第68回句会桃李11月定例句会披講

選句方法:天地人方式(各3、2、1点)
兼題:時雨、陽、憎(不言題)

晩秋または初冬の句 雑詠または題詠
兼題1(季題):     「時雨」 
兼題2(キーワード題): 「陽」
兼題3(不言題) :   「憎」(その言葉を使わずに心を詠む)

 11月15日(木)投句受付開始
 11月22日(木)24時 投句締切、翌日選句開始
 11月29日(木)24時 選句締切、翌日MLで合評開始
 12月 2日(日)披講

投句: 閑人、徳子、芳生、まよ、顎オッサン、七梟、素蘭、別珍、鞠、やんま、英治、星麿☆、葉子、巴人、晴雲、明子、木菟、ぎを、康、海斗、洗濯機、愛子、水、登美子、梵論、悠久子、しゅう、省吾、庚申堂、雲外、りこ、旻士、絵馬
選句: 葉子、顎オッサン、芳生、七梟、星麿☆、閑人、海斗、別珍、巴人、鞠、やんま、素蘭、木菟、雲外、康、庚申堂、まよ、梵論、英治、徳子、りこ、洗濯機、登美子、旻士、愛子、暁生、しゅう、省吾、明子、晴雲、ぎを、悠久子、水、絵馬

披講

・21点句

許したるその気はあんねん 柿吊るす  旻士
<葉子(地)>


<やんま(天)>
一言、詫びてくれたらなあ。詫びが無い分一層憎い。

<素蘭(人)>


<雲外(天)>
方言でいったところが味噌か。いかにも関西の農村の夫婦の姿を彷彿させて
俳味たっぷりとなった佳句。

<康(地)>
吊るされてゆく柿に当たる陽の暖かさがそうさせるのでしょうか。

<梵論(天)>
駆落ちした娘なのか、大事にしていた万年青を蹴壊した飼い犬であるのか、怒りの対象は定かではありませんが、晩秋の陽射しが心地よいだけに切なさがおやじの背中から染み出ます。

<徳子(天)>
・干し柿と言うたあんたは許さへん 返句を一つ詠んでしまった。失礼しました。

<しゅう(人)>
一字空けの細工がうるさい感じがするけれど、そんな細工をしなくても、「柿吊るす」を「吊るし柿」とするだけで「その気はあんねん」で切れるように思う。その方が、動詞が一つになってすっきりもする。自分で勝手に添削して、頂くなんて、可笑しいかもしれないが、ことばに力があって、吊るし柿という季語の斡旋が巧いと思うので頂いた。

<水(人)>
干し柿になる頃、結局は許す。憎めない弁。

<絵馬(地)>
「柿吊す」の離れがユーモラスで面白い。人情自の句だが、どこか、その「怒っている」自分を第三者の目で見ている感じがある。


・16点句

時雨るるやみな半眼の野の地蔵  愛子
<葉子(天)>


<別珍(天)>


<木菟(天)>
 時雨と地蔵、附きすぎる感じもしますが、それだけ動かしがたいまとまりをとりました。

<雲外(地)>
石の地蔵さんが冷たい時雨に顔をしかめたか。秋晴れなら半眼で微笑むか。
これぞ高尚な諧謔味。

<まよ(人)>
半眼の地蔵の寂しさ。「みな」という言葉がすこし気になりますが。

<登美子(天)>


<絵馬(人)>
「半眼の」が面白い。


・10点句

遠近の鐘の音ぬらす時雨かな  雲外
<葉子(人)>


<海斗(人)>
時雨が鐘の音が濡らしているという季節の受け止め方には、
とても情緒がありますね。
遠近の鐘の音が聞こえるのは、京都でしょうか?
鐘の音にも時雨にも時間を超えた、日本の美があるようです。

<旻士(地)>
時鐘、とくに夕刻には時雨が似合いますよね。
私も、二三考えていたのですが、結局うまくまとまりませんでした。
鐘の音自身を濡らしちゃうというのは情緒がありますね。

<明子(地)>
空気が湿ってくると、音の響きが変ってきます。
微妙な感覚を捕まえていると思いました。

<悠久子(地)>
音を濡らす時雨!こんな素敵な表現があるのですね。

<水(地)>
「音ぬらす」がよい。複数の鐘の音なのか、コダマなのか?


・9点句

口上の途切るる市や片時雨  海斗
<鞠(天)>
片時雨が通り過ぎるとき、啖呵売も途切れ、市の賑いが一瞬静まる。「途切るる」より「途切れる」のほうが、「片時雨」の「れ」音と韻き合うと思う。

<洗濯機(地)>
どこかの境内の市.場所によっては口上がとぎれるくらいの強い降り.
あわててシートを掛けるオヤジ.雨宿りの軒などさがす客.
いずれ雨はあがって,口上は,今の雨を織り込みながら,また続く.

<愛子(人)>


<ぎを(天)>



・8点句

恋文にまじる父の手小夜時雨  洗濯機
<海斗(天)>
ドラマの一場面の雰囲気が漂う句です。
ドラマの筋立てとしてはこうです。
(ちょっとありふれてますが、お許し下さい。)
主人公の夫は、子供がまだ小学生だった頃に亡くなってしまった。
女手ひとつで子供達を育て上げ、息子も結婚して家を出て行った。
子供を育て上げた安堵感とも寂しさともつかぬ気持ちの中で、結婚
前に夫から貰った恋文を読み返したくなった。
夫の愛情溢れる手紙を読み返していると、その中に父親からの手紙が
紛れ込んでいた。それは、何気なく自分のことを気遣ってくれている
内容だった。
子供を育て上げられたのも自分ひとりの力ではなく、故郷の親達が
支えがあったからこそだと改めて思い返した。
どうでしょう?
そうした思いと小夜時雨はとても合うように思います。

<木菟(地)>
 形見の手紙でしょうか。詠われたら照れくさいでしょうが、子供に残しておくには、これ以上ない形見です。

<省吾(天)>



・7点句

陽の匂ひまとひ来る猫小六月  明子
<芳生(地)>
今ごろの陽気の猫はこんな感じです。

<閑人(地)>
小春の陽光に紛れた子猫が陽の匂いと言う措辞で良く見えます。

<登美子(人)>


<晴雲(地)>
犬も猫も一番快適な場所を見つけだすのが得意、たっぷりと小春日を浴びた猫は、つい抱き上げて日向の匂いをかいで見たくなります。


・6点句

しぐるるやかすかに香のかおりたつ  葉子
<巴人(天)>
平仮名多用の句でリズムが良い。

<絵馬(天)>
なんと静謐な心を感じさせる句だろうか。おそらく、親しかった人の命日に香を焚いているのだろう。いまは亡き人を偲ぶ作者も、その情景も薄墨色に沈んでいるが、「かすかに」薫りたつ香が、記憶の底に沈んだ過去を生き生きと現前させている。


・5点句

時雨来る木曽街道の一里塚  芳生
<閑人(天)>
旧木曾街道の情景と其処の一里塚其れに降り懸る時雨が良くマッチいた句
だと思います。

<鞠(人)>
時雨到来の場面の道具立てが揃っていて、街道を行く漂泊の詩人の後姿が見え隠れするような。

<英治(人)>
絵草紙を見る雰囲気だ。俳句のお手本のような作品。

吾に似る子の悪たれやそぞろ寒  巴人
<鞠(地)>
善くも悪くも親子は似るもの、そして長所より短所の相似を、お互いも周囲も意識しがちである。

<木菟(人)>
 憎しみと言うには、すこし見当はずれのような気もしますが、心温まる句です。

<庚申堂(地)>
子供に対する愛憎と「そぞろ寒」がマッチして、何か身につまさされます。

追いつけぬ影ぞ時雨の山頭火  やんま
<海斗(地)>
山頭火、良いですね。私が俳句を作るようになった切っ掛けは、
山頭火の句を読んだからなんです。
この句は山頭火礼賛として、とても面白い。
<うしろすがたのしぐれてゆくか>
山頭火を慕いつつ、その影に追いつけない。

<英治(地)>
山頭火のように生きてみたいと誰しも思うのだが。そこが凡人の悲しさ。

<旻士(人)>
【後姿のしぐれゆくか】私も山頭火のこの句は好きです。
私も詩や俳句を作りながら追いつけぬ影を追い越す夢を見ています。
蕪村、一茶、放哉、心平、貘、中也、辰雄、鏡花、基次郎…いつか越えたい山々です。

縄綯ふや峡の陽射しをあざなひつ  芳生
<英治(天)>
束の間の山峡の日向での縄綯い作業。自然にマッチした生活感あり。

<りこ(地)>
日照時間の短い峡の村、冬場の貴重な陽射しは縄目にも取り込んで・・・。

突き上ぐるもの身の内にある柚子湯  英治
<康(天)>
不言題はこのようにつくるものかと教えられました。

<徳子(地)>
柚湯の温もりが心を和ませてくれる。憎悪と柚湯がぴったりです。私も柚湯に浸かって一番言いたい事はあの世まで持っていくつもりです。


・4点句

時雨空見上げる喉の白さかな  りこ
<別珍(地)>


<愛子(地)>


初時雨海を見ている始発バス  康
<明子(天)>
このバスはきっと懐かしいボンネットバス。
仕事前の一瞬、ふと見せたバスの横顔(?)が目に浮かびました。

<晴雲(人)>
日常性の中にある始発バスではなく、まだ明けきらぬ海辺の町をひとり旅立つ視線は、まるで私自身が孤独な旅人のような錯覚を覚えました。

時雨空鉄骨日々に形なす  登美子
<星麿☆(人)>
何となく「強さ」そして「空しさ」を感じさせる句。

<洗濯機(人)>
年末に向かって,工事は急ピッチ.
かつては,町でも村でも,どこかで必ず建築をしていた.
今では鉄骨のままで朽ち果てる工事もありそう.
景気のよかった時代への挽歌として,点.

<ぎを(地)>


朝霧や紅葉のしずく露天風呂  省吾
<雲外(人)>
早朝一人目覚めるままに露天風呂へ。湯煙と朝霧のなかで首筋に一滴
雫が、ふと見上げると見事な紅葉。ふと来し方を思い一時の自足が。

<暁生(天)>


風呂敷はたゝみ終えたり片時雨  洗濯機
<別珍(人)>


<水(天)>
お出かけ先は、気がわくわくするところ、おもくるしいところ、いろいろ考えられるが、「たたみ終えたり」が簡潔にして、心の機微をとらえている。「は」を「も」におきかえてみると、異なる情趣も味わえる。


・3点句

失恋のしゃしん焚き火で芋を焼き  顎オッサン
<旻士(天)>
この読み手は女性でしょうか(男性ならこの感想は読みとばしてください)
私は女性かなと想いました。
男ならこうはできない。かばんの内ポケットの奥に、ついつい忍ばせてしまう。
時折、ああすりゃよかった、なんぞ想いながら(私だけじゃないよね、そう想うの)
この句に女性の強さを見ました。(男性の方の句なら御免なさい)

我他彼此の会議ばかりや冬の月  絵馬
<徳子(人)>
何の会議でしょうか? ガタピシでは困りますが納得です。

<しゅう(地)>
「我他彼此」を「がたぴし」と読ませる、普通はルビになるのでしょうね。ここが面白い。響きも面白いし、我他彼此の一字一字の語から立ち上がってくる意味も面白い。「冬の月」が在り来たりな感じがしないでもないが、三日月を眺めながら夜半に帰るっていう映像が実感を誘う。

借用の傘くすくすと時雨けり  しゅう
<庚申堂(天)>
「くすくす」が笑い声なのか、傘にかかる雨の音なのかはたまた違う意味なのかよく解りません。でも何となく目立つ句でした。

自分史に消えぬ汚点や虎落笛  登美子
<晴雲(天)>
御意、ヒューヒューと風の鳴る深夜には、消してたくても消えぬ汚点がふと浮かび上がって参ります。

旅鞄紅葉明かりの石に置き  康
<顎オッサン(天)>
こんな旅を何処かでしたような気がします。

鳥翔ちてしぐるる森の光散る  愛子
<悠久子(天)>
森で鳥が飛立つ音、鳥影、そして光る雫。美しい映像のようです。

錦葉にさっと日の差す時雨あと  顎オッサン
<愛子(天)>
時雨が地面まで落ちないで 葉をぬらし陽が照り輝いている様子がうつくしいと感じました

華やかに夜叉神峠片しぐれ  閑人
<洗濯機(天)>
「夜叉神峠」という地名が効果的.「大菩薩峠」とか聞くだけでかき立てられる.
明るいところ,暗いところ,日が射すところ,雨につつまれるところ.
しかも,紅葉の山肌も,朱・黄・茶・黒,まだら状態.にぎやかなことです.
雪国なら,最後のにぎわい.

大利根は海にこぼれて星流る  やんま
<素蘭(天)>


冬の陽の中に黙する兄の墓  巴人
<まよ(天)>
寡黙でいらしたお兄様のご生涯におもいを馳せていらっしゃるのが伝わってきます。作者の愛情。

思ひ切り振られ降られて時雨みち  木菟
<星麿☆(天)>
恋人に振られ、雨にも降られ、何だか散々?でも、なぜかだんだん時雨があたたかく思えてくるから不思議。音だけ聞くと「フラレ」のリフレイン、でも文字を見ると「振」と「降」やっぱり俳句は文字文学かな?とかいろいろ思わせてくれた面白い句。

冬の陽や昇任人事さだまらず  絵馬
<七梟(天)>


冬の夜の女ネクタイを切り刻む  海斗
<りこ(天)>
すさまじい憎の句、春や夏では締まりませんね。さて、このあとどうなるのでしょうか?「ネクタイを」の「を」は消した方が緊迫感が増すとおもいます。

耳盗られ和らぐ心時雨かな  旻士
<しゅう(天)>
「耳盗られ和らぐ心」というところに、「耳盗られ」という逆転の措辞が心象をとても巧く表現していると大変感銘した。あ、雨になったかと雨音に気が移って、沈んだ考えごとからほっと気分が解れた言うものでしょう。本当に巧い。

邑の灯のまたひとつ点き時雨空  梵論
<芳生(人)>
発見があります。

<省吾(地)>


雁渡る町に富士川舟運碑  閑人
<芳生(天)>
情景が良く分かります。


・2点句

しがらみを断ちし安堵や冬木立  水
<素蘭(地)>


秋の陽を集めて重き南瓜かな  雲外
<暁生(人)>


<省吾(人)>


骨肉の争い無くて大花野  徳子
<まよ(地)>
骨肉の争いは抑えながらも誰もが持ちうるもの。大花野でそれを癒そうとしているのでしょうか。相続にかんする不動産の争いなどは考えても恐ろしいです。

傘たたみ杖の歩みや時雨坂  水
<顎オッサン(地)>
時雨に傘を持つとは用意が良いですが、
この情景は良く解ります。

この橋がくにざかいなり時雨ふる  別珍
<暁生(地)>


小夜時雨白き箱にて猫帰る  省吾
<梵論(地)>
ほ、本当に、なんとお悔やみ申し上げたらよろしいやら。合掌。

雁渡る夕陽の好きな母だった  庚申堂
<巴人(地)>
自由律のようで新鮮な感じ。

しぐるるや家帰りしな父に会う  別珍
<星麿☆(地)>
「かえりしな」という言葉に引かれました。家帰りしな会ってみたいなお父さんに。

葡萄山わけても甲斐の夕映に  閑人
<登美子(地)>


灯台の灯へうすうすと時雨かな  海斗
<閑人(人)>
灯台の点り始めたまだ完全に暗くならない間でしょうか、
時雨がぱらつき出した様が思はれます。

<康(人)>
時雨のもつあわあわとした季感が伝わってきます。


・1点句

夕陽を追うて黄昏寒烏  素蘭
<巴人(人)>
漢詩の俳句化。漢語が多い場合は「追う」は「追ふ」の旧仮名か(?)

だいたいで道を教える夕時雨  別珍
<やんま(人)>
はい、だいたいで私も生きておりますので。

音も無く風もなくただ時雨けり  まよ
<梵論(人)>
時雨はこうでなくっちゃ。

糞ぽたり知らぬ顔する寒鴉  水
<ぎを(人)>


陽を浴びて霜悉く陽を宿し  梵論
<顎オッサン(人)>
こんな感じの冬は暖冬で少ないです。
サクサクと歩きたいですね。

負の鎖枷におらびし冬の象  素蘭
<明子(人)>
鎖につながれた動物が身をもって伝えているものを考えさせられました。

喪の文の手を休めれば時雨かな  巴人
<庚申堂(人)>
オーソドックスないい句だと思いました。俳句の状況がイメージできます。

流星雨浴びる温石ふところに  晴雲
<りこ(人)>
「星降る夜」という言葉はありましたが、実際にじゃんじゃん降ってくるのを見たのは始めてです。夢のようでしたが、ふところの温石で現実に・・・。

子規庵やガラス障子に陽のぬくみ  鞠
<悠久子(人)>
35と迷いましたが、こちらの句の方が情緒があると思いました。