第72回句会桃李三月定例句会披講

選句方法:天地人方式(各3、2、1点)
兼題:紅梅、観覧車、卒業(不言題)

春の句 雑詠または題詠

兼題1(季題) :      「紅梅」 
兼題2(キーワード題) :  「観覧車」
兼題3(不言題) : 「卒業」(その言葉を使わずに心を詠む)

 3月15日(金)投句受付開始
 3月22日(金)24時 投句締切、翌日選句開始
 3月29日(金)24時 選句締切、翌日MLで合評開始
 3月31日(日)披講     

投句: 閑人、芳生、郭公太、巴人、琉龍、七梟、ぎふう、四万歩、馬客、英治、鞠、徳子、木菟、童奈、香世、まよ、明子、めだか、顎オッサン、葉子、眞知、しゅう、やんま、梵論、水、愛子、旻士、柊、スダチ、星麿☆、庚申堂、絵馬
選句: 葉子、ぎふう、芳生、顎オッサン、水、巴人、柊、閑人、徳子、星麿☆、スダチ、琉龍、まよ、香世、やんま、英治、鞠、木菟、庚申堂、馬客、郭公太、梵論、童奈、四万歩、旻士、若芽、しゅう、めだか、絵馬、明子、愛子

披講

・13点句

観覧車沖へ消えゆく春の船  芳生
<星麿☆(人)>
手慣れた人の句という気もしましたが、脱帽です。
動かない句という気がしました。
「沖に消えゆく」は、観覧車の特徴を良く表していると思います。
観覧車に乗ったからこそ見える部分ですよね。
天にしなかったのは、手慣れた人の句という気がした部分で、本当は一押し!!なんですけど。(^^)♪

<郭公太(天)>
喧騒から離れることが出来る僅かな時間。沖まで見渡すことが出来る空。
長閑さでいっぱいになりました。

<若芽(天)>
回る観覧車と沖へ消えゆく船の取り合わせ。 春らしいのどかな大きさを感じます。

<しゅう(天)>
「春の船」と表したところが面白いというか上手いですね。景がぐっと広がりました。春の朧な感じや、のたりのたりと言った感じ、春愁感もそこはかとして、とてもいい叙景句だと思いました。

<明子(天)>
観覧車がゆっくり昇って行くのにつれて視界がひろがってゆく感覚が実感できました。
もしかして水平線がまるく見えたりするかも知れない・・・


・11点句

手を振りて落第生の目深帽  やんま
<葉子(人)>


<ぎふう(天)>
落第生の目深帽が何ともいじらしい。もしかしたら誰にも知られないようにそっと小さく手を振っているのかも。

<顎オッサン(天)>
悪さをして拳骨を入れられた先生、懐かしいな。

<水(地)>
卒業式における落第生の場面だけではなく、劣等感やハニカミの者には、日常的に目深帽がよき友だった。実感。

<絵馬(地)>
「落第生の目深帽」が秀逸。不言題詠のなかでも印象的な句でした。


・9点句

紅梅や黒猫の来て去りにけり  香世
<星麿☆(地)>
紅梅と黒猫、色のコントラストも面白いです。単なる一場面という気がするのに、いろいろ想像させられてしまいます。紅と黒を男女に置き換えたりするともっとふか読み出来そう??考え過ぎ?!失礼しました。

<英治(人)>
「赤と黒」の奇妙な雰囲気が感じられて面白い。意味ありげなところが惹かれる。

<馬客(天)>
なんとも言えぬ諧謔味。

<梵論(天)>
のっそりと黒猫が一瞥、そのふてぶてしさと、濃厚な色彩感覚とが、梅の重い香りにぴったりはまって、目が釘付になりました。

紅梅の紅をしぼれる雨雫  閑人
<芳生(天)>
焦点の絞り具合がよい。

<庚申堂(天)>
雨の後の地面を見ればこんな感じになりそうで、しかも上手。

<四万歩(天)>
微細な世界を華麗に表現していてよし。「紅をしぼれる」が効いている。

紅梅や少しかための大気あり  四万歩
<まよ(天)>
これは正統派

<旻士(天)>
「少しかための大気あり」か!
感服いたしました。
この句から溢れる、初春の凛と咲く情緒がたまらなく好きです。

<めだか(天)>
薄曇りで風はなく、しんと寒い。「少しかため」が紅梅の開き具合も感じさせる。


・8点句

記念樹を椿と決めて会議了ふ  閑人
<香世(天)>
椿と決まるまでに、どんな花の候補があつたのでしょうか。
桜、梅、ハナミズキ、金木犀.....。
こんな会議なら楽しいですね。

<やんま(天)>
何か結論を出さねば終わらない会議。そこに椿が咲いていた。

<馬客(地)>
教員会議か父兄会か。子供達に
木種決定をまかされて議論百出。


・7点句

校庭のふらここ去りがたく揺らす  明子
<ぎふう(人)>
句またがりが気になって止めようかと思ったのですが、句の持つ雰囲気が好きでそれこそ「去りがたかった」のです。ふらここを揺らし校庭去りがたし、なんてのは駄目でしょうか。

<巴人(天)>
中七・下五の「ふらここ去りがたく揺らす」に惹かれた。

<馬客(人)>
この情趣、嫌いじゃないのでした。
「ふらここ」が「ブランコ」だったら
モットすきです。

<旻士(人)>
ふらここ(ぶらんこ)が何故春の季語なんだろうとずっと思っていたのです<中国の故事に由来するのですが>
しかし、この句は、見事にこの季語を利用してしますね。

名残惜しそうなぶらんこの音が聞こえてきます

<若芽(人)>
校庭を去り難くてぶらんこを漕ぐ気持ちが懐かしく思い出されます。

掌に春の我が町観覧車  スダチ
<芳生(地)>
観覧車から見た景がわかる。

<柊(天)>
大観覧車から見た春の町がよく分る。

<愛子(地)>



・6点句

初恋も国語辞典も春埃  香世
<まよ(地)>
やっぱり初恋って実らないものなんですね。

<やんま(人)>
卒業以来、還暦にして今だ国語辞典のお世話になっている。とほほ。

<木菟(天)>
季語は必ずしも適切とは言えませんが、初恋と国語辞典の取り合わせは、見事です。

観覧車花菜の照りを抽んでる  閑人
<英治(天)>
まばゆいばかりの菜の花畑からふっと空中に持ち上げられる気分をかんじさせる。

<鞠(天)>
菜の花畑の黄金色から抽んでて、中空へ上りゆく観覧車。大景を掴み色彩豊かに、
動きのある秀作。

いつせいに学帽空へ花の門  ぎふう
<柊(人)>
勇ましい男子校の卒業風景。花の門が良い。

<徳子(地)>
今学帽は殆ど見られなくなった。こんな風景私の時代にはあった。詠み人は高齢者?

<まよ(人)>
卒業子には明るくあって貰いたい。

<鞠(地)>
巣立ちゆく若い力と、その開放感が快い。

細筆の先に灯せし梅の紅  愛子
<英治(地)>
紅梅の花の写生だろうか。俳画かも知れない。紅梅を色紙の上にぽっと点すうれしさ。

<童奈(地)>


<若芽(地)>
細筆は紅梅を描いているのでしょうか。 ”紅を灯す”という表現がみずみずしさを感じさせます。

ワイの妻は女やった桜の大樹ぶっ飛ぶ  絵馬
<梵論(地)>
なんだか実はよく分からないのですが、豪快さにひかれました。

<旻士(地)>
妻がドッキとするほど美しくみえる瞬間ってありますよね。
これはそういう句だと感じました。
しかし、うちの妻は、いかに美しく感じても、桜がぶっ飛ぶほど「すげぇ〜」とは思いませんね (^_^)

ちなみに旻士の会社(大阪・ 旧 河内郡河内町<明治の地名表記> )では「わい」とか「おどれ」とかいう人称名詞が日常語として飛び交っております

<しゅう(地)>
「女やった」というところが好悪二通りに解釈できますね。「女だったんだ」と今再認識してにんまり?しているというものと、過去に女であったと過去の妻を思い出しているというものと、二通りに解釈できると思います。私は前者に取りました。後者では全然面白くない。天でなく地にしたのは二通りに解釈できる弱みで、一読は後者に読めたから、再読して前者に読むと面白いなあと思いました。「桜の大樹ぶっ飛ぶ」という破天荒が楽しい。派手な嫉妬で、大きなダイヤの指輪でも買わされましたか?


・5点句

紅梅や独りとなりし家を守る  まよ
<柊(地)>
立派に成長した梅の樹、そこに独り住む淋しさが感じられる。

<閑人(天)>
咲き出た紅梅と独り居の情景が見える句と思います。

春風に誘われて乗る観覧車  眞知
<閑人(地)>
春風に誘われて で頂き。 此れが他の時期の風でしたら句には
ならないでしょう。

<星麿☆(天)>
春になるとじっとしていられなくなる。そんな感じが良く表れていると思いました。主人公は老人か?主婦か?といろいろ想像させられます。
とにかく、普段、観覧車とはあまり縁がないような人が、春風にさそわれ柄にもないことしてしまうというか?本当に春らしい気がしました。

紅梅や龍のごときにうねる枝  七梟
<スダチ(地)>
紅梅の雅にして勇壮な姿

<愛子(天)>


春嶺の息吹に廻る観覧車  愛子
<琉龍(地)>
息吹とは春風? 観覧車は風車? 木々の芽吹きのエネルギーを蓄えた春風を受け
ゆっくり回る観覧車。乗っている人々にも春嶺のパワーが届く気がします。

<絵馬(天)>
「春嶺の息吹」という上五に惹かれました。さりげない俳句ですが、観覧車のある景がよく見えます。


・4点句

紅梅やげにまさをなる空のもと  英治
<スダチ(天)>
梅の赤と空の青のコントラスト

<四万歩(人)>
深閑とした風景のなかに咲く紅梅と青空の色彩の好対照が鮮やか。

紅梅の枝を潜りて心字池  柊
<琉龍(天)>
垂れ下がった無数の紅梅枝がまるでトンネルの様、そこを抜ければ眼下にぱっと広がる池の美しさが読み取れました。紅梅の枝を抜ける間、頭上に紅梅の枝、眼下に心字池。この二つが同時に見られる瞬間がまるで絵葉書のようです。

<木菟(人)>
「潜りて」というほど、枝垂れている梅を見たことはありませんが、あるとすれば
美しい叙景です。


・3点句

紅梅を好む母だった涅槃西風  梵論
<童奈(天)>


紅梅を脊に地蔵さま昼寝かな  葉子
<水(人)>
地蔵は思索しているのか、単に寝ているのか、よく見かける情景。夜は目をパチクリとしているんでしょうかね。

<やんま(地)>
地蔵にこっち向いてくれたって、そりゃ無理だんべ。

師を慕ふ輪に入らぬまま桃の花  英治
<芳生(人)>
「梅の花」のほうがもっと良かったかも。

<顎オッサン(地)>
次女の卒業式そのままです。
まさに実感。わかります。

じじばばは堅く目つむる観覧車  葉子
<水(天)>
高所恐怖症は剛健な男性に多いが、女性には少ない。老夫婦ともに目を閉じるのは、おもしろい。頑固爺のかわゆい弱さを、妻は見ぬふりをしているのかも。

紅梅や奉納さるる獅子の舞  明子
<葉子(天)>


春風やちっちゃな自分さようなら  星麿☆
<巴人(地)>
「ちっちゃな自分さようなら」の口語俳句的な面白さ。

<しゅう(人)>
句の内容に深く共感した。自分の青春時代の卒業に重ねて読んだ。卒業って友達と別れてとても寂しいことだけれど、また、内心ではみんなこの機に新しい自分になりたいと思っているのではないだろうか。卒業の深層心理を掴んだ句だと思いました。

春昼の観覧車のごと浅く酔ふ  梵論
<木菟(地)>
動いているのか止まっているのかわからない、されど動いているのは間違いない。

<めだか(人)>
気持よさそうです。

木の芽風教えの庭にいざさらば  童奈
<徳子(天)>
爽やかに潔く心おきなく卒業を迎えている。いざさらばが心地良い


・2点句

鳥雲に観覧車地に戻りゆく  明子
<香世(地)>
烏雲のなか、ゆっくりと回って「地に戻りゆく」
上手い俳句だと思いました。情景が、あざやかに目に浮かびます。

紅梅に来て雉子鳩の落ち着かず  馬客
<ぎふう(地)>
紅梅は見る人の心をざわつかせるようなところが確かにありますよね。「落ち着かず」がうまかった。人ではなく雉子鳩にしたのも良かったと思います。

桜咲く説教先生ありがとう  星麿☆
<顎オッサン(人)>
我が師の恩、教えの庭の風景ですね。

<鞠(人)>
先生の生徒への親身な触れ合いが偲ばれる。

死時をうかうか老いし薄紅梅  ぎふう
<葉子(地)>


春雨や二を知らぬまま出でにけり  童奈
<郭公太(地)>
啄木の世界に入り込んだように感じました。

春の雷吾子真っ直ぐに前を見て  愛子
<明子(地)>
巣立つ時、胸は希望に膨らんでいるけれど幽かな不安もちょっぴり混じっています。
春の雷がよく合っていると思いました。

紅梅の帯を纏ひて女山  スダチ
<四万歩(地)>
女山の麓に咲く紅梅の林を、「帯をまとひて」と表現するその新鮮な視点がよし。

山の四季見えし窓辺の風光る  木菟
<庚申堂(地)>
よそ見の好きな私は、いつも教室の窓から周囲のうつろいを見ていたような。

講堂の校歌微かに春の風  梵論
<めだか(地)>
校歌を歌っているのは、もちろん子供たち。学校のすぐ近くにお住いなのか。毎年卒業式はあるけれど、一人にとっては一回限り。我が家は風向きによっては、中学校の下校の音楽(エンヤ)が聞こえてきます。


・1点句

鳥雲や旅立つ刻を告げにけり  庚申堂
<梵論(人)>
人ですみません。いい句です。

紅梅のおしゃべりはきっと早口  童奈
<明子(人)>
枝にぎっしり咲いた紅梅のかわいらしさが見えてきました。

「ハナムケノハナタバ」ソングメールにて  巴人
<庚申堂(人)>
こういう句もたまには素敵です。

観覧車会話途切れて花の雲  七梟
<徳子(人)>
眼下には花の雲のように桜が満開。そりゃ会話も途切れるでしょう、何処の観覧車乗ってみたいなあ。

釣果待つ田舎味噌あり潮干狩  水
<香世(人)>
貝も釣果というのかな。こまかいこと言わないでおきましょう。
田舎味噌には、浅蜊ですね。

春宵の空かき回す観覧車  英治
<スダチ(人)>
観覧車が巨大なファンのように回る

観覧車今は熱愛猫の宿  旻士
<童奈(人)>


特上の鮨をほおばる落第氏  水
<愛子(人)>


ほろにがき若さをおもふ蕗の薹  葉子
<琉龍(人)>
作者が今若いのか、それとも若かりし頃を思い出しているのか?いずれにしても
青春とふきのとうのほろにがさがとてもマッチしていると思いました。

むつ五郎紳士と浜の観覧車  しゅう
<巴人(人)>
「むつ五郎」と「観覧車」の取り合わせの面白さ

紅梅や最後の授業「テーブルマナー」  しゅう
<絵馬(人)>
不言題と「紅梅」の題詠を一緒に詠むのは欲張りすぎかもしれませんが、
面白い素材ですね。三段切れが気になりました。それに、「や」はちょっと古めかしいから
      「紅梅は最後の授業テーブルマナー」
あたりではどうでしょうか。紅梅はテーブルの上にあるという景です。


  

鳥雲や忘れた儘の教科書  絵馬
<閑人(人)>
教科書ばかりか教わったこと皆忘れた。そんな雰囲気。面白い。
鳥雲の季語が利いている。