第56回句会桃李3月定例句会披講

選句方法:天地人方式(各3、2、1点)
兼題:野火、熱気球、春愁(不言題)

春の句 雑詠または題詠
(3月の画廊桃李は、渡良瀬遊水池へのバーチャル吟行です)
兼題1(季題):「野火」(野焼、葭焼、堤焼などの類語も可)
兼題2(キーワード題):「熱気球」
兼題3(不言題):「春愁」
3月15日(木)投句受付開始
3月22日(木)24時 投句締切、翌日選句開始
3月29日(木)24時 選句締切、翌日MLで合評開始
4月 1日(日)午前まで作者名を伏せたまま合評 午後披講

投句: 素蘭、旅遊、七梟、葉子、重陽、顎オッサン、やんま、海斗、省吾、明子、冬月、木菟、香世、悠久子、絵馬、雲外、洗濯機、暁生、登美子、あずき、樂子、めだか、頼髪、旻士、晴雲、とびお、しゅう
選句: 旻士、葉子、やんま、顎オッサン、とびお、七梟、海斗、旅遊、頼髪、千両、香世、洗濯機、登美子、木菟、愛、美由紀、明子、樂子、絵馬、しゅう、めだか、暁生、冬月、素蘭、若芽、悠久子、晴雲、重陽、


披講


・11点句

沈丁花指切りといふ忘れ物  洗濯機
<やんま(地)>
沈丁花の甘酸っぱい香りに酔うと現世の約束事など霞んで消えてしまう。例え指切りゲンマンの恋の何がしといふも忘れ物のひとつとは相成る。

<海斗(人)>
誰と指切りをしたのでしょう?
女同士の指切りは、秘め事まがいでうそっぽい。
男同士の指切りは、指が太くてあじけない。
かわいいあの子との指切りは、して欲しくともしてくれない。
「指切りといふ忘れ物」ですから、指切りをした約束の内容では
なく、指切りをすること自体をしなくなったことに気づいた。
沈丁花の花の匂いが、そのことを思い出させたのです。

<美由紀(地)>
指切りって何かいみがありそうで面白かった。作者は男性、女性、どっちかなって想像すると楽しい。

<めだか(天)>
匂いや味は、眠っていた記憶をとつぜん蘇らせてくれる魔法の鏡です。遠い昔その約束をした時に、その時でさえちゃんとは意識してなかったけれど、沈丁花が近くに咲いていたのね。その香りで、とつぜん指切りの感触を思い出された。約束はどこにいったのでしょう。

<絵馬(天)>
「指切りといふ忘れ物」というのが、何だか曖昧模糊としているのが、却って面白い。日常的な連想を断ち切るような「言葉(言霊)の戯れ」の
なかから、突如、思いも寄らぬ詩情が浮かび上がることがある。「指切り」は子供の遊びであるが、そこには大人が忘れてしまった古代人の感性がどこか残っているようです。昔の遊女が恋の証に「指切り」をしたという話もあるが、これも何とも艶ぽく、かつ微かに血の匂う秘密めいた感
触があって、なんとなく沈丁花と響き合う。そういう複合的かつ曖昧な情念をほのかに匂わせている所が良いですね。 

・9点句

野を焼いて胸の焔を治むかな  晴雲
<旻士(地)>
これ、いいですね。
なんかぐっときました。
野をやいて胸の焔を治めるという観点には脱帽しました。

<めだか(人)>
胸の焔を治めるために野を焼く…。よほどのことがおありになる。野を焼けばすっきりするかなぁ。この場合、内なるある命名できる「野」なのではなかろうか。焚き火でも、火を眺めていると浄化されるようなところがありますね。

<冬月(天)>
完成された句だと思う。コンセプトは陳腐と云えば陳腐だが、イメージはよく伝わってくる。

<若芽(天)>
胸の焔のわけが謎です。 でも私にも経験がありそうな気がして惹かれます。

笑はんと努めてをりぬ花の中  明子
<とびお(地)>
この句は17、8歳でもわかる感覚、というより、そういう年齢の人たちに切実なものだと思いました。こういう俳句をつくる大人がいるんだよ、と教えてあげたいような。

<めだか(地)>
「笑はんと努め」、そしてそれを句にできる大人の女性。ふだんはとても明るい方。笑っているといいことがあったという知人から、その笑いの詳細を伺ったことがあります。とにかく一人でいても頬が引きつっても、ニッコリするのだそうです。そんなことできません。修行が足りないと反省。あ、ここでは、ジェラシーということも。それとも作者は男性で、女性に囲まれて窮地に陥っている。

<素蘭(天)>
散り初めの桜が見せてくれる幻想的光景。
その美しさに恍惚とする心の間隙に、遠い深い悲しみは忍び寄ってくるような気がします。
「淋しいひとほどよく笑う」(『あんみつ姫』清水哲男)を思い出しました。

<絵馬(地)>
余計な技巧を労せず、実に素直で分かりやすい句でありながら、「春愁」の本義に適っています。席題などで、呟きのように即吟された句という感じですね。


・7点句

野火を見て獣のやうな眼を持てり  樂子
<香世(地)>
炎は、人間の本能を刺激するところがあります。ましてや、野火のように大きく広がる炎は何か不吉で危険なものを感じさせます。生存のために安全なところへの移動せねば...。

<冬月(人)>
云いたいことは何となく分かるが、表現をもっと工夫した方がいいと思う。野火の持つ原始性・始源性と獣の眼は確かに交響するものがあるので、面白いと思う。

<素蘭(人)>
暖炉や焚き火などは心を和ませてくれるものだと思いますが、野火のような大火になると、逆に心の奥に潜む激情を目覚めさせるような気がします。
「獣のやうな眼」はその内なる衝動をよく表現していると思いました。
ただ、「見て」は少々気になります。

<重陽(天)>
火は魔物、巨いなる火には何となく野生がよみがえる感じさえします。
「持てり」よりも、もう少し厳しい修辞が相応しい感じがします。

昔見たニルスの夢を熱気球  登美子
<旻士(人)>
ニルスね。好きなんですよ。ニルス。4歳の息子にも見せました。ニルス。
7年前、フィンランドに旅したとき、飛行機からの光景、ラップランドの鳥瞰に感動したのを思い出します。
この句は僕の琴線を鳴らしました。
思いましたもんね。ニルスを見ながら、ああいう旅をしたい、空を飛びたいと。

<海斗(天)>
ニルス、懐かしいですね。
幼かった頃の記憶を呼び覚まして頂いた(個人的な理由で)天に入れました。
「ニルスの不思議な旅」(?)でしたっけ。
内容は思い出せないのですが、何故か(記憶の深層で)ニルスと熱気球は、
ぴったりだと思えます。(物語を思い出さないのにそう思うことが、我ながら
不思議なのですが)
ニルスに憧れた思いを熱気球で実現できるのだということで、清き一票です。

<美由紀(人)>
ニルスの不思議な旅ですか。童話との結びつきが楽しいですね。

<明子(地)>
熱気球に乗ったことは無いけれど、きっと大きな鳥の背に乗って大空をゆく
気分なのでしょうね。数年前にニルスのふしぎな旅を読み返して、あらためて
その自然に対する考え方に感動したことを思い出しました。

野火を背に漁夫王のごと網を打つ  絵馬
<葉子(人)>


<愛(天)>
渡良瀬川には何度か行ったことがありますが、この句が一番心に残りました。何かこの世のものならぬ雰囲気を感じます。漁夫王のごとく...突然に神話の中の人物が登場したような。

<悠久子(天)>
「漁夫の辞」を思いました。
大きな句です。

春の堂顎の先の細き指  海斗
<やんま(天)>
東大寺の弥勒菩薩に限らず、春の堂のはおだやかな仏の顔がよく似合う。ひょっとして作者は自分の顎の先を細き指でなでてものを思っているのかも知れぬ。

<樂子(地)>
仏様の愁うるものは・・・

<しゅう(地)>
広隆寺の弥勒菩薩であろうか?ここではどこの弥勒菩薩でも良い。浮世の喧騒を離れて、自分を取り戻す為に古寺を訪ねたのであろう。少しうつむき加減に微笑む弥勒の顔に添えられた細い指に、作者は感じ入ったのである。「春の堂」としたところが、外の明るさと堂の中の暗さが句に陰影をつけて、一段と春愁の静けさが浮きあがっていると思った。

特別な日のなかりけり春コート  しゅう
<とびお(人)>
特別な日なんかなくたっていいじゃないですか。春のコートがよく似合っていますよ、と声を掛けたくなるような一句ですね。

<千両(天)>
 コートを着たのか脱いだのか? 特別なことはナイというほど、……。
 しあわせ、そうな春の、一日、寒かったのか暑かったのか……。
 ああ、春ならでは……。

<木菟(人)>
 サッラッとしたところが何ともいえない。いろいろと想像をさせて。

<悠久子(人)>
春愁というのは、本来この程度の軽い物憂さなのかもしれない。
この春のコートを着たいけれども、着て行く所がない、というくらいの。

<重陽(人)>
こんな気分は多分誰もが経験する


・5点句

春の山愛しきひとへののぼり坂  あずき
<顎オッサン(天)>
秘めたる思いは花とともに綻ぶか。山道を少し汗を拭きながらも、一歩ずつ歩んでいきたい。

<晴雲(地)>
情熱が上昇期にある素晴らしい恋句ですね。

アネモネやいつか読む本積み重ね  樂子
<頼髪(地)>


<明子(天)>
読みたいと思う本が目の前にあるのに、なんとなく手が出ない。どことなく
億劫な気分・・・。アネモネという花の名の音もぴったり合っているように
思いました。

野を焼きて天の広さに鳥さわぐ  あずき
<暁生(天)>
この雰囲気大好きです

<冬月(地)>
鳥さわぐ天の広さの野焼きかな であれば、天に取った。イメージが天空に向かって開いてゆく感じがして良い作品だと思う。

扇状地一族のやうに野火たちて  めだか
<やんま(人)>
扇状地が一望できる高台、一族の住家が全部視野に収まってしまう。ちろちろと野火たちに焼かれてゆくパノラマに胸迫る思いは何か。

<洗濯機(人)>
石油関係の燃える煙はおぞましいが,自然のもの,木や草や藁や紙の燃えるにおいには
なぜか懐かしいものがある.魚を焼く煙や,醤油が焦げるにおいも同じ.
自然の煙はみな親戚,きょう燃えている野火の煙もみな親戚,みんな一族.

<明子(人)>
まるで熱気球から見た景色のようで、視野が大きく広がっていきます。

<重陽(地)>
扇状地を一面に「下から上(こう読みたい)」へめらめら燃えあがる炎。「一族のやうに」が面白い。何かしら戦国時代の合戦の情景がかさなる。


・4点句

冒険は容れぬ土地柄野火けぶる  明子
<頼髪(人)>


<洗濯機(地)>
逃れられず住み続けているのか,久しぶりに帰ってきたのか.
この地にあれば,某村の某家の某さんでしかありえない.
野火の煙がそこかしこから吹き出して,村中覆いつくす勢い.

<晴雲(人)>
野火がけぶっているようなところは案外封建的な土地柄かも知れません。

春の風リュックに靴の片結び  香世
<旻士(天)>
春風に誘われて、抑えきれない気持ちが素足で駆けさせる。
リュックに結ばれた靴が寂しいながらも楽しそう。

<愛(人)>
「かた結び」という表現が具体的で良い感じですね。旅行に行きたくなった..

腕細き日曜農夫の野焼きかな  冬月
<顎オッサン(地)>
日曜農夫とは面白い。春の日を浴びて農作業も楽しからずや?
野焼きの荒々しさとは、全く似合わない。せいぜい焚き火くらいの野火か。

<七梟(地)>
麗かな日曜日に農家から借りた小さな菜園を日曜農夫の仲間と酒飲みながら
今年は何を植えるかなんて話しながらの野焼き長閑で気持良い

鉛筆でkanashiidesuka啄木忌  海斗
<顎オッサン(人)>
啄木はローマ字で悲しむ? とりあわせの妙。

<旅遊(人)>
ローマ字の入った句をいただくというのは、私としては初めてのことですが、ロー
マ字であるという特別な感じはなく、ごく自然に読むことが出来ます。

<素蘭(地)>
「春愁」という題で真っ先に思い浮かべたのは、私も啄木です。
創作への模索とデカダンスな生活を綴った「ローマ字日記」、それを暗示するような表現がとても新鮮でした。

揚雲雀少年空を見つめをり  素蘭
<登美子(天)>
これから始まる青春時代に対する
一種のとまどいと胸ふくらむ期待感。
空をみつめる少年の目が昔の自分の目と重なります。

<樂子(人)>
何かを決めねばならないとき、仰いだ空にひばりが。
少年の迷いはふっきれたでしょうか?

涙壺あらば満ちなむ春の闇  葉子
<七梟(天)>
寒くもなく、暑くもなく、朧月夜の春の闇、悲しみは増すばかり

<香世(人)>
涙壷という言葉は造語でしょうか。春の闇もそのように物憂気なのでしょう。


・3点句

指先で廻す止まった風車  やんま
<登美子(人)>
夢二の絵に出てきそう。
風車をまわすほどの風さえ吹かない春昼のもの憂さ。

<暁生(地)>
なんとも言えない・・・それが春の愁いなんですね

ライバルの葉書手中に野焼きの香  しゅう
<洗濯機(天)>
どこからか火事のような,ものの焦げるにおいが入ってくる.そういえば,野焼きの季節か.
折しも,手には友人からの書簡.親しくしてはいるし,相手は気がついていないはずだが,
ひそかに負けられぬと思っている.どこで焼いているのか,鼻腔の奥でしっかり広がる野火.

咲きつぎてこぼるる紅や藪椿  重陽
<葉子(天)>


沈丁花その堅さよし寡黙ならむ  悠久子
<旅遊(天)>
「その堅さよし」という表現にひかれました。毎年この花を見ていながら、こうし
た表し方に気がつかなかったのは迂闊でした。下五の字余りはあまり気になりませ
ん。

世間ではなくてあなたと桜桃花  とびお
<海斗(地)>
良いですね。
俳句というよりも、端唄でしょうか。
自分の趣味に合ってしまいました。
「あなたとおうとうか」
会う、会いたいという気持ちを引っ掛けていて、認めない人にもいるかもしれ
ません。そのアウトサイダー的なところが良いじゃないですか。
連想として桜桃花−>桜桃忌−>太宰治となり、会いたいのは太宰だというの
はうがち過ぎでしょうか?

<若芽(人)>
こんなふうに桜桃花を一緒に愛でる”あなた”のいる情景が、とてもロマンチック。

尋ね来て梅林近しと空見上げ  省吾
<樂子(天)>
私もこんな経験あります

梅ケ馨に出あへそうらへ親父どの  雲外
<晴雲(天)>
あることをきっかけに故人を偲ぶ事ままありますね。香とか音とか情景とか。

鳥雲に入ればふうはり熱気球  絵馬
<美由紀(天)>
熱気球の句、たくさんありましたけど、これが一番、写真で受けたイメージにぴったしだったので選びました。

永き日の少年歩道に横たわる  冬月
<香世(天)>
実際は、顔をしかめる風景なのでしょうか。しかし、現実から離れて、この句を鑑賞するとなんとも不思議な感覚になります。永き日が、単なる日永というより過去、昔の自分というイメージで。少年はなぜ横たわっているのでしょう。抽象画のように思えてきました。

熱気球空飛ぶ不思議載せている  あずき
<頼髪(天)>


熱気球を空にコラージュ風光る  明子
<木菟(天)>
 美しい画面を見るようです。絵はがきがそのまま出てきたような。

今日はその 洗濯日和か 野火落とす  旻士
<とびお(天)>
今日はその、の「その」がすきてきですね。
丁寧に暮していないとこういう感じを掴まえられないと思います。
ここで言われている野火は小規模のまだら焼けのかわいらしいものだと思いますので、休日の楽しみだったのでは?
この句の登場人物は「いいやつだ」と思いました。

もう一度燃ゆる嬉しさ野火放たれ  とびお
<しゅう(天)>
野火を生き物のように捕らえたところが面白く、「もう一度燃ゆる嬉しさ」は野火の生態に巧く迫っているように思いました。


・2点句

川霧を渡りて葭を焼き始む  海斗
<旅遊(地)>
なにかモノクロ映画の一つのシーンを見ているような、そんな感じです。

いく筋もたなびく里の野焼きかな  重陽
<愛(地)>
こういう飾らない率直な実感を詠んだ句が好きです。

遠眼鏡野火の外れの岬かな  やんま
<葉子(地)>


クローバを摘んだ日もあり午後のお茶  晴雲
<千両(地)>
 女性でしょうねぇ。お茶をするのも……。この句の世界は。

ひな祭り大黒柱孤独かな  七梟
<若芽(地)>
華やかな雛祭りの陰で少し寂しそうなお父さんでしょうか。 いつか嫁ぐ日の娘の姿を思い描いているのかも。

武蔵野やセンチメンタルな熱気球  しゅう
<悠久子(地)>
なんともいい雰囲気と、一読好きになった句です。
もう一つの気に入った句は
  
  熱気球聞こえてますか風の詩

武蔵野とセンチメンタルが効いていますね。

もののけの潜む城跡春の闇  旅遊
<木菟(地)>
 小学生を脅かしているような雰囲気があってほほえましい。

寄り添ひて動かずなりし熱気球  木菟
<登美子(地)>
悠揚迫らざる句ですね。
いかにも熱気球という乗物にふさわしい。

今年かて 咲いてもらうで 姥桜  旻士
<千両(人)>
 せっかくの、春ですから、21th らしいさが、ほしかった。

<しゅう(人)>
これは楽しい諧謔。諧謔は俳句の重要な表現の一つだと思う。大阪言葉が効いている。


・1点句

なまなまと思ふことあり野焼かな  素蘭
<絵馬(人)>
一読、芭蕉の、「様々なこと思ひだす桜かな」を想起しました。上五中七が、これから焼かれる春の野の感触に呼応しつつ、ぽつりと述べられた感慨。下五は、軽い感じの「かな」で、「田一枚植て立ち去る柳かな」の「かな」の感じですね。

仏壇のぼた餅下げて彼岸かな  香世
<七梟(人)>
田舎のぼた餅を思い出しました。大ぶりのぼた餅食べたいな