第62回句会桃李七月定例句会披講

選句方法:天地人方式(各3、2、1点)
兼題:雷、駅、酷暑(不言題)

夏の句 雑詠または題詠
兼題1(季題) :   「雷」
兼題2(キーワード題):「駅」
兼題3(不言題):   「酷暑」(その語を使わず、その心を詠む)
           (「暑い」という言葉を使わないで下さい)

投句: ぎふう、やんま、顎オッサン、海斗、旅遊、重陽、旻士、夜宵、素蘭、とびお、悠久子、鞠、省吾、葉子、香世、明子、暁生、徳、七梟、しゅう、木菟、絵馬、頼髪、康、登美子、樂子、洗濯機、冬月、めだか、若芽、晴雲、愛子、于論茶、ぎを、ゆきふね、富章
選句: やんま、鞠、冬月、晴雲、香世、夜宵、徳、ぎふう、葉子、旅遊、旻士、剛、康、英治、七梟、于論茶、垂穂、とびお、顎オッサン、星麿☆、海斗、登美子、頼髪、明子、木菟、暁生、ゆきふね、めだか、素蘭、省吾、洗濯機、愛子、樂子、悠久子、しゅう、絵馬

披講

・21点句

打水の後をなぞりし通り雨  省吾
<鞠(天)>
人の手からの打水に、天よりの通り雨を重ねて、さりげなく涼しさを増幅させる。

<冬月(天)>
シンプルでさっぱりしていて好きである。涼感もある。難点があるとすれば、「打ち水」と「通り雨」がイメージ的に近いことだろうか。しかし、詩的な俳句と見れば、水のイメージで統一されているとも言える。

<夜宵(天)>
一読したら、夕立の後のあの匂いがしました。
今回のテーマが猛暑だったせいか、より一層清涼感が。

<葉子(天)>


<顎オッサン(天)>
酷暑の路地裏かな。ほっと一息。
大好きな情景が浮かびます。

<樂子(天)>


<絵馬(天)>
今年の夏は酷暑が続いたので、これを真っ先に選びました。
涼感がストレートに伝わってくる佳句ですね。

ただ、措辞については、「なぞりし」の「し」(過去の補助動詞「き」の連体形)
が、すこし気になりました。連体形を使うと「切れ」が無くなりますので。
それから、通雨が過ぎた後の句とすると、もはや打ち水の跡が見えなくなるの
で、回想の句となりますね。こういう場合、単なる過去ではな
く、直前の過去の事実への「気づき」と「驚き」を表す補助動詞「けり」を使って

      打水の後なぞりけり通雨

のようにする可能性もあったと思います。切れ字のある句の方は「発句の体」、
もとの句は「平句の体」です。俳句は、必ずしも発句の形をとるとは限りません
から、そのへんは好きずきですが。


・15点句

かけ直す眼鏡重たし大西日  明子
<冬月(地)>
面白いと思うが、西日の中で眼鏡が重く感じられるというのは少し疑問だ。そこに工夫の余地があるように思った。

<ぎふう(天)>
眼鏡を常用している者ならこの鬱陶しさ、暑苦しさを実感した経験があるはず。汗にぬめる鼻梁も思い浮かび、まさに「重たし」です。「大西日」も的確な季語だと思いました。

<葉子(地)>


<登美子(天)>


<頼髪(天)>
眼鏡をはずして顔の汗を拭う。身体中のだるさに眼鏡さえも重く感じる。

<樂子(地)>



・9点句

落雷や原始の闇の広がりぬ  ゆきふね
<やんま(人)>
落雷は原始からの時間に跨って、生きとし生けるものに注がれる。閃光の後には汚された時間の埃が洗われて、原始の闇がたちまちにして立ち戻っている。

<明子(天)>
太古の地球上ではたえず雷鳴が響き、闇を切り裂いていたと聞いたことが
あります。厳粛な気分になりました。

<悠久子(地)>
きっと街の一部のことでしょうが、もっと大きな闇を思わせます。
自然の豊かさをすらも。

<しゅう(天)>
まず、大きな景でインパクトが強い。「原始の闇」は的確な詠みだと思います。


・8点句

乗り越して見知らぬ駅の暑さかな  樂子
<ゆきふね(天)>
いつも降りるはずの駅を乗り越してしまった感じがよく出ていると思います。暑さも余計に感じてしまうのでしょうね。

<省吾(地)>


<洗濯機(天)>
何でもないような句ですが,いわく言いがたいものを感じます.
実際の体験でしょうか.気がついてみると,自分の記憶にまったくない駅の光景.
じりじり照りつける午後の日射し.我に返るまでの奇妙な時間.

夕なぎやふとゆるやかに息をすふ  重陽
<旻士(地)>
夕涼みに海岸べりを歩く。
海風が気持ちいい。
その気持ちよさが急に途切れる。
凪だ。
今までの倍の暑気が寄す。
その暑さの中で大きく息をすう。

ああ、書いていても暑さの増す風景だ。

<海斗(天)>
句意そのままがゆるやかに響きます。
この句を選んでつくづく思ったのですが、
選句というのは、とても難しい。
始めの内、この句にぴんと来ませんでした。
頭の中に残らなかったんです。
ところが、何回も読んでいると、ふとさりげない表現
のなかの喜びに気づきました。淡々とした気息に天。

<省吾(天)>


雷去って野良猫線路をよぎりけり  ぎを
<香世(天)>
雷と共に、激しい雨も降ったであろう。雷も雨も収まった後、濡れた線路、たぶん田舎の単線、を、優々と大きな雄の野良猫がよぎって行った。

<旅遊(地)>
猫とはこのような生き物かなと思ってもみます。面白い句と思います。

<とびお(天)>
車も人も猫も、ああ終わったというように動き出す絵が浮かぶようです。


・7点句

容赦無き不動明王蝉時雨  ゆきふね
<英治(天)>
「容赦無き」が不動明王と蝉時雨の両方に働き力感あり

<暁生(天)>
ピタッと決まっています。

<絵馬(人)>
「不動明王蝉時雨」七文字の漢字の羅列のうみだす重々しさと
暑苦しさは意図されたものでしょう。上五の「容赦無き」は
「不動明王蝉時雨」の全体にかかるようです。僕としては
「容赦なき」の連体形ではなく、

   容赦無し不動明王蝉時雨

と「切れ」を入れたいですね。

夢に出る名の無い駅や法師蝉  やんま
<旻士(天)>
夢で、いったことのない場所を、しかも何度も見ることがある。
僕の夢はカラーでステレオ・ドルビー音声なのだけれど、いつも同じBGMが流れる。この句も、そんな一コマでしょうか。
「法師蝉」がいいです。あの声は夢に合います。
こういう駅でまってると、そのうち彼岸の人と会えそうな気がします。

<頼髪(人)>
自分にもあったような気がします。夢と法師蝉の相性がよさそう。
「出る」が少しきつい表現かなと思いました。「見る」ではどうでしょうか。

<木菟(地)>
 夢といえば、わたしにもほとんどいつも、名もない鉄道の駅が現れます。

<省吾(人)>


産土の駅に降り立つ雲の峰  ぎふう
<英治(地)>
語感がすばらしい。雲の峰の存在感。

<素蘭(天)>
生まれ故郷の駅に久しぶりに降り立ってみると
昔と変わらぬ鄙びた風景にタイムスリップした気分になるか
様変わりした光景に戸惑いを隠せないか。
いずれにせよ夏雲は少年の日を懐かしむのにふさわしい情景と思います。

<絵馬(地)>
「降り立つ雲の峯」は、作者が駅に「降り立ちて」雲の峯を仰ぐという
意味と、雲の峯が天より「降り立つ」という盛夏の力強い情景を
重ねたような句ですね。その二つの意味が、どこか呼応しているのが面白い。
「雲の峯」の「立つ」ほうが主役で、作者が、故郷の懐かしい駅に「降り立つ」
ほうが脇役でしょうか。掛詞は俳句では、わざとらしさが出て成功しない
ことが多いのですが、この句の場合は、例外でしょう。はるかな時間の経過
と、空間的な距離感を重ねた所がよいですね。

霹靂神窓辺の金魚蒼ざめて  樂子
<徳(天)>
20年ほど熱帯魚を飼育していた。雷にどんな反応をを示したのか観察しておけばよかった。よく大型犬が雷が鳴り出すと何とも情けない姿になると聞きます。金魚が蒼ざめる本当なの?って思わせる所が面白いです。

<垂穂(人)>
曇天にほの暗くなった縁側,窓辺に置かれた金魚鉢,雷鳴,少しおいて地を叩く雨,といった風景が鮮やかに浮かぶ鮮烈な句でした。「霹靂神」という,やや古めかしい季語に対して,以下があまりに自然に軽やかに継がれているのが気にかかり,「人」とさせていただきましたが,これは好みの問題だと思います。

<悠久子(天)>
窓辺の金魚が蒼ざめるというのが、新鮮で説得力があって、良いと思います。
音読すればこれもリズミカルです。


・6点句

大阿蘇を雷蹂躙す昼の酒  康
<晴雲(天)>
阿蘇のドライブインかどこかで避雷のときを過ごされているのでしょうか。バリバリとものすごい音が聞こえてきます。大阿蘇のスケールと臨場感たっぷりの素晴らしい句ですね。

<愛子(天)>
スケールの大きさがどーんと胸にきました
また、昼間酒を飲んでいるときの心情との対比が 面白いと思いました


・5点句

ナンパしたされたと五十路梅雨の傘  香世
<垂穂(天)>
素直に良い情景だと思いました。「ナンパ」という新しい言葉を使い,若やいだ話題に触れる五十代の気恥ずかしさのようなものが,雨音に紛れて語る男女の姿そのものから感じ取れるようです。

<暁生(地)>
ほのぼのといい感じです♪

遠雷や武州相州絹の道  しゅう
<木菟(天)>
 遠雷と、はろばろとした絹の道のひろがりが、何ともいえず壮大です。

<洗濯機(人)>
空間的にも,時間的にも大きなスケールです.
我が家もいなかの旧街道沿いにあり,年をとると,今住んでいるのに,
だんだん懐かしくなって,用もないのに,車で街道沿いに走ったりしています.
道も人も物も生きていた時代.

<樂子(人)>



・4点句

露はなる池の底なる蝿唸る  海斗
<夜宵(人)>
これは暑いっ。文句なしの猛暑ですね。「なる」の繰り返しが暑苦しい雰囲気を出しているような気がしました。嫌になるくらい現実的で暑い夏。

<ぎふう(人)>
迷いに迷った句です。「なる」の繰り返しが遊びすぎ、いささか目障りでした。しかし、下五の「蠅唸る」を面白くさせるためにはこの遊びが必要だったのか。今も考え中。

<愛子(地)>
「その語を使わず、その心を詠む 」そのもののように感じました

背に腹に摘んではがす汗のシャツ  頼髪
<鞠(地)>
夏は誰もが経験することを、ありのままに表現して、とりわけ中七の「摘んではがす」に実感がある。

<七梟(地)>
汗臭さがつたわる酷暑の句

三日月や無人の駅に蛾の美しき  絵馬
<旻士(人)>
蛾が僕は好きなんです。
実は蝶より艶やかな白や青や緑の蛾が。

夕暮れの白い、爪のような月と。
無人駅のぬしのような大きな大きな白い蛾を想像しました。
ああ、美しい。

<剛(天)>
三日月と蛾は蠱惑的な女性の象徴なのでは?すると無人の駅は
遠い昔の記憶にある恋人の不在を意味するのでは。かってな想像だけど
そういう面白さがあった。

稲妻や踊り場曲がるものの影  洗濯機
<海斗(人)>
稲妻と物の怪は相性がよろしいようです。
”踊り場”という息を抜く空間とそれにつけこむ物の怪。
ものの影に驚く場所とものが良く合っています。

<めだか(天)>
遠雷が聞こえてきて一天俄に掻き曇り、稲妻が光って、さーっと空気が変る様子がよく出ています。物の怪も走って逃げるのでしょうか。喜んでいるのかな。(雷の季題で稲妻を使っていいのかどうか、知らないのですが)

通帳の残高確かめ帰省かな  香世
<康(地)>
うちの娘もそうでした。自立への一歩であればいいのだが・・・。

<星麿☆(地)>
これは面白い句と思いました。思わず私に笑顔をもたらせてくれた句です。こういう句好きです。私も人を楽しくさせる句作りたい。

どくだみの白き花揺る無人駅  愛子
<七梟(天)>
無人駅にドクダミがよくあいます

<暁生(人)>
揺れているところがいい。

ハンカチを借りて気付きし口説き初め  木菟
<晴雲(地)>
酷暑の句はいいなあと思うものが多く(40カチ割の甲子園、63自販機どかどか、68喉飴のアスファルト、81ポカン吹き)迷いましたが、お人柄がにじみ出ているようなこの句の人間臭さに惹かれました。

<顎オッサン(地)>
この気持ち解ります。
烈火のごとく顔は燃え。二重に暑い。

炎帝とつきあふ覚悟せまられし  明子
<康(天)>
そう、この暑さは自分をはげますためにも意識して「覚悟」しなければ・・・・.

<めだか(人)>
ほんとうに、今年の夏はつくづくと。

蚊遣火やふうと息して粥啜る  ぎふう
<剛(地)>
今時、蚊遣り火を使うとは思われないから、昔の情景になるが、
極暑の題詠はどれも付き過ぎだったので、この句が印象的だった。

<めだか(地)>
体調を崩されたのかご病気なのでしょうか、暑そうで、熱そう。ふう。今年は夜の暑さも異様です。粥と人と日の落ちた後の熱気が、地続きであることを強く感じます。はっていく蚊遣火の煙のせいでしょう。


・3点句

鉾ゆらり祇園祭りの囃子方  省吾
<香世(地)>
鉾ゆらりが効いています。賑やかなお囃子も聞こえてきます。

<七梟(人)>
鉾ゆらりがとても優雅な祇園祭

遠雷や親父の背中まるくなり  顎オッサン
<冬月(人)>
そこはかとなくユーモアがあって面白い。ただ、川柳に近い感じは受ける。俳句と川柳の違いを明晰に意識できているわけではないが、諧謔よりは風刺の味わいがある。

<ぎふう(地)>
昔はあんなに恐かった親父も年をとって随分おとなしくなったもんだ。そんな息子の呟きが聞こえるようです。父親に対する畏怖が薄れてきた分、父と子の絆が深まっていくような、そんなほのぼのとした情感が好きでした。

遠雷や理科の教科書見てをりぬ  頼髪
<星麿☆(天)>
理科の教科書と遠雷がぴったり。空から宇宙へと、なんだか遥かに、不思議は、まだまだ残っていますよね。小学校4年生くらいの女の子が理科の教科書を見ているところを眺めているお父さんが作った句という感じがしてたんですけどね。

夏雲や自販機どかどか底抜けす  しゅう
<とびお(人)>
気持ちのいい暑さですね。

<頼髪(地)>
行楽地の駅前にある自動販売機かな?
自販機の底が抜けたように次から次へと売れていく。
面白い着想だと思いました。
「底抜けす」は「底抜ける」かな・・・とも。

長調の音が恋ひしき昼寝覚  冬月
<やんま(天)>
夢の中の短調から目覚める。ぼわっと暑い。爽やかな長音が欲しい。僕の風鈴はガラスの長音である。

かみなりや廃校の窓高笑ひ  洗濯機
<于論茶(天)>
 ふだんは見捨てられたような廃校舎が突然の雷鳴と稲光に映えて浮かび上がる。くすんだ窓ガラスが息を吹き返したように明滅し、まるで高笑いをしているかのような喧騒を示す。高笑いの一語にしびれた。人の身勝手、儚さを突き放す自然の悠久を感じさせて秀逸。

山かひの駅に残せし夏衣  木菟
<晴雲(人)>
忘れ物の多い私の共感と山かいの駅がとてもいいと思います。きっと山に見とれてらして脱いだ上着を置いてこられたのでしょうか。「旅のトラブルは天使の贈り物」という言葉を旅で出会った方からいただきました。

<海斗(地)>
この句を翻訳すると、「山かひの駅に夏着を忘れてきてしまった。」
なんです。
それを”残せし”としたのでとれもユーモラスなんですね。
鄙びた駅で忘れ物の服を見たら、涼しさのお礼に喜捨ものと思いましょう。

前生のなつかしき顔夏の駅  冬月
<旅遊(天)>
時にこんなことを感じることがあります。不思議な句ですが実感できます。それも
夏の駅だからでしょう。これが、冬とか春の駅というのではナンセンスでしかない
でしょう。


・2点句

花氷立待ち痩せる真昼かな  晴雲
<とびお(地)>
暑さが伝わってきます。

立ち枯れのつつじに赤く西日差す  若芽
<夜宵(地)>
綺麗な句。路地裏の風景でしょうか。そこだけスポットライトがあたったような心に残る風景ですね。

ポカン吹き千五百度の汗走る  愛子
<素蘭(地)>
ガラス工房で働く人たちの真っ赤な顔と汗、
そこから生まれた作品、例えば切り子ガラスの器などが涼しげに露を結ぶ
そんな対照的な情景なども面白く思い浮かべました。

廃駅のホームに乱れ月見草  旅遊
<徳(地)>
廃駅とか無人駅を詠みたかったが遂に諦めた。確かに廃駅のホームや線路に月見草がぴったりだし何処かで見たような気がします。

男あり夏蚕の太る昼下がり  とびお
<垂穂(地)>
力強い句だと思います。「夏蚕」から,みっしりとした蚕棚に篭る熱気が伝わって来るようです。「男あり」という力強い言葉からも,いかな炎暑でも作業に精を出す人々の体現する意志のようなものが感じ取れます。夏らしい句だと思います。

草の穂の日盛るままに駅の跡  重陽
<葉子(人)>


<剛(人)>
良く分かる自然な句というのが良い。

喉飴が熔けはじめたりアスファルト  めだか
<于論茶(地)>
 路面に落ちていた喉飴が熱さに熔けだしてアスファルトに混じりこむ。具象的な暑さの描写がうまい。

熱風に右往左往の扇風機  夜宵
<ゆきふね(地)>
「右往左往の扇風機」という言葉の発見が新鮮で的確です。おそらくやや古い型の扇風機なんでしょうね。

雷鳴ればついと命を抱きしめる  やんま
<登美子(地)>


夏帽子降り立つ駅に水平線  とびお
<英治(人)>
夏の終わりの爽やかさを覚える

<明子(人)>
木造の、ペンキもちょっと剥げかけたような小さな駅。
潮の香もしてきそうです。

火取蛾や食べねばならぬ独りの餉  鞠
<洗濯機(地)>
虚弱だった学生時代に重ね合わせて一票入れました.
無理にでも食べないと,しかも,たったひとりで...
いずれまたそうなるのでしょうが.

雷鳴にまづはパソコン気遣へり  素蘭
<徳(人)>
雷の多い地方は注意しないと大変な事になるらしい。パソコンの事ばかり気遣っていたら町中のFAXが・・と言う話を聞いたばかりです。
今世紀が生み出した俳句でしょう。21・41と3句もあった。

<康(人)>
そうですよね。長い計算をさせてるときのアクシデント、経験あります。

渡良瀬や水なみなみと雷の鳴る  絵馬
<明子(地)>
水なみなみという言葉に豊かなものを感じました。

菱沼や小さき白の夕間暮れ  于論茶
<やんま(地)>
菱沼がちらっと見える夕間暮れ。慕情尽き無し。

炎昼や寺に干したる黄の衣  葉子
<悠久子(人)>
黄色の法衣なのでしょう。炎天にその色の鮮やかなこと!
炎天を肯うべきと思わせられます。

<しゅう(人)>
これは大変色彩の立った句だと思います。黄がきりっと引き締まって、寺は禅寺をイメージしました。

駅を出て赤子のごとき夏の月  康
<しゅう(地)>
「赤子のごとき夏の月」という比喩は全く初めて、新鮮でした。突飛なだけでは頂けませんが、それだけでない、実感があるように思いました。なにか、ぼうと、やわやかい月というイメージだ立ってきます。

子の背なに愛もいっぱい天花粉  顎オッサン
<星麿☆(人)>
「親ばかー」と叫びたくなるくらい愛情いっぱいの句ですね。天花粉の香りなつかしーい。最近嗅いでないなー。

<ゆきふね(人)>
ちょっと甘い過ぎるかなとも思いましたが、子供への愛がよく伝わってきたので採りました。


・1点句

あの合歓の花に幼き物語  登美子
<于論茶(人)>
子守唄を聞くような音の運びが心地よい。口ずさみたくなる句

駅名の由来聞きたや初ツバメ  徳
<旅遊(人)>
初つばめがよいですね。ことにローカル列車に乗って旅をしている時など、こうし
たことを尋ねてみたいと思うことがあります。

遠雷は怒りをふくみて静かなり  若芽
<素蘭(人)>
雷雨の前触れのように鳴る遠雷に人や物の動きがふと止んでしまったような息詰まる静けさ。「怒り」と表現したのが良いと思いました。
助詞の「を」はこの場合不要だと思います。

遠雷や雨待つまでに仲直り  冬月
<鞠(人)>
遠雷から雨までのわずかな時間差が、微妙に作用して、背きかけたふたりの心は、再び寄り添うらしい。

空間を斬り裂きく雷光画かれて  悠久子
<愛子(人)>
すぐに情景が、目の前にが浮かび上がりました

蝉落下昇る陽炎白昼夢  夜宵
<木菟(人)>
 酷暑の風景が、余すところなく表現されています。

天道蟲ふかき青空舐め果てる  めだか
<登美子(人)>


雷鳴に悲鳴喚声通学路  夜宵
<香世(人)>
悲鳴、喚声と、重ねたことで、強調されましたね。私も雷鳴には悲鳴喚声をあげるほうなので、選びました。でも、通学路ということは、子供にこそふさわしい悲鳴喚声であって、おばちゃんには「いい歳をして!」と、言われるのかな。

雷鳴の闇に肩寄す家族あり  晴雲
<顎オッサン(人)>
愛を感じます。家族はこうでありたい。