第11回11月定例句会披講

選句方法:天地人方式(各3、2、1点)
兼題:空(有言)、腰(有言)、厳しい(不言)

冬の句(雑詠)または題詠
(一句は題詠とする)
有言の題詠(その言葉を使う)は 「空」 または「腰」
不言の題詠(その言葉を使わずに、心を詠む)は、「厳しい」です。

投句: 葉子、香世、木菟、楽人、重陽、浜本恵子、坂口久美子、小林奈々、楽千、悠久子、雲外、東鶴、安寿
選句: 楽千、楽人、重陽、雲外、安寿、香世、松、木菟、悠久子、葉子、東鶴

披講

・10点句

板の間に喝跳ね返る寒稽古  安寿
<香世(天)>
武道の厳しさが素直に伝わってきます。
板の間、寒さ、この条件のもと、喝は跳ね返るという表現に脱帽です。

<木菟(天)>
 ぼくは柔道だったので、板の間ではありませんでしたが、寒稽古
の凛烈の気配良く覚えています。隣が剣道場で竹刀の音が良く聞こ
えました。正課に武道があった旧制中学の思い出です。

<悠久子(天)>
「喝」「板の間」「跳ね返る」「寒稽古」
それぞれの言葉が〈厳しい〉を現し、相乗効果もあって
素晴らしいと思います。
ただ、詳しくはない者として、剣道?空手?それとも?

<葉子(人)>



・7点句

冬空や鷺つくねんと白くゐて  葉子
<楽千(人)>
近くは江戸川べりに「コサギ」ウオッチ。
やっぱりつくねんとしていた。
だがアタシャ風邪を引いてしまった。

<重陽(天)>
「つくねん」の表現が面白い。白々とした冬空の下の鷺は、この言葉が相応し
い。ただ、「白くいて」は説明が過ぎるように感ずる。

<東鶴(天)>
「つくねんと白くゐて」が良い。「て」どめに余情がある。
「寂しさ」は、個人の内面にあるのではなく、所在なげな一羽の鷺を図とし、初冬の寒々とした光景を地とする風景の全体にある。蕉風「さび」に基づく写生句の
精神を感じさせる句です。


・4点句

良い子には サンタが来るよ クリスマス  坂口久美子
<雲外(天)>
若い人の句からということで。
平明でわかりやすくてよいですね。
「一句ひねる」というようにちょっと工夫するともっと佳くなる。
サンタがくるのはクリスマスに決まってるから、この下五の「クリスマス」を
たとえば「湯の母子」とすると、肩まで湯に沈んで10まで数えている幼子と
その表情を見つめる若い母親という情景が具体的に浮かんできます。

<松(人)>
あったかな句としては、これだけだもんね。冬だからできるだけ暖かいほうがいい。

翁忌や卍に見えし守宮をり  重陽
<香世(地)>
まだ、俳句初心者で、忌日の入った俳句の奥深さが分かりません。
しかし、翁と卍が、なんとなく合います。
なによりも、私も守宮のはいつくばっている姿態は、卍に見えます。共感!

<東鶴(地)>
「卍」の姿をヤモリになぞらえた句。文字姿の持つ異様な雰囲気を捉えています。禅門に入り得なかった芭蕉、「僧に似て僧にあらざる」異形のひととしての俳諧師の生き様を象徴するかのようです。


・3点句

我が息の自在許さじ雪しまき  重陽
<葉子(天)>
我が息の自在許さじ雪しまき(どうしたわけか上の句を書き込むところに書けないので、ここに書きました。どうしてでしょうか?
雪の激しさがよく出ている。雪は自分を囲繞する何かの象徴のように受け取られる。例えば恋の感情の激しさなど。

白障子開けばそこは青き空  悠久子
<楽人(天)>
晴れた日の朝は、殊に冷え込みますが、それでもやはり青い空は気持が良い。
厳しい寒さに、身も心も引き締まるよう。白障子なら、なおさらですね。

秋冷や重たき腰も帰りけり  楽千
<安寿(天)>
納得。今回の投句の中で最もおもしろく感じました。
話好きのお客も帰りの寒さを思うと、さすがにいつまでも座り
込んでいるのが不安になったようで・・・。

冬の空オリオン座より他知らず  楽人
<松(地)>
大阪の空からみえるのは大して多くはないのだが、それでも知らない。まあ、知らないんだ、結局。

<悠久子(人)>
私もそうなのですね。
だって、一番分かりやすい星座ですから。
そして、シンプルな美ですから。

いちめんに蒲団敷くごと冬の空  安寿
<松(天)>
そうそう、どこもかしこも冬なのだ。

スッポンの 俺は雄かと 首かしげ  雲外
<楽千(天)>
何だか可笑しい。そういえばカメ類はよく首を
傾げている。ところで考えてもみなかったが、
ワシは男だった、よ、な。


・2点句

小春日や老母の腰もやや伸びて  葉子
<楽人(地)>
腰を詠んだ句の中では、これが一番良い。縁側の情景でしょうか。
自然に腰が伸びてくる様子が、目に浮かぶようです。

誰の足 炬燵の中で つつき合い  小林奈々
<雲外(地)>
若い人の句からということで。
楽しそうな家族の団欒風景がいいですね。
「母の手を 握って炬燵 しまわれる」という川柳もある。
炬燵はなかなか色っぽい仕掛けらしい。
「つつき合い」を「触れてくる」とやるのも一句だったでしょうか。

知命なり空しさ半ば初時雨  東鶴
<木菟(地)>
 50才が知命なんですね。ずっと昔に通り過ぎたところで、その
点感銘が割引されますが、人生半ば、そんな風に感じるのもそれな
りに、真剣に生きてきたということでしょうか。

腰のばし 冬空にまた 麦を踏む  雲外
<重陽(地)>
状景と心象は良く表わせているが、兼題を幾つもとりいれたのは、如何か。
「腰のばし」が、句のキレを鈍くしている。「冬空にまた麦を踏む」で句として
は、言い切れている。

隣人くしゃみみっつの目覚めかな  香世
<楽千(地)>
酔った勢いで布団を掛けずに寝てしまった
のは夫か妻か。くしゃみで起きて、御隣りの
布団も掛け直し今度は熟睡、に違いない。

胸を抱き小走りの裾しぐれ来る  木菟
<悠久子(地)>
夢二風の情景。
或いは、吉永小百合。
現代には存在しないような美しさ。

凍空や 二条烏丸 鰊そば  雲外
<葉子(地)>
凍空や二条烏丸鰊そば
冬の京都の街のそぞろ歩きか。そういえば去年東寺の仕舞い弘法に出かけた折りに、鰊そばを食べたっけ。また行きたいな。

大寒や一番風呂の足の裏   香世
<安寿(地)>
普段は人の足の裏を見たり見られたりする機会はなかなか
ないものです。手のひらに比べて、足の裏は注目度が低い
ですね。そこに目をつけたところに一票。

夕空に炎を吐きしモミジ山  楽千
<安寿(人)>
もみじの時期の夕空は、夏の夕焼けとは違った彩りで、少し
遠方にあるもみじの山も、晴天の昼間に見るのとはずいぶん
違っていることでしょう。そんな不思議な光景を想像させら
れる一句。

<木菟(人)>
 夕焼けがあったかどうか、それによって随分と印象が変わって来
るでしょうが、いずれにしてもモミジ山の美しさは、少しも損なわ
れません。


・1点句

終い湯を出てカラコロと夜寒かな  楽千
<香世(人)>
神田川の世界ですね。
しかし、若くない、男ひとりの感じです。

凍鶴は何も語らずただ立てり  悠久子
<重陽(人)>
状景には共感を深くする。しかし、「何も語らず」と「ただ立てり」は
同義で重複感がある。

冬の星空に流れる獅子の髭  東鶴
<楽人(人)>
流星を獅子の髭に見立てたのが、面白い。
しかし、獅子座流星群はどうも前評判ほどではなかったようですね。
私も午前二時から四時まで近所の公園でねばって、
見ることができた流星は、十数個でした。

めいめいの腰の旋律ゲレンデに  安寿
<雲外(人)>
若い人の句からということで。
生き生きとした写生句ですね。
でも腰の「旋律」(メロデイー)というのは無理がある。
やはりここは「腰のリズムや」の方が自然。
当たり前すぎるのと下五の「ゲレンデに」とカタカナが重複して面白くないからだったのか。