天)>
蝦蟇蛙百萬本の薔薇唄ひ 梵論
- <明子(地)>
- 蝦蟇蛙くんが一生懸命唄ってたのは百万本の薔薇だったのですね。
熱い恋の歌ですものね。
- <康(地)>
- あれは命の賛歌なのですね。
このへんが引き返し時葵咲く 梵論
- <康(人)>
- そうかもしれない。葵も頷いている。
- <径(天)>
- 心情句として読むと面白いですね。
今はまだ冷静な判断が出来ているけれど、
ここを越すともうとことん突っ走ってしまう危うさ。
立葵はそんな思惑におかまいなく、咲き続ける。
・3点句
立葵暗幕すこし破れをり 佳音
- <素酔(天)>
- 40年ほど前の夏休み、町はずれにあった映画館に、子供たちだけで行ったときのことを思い出しました。映画館のドアを押して入ったときのにおい、下の部分がほつれた暗幕。炎天の途中の道には、確かに立葵が咲いていました。
立葵にはとり駆ける土ぼこり 童奈
- <東彦(天)>
- 学童疎開の記憶の中にはいつも立葵がある。炎天下に鶏が放し飼いであった。
半夏生山口百恵のさりげなさ 雛菊
- <顎オッサン(人)>
- イメージで採りました。
妙にピッタリしている。
- <雪女(地)>
- 「百」で「山口百恵」ときましたか。「半夏生」は草の方ですね。半夏生草の、さりげなくみせてしたたかな姿が、山口百恵のさりげないかしこさと不思議に通ずるものあり。
鹿の子が一番星を見てる丘 しゅう
- <鞠(天)>
- 子鹿の大きな黒い瞳と宵の明星の詩的な出会い。
鹿の子の大き過ぎたる眼かな 佳音
- <夜宵(天)>
- 鹿の子の瞳に焦点が当たった句が多かった中でこの句を選びました。
「大き過ぎたる」シンプルな表現が返っていろんな情景を思い起こさせて、好きです。
百尋の滝の飛沫やにぎりめし 素人
- <芳生(地)>
- 滝のしぶきを浴びながら、にぎりめしを食べている涼味溢れる風景。
- <東彦(人)>
- 滝を見上げながらの握り飯。おいしそうですね。
鹿の子の眼に合いし濡れていし やんま
- <ぽぽな(天)>
- 「鹿の子の眼に合う」がとても良いです。そこで読者は作者と重なり小鹿の濡れた目に見つめられているその場に連れて行かれます。表現も練れていて語調が心地よいです。
・2点句
銭葵親子四人がしゃがんでる 英治
- <たま(地)>
- 蟻の行列でも見ているのでしょうか。ありそうで、なさそうな景。子供と一緒にしゃがみこむオトーサン、オカーサンに嬉しくなっていただきました。
鹿の子の踏ん張りたちて歩き初む 素蘭
- <ぎふう(地)>
- 頑張れと祈るような思いで鹿の子を見つめている作者。
雨の書庫本のしめりや栗の花 葉子
- <素酔(地)>
鹿の子の鼻すり寄せて苔を食む 浮遊軒
- <英治(地)>
- 情景が目に浮かぶ。
父の日や墓地分譲の幟立つ 水
- <葉子(人)>
- <梵論(人)>
八の字に四肢突つぱりて鹿の子立つ 月雫
- <童奈(人)>
- 姿が見えます。
- <しゅう(人)>
- 生まれたての鹿の子だろうか、「八の字」は、独特な比喩ではないと思うが・・、それでもそこに惹かれた。
茎折れて流れに涼む花葵 静影
- <水(地)>
- 涼むために、わざわざ折れているとみれば、骨折も哀れではなく、ほほえましい景ですね。私は、季重なり(涼む;葵?)の句に惹かれるようです(例;107)
琴の音は葵の上よ背筋冷ゆ 葉子
- <夜宵(人)>
- 今の時代だと琴の音はさしずめ携帯の着信音でしょうか。
妻の機嫌の悪さに身の覚えのある夫。
こればっかりは今も昔もかわらないですね・・。
- <雛菊(人)>
- 葵の上を伝った琴の音を背中が感じると言うところに何か官能的な感じがした。奏でる人が女性で背筋冷ゆ人が男性ならこれはまさしく春琴抄の世界 その反対ならそれもまたいい 作者に句の意図を伺ってみたいものだ
はればれと濡れてなんぼや浮いてこい 顎オッサン
- <佳音(地)>
- こどものおもちゃはたいへん。ぬれてなんぼや!!
こどもの水遊びの監視もたいへん。ぬれてなんぼや!!
キュキュと鳴る嬰のサンダル百日紅 童奈
- <素人(地)>
- さもありなん。良く出会う光景です。リズミカルな句ですね。
百首歌ひとりことほぐ李かな ぎふう
- <馬客(地)>
- 自ずから成る蹊ぞ貴き
百姓といふ言の葉深く皐月かな 雪女
- <素蘭(地)>
- 皐月は田植え月、農作業で多忙を極められたのでしょう
日に日に生長してゆく早苗田の美しさ
天の恵みがありますように
外厠借りる宿場の立葵 芳生
- <ぽぽな(地)>
- 外厠と立葵の出会いが新鮮で、よくあっています。旅情も立ち上ります。
・1点句
立葵背比べした子の帰省待つ 庚申堂
- <青榧(人)>
- 39番とは反対に、子を思う親の立場からの句ですね。子にまつわるエピソード、背比べ立葵の姿に重ねて、成長して帰る子を待つ親心が伝わってきます。
鹿の子の立ち止まる癖親ゆずり 康
- <水(人)>
- その癖、DNAの脚本・演出でしょうかね。
百俵を喰う物怪や飯饐える 欅
- <馬客(人)>
- 百鬼夜行し議席争奪
句も歌も百千に満ちよ花葵 丹仙
- <明子(人)>
- 桃李の連衆であることを嬉しく思っております。
これからも益々盛り上がっていきますよう・・・・
昼寝覚め百畳敷の大広間 浮遊軒
- <芳生(人)>
- なんの合宿でしょうか。こんなところでの昼寝とは羨ましい。
水受けて香の際立ちぬ花葵 馬客
- <四万歩(人)>
- 葵の艶やかな容態がえがかれています。
鹿の子も神の遣ひや厳島 四万歩
- <素蘭(人)>
- 朝靄のなかからふっと現れる鹿の子
厳島神社の荘厳な夜明け
森陰を背にして立ちし鹿の子かな 青榧
- <雪女(人)>
- 風景そのままのようですが、森陰の暗さと深さを背にすると、「立ちし」にこの鹿の子の、この先生きていくあやうさ、けなげさ、背負ってゆかねばならない重さを予感する。
手庇や七里ガ浜に立葵 ぽぽな
- <潮音(人)>
- 「手庇」で決まった。雄大な句。はろばろとした夏の海が浮かんでくる。
百年の齢亭亭椎の花 径
- <ぎふう(人)>
- おめでとうございます。
我を待つやうな鹿の子や船着場 ぎふう
- <庚申堂(人)>