第168回桃李1月定例句会披講

選句方法:天地人方式(各3、2、1点)
兼題:歌留多、若菜、年賀状(不言題)

兼題または当季雑詠

兼題 1 歌留多
兼題 2 若菜
兼題 3 年賀状(不言題)

1月15日(金) 投句開始
1月22日(金) 投句締切・翌日選句開始
1月29日(金) 選句締め切り
1月31日(日) 披講

投句: 鞠、素蘭、芳生、柊、素人、白馬、馬客、松風子、英治、童奈、春愁、治男、愛子、ミヌ、康、丹仙
選句: 春愁、鞠、芳生、英治、素人、ミヌ、柊、松風子、童奈、治男、愛子、馬客、素蘭、康、丹仙

披講

・14点句

三山に雲一つなし若菜摘む  芳生
<英治(天)>
気分の良さが出ている。

<柊(天)>


<愛子(天)>
遠くに三山を見ながら摘む若菜でしょうか
大きな景の句で好きでした

<馬客(人)>
年末から昨今まで、東日本の好天は、まさにこう言う句を
詠みたくなる状況で有ります。

<康(地)>


<丹仙(地)>
日本晴れの正月。よい気分になりますね。五七が遠景、切れの後は手元の作業開始。このコントラストも良い。


・9点句

若菜粥炊きをき朝のミサに行く  康
<春愁(人)>
現代生活の一点景。

<鞠(地)>
 粥を「炊きをく」からには、作者は「おひとりさま」ではなく家族持ちで
あろうか? しかし早朝ミサに参ずるのは、家族と一緒か、作者ひとりか?
 それとも用意の良い単身暮らしの方か、妄言多謝……。

<素人(地)>
いかにも日本人らしいと思えました。

<愛子(人)>
若菜粥とミサに意表をつかれ頭に残り続けています

<馬客(天)>
なんかミスマッチ、俳味横溢。


・8点句

若菜粥ととのへられて四畳半  英治
<春愁(地)>
日本の正月の伝統を守って、炬燵の朝粥。コンパクト感がいいです。

<鞠(天)>
 1970年代の「四畳半フォーク」が連想させられる。愛する二人だけのつつましい至福の場面に「若菜粥」とは、またなんと古典的なこと!!

<素人(天)>
新婚当時の思い出でしょうか。


・7点句

初日の出撮るや心に燃ゆるもの  治男
<春愁(天)>
一年の計は、まさに元旦にあり。心に期すものがめらめらと・・・

<芳生(天)>
今年一年に対する気概が溢れています。

<ミヌ(人)>


百態の虎飛び込むや大旦  愛子
<英治(人)>
年賀状と理解するには無理があるかも。

<柊(地)>


<治男(地)>
 痛快な句である。年賀状の様々な虎が
元旦に届いたのであろう。元気の良い年に
なりそうですね。

<素蘭(地)>
寅・トラ・とらの虎百態
年賀状のみならず巷にも…?


・5点句

籠若菜ゆふべ標野にひろふ夢  素蘭
<英治(地)>
万葉の雰囲気。

<丹仙(天)>
万葉の昔の物語を偲ばせる佳句。

若菜籠水面に解けばみな浮けり  愛子
<鞠(人)>
 清らかな水に浮く若菜の色が瑞々しい。

<柊(人)>


<康(天)>



・4点句

元日や友に変わりのなきを知る  素人
<愛子(地)>
賀状で息災である事を知るだけのお付き合いになっている友人も少なくない
良く解る句でした

<馬客(地)>
「年賀状」と言う不言題はなかなか難しい出題でした。

若菜摘むひとありてこそ青き空  白馬
<素人(人)>
こうも明確に断定されれば従わざるを得ません。

<治男(天)>
「ひとありてこそ」若菜摘むと解した。
家族があるから、青空のごとき心で楽しみ
喜びが出ている。


・3点句

歌留多会させほむすめは射程内  素蘭
<松風子(天)>
歌留多とリの執念の気概があらわれています

着ぶくれて向かふ入学試験場  柊
<ミヌ(天)>


老斑の手のしなやかなるや歌がるた  愛子
<松風子(地)>
昔とった杵柄が今もありありと手の捌きに出ている景ですね

<素蘭(人)>
年季の入ったしなやかさに脱帽です

取り取られ国訛飛ぶ歌留多取り  鞠
<童奈(天)>


若菜摘む人幻に今日の雪  馬客
<素蘭(天)>
歌留多の不言題と読んでも素敵


・2点句

一月一日私地球市民です  素蘭
<芳生(地)>
年頭にこのような気宇を持ちたいものです。

髪ながき姫舞ひ給へ歌がるた  丹仙
<ミヌ(地)>


旧暦で貰ふも宜し初便り  丹仙
<芳生(人)>


<松風子(人)>
旧暦であるからこその情感があるかも知れません

添書きはお元気ですか屠蘇を祝ぐ  英治
<童奈(地)>



・1点句

寒禽の絶叫ひとつ谷間より  柊
<治男(人)>
 何の鳥か、けたたましい鳴き声が響き渡った。
静寂な山間で、驚きと勇気を貰った感じですね。

はからずも責め負ひにけり薺粥  丹仙
<康(人)>


読み声は母の記憶やかるた会  春愁
<丹仙(人)>
百人一首の読み方は、雑煮と同じように地方によって違うようですね。
私の祖母は一種独特の読み方をしていましたが、我が家ではそれが子供達まで受け継がれています。そんなわけで何となく共感。