第47回句会桃李9月定例句会披講

選句方法:天地人方式(各3、2、1点)
兼題:野分、霧、オリンピック(不言題)

秋の句 雑詠または題詠
有言の題詠(その言葉を使う)
は「野分」または「霧」
不言の題詠(その言葉を使わずに、心を詠む)は、
「オリンピック」です。
9月15日(金)投句受付開始
9月22日(金)24時投句締切、翌日選句開始
9月29日(金)24時選句締切、翌日披講

投句: やんま、天藤志織、冬月、千両、碁仇、香世、素蘭、旅遊、悠久子、葉子、省吾、星麿☆、木菟、薫、洗濯機、登美子、重陽、一蟷、暁生、絵馬、ひとし
選句: 千両、葉子、香世、やんま、麻美、愛、ひとし、星麿☆、天藤志織、旅遊、薫、素蘭、木菟、暁生、冬月、登美子、碁仇、洗濯機、絵馬、悠久子、省吾、重陽

披講

・14点句

牧の霧消えゆく牛の巨き尻  葉子
<香世(人)>
楽しいですね。霧がだんだん深くなり、牧場で見えていた牛の姿が消えていく。
牛の大き尻でなく、巨き尻、となったのは、つい家のことを考えて?

<やんま(地)>
きっと、ホルスタインかなんかの白黒模様の牛。黒い躯体の最後に白いお尻がふっと大きく映って霧に消えて行ったのだ。

<ひとし(天)>
これぞ俳句!! リズムも良いし、尻に俳諧味あり。那須高原あたりの牧場ですな。

<旅遊(天)>
霧深い牧場の情景が目に見えるようです。際立った表現力と感じいりました。

<碁仇(天)>
霧と牛の尻の取り合わせがおもしろい。
俳諧味のある句で、しかも風景がしっかりしているところがすごい。葭と月が

<絵馬(地)>
「牧の朝霧」をテーマにし、そこに「牛の巨きな尻」を配したところ
着眼が素晴らしい。措辞に無駄がなく、俳句らしい切れ味。
濃い朝霧の立ちこめる様を、牛の大きな尻だけがみえると言い切ったところが良い。


・10点句

霧の中人との距離の落ち着かず  香世
<葉子(天)>
都会ではめったにこういう経験はしないだろうが、軽井沢などではよくあること。人との距離がはかれないといって霧の深さを表現しているのがうまい。

<天藤志織(地)>
霧が微妙に濃くなったり薄くなったりする中、人と人との物理的な距離も、また心理的な距離も、いつもとは違った不思議な距離感をもつのだろう。そうした心の機微をうまくとらえた句。

<暁生(地)>
普段でも人との距離は微妙です。ましてや霧の中では距離の取り方がむつかしいです。

<洗濯機(人)>
その着想の句はないので,採りましたが,中七が硬いですか.

<重陽(地)>
不安な心理をとても良くとらえている。


・7点句

綾藺笠揺れて廻りて風の盆  旅遊
<やんま(天)>
まるで自分が風の盆のただ中に居るような錯覚に陥る。綾藺笠の奥に垣間見えたあの顔は、、、

<登美子(天)>
もの悲しい胡弓の音が聞こえてくるような・・
ゆるやかな手の動きが見えてくるような・・
一目でひきつけられてしまいました。

<重陽(人)>
綺麗な句。


・6点句

花カンナ空の青さを切り裂けり  旅遊
<星麿☆(人)>
カンナは好きな花なので、もうそれだけで取ってしまったような感じですが、でも「切り裂く」という表現は、カンナの花の咲き具合をよく表わしている言葉だと思います。青空をバックに、しっかりと咲くビビッドな色のカンナの花「強弱」で言うなら「強」の感じがする俳句ですね。

<薫(地)>
抜けるような空の青にカンナのくっきりとした鮮やかさが映えている絵のような美しさが目に浮かびました。

<重陽(天)>
「花」と「切り裂けり」が情景を彷彿とさせる。

春天にアリスのごとき少女翔ぶ  悠久子
<愛(地)>
アリスは穴に落ちたのですが、そうすると何の競技かな。走り高跳びかな。
アリスと言う名前が、なぜか面白いので選びました。

<天藤志織(人)>
具体的にオリンピックのどの選手のことを指しているのかは解らないけれど、それを離れて読んでも、童話の中の奔放な少女のように、何か不思議な力を備えた雰囲気が春天にぴったり合っている。

<木菟(天)>
 女子体操のかつての「妖精」を思い出させる、佳句です。

夢窓忌や谷の緑の錆びはじむ  重陽
<葉子(人)>
緑が錆びるという表現が面白い。

<冬月(地)>
これを天に選んでもよかったのですが、迷った末に地に選びました。夢窓忌というあまりなじみのない季語を使用していますが、ことばが浮くことなく全体を締めています。「谷の緑の錆はじむ」という表現は現代詩的だと思いました。夢窓疎石と現代詩の取り合わせも面白いと感じました。

<絵馬(天)>
忌日の句は、その人の生涯を暗示しつつ、嘱目の風景を詠み込むのが
良しとされます。それだけに、構想力が必要ですが、これは、秀句です。
夢窓国師といえば、単なる宗教家ではなく、宗教を機軸とした藝術の世界に
大きな足跡を残した人。西芳寺(苔寺)をはじめとして、禅寺の枯山水の設計者と
して知られます。掲句は、「錆はじむ」がポイント。枯山水はモノクロームの
前景に借景の緑を配します。その木々の緑が晩秋になって紅葉し、枯れていく
その有様を配したのが良い。「錆び」が、俳句の心である「寂び」に通じています。


・5点句

ゆくりなく野分に帰路を閉ざされぬ  木菟
<素蘭(天)>
リズムの美しさが緊迫感を生みだし、見事だと思います。(本当に良く降りました。)

<省吾(地)>
こう読むとなんとなく余裕がありますが、実のところ大変なんです。

紫の実は零れずに野分後  悠久子
<木菟(地)>
 観察眼が鋭い。

<洗濯機(天)>
台風一過で,空気が後先で一変しますが,それが,変化しなかったようにさえ
見えるもので,より鮮明になりました.

秋の海春なる異国に続きをり  香世
<星麿☆(天)>
まさに、オリンピックの今だから詠める(作者側)、又読める(読者側)俳句だと思いました。日本の「秋の海」を眺めながら、はるかオーストラリアの「春なるシドニー」を想う心がとても優しく感じられました。また、オリンピック選手への応援メッセージも聞こえてくるかのようです。

<素蘭(地)>
抽象的な言い方ですが、目線の高さに詩情を感じます。


・4点句

弥陀仏のおもざし深き野分晴  重陽
<木菟(人)>
 台風一過の晴れ間に如何にも相応しい。

<冬月(天)>
これは写生句に分類できると思いますが、とてもいいと思います。台風一過の後の青空の澄み切った様子が弥陀仏の面差しの深さでよく表現されていると思いました。

わたしの好きな句で仏を詠んだ句に角川春樹の「御仏の貌美しき十二月」がありますが、これが仏に表現の中心があるのに対し、上句は野分晴にあると思いました。

柿落ちて 太初の深さ 野に響き  一蟷
<ひとし(地)>
「太初の深さ」が良い。よほど静かな環境でないとこういう情趣は湧かない。
どこだろう? 現実には存在しないかもしれないな。

<旅遊(地)>
あからさまに静かと云わないで、静けさを表そうとすることに成功していると
思います。

野分立つ大公孫樹ゆらぎ無く  重陽
<旅遊(人)>
こうした情景を詠みとろうとするのですが、なかなかむづかしくて。これは私だ
けの感じでしょうが、やや表現が硬いか。

<冬月(人)>
シンプルな写生句ですが、銀杏の生命力と野分の激しさが端的に表現されていると思いました。銀杏が地上に現れたのは2億年前だそうですから、野分とのつき合いも人間の比ではないようです。

<碁仇(地)>
野分の句では、これが一番よかった。「ゆらぎ無く」がよい。
「大公孫樹」も他の木には置き換えられない。

有明の月やロザリオ繰りし母  絵馬
<愛(天)>
私事になりますが、母の形見のロザリオに思い出があり、選ばせていただきました。聖母マリアを讃える祈りを夜を徹して繰り返し唱えているうちに、夜がしらじらと明けてしまった。聖堂からそとにでると、有明の月。何を一心に祈っていたのでしょうか。

<薫(人)>
お母様は何に祈りを捧げていたのでしょうか。心の深き淵が見えるような気がします。


・3点句

大屋根を覆ふばかりの野分雲  登美子
<薫(天)>
自然の雄大さと恐るべき力、それに対する人間の謙虚な気持ちがうまく読み込まれています。

川霧の連山木立覆ひけり  素蘭
<悠久子(天)>
美しい景が浮びます。川霧の立昇る動きもあり素晴しい。

ニコライの鐘が抜けくる霧の街  やんま
<洗濯機(地)>
そのような音を聞いてみたいと思います.

<悠久子(人)>
そのまま、歌詞になりそうな。「抜けくる」が良い。

今此処に奪ひし風の雁来紅  絵馬
<麻美(天)>
風の雁来紅というのが、なにか雁が風に乗ってくるような、そういう雰囲気があって素敵だなと思いました。風という目に見えないものと雁来紅の葉と花の色の対比にはっとしました。何か、高度な技法を感じます。

表彰の子や面影の母ありて  ひとし
<香世(天)>
表彰される時、父や母に感謝の言葉を捧げる選手があります。
なかには亡くなった親の写真をかかげての表彰台の場面も。
この晴れ舞台、見るほうも親の姿をだぶらせて感動しますね。

白銀の葭や異郷の月揺れて  絵馬
<麻美(地)>
白銀葭は小石川植物園で見たことがあります。花の穂先がとっても大きく、堂々としていています。それが揺れている感じをとてもよく表現しているように思いました。

<碁仇(人)>
季重なりだが、違和感が無い。月夜の感じがよくでていると思う。

霧雨を抜けて制服湿りおり  星麿☆
<天藤志織(天)>
山あいの中学校の風景か。セーラー服が霧雨に濡れた様子が、みずみずしい少女の姿と響き合って、美しい詩情をつくり出している。最近の犯罪の低年齢化や荒れた学校などとは全く無縁の、古き良き原風景である。

百名山の一と断じて霧を指す  洗濯機
<登美子(人)>
昔山登りを趣味としていたので、まず「百名山」に惹かれました。
「断じて霧をさす」が山男の自信と偏屈を
表しているようでまた楽しくて。

<悠久子(地)>
山を指すのではなく、霧を指すというところが面白いと思う。

行く末もいまの気持も霧の中  木菟
<省吾(天)>
色々な事情からあたりの見えない状況に陥る事もありましょうが
行く末もですか.......そんな寂しいことを.......

重なりてゆくシルエット霧の中  悠久子
<千両(天)>
重なりて というコトバが なんとなく列になってすすむ、僧たちの列のように
見えるのが、霧のなせる技だろうか?

老農夫野分の道を急ぎけり  碁仇
<暁生(天)>
収穫の秋、天候がすべてですね。


・2点句

名月や避難勧告解除さる  素蘭
<香世(地)>
名月は文句なしに美しい。三宅島にも名古屋の水害地域にも。
避難解除されたので、名月を観賞する余裕が生まれたのだろうか。
いや、自然災害人的災害にかかわらず、いつも月は輝いている。

爽籟や昨日にまさる今日の空  旅遊
<星麿☆(地)>
秋風を感じながら見上げた空「あぁ、もう秋の空だなぁ」と昨日感心、感動したところなのに、きょうの空は、昨日にも増して、秋を感じさせる更なる美しい空であることよ。
こうして日一日と、秋が深まって行く様子が、よく表わされた句だと思いました。

近づかぬ 二つの影や 霧の暮れ  一蟷
<葉子(地)>
近づかぬ二つの影、この二人はどんな状況にあるのだろう、と気をそそられる。

呼び声や山門の霧がうがうと  洗濯機
<千両(地)>
 山門は、地獄と天国の接する所なのか? 呼ばれたのだろうか? 呼びかけたのだろうか?
 答えは激しく、霧になって逆巻いている。

山荘に霧深き夜やハープの音  天藤志織
<登美子(地)>
まるで洋画の一場面。
現実から隔絶された幻想的な世界が広がります。


・1点句

朝霧や消へゆく誰も反抗者  冬月
<千両(人)>
 反抗者というのが、わからないのだが、よく自己主張している。

秋の蚊の骸となりし自己主張  碁仇
<ひとし(人)>
なんだか良く分からないのが面白い。常識人としての感想を言えば
秋の蚊よりも、「秋蝉の骸となるや自己主張」のほうが自然だとおもうが。

目に見えぬ線を消し去る夜長かな  天藤志織
<省吾(人)>
歴史に残る一こまとなるのはこれからどうなるかでしょうか.....

悔しがるヤング爽やか銀よりも  ひとし
<暁生(人)>
ヤングの率直な表現はさわやかです。

朝霧やたれる稲穂の頭かな  暁生
<素蘭(人)>
早朝、立ちこめた霧にひっそりと静まりかえる山里、農繁期を迎え、久々に活気がよみがえる予感をはらみながら……郷愁を誘われます。

街を飲む白蛇放たれ野分かな  冬月
<絵馬(人)>
「白蛇」を野分に配したところが面白い。惜しいのは、「街を飲む」と
「白蛇放たれ」の二つあるのが説明過剰か。俳句は、説明を断念し、読み手の想像
力に訴える余白を残しておく方が、余情が生まれる。
作者のポイントが、「放たれ」にあるのか「飲む」にあるのか分からないが
たとえば、「飲む」を断念すれば
「放たれて白蛇となりし野分かな」
となる。場がどこであるかは読者にゆだねる。場が街中のときは、野分よりも
颱風の方が良いかもしれない。「草花が乱れる様」が「野分」の本意にあるので、
そこを秋の出水が呑み込む様などが読者によって想像されよう。

老猿の秋思にわれを重ねけり  葉子
<愛(人)>
老猿というと、チンパンジーのような愛嬌者ではなくて、ゴリラのような
どこか孤独な感じのある猿を思い浮かべました。お孫さんと一緒に秋に
動物園にでも行かれたときの句でしょうか。

端境に星灯らせて野分前  天藤志織
<やんま(人)>
嵐の後先の異様な非日常時間。ピーターパンでも飛んでいそうな群青の空に星がぴっかりと。

蹴球勝利ボジョレ・ヌーボー旨き夜  ひとし
<麻美(人)>
サッカーファンとして一票です。でも、アメリカに負けたのが残念ですけど...