第104回桃李9月定例句会披講

選句方法:天地人方式(各3、2、1点)
兼題:栗、秋刀魚、台風(不言題)

秋の句 雑詠または題詠

兼題1(季題):  栗       
兼題2(季題): 秋刀魚
兼題3(不言題):台風   浮遊軒さんの出題


披講

・12点句

栗喰めばしばし縄文人になる  雛菊
<毬栗(天)>
縄文の時代から栗の食べ方は変わっていないのではと、この句を読んでふと思いました。思いを馳せる時間の大きさに惹かれます。

<庚申堂(天)>


<康(地)>
あの素朴な味わいは、まさにそうですね。わたし個人は「柿」の甘さがなんともいえませんが・・・。

<明子(地)>
縄文人に惹かれました。

<硝子(地)>
なるほど、栗はいちばん古代を想起させる食べ物かも・・・かちぐりなら尚更。


・11点句

ちつぽけな事がしあわせ秋刀魚焼く  毬栗
<芳生(人)>
陋巷の小さな幸せ。

<素蘭(地)>
七輪で秋刀魚を焼く光景が似合いそうです

<童奈(地)>
さあ、食べるぞ。

<四万歩(人)>
秋刀魚という平凡な魚に含まれる滋養あふれる栄養価がちっぽけな幸せに通じます。

<頼髪(地)>
うまく表現されていると思います。
暫くひたっているうちに
「あっ! 焦げちゃったー」って
なったのかも。  

<月雫(人)>
秋刀魚を焼くことのによって、また秋の味覚を楽しむことができるという「生きてることの」喜びを感じる句です。

<馬客(地)>
目黒で味をしめた殿様。


・10点句

栗剥くや守るもの多き身となりぬ  月雫
<英治(人)>
人生なかばともなれば、一国一城の主だ。

<双六(人)>
栗ご飯を作ろうと剥く栗は、家族の人数分。いつの間にか守らねばならないこもごもが増えてしまったことを考えるのはそんな時かもしれないと納得しました。

<たま(天)>
年とともに多くなってゆく守るもの。家族、財産、地位、その他もろもろ・・・。そんなに頑張って守ることはないのにと思いつつも、近頃とみに保守的になりつつあるわが身に自戒をこめていただきました。栗剥くやの季語もよく効いていると思います。

<眞知(地)>


<馬客(天)>
女性の句とみれば、「新しき命を身に宿した」句とも
とれます。いろいろに鑑賞出来、そのどれもが納得の行く
鑑賞となるような普遍性の巾を持っているとおもいます。


・9点句

潮流の色そのままに秋刀魚かな  雛菊
<ぎふう(天)>
焼いたりしていないのが好きでした。

<康(天)>
海の色と言わなかったところに惹かれました。スケールの大きさを感じます。

<丹仙(天)>
焼いた秋刀魚ではなく、今にも泳ぎ出しそうなとれたばかりの秋刀魚を詠んだところが良いですね。


・8点句

落栗の仰ぎし枝の高さかな  青榧
<英治(天)>
栗の実が落ちていれば、どこから落ちたか、つい見上げてしまう。

<四万歩(天)>
仰ぎ見た栗の木の先には秋晴れの澄み渡った空があり、という情景が見えてきます。

<丹仙(地)>
今回の栗の句は画廊桃李に掲載しますが、この句を冒頭に置かせて頂きました。


・7点句

白萩が伏して知りたる風のすじ  葉子
<顎オッサン(人)>
少し説明的ですが、情景がわかる句です。

<童奈(人)>
白萩がきいていますが、「白萩の」方が響きがいいのでは。

<庚申堂(地)>


<眞知(天)>


園児にもいざこざ多し栗笑う  ぽぽな
<まよ(天)>


<佳音(天)>
なんて小さな靴・・と幼稚園の靴箱を見ていました。でも、そんな小さいものの中にも色々なごたごたが・・・私もあったなぁ。

<水(人)>
いろいろ情景がひろがって、ほほえましい句。「栗笑う」は、辞書の世話になりました。果実が熟して皮が裂ける(笑う;広辞苑)などは、はじめて知りました。

秋刀魚一匹ねこと分け合ふ夕餉かな  双六
<梨花(天)>


<雪女(天)>
幸せそうなねこの姿が浮かんで思わず天

<たま(人)>
私もよく犬と分け合って食べているので(秋刀魚ではありませんが)嬉しくなって、いただきました。「おいしい? うん、そうか、そうか、おいしいよね。」なんて話たりして・・・。よく考えるとちょっと寂しい景ですが。

天高し塵箱の蓋届けらる  佳音
<水(天)>
名前がなければ、回覧に供される。 珍品(干し物)の展示もありますね。台風一過、清々しい安堵の一景。 

<明子(天)>
台風一過の青空の下、ご近所総出で後かたづけ。とんでもない所まで飛ばされた塵箱の蓋が帰ってきて、またひとしきり夕べの風の話で盛り上がる。台風の句を、こんなに明るく楽し気に詠まれたことに感動しました。

<しゅう(人)>
俳句らしい、俳諧性の句ですね。「天高し」がとても良いですね。

焼き餅を妬くほどでなし栗を剥く  毬栗
<青榧(地)>
焼き餅と焼き栗(かな?)の取り合わせ、怒りよりも食欲がまさる人生。

<佳音(人)>
栗を剥くのはこつと根気がいります。でも単純作業なので、思ふこといろいろ。
「妬くほどでなし」、と包丁が止まっていて「栗を剥く」でまたせっせと働く手。

<素蘭(天)>
黙々と単純作業をくりかえすうちにとりあえず
腹の虫もをおさまったようで何よりです

<頼髪(人)>
妬くほどではないと言いながらも、ひと粒剥くごとに
思い出すのです。
ほんとはやっぱり妬いているのです。


・6点句

毬栗のとんがってでもまあるくて  童奈
<青榧(天)>
見た目の形を言っているようですが。もっと意味が深いのではと思いました。

<鞠(人)>
 棘で覆われていながら、ころころと転ぶ毬栗は確かにまあるい。

<雪女(地)>
まさに毬栗

爆ぜる火や秋刀魚に意思のあるごとく  康
<まよ(地)>


<葉子(天)>


<木菟(人)>
意外なところで感情がむきだしになったりして。


・5点句

里芋の葉うらを白く嵐来る  双六
<芳生(天)>
台風が来るときの実景を活写している。

<四万歩(地)>
里芋が葉裏を白く見せている光景に嵐の接近を予感させます。

じゅうじゅうと皿をはみ出す秋刀魚かな  童奈
<顎オッサン(天)>
とても旨そうな句です。

<水(地)>
焼きたての、「はみ出す」ような、おおぶりを食してみたい。


・4点句

さんまさんま海の青さをそのままに  東彦
<顎オッサン(地)>
さんまの群れを感じます。

<毬栗(地)>
「さんまさんま」というひらがなのリフレインが優しくて、
「海の青」という漢字と青い色を引き立ててくれています。

栗飯のくりをかぞへてよそひけり  双六
<梨花(人)>


<童奈(天)>
みんな平等に。

野分後子らが集まるうさぎ小屋  眞知
<浮遊軒(地)>
台風が過ぎてすぐに子供たちが集まってくるとは、なんともかわいらしいうさぎが飼われているのでしょうね。子供たちの心配そうな顔まで見えて来ます。

<たま(地)>
保育園、学校のうさぎ小屋でしょうか。昨夜の嵐、うさぎ達は大丈夫だったのだろうかと心配して三々五々集まってくる子供達が見えるようです。
よかった、よかった、うさぎは何事もなかったように今朝も元気にお口をモグモグ・・・。

砂漠より帰り所望の秋刀魚鮨  鞠
<浮遊軒(天)>
砂漠のような索漠とした所から帰り、秋刀魚の鮨が食べたいとは、日本人なら誰しも思うことなのでしょう。

<眞知(人)>


栗拾ふそびら昏れ初む駒ケ嶽  芳生
<葉子(人)>


<潮音(天)>
多士済々の句会。諧謔味溢れる句、あたたかみのある句、童心にかえらせてくれる句、日常生活のほろ苦さを感じさせる句・・・。わたしの好みは、あたたかみの感じられる句にあると自分では思っているのだが、勿論、この句のような堂々とした風情のある句も大好きだ。


・3点句

秋刀魚焼く復活戦にある敗者  潮音
<双六(天)>
目に沁みる秋刀魚の煙と闘いながら、燃やしてしまわないように焼き上げる。復活戦の敗者の無念さを思うのはそんな時。

栗嫌ふ父に供へし栗ご飯  庚申堂
<月雫(天)>
初物の栗御飯を供えたときに「父は栗が嫌いだったなぁ」としみじみ思い出されたのでしょう。けっして作者がいじわるなのではないだろう思う。
秋らしい一句でした。

天気図に二重丸ある秋の旅  晴雨
<硝子(天)>
せっかくの旅に、有り難くない道連れ・・・でも、思い出深い旅になりそうですね。

秋刀魚燃ゆここが仁義の切りどころ  雪女
<雛菊(天)>
火はガスレンジではなく七輪ですね。秋刀魚燃ゆの表現すごい。そうだ
秋刀魚は焼くのでは無い燃すのである。目を離すと秋刀魚の炭になりますぞ

栗剥く手なにかに耐えてゐる気配  葉子
<ぎふう(人)>
手は作者以外の誰かなのだろうが、その辺の苛々が消えれば天でした。

<しゅう(地)>
栗を剥くときは、力が入るだけに、一つ間違えば、指に大怪我をしてしまいます。指に神経を集中して栗を剥きます。それを人が見れば、「なにかに耐えてゐる気配」という、そうだろうなあって共感します。視点の違いの面白さがあります。

甘栗を売る中国の色に詰め  まよ
<しゅう(天)>
「中国の色に詰め」という表現に、感銘した。甘栗を売っているところでは、燻しているのか温めているのかよく分からないけれど、ごろごろ栗が回っています。私は、「中国の色」とは受け取らない、「中国の」で輕い切れがあるように思う。「色に詰める」という、情感を被せて、句の世界が大きく、深いものになっているように思う。

キャサリンもジェーンも遠き秋の雲  馬客
<まよ(人)>


<鞠(地)>
 カタカナの女名を、すぐに台風と認識するのは、何歳以上の人々であろうか。
 まことに昭和も遠くなりにけり。

東京は近くて遠し初秋刀魚  頼髪
<毬栗(人)>
おいしい初秋刀魚を東京にいる子供に食べさえたいという親心でしょうか。
子を思う母の心のようなものを感じました。

<月雫(地)>
近くて遠い東京に何を思ってるのか明確でない分秋刀魚が生きてるよう思えます。
はらわたのように苦々しい思い出なのでしょうか。それとも脂ののった時代の思い出なのでしょうか。
消化しきれない過去にジリジリしながら秋刀魚もジリジリ焼けてるようです。

休日のキャンパス広し栗拾ふ  頼髪
<鞠(天)>
 栗拾いができるようなキャンパスで学んでみたい。

黒潮の粗砥のままに青さんま  青榧
<ぽぽな(天)>
「黒潮の粗砥」この比喩が決まってます。しびれます。

襲ひ来る嵐の前の閨の月  四万歩
<木菟(天)>
この緊張感はいくつになっても捨てがたい。

秋刀魚焼く東京人となりし我  柊
<頼髪(天)>
秋刀魚といえば何故か東京を想う。どうもどこかで刷り込まれたらしい。
秋刀魚を焼きながら故郷を思う句とも取れますが、自分と同じ刷り込みが
ある作者の感慨と思いたい。

予報円近江を外す居待月  英治
<双六(地)>
台風が逸れて、少しいびつな月が近江の湖上に現れた美しさが良く出ていると思いました。

<雪女(人)>
「予報円」という言葉が通用するのかどうかちょっと迷いましたが、芭蕉ゆかりの近江の地がなにか特別な加護あるごとし。


・2点句

マロンショーセーヌに沈む瞳かな  潮音
<ぽぽな(人)>
アポリネールはミラボー橋で焼きぐりを食べていた!?

<丹仙(人)>
フランス語で読みを書いたしゃれっ気をとりましょう。CGIのシステムも吃驚したことでしょう。「フランスの仮名に吃驚ももすもも  丹仙」

  

腰屈め落果を拾ふ秋の暮  青榧
<梨花(地)>


台風の目にをりメール打つてをり  毬栗
<佳音(地)>
語呂のよさにひかれました。

栗むいてくれる器用さ婚の夜  晴雨
<雛菊(地)>
ウフフ新妻のういういしさが目に見えるよう。細い白い指先に作者様惚れ直しましたか。

いちずなる恋はB面秋の蝉  顎オッサン
<木菟(地)>
そんなにたびたび聞かされたくない。

妻なにか怒りおるらし秋刀魚焼く  馬客
<英治(地)>
あるある、こんな雰囲気。

苦瓜の吹き倒されて豊かなり  たま
<ぎふう(地)>
「豊かなり」で成功しているように思います。

噴き足らぬ山むらさきに栗を剥く  たま
<葉子(地)>


湯気の立つ栗を供へて父母のこと  柊
<ぽぽな(地)>
純朴な栗の姿、立ち上る父母への思慕。
[13]「毬栗のまろびて〜」もいただきたかったです。

この村の不良はいずこ秋の蛇  康
<潮音(地)>
作者は悪童でいらっしゃたのだろうか。わたしは、過去に他の俳句のページに投句したとおり:「手花火や元神童の髪白く」。なに、いまは、この程度です。
「[28]:銀漢や二足歩行の奇跡問ふ」も、単に知識の披露に終わらない鮮やかな詩情。「[81]:陶器市さても秋刀魚の背の丈」の見事さにも舌をまいた。作者の陶器や惣菜にそそぐ愛情のゆえの佳作であろう。

林檎落ちて悲しき朝の夫婦かな  白馬
<雛菊(人)>
颱風の進路に必ず当たる青森。津軽は私のふるさと。だから作り手の気持ちがわかる。落ちた林檎はジュースなど加工用などになり二束三文になってしまう。苦労して育ててきて収穫直前にいつも颱風にやられるのです。

<庚申堂(人)>


蝋塗られ二百二十日を待つ雨戸  月雫
<芳生(地)>
台風前の様子がリアルに。


・1点句

避難所を確認秋の雲迅し  鞠
<馬客(人)>
俳句好きの町会長が町の掲示板に貼った
自信作、なんていったら作者さんに怒られるか。
「不言題・台風」で一番俳諧味がありました。

栗ひとつ落ちる音あり侘住まい  白馬
<浮遊軒(人)>
侘び住まいと言っているのはご本人だけで、けっこう優雅に暮らしてみえるのだなと、この句から想像しました。

赤黒き浅間となりし厄日かな  好鵡
<康(人)>
この不気味さ、圧倒されますね。

厄日かな望みて赤き浅間山  好鵡
<潮音(人)>
不安な気持ちの高まりが語感とよくあっている。それにしても、「不言題」処理は難しい。「[112]:予報円近江を外す居待月」も、伝統的な「近江」の地名と「予報円」の語の対照の妙、「[68]:数珠玉を採る錆色の流れ見て」のそこはかとない雰囲気も好きだったが・・・。

栗の實は黙して語る倶会一処  丹仙
<硝子(人)>
栗の落ちているさまを倶会一処・・・言い得ていると思う。栗の實(の)の方が、と思うが、どうでしょうか。

詩魂痩せたらふく食べる秋刀魚かな  芳生
<明子(人)>
集中しようにも、あの匂いには抗えません。

秋晴れや一夜で休校夢となり  庚申堂
<素蘭(人)>
これと集団風邪による休校
何度淡い期待が破られたことか…

毬栗のまろびて秋の陽を散らす  康
<青榧(人)>
雑木林の片隅の懐かしい光景が浮かんできます。