第58回句会桃李5月定例句会披講

選句方法:天地人方式(各3、2、1点)
兼題:躑躅、傘(笠)、夏の恋

晩春または初夏の句 雑詠または題詠

兼題1(花鳥諷詠題): 「躑躅(ツツジ)」 画廊桃李 をご覧ください。
兼題2(キーワード題):「傘(笠)」
兼題3(不言題) :   「夏の恋」

5月15日(火)投句受付開始
5月22日(火)24時 投句締切、翌日選句開始
5月29日(火)24時 選句締切、翌日MLで合評開始
6月 1日(金)披講 

投句: 七梟、素蘭、やんま、葉子、登美子、愛、顎オッサン、旅遊、木菟、絵馬、碁仇、とびお、明子、頼髪、海斗、ゆきふね、夜宵、洗濯機、しゅう、康、香世、悠久子、徳、めだか、冬月、涼、樂子、晴雲、若芽、省吾、旻士
選句: 徳、旻士、やんま、冬月、旅遊、夜宵、とびお、葉子、木菟、顎オッサン、七梟、海斗、香世、晴雲、碁仇、明子、暁生、素蘭、ゆきふね、洗濯機、しゅう、樂子、悠久子、めだか、登美子、愛、若芽、省吾、頼髪、涼、絵馬

披講

・10点句

山躑躅見て小屋掛けの轆轤首  絵馬
<とびお(天)>
躑躅の燃えるような赤と、轆轤首関係の暗い赤。この二つの赤がいい感じです。
健康的なものとアンバランスなものと、入れ違いになるような気分が躑躅にはあると思います。記憶にのこります。

<海斗(天)>
いまどき”小屋掛けの轆轤首”はないだろう、
これは回想かなと思いました。
でも、”山躑躅”と”轆轤首”が妙に面白い。
「かあいそうなは、この子でござい。」
そんな声が聞こえてきそうです。
回想ではなく、幻想でしょうか?

<洗濯機(人)>
当地にも似たような所があって,躑躅の季節は祭礼の季節.
昔は,見せ物の小屋が,必ず立った.いかがわしいものの最たるもの.
しかし,山躑躅に酔った目には,彼らも,一種の,満開の一叢.

<愛(天)>
轆轤首でビックリです。でもなんだか、おどろおどろしいところが不思議に山躑躅にあっています!親の因果が子に報い、でしたっけ..


・9点句

かくなれば燃ゆるほかなしつつじ山  登美子
<徳(天)>
頼みますよ。しっかり燃えて下さい。あなたが燃えるほど、生きるって事のすばらしさと色々な勇気が湧いてくるのです。

<晴雲(天)>
心乱れる桜の季節も過ぎて、暮れの春、山を埋める朱赤のつつじは燃える盛るほかないですね。ごもっともと感心しています。

<暁生(天)>
そうだ、そうだ、心おきなく燃えましょう

白躑躅私は薄情なのかしら  愛
<徳(人)>
薄情ではないと思います。ただ貴女は楚々としていらっしやるだけ。

<やんま(地)>
そうです。思いが切迫して反って何も言えないのです。

<木菟(地)>
 白つつじが薄情な女の子にぴったしです。

<碁仇(地)>
う〜ん、コメントできない良さがある。

<めだか(人)>
俳句のおかげで、ようやく今年「白躑躅」をきちんと見ました。白いつつじが咲いていると寄っていきたくなります。「私は薄情なのかしら」は新鮮でした。

<登美子(人)>
ええ、きっと薄情なのでしょうね。
白つつじを愛するあなたは
熱く燃え上がることなどないのかも。
それともまだそういう人に出会っていないだけ?
「なのかしら」が可愛い。

天元に下ろす一石夏近し  碁仇
<木菟(人)>
 囲碁の句初めてお目にかかりましたが、自分が碁盤を前にしているような気持ちになります。

<暁生(地)>
なぜか、碁石の音は夏を呼びますね

<ゆきふね(人)>
囲碁を句に盛り込むのは難しいと思いますが、「天元」と「夏近し」を結びつけたのはヒットだと思います。

<しゅう(天)>
正に、これから碁を始めようとする時ではないかと思いました。白と黒の碁石が爽やかで、「夏近し」と巧く響き合って、気持ちの良い句だと思いました。

<絵馬(地)>
元元におろす、という言い回しは碁盤の前に正座している感じですね。
黒と白のコントラスト、碁盤の中央に石をおくその刹那、万物の元気溌剌と
生育していく夏の時節と照応、気持ちの良くなる句です。


・8点句

耳に残る声音消さむと髪洗ふ  葉子
<冬月(人)>
恋の句はどれもかなり低調だと思ったが、この作品は意表を突いていて面白かった。諦めなければならない恋なのかもしれない。

<夜宵(人)>
耳に残る声で頭がいっぱいになってしまってる、そんな日のシャワー。ああ、うんうん、わかります。整理のつかない気持ちも泡と一緒に流れていけばいいのに。

<香世(地)>
今回、3句とも偶然ですが、恋句を選んでいます。
これはまた意味ありげな句ですね。秘密の恋。消したいほどの言葉。きっと、これ以上踏み込むと深みにはまってしまいそうな恋。危険な恋。髪洗ふの季語がぴったりです。

<愛(地)>
なにか過去のどうしても忘れがたい思い出があって、それを吹っ切らないと
新しい恋が出来ない、というような情景を思い浮かべました。

<省吾(地)>


無縁墓地家屋解体青嵐  めだか
<とびお(地)>
若い葉をちぎる勢いの青嵐。この季節の強風は積極的に受け入れて吉。と、思わせる勢いのある句ですね。

<ゆきふね(天)>
名詞を三つ連ねた大胆な構成ですが、雰囲気はよく伝わってきて成功していると思います。

<樂子(天)>
寂しい文字ばかりが並びそれも名詞が続きます。
最後に青嵐と決めて救われたような気がしました。


・6点句

学童の傘新緑の底通る  しゅう
<とびお(人)>
鮮やかな色の対比。おちていく雨粒さえも見えるようです。
やっと通学路になれた頃の学童の様子を空から覗くような味わいのある句と思いました。

<顎オッサン(地)>
新緑の中、赤や黄色の傘の花。
ピチピチチャプチャプの世界です。

<悠久子(人)>
「新緑の底」この言葉がすごいと。

<若芽(地)>
若葉の作る並木のトンネルを通る小さな傘の行列でしょうか。 雨のしずくと新緑がみずみずしい季節を感じさせます。

洗い髪触れられもせず遠花火  晴雲
<夜宵(天)>
綺麗な句ですね・・・。浴衣姿の女性と、遠くに見える打ち上げ花火。そんな情景が目に浮かびました。せつなさが伝わってきます。

<葉子(天)>


春は逝く胸の蟹らはあぶく吹く  葉子
<素蘭(天)>
蟹の甲羅には人、とりわけ死者の面影を彷彿とさせるものがありますし、
「あぶく」というのも「うたかた」の思いに通じるようで、
春の終わりに寄せる思いのせつなさを感じます。

<絵馬(天)>
石田波郷の「惜命」の句のように、病を抱えた自己を客観視した俳句として読みました。波郷の作品のように激しく読者を揺さぶるところはありませんが、重くるしい不安感、身体の疲労感がにじみ出ています。「胸の蟹ら」の複数形が効いています。好ましからざる身体の異分子なれど、それを抱えて暮らさねばならぬ未来が暗示されているようです。

テニス部が声出していくツツジかな  とびお
<明子(地)>
躑躅と言うとあの燃えるような色彩のせいか、どうしても激しいものを
思い浮かべてしまうのですが、これはとても若々しい爽やかな躑躅ですね。
カタカナのツツジの表記がぴったりだと思いました。

<洗濯機(地)>
躑躅というのは,名所の躑躅山のように,絢爛なのもあるが,おおかたは,
たいして手も入れないのに,毎年律儀にけっこう咲いてくれるものである.
学校の花壇とか,小公園の片隅とか.その,「市井の躑躅」の傍らを,
運動部の生徒が,毎日かけぬけて行く.
最近は色とりどりのユニホーム,彼らもいわば町の躑躅である.

<頼髪(地)>
私のツツジのイメージに一番近い。
ただ、「テニス部が」の「が」はもったいない。音が強すぎます。
テニス部の声駆け抜けるツツジかな
とかして何とか「が」を解消できれば良かった。おしい。


・5点句

花火観て彼の顔見るりんご飴  夜宵
<ゆきふね(地)>
「花火」と「りんご飴」がやや近いかなとも思いますが、「りんご飴」の甘酸っぱい雰囲気がよく生かされていると思います。

<頼髪(天)>
りんご飴がよく効いている。ぴったり。

パラソルや守られてゐし少年期  晴雲
<明子(天)>
パラソルは成長してゆく子のすべてを大きく庇う母の象徴。
今、過ぎた時間を思い返している作者の気持ちが良く伝わって来ます。

<登美子(地)>
精一杯親に反抗していた少年期。
振り返ってみればどんな時も親は黙って
庇護の傘をさしかけていてくれたのだ。
切なくなるような句ですね。

蕗の葉を笠に山の子下り来る  明子
<旅遊(天)>
懐かしい田舎の風景。でも、今ではこんな場面はめったに見られなくなってしま
ったのではないでしょうか。

<悠久子(地)>
童話めいて好きです。蕗の葉だからコロボックルまで浮びました。

妻死ねば後追うと言い蛍狩  香世
<徳(地)>
「後を追うてもいけません。妻はあの世からあなたを呼んではくれませぬ」蛍袋と妙に合体して面白い句です。

<旻士(地)>
ホタルを追うのは、どことなく黄泉の人を追いかけるのと似ている。
いわれてみればそうですね。
日本神話(黄泉坂)やオシリス神話を思い出しました。

<晴雲(人)>
夏の恋の句はどれも個性的で好きな句ばかりでした。その中で哀しいけど情熱的なこの句に惹かれました。

谷深く落人の里つつじ燃ゆ  明子
<旅遊(地)>
どこで咲いても、躑躅は躑躅なのでしょうが、落人の郷で見る躑躅は、また格別
でしょう。

<登美子(天)>
常はひっそりと時間が流れる落人の里も
この季節は燃え立っている。
遠い祖先の栄華を具現するように。
「谷深く」に哀れがこもっていると感じました。

校庭に傘で淤能碁呂島つくる  ゆきふね
<旻士(天)>
うーん、古事記でくるとは、まいりました。
こをろこをろの声が聞こえてきそうです。

<めだか(地)>
何にあるいは誰に促されたの?
「日盛りや雨傘抜き身に持ち代へる」も、息子が小学1年の時の一騒動を懐かしく思い出しました。こちらは子供じゃなくて大人の本気かもしれない。

泣き腫らすごとく躑躅は咲き尽くす  康
<夜宵(地)>
ああ、そうか。言われてみればそうですよね。泣き腫らすごとく咲き尽くす…。なだかこれかツツジを見る視点がひとつ増えたような気がします。新鮮な感動っ。

<めだか(天)>
躑躅の花の終わりは見たくないものの一つです。紅いのは特に。しらんぷりしながらも気にかかっていました。そうですか、「泣き腫らす」ほど「咲き尽く」していたのですか。合掌。

にぎやかなおんなの三時白つつじ  冬月
<七梟(地)>
にぎやかなおんなの三時がとても春らしいくていいですね

<碁仇(天)>
とにかく、俳句の形はしっかりしている。
最初は、取り合わせに違和感を感じたが、何度も読み返すと良さが分かってきた。
3時のおやつ時、近所の奥様方が集まってお茶にお菓子にペチャクチャペチャクチャ。ふと庭を見るとしらけたように白い躑躅が咲いている。なんとも風刺の効いた
面白い句だ。分かる人には分かる。だが、分からない人も多いかも!


・4点句

歯の白き娘船頭は笠の下  やんま
<顎オッサン(天)>
こぼれる笑顔。茶髪ではないであろう、初々しさ。船下りが楽しい。

<頼髪(人)>
「船頭は」としたところがうまいと思いました。
「歯の白き」か「白き歯の」かは、迷うところ?

人待つや日傘くるくるまはしつつ  明子
<七梟(天)>
少女かなぁ、老女かなぁどちらにしても日傘をくるくるまわして人を待つ姿を想像すると恋する女性は可愛いなぁ

<香世(人)>
楽しくてしかたがない恋。わかりやすく素直でいい。

猫の仔のやうに拭かれて聞く遠雷  とびお
<明子(人)>
遠い昔に見た映画にこんなシーンがあったような・・・

<しゅう(地)>
「猫の仔のやうに拭かれて」というフレーズが可愛くて、そして、「遠雷」と組み合わせるとは巧いなって思いました。

<愛(人)>
映画の一シーンみたいですね。恋の句だというのが意味深で....

五月雨小窓に掛かる傘二本  海斗
<顎オッサン(人)>
梅雨の雨、ぼんやりと眺めるお互いの顔。
恋人達にはこれもまた楽しい。

<省吾(天)>


生れし日の躑躅も連れて嫁ぎゆく  晴雲
<若芽(天)>
長く庭に植わっていたつつじを連れてお嫁に行かれるのですか。 実家を離れがたい気持ちがよく分かります。 

<省吾(人)>


泣き癖を若葉疲れと言ひなして  登美子
<やんま(人)>
若葉疲れ!ですか。すがすがしい泪ですねえ。

<香世(天)>
まず、泣き癖と若葉疲れ、という言葉に惹かれました。しかも、その言葉を言ひなしてと、言い放つ。大人の女性を感じさせます。たぶん悲恋でしょうが、いい恋だったんでしょうね。今度、こんな機会があったら使わせてもらおう。なんて。


・3点句

斎王も牛も汗ばむ緋傘かな  絵馬
<葉子(人)>


<素蘭(地)>
新緑の都大路に繰り広げられる古典絵巻の世界。
「汗ばむ」という言葉で祭りの賑わいが、「緋傘」で行列の華やかさが、
眼前に浮かび上がってきました。

逆巻ける火群のごとき躑躅かな  ゆきふね
<木菟(天)>
 躑躅の華麗さを余すところなく表現していて一幅の絵のようです。

赤つつじ歩きそめたる児が摘めり  樂子
<やんま(天)>
何だろうな。初めての世界の全てに興味が湧く頃、まして真っ赤なつつじ。可愛い。

五月雨に備えたように忘れ傘  省吾
<涼(天)>
弱弱しく鬱陶しい雨。しかし、こんなふとした瞬間に
素朴な美を感じるのも素敵。
備えるという語の感触の軽さを、忘れ傘で包み込むあたりが特に。

山躑躅ひょいと抜け出る青さかな  顎オッサン
<洗濯機(天)>
満山の躑躅.歩けど歩けど躑躅.その色彩に酔った目が
ふと地上を離れると,そこは五月の抜けるような空.
ネガを語ることによって,盛りの躑躅の鮮やかさが,ただちに明らかになった.

新任の教師白靴駆け抜けり  香世
<冬月(天)>
新任教師の若さとすがすがしさがよく表現されている。

新樹といふ大いなる傘母子眠る  樂子
<悠久子(天)>
今までイタリアのフレスコ画などを、テレビで見ていたせいか、聖母子像を思いますが、どの母子にもこういうお昼寝をさせて上げたいです。

水中花想ひめぐらすことばかり  樂子
<旅遊(人)>
水中花と言われると、子供の頃を思い出します。昔は、たいして立派なものはな
かったのに、とてもきれいと感心していました。今のはどうなのでしょうか。

<暁生(人)>
それも又夏の恋なのでしょうか

<素蘭(人)>
水中に咲かせる人工の花というのはやるせない感じがして、
見つめながら思いをめぐらしている人の心境を想起させます。
ところで、恋との関連に思いをめぐらせていたら、
♪これも愛…と松坂慶子が歌っていた古いテレビドラマ、
(たぶん)『水中花』の主題歌を思い出してしまいました。


・2点句

幼なくて躑躅の蜜を舐め会いぬ  やんま
<樂子(地)>
一読して野澤節子さんの
<おさなくて蛍袋の中に栖む>を思い出しました。
生家にピンクの躑躅の木があって(かなり大きかった)よく、蜜を吸いました。
(舐め会いぬ)は(合いぬ)が、いいような気がするんですが・・私だったら
(あいぬ)と、ひらかなでしたいです。間違ってたらごめんなさい。

嬰児の日傘のかげや母娘  洗濯機
<晴雲(地)>
この赤ちゃんが女の子だとしたら、女三代寄り添って、ほのぼのとした幸せの構図、私がこの母娘の娘だった日もなつかしく、やがて祖母となり、孫を抱く日など来れば、こんな句を詠めたらいいなと。

黒い傘沈む金魚は流される  とびお
<海斗(地)>
最初、「黒い傘。沈む金魚は流される。」と読みました。
でも、「黒い傘沈む。金魚は流される。」と読むんじゃ
ないかと思い返しました。
不安感に満ちた感じで、独特のセンスがあります。
流されるのが金魚であるため、毒っけのある俳味を出してい
ます。
俳句というより一行詩じゃあないかとも思いますが、独創性
を取りました。

迎へ傘待ちし日もあり遠蛙  木菟
<葉子(地)>


カタツムリお前も願え青い空  顎オッサン
<涼(地)>
身に染みて、罪悪感をおぼえました。

ゆうたりと躑躅の蜜を吸う少女  徳
<冬月(地)>
この季節、よくこういう光景を眼にする。ぼくも子供の頃よく吸った。


・1点句

時の日や思はぬ人と再会す  ゆきふね
<若芽(人)>
想い出の人と、私もどこかでめぐり逢いたいものです。 時の日にはどんな想い出があるのでしょうか。

しとしとと雨もまた良し花菖蒲  七梟
<涼(人)>


川舟や遠花火聞く腕のなか  素蘭
<旻士(人)>
これはもう美しい映画のシーンのような光景を思い浮かべました。
花火は見えず、恋人の顔だけ。
音だけがぽむぽむと聞こえる、まるで二人の胸の高鳴りのように。
いささかキレイすぎるきらいもありますが、結構こんなのも好きなので「人」。

二度シンデ傘が必要だと知りぬ  涼
<しゅう(人)>
この冒険心は買いたい。「傘」はいろいろと解釈できます。これからは人の傘下に入ろうというふうにも取れる。また、傘は忘れやすいものだから、ちょっとしたおどけ、諧謔とも取れる。ここでは当然後者だと思いますが、含みとして前者もあるのではないか。死んでを「シンデ」と表したあたりも諧謔でしょう。苦しいものを軽く表するところに、深さを感じた。

万緑の返す谺の二度三度  碁仇
<七梟(人)>
箱根の山、御岳山、私も休みになった行こうかな

胡瓜揉む妻の背中へありがとう  顎オッサン
<樂子(人)>
素直に言えない言葉の一つに(ありがとう)があります。
言えばもっと夫婦関係がスムースにいくのは判っているのだけど、ある年齢を越えると言い出せないこの言葉。作者もきっとそのお一人で背中に言ったのでしょう。
妻側の弁としては、食べながらでいいから声に出してハッキリ言ってほしいのヨ。
背中では、聞こえないもの・・・。明日の夕飯一品増えますよぉ!!

つなぐ手をいきもの通ふ聖五月  冬月
<海斗(人)>
私はどうも”訳の分からない”句が好きな性質のようです。
分からないけど、面白い。
「いきもの通ふ聖五月」とは何か?と考え込んじゃダメ。
”いきもの通ふ””聖”は共に五月の賛美。
そして、”つなぐ手を”と”いきもの通ふ聖五月”との距離感
が微妙ですね。(多少、実験的ですが。)

流行医の髭剃り残し昼寝覚  香世
<絵馬(人)>
「流行医」というのが面白い表現ですね。忙しいお医者様は、たしかに無精ひげの人が多いようです。髭をそり残すくらいなら良いのですが、寝不足で誤診されないことを望みます。

湯の街にしとどの雨や傘雨の忌  旅遊
<碁仇(人)>
形の良さからいうと今回の句では一番気に入った。
付きすぎかと思ったけど、まあ、いいか。