第63回句会桃李8月定例句会披講

選句方法:天地人方式(各3、2、1点)
兼題:朝顔、終戦、残暑(不言題)

夏または初秋の句 雑詠または題詠
兼題1(季題):「朝顔」 画廊桃李をご覧ください。
兼題2(キーワード題): 「終戦」
兼題3(不言題):「残暑」(その言葉を使わずにその心を詠む)
8月15日(水)投句受付開始
8月22日(水)24時 投句締切、翌日選句開始
8月29日(水)24時 選句締切、翌日MLで合評開始
9月 1日(土)披講       

投句: 徳子、ぎふう、やんま、素蘭、旅遊、七梟、顎オッサン、康、夜宵、伊三、葉子、りこ、ゆきふね、暁生、鞠、英治、香世、絵馬、悠久子、冬月、重陽、明子、愛子、旻士、ぎを、木菟、登美子、水、めだか、于論茶、樂子、省吾、洗濯機、しゅう、若芽、とびお、頼髪、涼、晴雲、富章
選句: 冬月、香世、ぎふう、顎オッサン、鞠、夜宵、伊三、水、葉子、徳子、しゅう、旻士、旅遊、晴雲、木菟、省吾、愛子、ぎを、頼髪、英治、七梟、素蘭、暁生、めだか、于論茶、明子、重陽、悠久子、登美子、りこ、洗濯機、涼、樂子、若芽、康、富章、絵馬

披講

・11点句

夕立や無口の庭師粗茶すする  水
<旻士(地)>
急激に雨が襲ってのだろう。さすがの職人も一息つくことになる。
家人が気をきかせてお茶を出すのを、ただ雨を見て次の作業を頭の中で組み立てている職人。

情緒のある一句です。

庭付きの家がへる今日この頃、これもいつか記憶だけの風景に変わってしまうのかも。

<省吾(天)>


<暁生(天)>
無口なのがいいですね。

<涼(天)>
俳句として、すごくよくついている句なのだと思います。
夕立の粗い感じが粗茶に、夕立の自然の有機的な感じが庭に。
そして人間の無口が夕立という激しさに対比しているようで
とてもよかったです。


・10点句

病む人の汗拭ひやる今朝の秋  葉子
<愛子(天)>


<悠久子(人)>
世話をする人の優しさにひと時の涼が。

<登美子(天)>
寝汗を拭いてあげる人も汗ばんでいるだろう。
暦の上では秋といってもまだまだ暑い。
でも立秋と聞けばなんとなくほっとする。
やさしさに胸をうたれました。

<絵馬(天)>
ながく病床にある人にとって、夏は過ごしにくい季節。立秋が過ぎても、まだ残暑厳しい、そういう朝、家族の思いやりの気持ちがよく出ています。


・9点句

終戦忌候文の父の遺書  徳子
<葉子(天)>


<頼髪(天)>


<りこ(人)>
候文というからには、特攻を命令した側のいやもっとえらい御方の遺書でしょうか? 終戦忌の季語でいろいろと考えさせられました。

<樂子(地)>
厳格な中にも優しいお父さま。


・8点句

胸襟を開く羅漢やカンナ燃ゆ  愛子
<晴雲(天)>
季語はカンナだけ、見事な残暑の句ですね。
同じ花の句で「向日葵のこれは残酷物語」も末枯れたひまわりに残暑の気配濃厚。「病む人の汗拭ひやる今朝の秋」も心に残りました。

<重陽(人)>
とり合わせがとても素晴らしい。

<洗濯機(地)>
苔むした古拙な羅漢がずっと続く.一体一体目を合わせながら歩みを進めると,
かの羅漢の一帯には,突然,背高き炎の色.留められていた思いが,
にわかにあふれてくる.石の像が表情を和らげたと見えたが,
胸襟を開き得たのは,じつはこの自分なのであろう.

<富章(地)>
羅漢は無口な職人さんと読みました。
頑固だけど腕がよい職人が汗をかきながら仕事をしている様。
暑くて厳しい句。

朝顔や蒼き一露飲み込みぬ  顎オッサン
<ぎを(天)>
朝顔の花弁に露がひとしずく落ちて、つつっと流れて蒼い淵の中へ吹いこまれていく・・。

<登美子(人)>
朝顔はやっぱり青が一番。
青い花びらに宿った青い露が花の中に落ちたのか。
きれいですね。

<樂子(人)>
ふたつ季がありますが気(?)にならない素敵なお句だと
思います。

<富章(天)>
朝露が朝顔の花の中に入った一瞬。
ほんの数秒をうまく言い表わしてきれいです。

捻子を巻く時計も老いて終戦日  愛子
<香世(天)>
戦後生まれに孫の話がちらほら。戦争を知らない国民が大半です。

<水(人)>
「明治は・・・」だけでなく、「昭和も遠くなりにけり」の感慨でしょうか。 懐中時計かな、それともボンボン時計かな。 我が身も時計もいたわりながら。

<ぎを(地)>
時計とは柱時計のことだと思う。一家の影の主のような存在。

<絵馬(地)>
旧式の柱時計が歳月の経過を表していますが、この句の情景を現在実感できる
ひとは何歳くらいでしょうか?


・7点句

朝顔の垣に透けたる鎖骨かな  めだか
<徳子(天)>
朝顔の種を蒔き蔓が伸び始めると竹を縦横に組んで屋根まで延びる様にする。
真夏には朝顔の裏側の縁側は涼しく家族の集まる場所であった。
鎖骨なるほどね。表からは透けて見えている鎖骨も裏からは肋骨も見えていた。
発想が面白い。

<明子(人)>
朝顔にはなぜか痩せた方が似合うような気がします。

<康(天)>



・6点句

あさがほや路地は鍛冶町桶屋町  明子
<葉子(地)>


<暁生(地)>
そんな路地によく似合う。

<重陽(地)>
あさがおに・・、何かしら治まりの良い句ですね・・。
好感度!!

子離れを悩む贅沢終戦日  鞠
<明子(天)>
子離れと終戦の取り合わせが面白いと感じました。
巣立っていった子を思う気持ちから、あの終戦時の多くの親子の心情に思いを巡らしている作者。
もうひとつ見方を変えれば、子離れもある意味で幸せな戦いの終わりなのかもしれません。

<洗濯機(天)>
「留」,「末」よりも,当地では,「外」が多い.「外二」,「外美子」.嫁と姑が前後して,
出産していた時代.最低限の学校を終えれば,外に出す(出る)より無かった.
先日某町の住宅地図を眺めていたら,三割ほどの所帯主の名に「外」があった.
そんな国が不可解な戦争をした.子離れ,親離れというのは,口に余裕のある
階級にはあったかもしれないが,今やありふれたものになった.
表だった戦争ではないが,不可解な政治が,同種同根の崩壊をもたらしつつある.
明治以来日本では,歴史は暗記するものであり,教訓とすべきものではないらしい.
この句が「今」の句であると同じように,八月十五日は,「今」である.

一年生朝顔抱へ戻りけり  頼髪
<香世(地)>
夏休みの宿題は、いまも朝顔の観察日記でしょうか。

<鞠(天)>
学期末の小学生は、工作品や給食袋など、大荷物を抱えて下校します。とりわけ
まだ小柄な一年生が捧げ持つのは、一学期育てた大事な朝顔の鉢。これから夏休みの間、観察日記の種になるのでしょう。

<暁生(人)>
大事に抱えて家に戻った子の表情が浮かびます。

友来れば塔を見に行く西日中  康
<しゅう(天)>
友と会ってお茶を飲んだり、お酒を飲むのではなく、「西日の中を塔を見に行く」という、その志向性の高さに感動した。西日の中の塔というとどうしても日本の古来の塔を思い描く。赤い空に黒い塔のシルエットが残像として残り美しい。

<めだか(天)>
「塔を見に行く」の流れがさっぱりと自然なので、友と作者にとってゆかりのある塔だと思いました。麦茶を飲みながら昔話をしていて「じゃちょっと行ってみる?」「うん、行ってみたい」みたいな。お盆の時期でしょうか。どんな塔なのか興味をそそられます。

てのひらに石を匂はす秋の水  絵馬
<冬月(天)>
川原で遊んだ小さい頃を思い出した。秋の澄んだ空気と水が石の独特な匂いを引き立てている。この句の功績は「てのひらに」という措辞だろう。この措辞によって、句世界の中心が石に固定され、視覚と臭覚と触覚の中心点を形成することに成功している。

<素蘭(地)>
秋の水は秋の湖水と読みました。
掌のなかで石を転がしながら追想するのは芭蕉翁でしょう。
  石山の石より白し秋の風(芭蕉)
の句が彷彿としてきます。

<洗濯機(人)>
何となくよさそうに見えるが,よく考えると,どんなことかよくわからない.
説明して下さい.


・5点句

父はなほ丸坊主にて終戦忌  絵馬
<ぎふう(地)>
あれから五十六年、ずっと丸坊主を通してきた父の思いとは。父の中で戦争はまだ終わっていないのだろう。

<顎オッサン(天)>
句の重さを感じました。

野良猫の後を追い行く片かげり  省吾
<木菟(地)>
 猫という動物は、意外と温度に敏感で、そのぐらいの行動はとるかもしれませんが、いつも犬を散歩させていて、こちらが日盛りを避けようとしても、一向にきいてくれない事が多いですね。

<于論茶(天)>
「おいゆく」に、右に左に猫の動きを追う詠み手の視線の動きが感じられ、それが日差しの中の「片かげり」という強いコントラストの描写によって、思わず読み手の目までを細めさせてしまう見事な実景の再現になった。

終戦忌我何ひとつ為せぬまま  頼髪
<冬月(地)>
この句は印象的だった。多くのインプリケーションを読むことができると思う。元兵士の心境と考えれば、歴史に巻き込まれたことへの苦い自省と考えられるし、戦後世代とすれば、未来と過去からの規定性を現在において十全かつ自由に生きられていないことへの反省とも読める。いずれにしても、この句は人間が本当の意味で「人間になる」ことの難しさを改めて考えさせてくれるいい句だと思う。

<伊三(天)>
うつうつとした気分がS20年から現在まで普遍的に描かれている。背後の年代が解るほうが良いのか悪いのか?

減反の早稲刈り捨てし黒き汗  絵馬
<七梟(地)>
今年は豊作かな実りの秋に刈り捨てる徒労は辛いね

<りこ(天)>
大事に育ててきた稲を、政策とはいえ刈り捨てなければならない無念さが、黒い汗に集約されていて、残暑もさることながら心理的な憤りの暑さ、苦しさ。

身のうちに鐘低く鳴る終戦日  明子
<木菟(天)>
 粛然とした気持ちが少しあって、ちょうどそのくらいの感じかも知れませんね。
五十年も経ってしまえば。

<愛子(地)>


絵日記の朝顔咲かぬままとなり  ぎふう
<香世(人)>
せっかく持ち帰って、たんせいに水やりをしたのに花が咲かなかった。これも人生勉強です。はい。

<水(地)>
未完成の絵の余情がよい。 生長過程を毎日写生していたが、朝顔が、つぼみのままで、開花しえなかったのか; それとも、描き手が、ギブアップしたのか、などを想像すると、おもしろい。

<省吾(地)>


ひと口に火照り鎮めし秋の水  明子
<英治(天)>
夏ならば何杯でものんでしまう水だが、もう残暑も終わりだ。すっきりしたリズム。

<登美子(地)>
心が火照っているのかもしれない。
一口飲むだけでその火照りを鎮める
秋の水の清冽さ。
私もそんな水を含んでみたい。

ゆらゆらと砂丘に消えし秋日傘  りこ
<英治(人)>
砂丘を歩く足場の悪さ。歩く度に日傘が揺れる。残暑のけだるい感じ。

<悠久子(天)>
鳥取砂丘へ行ったのは晩秋だったのですが、あの砂丘に日傘が遠ざかって行く初秋を想い描きました。焼けた砂、風。残暑の絵ですね。

<絵馬(人)>
残暑の不言題の中で、印象の鮮やかな句でした。
砂丘をもってきたところが手柄で、読者に残暑がストレートに伝わりますね。


・4点句

辞書繰りて秋のひと日を使ひけり  樂子
<省吾(人)>


<涼(人)>


<若芽(地)>
あまりの暑さに辞書で秋を探しているうち、一日が過ぎてしまった・・・でしょうか。

太き手のせはしき動き秋扇  悠久子
<素蘭(天)>
つい田中角栄元首相を思い出してしまいました。
汗っかきの男性がせかせかと扇をつかう情景のリアルさ
残暑の捉え方になんとも言えぬ俳味を感じました。

<若芽(人)>
せわしない扇子の動きだけでも暑苦しいのに、その手の太さが余計に暑さを感じさせて。 どこかで見たような景色。

朝顔や続き明日の紙芝居  やんま
<鞠(地)>
朝顔は一日花なれど、次々と蕾を用意して長く咲き継ぐ。明日が待ち遠しかった
幼い頃の懐かしさ。

<明子(地)>
紙芝居の続きを楽しみにしていた子供の頃、朝顔はいつも周りにあって良い遊び仲間でした。

青もっと深くと朝顔空めざす  登美子
<顎オッサン(地)>
青空へと昇る花のイメージが好きです。
・青深し朝顔空に溶け込めり
では昇らないからなあ。

<りこ(地)>
朝顔の蔓は一日に何センチ伸びるのでしょうか? あれは空の色になりたいからでしたか・・・。

会ひたしと母の便りに汗が落つ  省吾
<重陽(天)>
帰省しなかった、出来なかった、その事情を説明できない。
母の便りに汗を落したことのある遠い昔を思い出しました。
いろいろなことを感じさせてくれる優れた句です。

<富章(人)>
汗は冷や汗?
一人暮らしの人にとっては親が会いたいと言い出すというのは
うれしいような厄介のような、、、。

立秋やされど夕べの京の鐘  重陽
<葉子(人)>


<頼髪(人)>


<悠久子(地)>
秋にはなったとは言え、京都の夕方の厳しい残暑。


・3点句

稲みのる香のむんむんと午後三時  英治
<旻士(天)>
稲の香が、暑く蒸す空気に充満する。
しかも、ちょっと涼風が吹き一息つけそうな午後三時に。

むせるような残暑を感じる句です。

空蝉の脊の裂けめや通り雨  葉子
<旅遊(天)>
空蝉と通り雨の取り合わせに感じ入りました。良い句です。

朝顔や働く人はみな駅に  とびお
<ぎふう(天)>
気持ちがいいくらい単純明快な句。朝顔に水をやりながら作者は道行く人々に「ご苦労さま」と胸の中できっと声をかけているにちがいない。

朝顔やまめなる人にまめに咲く  洗濯機
<夜宵(天)>
やっぱりちゃんと花の咲く頃にお水をあげに行かなくちゃ。「まめなる人にまめに咲く」リズムが心地よくて、好きです。

観察の眼を育んで朝顔記  晴雲
<顎オッサン(人)>
夏の親子の風景ですね。

<康(地)>


終戦忌露地より現れし猫家族  康
<水(天)>
チラツキのある白黒ビデオで見たい情景。昭和20〜30年頃へ呼び戻された感あり。 No.93 「罅入りの碗に飯食ぶ終戦日」と共鳴する(同じ方かな?)。どちらも好きだが、択一。

祖父の見た最後の夏の海の色  夜宵
<七梟(天)>
海の色、紺碧か白波かそれとも

積み置きのゴム靴匂ふ敗戦忌  りこ
<頼髪(地)>


<めだか(人)>
ゴム製の長靴が積み置いてあるのを、どこかで見たことのあるような気がする。古くなったスニーカーの山かもしれない。

家近し作り物めく虫の声  洗濯機
<旅遊(地)>
どんなものでも人工的に作り出してしまう時代に、本物の虫の音を聞いても、それが
作り物と聞こえるとは。まさに現代を言い当てた句です。

<于論茶(人)>
「作り物めく」のは虫ではなく、実は家の方であったとあとから気付くのだが。住宅街で聞く虫の声はたしかに嘘っぽい。

往く夏や雲の怒りのほどかれぬ  冬月
<若芽(天)>
形のはっきりしていた入道雲。 いつのまにか輪郭線が刷毛で掃いたように柔らかさを帯びてきた・・・という印象です。

朝顔の小さくなりて喜寿の母  徳子
<晴雲(人)>
シーズン終わりに小さくなる花と、小さくなられたお母さまを重ねられ、朝顔=母のイメージは然りです。「朝顔の垣に透けたる鎖骨かな」とどちらも朝顔の句の中で傑出、迷いました。

<于論茶(地)>
遅咲きの朝顔は花が小さい。健やかな喜寿の老母のつましい美しさが眼前に浮かぶよう。

朝顔や色染め遊びあはあはと  素蘭
<樂子(天)>
色染め遊び、朝顔の垣の傍で茣蓙を敷いてよくやりました。
今の子はこんな遊び知ってるかしら?

若者の声のあかるき終戦日  冬月
<伊三(地)>
戦争と縁のない時代に成ってほしいという気持ちと、終戦日が忘れられていくという悲しみが、サイダーのシュワシュワという音のように聞こえてきます。

<徳子(人)>
戦争を知らない世代は明るくなきゃ。明朗な精神に戦争って言葉は宿らない。


・2点句

蟻地獄はかなさといふ奈落あり  ゆきふね
<徳子(地)>
蟻地獄でもがく夢を時々見ていたのにそう言えば最近見ない。そんな夢を見た頃自分の身辺の状況を思い出せないが奈落の底に落とされる様な出来事があったに違いない。はかない恋でもしていたのかしら。な〜んて。

朝顔は頬ずりのよう鳥も来て  しゅう
<めだか(地)>
朝顔と頬ずりがよく合っています。最初「鳥も来て」にひと工夫ほしいと思いましたが、朝顔に西欧の匂いのするこのままでも面白い。

この日差し稲穂が欲しているらしい  登美子
<しゅう(地)>
「この日差し」ときちっと焦点を締めたところが良い。自分にはこの残暑は耐えがたいのだが、稲にはこの暑さが必要なのだろうといって、納得しているところが、よいアニミズムを感じる。

とぶらふは常の心や終戦日  重陽
<涼(地)>
常の心というところに深さを感じました。

赤ん坊の決意のこぶし終戦日  英治
<晴雲(地)>
不戦の決意、力強いメッセージをしかと受け止めました。「参拝をデートコースに終戦忌」にも平和を希求する祈り、「終戦忌魂は一途にふるさとへ」終戦忌は奇しくも魂送る日ですが、戦没者の方々の深い望郷の念が想起されました。

虫の音はまだいらだちて寝汗かく  旻士
<夜宵(地)>
虫の音を「いらだちて」と表現するのがいいなあ、と思いました。まだ暑さが残る頃に鳴き出す虫たち。彼らもきっと蒸し暑さにイライラしてるにちがいない。

終戦日永久に刹那に砂時計  ゆきふね
<英治(地)>
もはや遠い昔の刹那の愚行と見られるようになったか。砂時計が良い。砂上の楼閣を連想。

宿題の山まだ高く百日紅  七梟
<夜宵(人)>
百日紅の季語がいいですね。上っても上っても落ちちゃう→やってもやっても終わらない。
残暑のテーマで、私も同じ光景をよんだんです。「宿題のドリルの山と蝉時雨」あ、同じことを考えたって思って、なんだか親近感♪

<旅遊(人)>
残暑の厳しさを感じる句です。


・1点句

昼の街颱風一過人が湧く  ぎを
<ぎふう(人)>
「人が湧く」という措辞に残暑を感じた。その暑苦しさが「昼の街」にうまく呼応して成功したのだと思う。

秋風か風鈴とろりと鳴りにけり  ぎふう
<ぎを(人)>
「とろり」というオノマトペが面白い。「秋風か」はちょっと説明的。

法師蝉未だ悟りていぬらしき  やんま
<康(人)>


三毛猫も主人も昼寝浜の茶屋  旅遊
<七梟(人)>
晩夏の海の閑古鳥なか

朝顔や土塀に隠れ棲む六十路  英治
<伊三(人)>
ある程度、年をとってくると、こういう風情に心が落ち着きます。

終戦日雀はいまも焦土色  ぎふう
<しゅう(人)>
雀ほどに、我々に愛しげな小鳥はないであろう。その雀に終戦の記憶が重なるとはとても悲しいことと思う。「雀」であるのが感動的。

朝顔や吾が為の刻展ごれり  樂子
<愛子(人)>


朝顔もスパイラルかなデフレどき  于論茶
<素蘭(人)>
朝顔の螺旋をデフレスパイラルと呼応させる着想が面白いですね。
作者ご自身は逆にそういう世界とはむしろ縁遠い方なので、
こういう飄逸な句が生まれたのではないかと拝察いたしますが…。

教生の汗にまみれて休暇明け  晴雲
<鞠(人)>
教生慣れした付属校で、自分とさして年齢の違わない生徒達を指導した時の冷汗
を思い出す。

台風去れど客間に座する植木鉢  水
<旻士(人)>
台風が来たので、植木を客間に置くのだけれど、なんとなくそのままになっている。

客人面した植木を想像しました。季節感のあるほのぼのとした一句です。

蝉しぐれせつなき想いを告げるごと  省吾
<木菟(人)>
 恋句がひとつぐらいあってもいい。中ではこの句が最高だった。

終戦忌ぼく戦争をしてません  やんま
<冬月(人)>
とても面白いと思う。敗戦忌の句の考え方は、反戦や非戦や戦争の悲惨をテーマにすることが多いが、この句は戦争に直接責任のない世代の声を拾っている。自国内的には、直接責任がないことは感情的にシェアできるが、対外的には通らないだろう。なぜなら、戦争に加担していない世代も「未来からの規定性」だけでなく「過去の規定性」からも自由でいることはできないからだ(だから、過去の歴史にどう向き合うかという問題は結構重要なのだとぼくは思う)。

ちなみに、キーワードの「終戦」は、デリケートな問題だと思う。清水哲男さんが「敗戦」という言葉を好むように、「終戦」は戦いの主体と責任の所在をあいまいにしかねない。今回、キーワードだったので、しかたなく「終戦」を入れたが、そうでなければ「敗戦忌」にした。