第116回桃李8月定例句会披講

選句方法:天地人方式(各3、2、1点)
兼題:原爆忌、立秋、走馬燈

晩夏または初秋の句 雑詠または題詠
兼題1 「原爆忌」
兼題2 「立秋」
兼題3 「走馬燈」
句会の日程は
8月15日 (月)    投句受付開始
8月22日 (月)24時 投句締切、翌日選句開始
8月29日 (月)24時 選句締切
8月31日 (水)    披講

投句: ぽぽな、文枝、鞠、治男、青榧、白馬、潮音、柊、半可、康、素人、英治、馬客、双六、葉子、雪女、愛子、庚申堂、童奈、悦子、素蘭、雛菊、佳音、芳生、わたなべはるを、明子、伊三、月雫、丹仙
選句: 芳生、わたなべはるを、素人、青榧、雛菊、英治、童奈、雪女、鞠、白馬、双六、半可、馬客、康、伊三、悦子、文枝、庚申堂、愛子、素蘭、潮音、佳音、明子、月雫、丹仙

披講

・19点句

たっぷりと八月六日の水汲めり  双六
<芳生(人)>
原爆の被曝者が水を求めたことを頭に置いた作品。被曝者の鎮魂とも。

<英治(人)>
原爆と水は切れない。感銘を受ける。「水汲みぬ」としたいが。

<童奈(地)>
なぜかポンプ式の井戸から汲み上げた水を思い浮かべる。暑い日。

<雪女(天)>
せめてたっぷりと水を汲むことに万感の思いを込める。

<文枝(天)>
敗戦後60年、原爆忌の俳句に祈りを合わせることが出来、感謝であった。
掲句は、そんな原爆投下の日の一切を、八月六日という季語に置き換え見事に詠い、水を慈しむ作者の心を逆に汲み取ることができた。

<愛子(天)>
すべての立場の人にすべてが伝わるような一句だと思います

<素蘭(天)>
おそらく60年間水を汲み続けてこられてなお
「たっぷりと」水を汲まずにはいられない心情があふれているようで痛切

<佳音(人)>


<丹仙(地)>
「八月六日の水」という簡素な表現に、言葉にしえぬ原爆忌への思いを集約されたところが印象に残りました。


・10点句

石段ニ少女ヲリマス原爆忌  素蘭
<雛菊(地)>
片仮名を使うことで感情を除外し無機質になった。当日の少女と今を生きる少女が私には見える。

<童奈(天)>
カナ書き、現在形の表記により、今でもそこにあの時の少女がいるような。

<康(天)>
被爆一ヶ月後の長崎の写真を、かって見たことがあります。理不尽なものに立ち向かうにんげんの生命力に心打たれたことを思い出します。

<明子(地)>
少女の存在感が鋭い痛みとなって響いてきます。


・9点句

走馬灯回りて闇のやはらかし  双六
<わたなべはるを(天)>
季語「走馬灯」に「闇のやはらかし」と捉えたところが、この句の手柄。

<雛菊(天)>
走馬燈原爆忌ともに回想句が多いなかすっきり詠んだ
この句にひかれた。闇のやはらかしが秀逸。

<馬客(天)>
「天」に選ぶさえなにか気恥ずかしいような絶品。
天以上は無いのだからしょうがない。

原爆忌今日を始むる水を飲む  潮音
<青榧(天)>
命の水!

<馬客(地)>
どの年代に属される作者だろうか。
そのお年によって、この句は鑑賞する側の
受け取り方が違ってくるような気がする。

<愛子(地)>


<月雫(地)>
原爆忌と水の組み合わせは 多々あるようですが
この句のような 前向きな印象を匂わす句は 稀かもしれません


・8点句

もう止まれ胸の内なる走馬燈  馬客
<青榧(地)>
回っていてほしい走馬燈、とまってほしい走馬燈、いろいろです。
  

<雪女(地)>
誰もが内に持つ、止まらない走馬燈。

<白馬(天)>
思いは巡る。でも、もう悩みはこの辺りで終わりにしたい。
若人の句か?、老いたる人の句か?

<双六(人)>
取り留めなく過去を振りかえるのはやめよう。そう言い聞かせているような…


・7点句

走馬燈生まれなかった姉がいる  ぽぽな
<康(人)>
「ゐる」はどうでしょうか。中七が口語体だからやはり「いる」でしょうか?

<庚申堂(天)>
走馬燈とは過去の思いとつながるもののようですね。

<潮音(天)>
同様の体験を持つ方はすくなくないであろう。本句のかなしさには心を打たれる。

立秋の靴紐固く結びたる  わたなべはるを
<雪女(人)>
靴紐に一つのけじめを込める。

<馬客(人)>
さあ秋だぞ〜、との気分横溢。

<文枝(地)>
読んで字の如しという感じであるが、「靴紐固く結びたる」
に何かしら、作者の心境の変化を思う。

<明子(天)>
暑さにまけて身の回りのものごとみなルーズになっていたけれど、今日からは靴もしっかり紐を結ぼう。だって秋になったのだから・・・

白壁に虫の標本原爆忌  青榧
<芳生(天)>
原爆の惨禍はまことに人が虫けらのように焼かれたというにふさわしい。虫の標本がそれを連想させる。

<庚申堂(人)>
禍々しいイメージはあるのですが。

<月雫(天)>
原爆忌に相乗して 白壁が象徴的なイメージをもたらします
人も虫も 尊厳ある命には変わりないと 考えております

帆柱の揺るるマリーナ秋立ちぬ  明子
<青榧(人)>
秋の額縁にぴったりとおさまりますね。

<英治(地)>
さわやかな海浜の雰囲気が。

<鞠(地)>
 初秋のヨット・ハーバー、帆船にはノスタルジックなロマンがある。

<素蘭(地)>
青い海と白いヨットの対比に「秋立ちぬ」
明るい寂寥感が心地よい


・5点句

秋立つや貎の険しき鬼瓦  月雫
<素人(天)>
さりげない日常の発見を切り取っておみごと。

<半可(地)>
大仰な固まった表情に当たる風の気配とその先の空の深さ。秋。


・4点句

異次元の夜汽車の車窓走馬燈  伊三
<鞠(人)>
 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を連想させる。

<半可(天)>
夜汽車の外を流れる灯と車内の沈んだ風景の位相の重なり。その記憶すら
走馬灯の昔に。

空澄みて子の声澄みて原爆忌  雛菊
<英治(天)>
鎮魂の気持の満ちた句。

<伊三(人)>


秋立つや水鏡して橋の上  柊
<芳生(地)>
一幅の絵のような光景。水鏡するのは勿論女性でしょう。

<わたなべはるを(地)>
季節の移り変わりを捉えて妙。

けさ秋のねんごろに拭く縁の隅  芳生
<悦子(人)>
秋の気配がしてくるいい句だと思いました

<佳音(天)>



・3点句

原爆忌ひとあやまちをくりかえす  半可
<双六(天)>
60回目の原爆忌、今も戦はなくなりません。
すべてをひらがなで表現されたところに静かな悲しみがあります。

生れし子の父似のえくぼ今朝の秋  治男
<素人(人)>
安堵感と幸福に浸る思いが良く伝わってくる句です。

<双六(地)>
父親のえくぼがよかった。ほほえましさにいただきました。

老ひ先の短き不安秋立つ日  素人
<伊三(天)>


石どれも忽と影失す原爆忌  芳生
<丹仙(天)>
原爆投下は朝の8時、ふつうならば石の影が地表に見える時間です。突如太陽二個分の光が一瞬にして大勢の人の命を奪いました。それは60年前ですが、その一瞬は、現在と隣り合わせであるように思います。

我が父の齢を越えり走馬燈  丹仙
<悦子(天)>
走馬灯がとてもよく効いていると思いました

走馬燈馬籠は美濃となりにけり  青榧
<鞠(天)>
 県境を越えた町村合併か、島崎藤村の「夜明け前」の舞台ゆえ、信州人の私に
とって感慨深いものがある。


・2点句

コスモスに秋立ち光る朝の雨  伊三
<庚申堂(地)>
以下にも初秋らしいすがすがしい句だと思います。

秋立ちぬ肩やはらかに風を押す  潮音
<康(地)>
風が肩を押しているのではないのですね。立秋の雰囲気をうまく捉まえておられると思います。

幼き日のケロイド痒し原爆忌  治男
<潮音(地)>
戦後六十年。兼題「原爆忌」の句のなかで、実体験を淡々と述べられた本句にいちばん心惹かれた。「幼き日のケロイド」。幼い日の被爆が現在も消えぬケロイドとして残っているのだ。「原爆忌」と「ケロイド」だけでも意味は通じるが、「幼き日の」といわざるをえなかった作者の思い。言外の六十年の歳月が偲ばれる。

おそき蝶出て川越ゆる原爆忌  康
<半可(人)>
季節外れの蝶の儚げな舞の行方。60年経て未だ着地点の定まらぬ戸惑い
と原爆。

<潮音(人)>
絶望的な状態からの再生を見事に詠まれている。力強い生命の讃歌。「希望」というメッセージをこのような形で表現できる作者の実力に感嘆した。

聖母まだ苦しみたまふ原爆忌  丹仙
<悦子(地)>


風化する記憶に抗ひ原爆忌  素人
<白馬(地)>
平和運動の大切さ。被爆者の句のようにも感じられる。

兵役の無き子や孫と原爆忌  鞠
<素人(地)>
多くの人々の犠牲の末に得られたこの平和、是非ともを守りたいものです。

カンナ赫く陽に佇めり原爆忌  半可
<佳音(地)>


思ひ出の歪みて巡り走馬灯  明子
<文枝(人)>
誰にも、心に秘めている、思い出がある。
或いは思い出したくない思ひ出であるが、走馬灯の灯にゆらゆらと歪み、今はただ懐かしいのである。

<愛子(人)>


佇めば慕ひ来る影走馬燈  潮音
<伊三(地)>



・1点句

ひたすらに祈る平和や蝉時雨  文枝
<月雫(人)>
原爆忌や 終戦日を 直接言わずに
それでいて それを匂わす手腕に脱帽です

秋立つやハーグへ行くといふ便り  素蘭
<童奈(人)>
ハーグの一言で一気に広がりがでた。

演じたる劇の思いで原爆忌  悦子
<丹仙(人)>
今年は、井上ひさしさんの劇「父と暮らせば」を映画化したものを見ました。掲句を見てその劇を思い出しました。この作品は、原爆投下からは二重に遠い世代の作品です。しかし、被爆経験は決して風化してはいません。「思い出」ですから、作者は、学校で、原爆をテーマにした演劇に加わるという形で、原爆忌を経験されたのでしょう。被爆体験を「語り部」から聞くだけでなく、劇として自分でも上演することによって、「自ら語る」と言うこと。そうすることによって、言語を絶する経験が、決して他人ごとではなく、自分自身にかかわるものとして伝えられていくーそんなことを思いました。

法師蝉すつぱく鳴いて今朝の秋  雛菊
<白馬(人)>
油蝉は静かになった。法師蝉の鳴き止み方「ホイ、ホイヨース」を「すつぱく」と
詠んだのだと思います。

走馬燈子よりの電話すぐ切られ  康
<明子(人)>
すぐに切られてしまった電話。そのせいかいろいろな思いが溢れてきて止まらなくなってしまった。そのそばでゆっくりと走馬灯が回っている。

秋立つやマイク束ねて選挙戦  鞠
<雛菊(人)>
今秋ならではの句。うーんしかし最近は演説のうまい人いないなあ。

暗闇の庭恐ろしく走馬燈  柊
<わたなべはるを(人)>
中七「庭恐ろしく」に発見がある。

ちちははと過ごすひと日や走馬灯  愛子
<素蘭(人)>
現実の一日というより思い出の一日を蘇らせているよう
走馬燈と巡る一日の至福…