第88回桃李五月定例句会披講

選句方法:天地人方式(各3、2、1点)
兼題:牡丹、新茶、母の日(不言題)

初夏の句 雑詠または題詠

兼題1: 牡丹
兼題2: 新茶
兼題3: 母の日(不言題)  

 5月15日(木)投句受付開始
 5月22日(木)24時 投句締切、翌日選句開始
 5月29日(木)24時 選句締切、翌日MLで合評開始
 5月31日(土)披講       

投句: 東彦、ぽぽな、雛菊、梨花、芳生、英治、素蘭、やんま、葉子、鞠、康、四万歩、木綿、庚申堂、願船、海斗、夜宵、顎オッサン、童奈、晴雨、浮遊軒、木菟、梵論、一夏、馬客、人真似、水、清子、柊、眞知、径、明子、素人、宏太郎
選句: 一夏、浮遊軒、顎オッサン、芳生、海斗、夜宵、鞠、雛菊、素人、東彦、木綿、庚申堂、童奈、やんま、人真似、英治、梨花、葉子、馬客、四万歩、ぽぽな、宏太郎、水、木菟、若芽、梵論、素蘭、径、晴雨、願船、清子、明子

披講

・15点句

余花の雨母に会ひたき日なりけり  康
<芳生(天)>
季語がよく効いていると思います。

<鞠(地)>
余花の頃に来る母の日。会いたければ会える母か、否か。雨が気懸かり。

<童奈(天)>


<梨花(天)>


<宏太郎(人)>


<梵論(天)>



・14点句

母の日の大きな傘の中に母  清子
<一夏(地)>
 傘が大きいのではなく、母が小さいのでしょう。
可愛い句です。

<雛菊(人)>
穏やかなゆったりした句です。大きな傘って家族の愛かしら。幸せな母。
質問 母の日のと母の日やでどう意味が変わっていくでしょうか?

<木綿(地)>
大きな傘は家族のことだろうか、そうだとすれば、家族を束ねた母の姿を想像できるし、或いは傘をさした母の姿から背中も曲がり、小さくなった母を愛しんでいるような感じもする。

<宏太郎(天)>


<素蘭(天)>
ゆったりとおおらかな母からの愛と母への愛の交感を感じました

母の日の大きな傘の中に母
 ひとりのわれを歩ましむため

<願船(天)>
詩は読み手の想像力を羽ばたかせる枠組みを提供するものだと考えれば、揚句が用いる中七の措辞「大きな傘」は、具体的には母が大きな日傘をさしているのだろうが、読者の想像力はそこに止まらず空間的に大きく広がってゆく。そして遂には宇宙的感覚にまで至るであろう。そうなれば、すでに母はすべての生者も死者も抱き取って離さないこの宇宙という傘の中に安らかにいるのが見える。作者はそのような眼で母の日に母を追憶しているのだとこの句から感じた。


・11点句

新茶汲む敬語で礼を言ふ母に  眞知
<一夏(天)>
 年老いた親が、時々ふっと他人行儀の口をきく。
相手は大真面目。可笑しいんだけどどこか寂しい。

<海斗(地)>
 「新茶」を詠んでおられますが、不言題の「母の日」
が込められているように思えます。
 母親が歳を取り、自分の子のことすら分からなくなる
ことがある。
 新茶が出たので、母に淹れたら、私(50歳は過ぎている)
に敬語で礼を言った。
 敬語を使う母親に、「かあさん、お礼なんて良いんだよ。」
と労わりながらも、哀しさが込み上げて来た。
 こういう風に解釈しました。
 しっとりとした新茶の味わいと母を思う心と老いという
定めが、理屈ではなく情景として浮かんで来るような句だと
思います。

<鞠(人)>
穏やかに微笑ましい親子の風景、世代交替の感慨もこめて。

<素人(地)>
老いて子どもに世話になっているといった負い目でしょうか。
もっと堂々としていて欲しい気もします。

<水(天)>
「敬語」いろいろな情景がうかびます。僕も、96歳の実母から敬語で礼を言われっぱなしです(電話)。 いじらしく、ものがなしく、非常に複雑な気持ですね。


・9点句

葛餅や母に触れたく肩叩く  宏太郎
<浮遊軒(人)>
自分が年を取ると、いささか照れますよね。さりげなく肩叩きとは考えました。名案です。

<素人(天)>
母の日ならずともこんな気持ちになることがあります。共感の一票を投じます。

<英治(地)>
今頃になって、そんな気分がよく分かります。

<ぽぽな(天)>
小さくなった肩が見えます。

うなづきてぼうたん崩れはじめたり  明子
<海斗(人)>
 牡丹が崩れる瞬間、茎が崩れる方向に傾きます。
それを花自らが納得して、もう散ってもいいだろう
と「うなづいた」と感覚的に捉えたのだと思います。
茎の傾き(観察)をうなづき(感情移入)に転換し、
成功した句です。
 この句の場合、「けり」よりも「たり」の方が
断然と良い。継続した時間感覚があるせいでしょうか?

<やんま(天)>
微かな一瞬をとらえて妙。

<葉子(天)>
おのれの終わりを知っているかのような牡丹の散り際をうまく
表現している。

<ぽぽな(地)>
観察眼と言葉がカチッとはまっています。


・8点句

子をなさず花ももらはず薔薇活くる  やんま
<芳生(地)>
人生の哀歓が表れています。

<庚申堂(地)>
どうしても母には思い入れが強くなりますが、これを拒否したところが面白いと思います。

<葉子(人)>
子どもなんかいなくたっていい、カーネーションなんて常識的な花なんかほしくもない、好きな薔薇を活けて自 分なりに楽しめばいい
という心いき。いいではありませんか。

<梵論(人)>


<径(地)>
はなやかに薔薇を活けながらも、
一抹の寂しさが伝わって来ます。


・6点句

鯉幟「寅さん」といふ風ありき  顎オッサン
<浮遊軒(天)>
「寅さん」という鯉のぼりが翻っている。さぞや見事な鯉のぼり。一度見てみたい。

<木綿(人)>
柵もなく風の吹くまま流れに身を任す寅さん的生き方の願望か!

<清子(地)>
寅さんの風と言い切れるに値する鯉幟の季語である。

牡丹散ってけふの芥となる夕べ  英治
<人真似(天)>
清々しさ、潔さに好感。

<馬客(天)>
「我も夢なるを花のみと見るぞはかなき」(謡曲・桜川)
散って芥となるのは花ばかりではなく、人も同じ。
無常をサラリと綺麗な句にされました。

来し方を語らぬ母や花みかん  径
<一夏(人)>
 来し方を語りたがる人の人生より、そうでない
人へこそ花みかんの香りがふさわしい。

<木綿(天)>
可憐な白いみかんの花を見ると、控えめであるが、しっかりとした優しいお母様のことが想像される

<宏太郎(地)>


カーネーション嫁ぐ日近き手より受く  馬客
<鞠(天)>
嫁ぐという幸せな別れ、未来の母から母へ手渡される赤いカーネーション。

<径(天)>
感無量ですね。
母親の愛情と満足が感じられて、
とても惹かれました。

これほどに崩れてしまふ牡丹かな  童奈
<英治(天)>
本当に、牡丹の崩れるところは、何かがっくりきますね。

<素蘭(人)>
大輪の華やかな花に美しかった人の老醜のイメージも重ねられたのでしょうか
(私はヴィヴィアン・リーを想像しました)

<明子(地)>
咲き誇っている時との落差が大きくて、見ていて少し悲しくなる時も‥‥


・5点句

あの時の牡丹の紅と黒い傘  夜宵
<顎オッサン(地)>
さてあの時とは?
イメージに訴えた句です。
抽象的な感じは拭えませんが。

<清子(天)>
牡丹の紅と黒い傘がめぐり合う時間に誘い込まれる心地良さ

熔接面被りし儘で新茶飲む  宏太郎
<人真似(地)>
仕事人の存在感。鉄臭を払拭する<新茶の香味>が良い。

<馬客(地)>
無機質な「熔接面」と新茶の取り合わせ、
とても面白い着眼です。
頑固一徹・誠実一路の人物が浮んで来ます。

<願船(人)>
工事の現場で溶接工が面を被ったまま新茶を味わっているところだ。俳句で扱われる新茶は普通畏まった場面が多いが、揚句のごとく溶接面を被った現場の作業者が新茶を味わっているのは意外性があっていいなと感じた。

苔の花まとひておはす石地蔵  浮遊軒
<東彦(地)>
「苔の花」で地蔵が閑静な寺院の片隅に黙然と居る様が解る。

<東彦(人)>
まともに甘えるわけには行かない。されど触れたいので肩を叩く子供の様子を活写している。

<径(人)>
静かな雰囲気がいいですね。

<晴雨(人)>



・4点句

銀鱗の闇より出づる夜振かな  顎オッサン
<童奈(地)>


<葉子(地)>
闇のなかにきらめく銀鱗の怪しい美しさ。

新茶汲みいつしか昔話しかな  やんま
<浮遊軒(地)>
身につまされます。年寄りとはどこでも同じなんだなと。

<梨花(人)>


<明子(人)>
新茶の瑞々しさが若い頃への回想をさそうのでしょうか。
おだやかな時間が流れています。

はんなりと夜来の雨の白牡丹  東彦
<梨花(地)>


<四万歩(地)>
雨の中に咲く白牡丹を「はんなり」と表現することで牡丹の艶やかさが表出しています。

飯の粒三つ四つ游ぐ新茶かな  水
<海斗(天)>
 ご飯を食べ終え、飯粒がまばらに残っている茶碗に
新茶を注いで飲む。いいですねえ。
 うちの女房は、はしたないとか言ってこれをやらせ
てくれないんです。
 茶碗にご飯の甘さがほんのりと残っていて、
丁度良いブレンドになるのに。
 それを飾らずに句にして下さったので”天”。
 今日は、茶碗でお茶を飲みます。

<ぽぽな(人)>
これを俳諧味というのでしょうか。こんな句をつくりたい、と思いました。

一人居の儀式のやうに新茶汲む  木綿
<やんま(人)>
その気持ち分かります。無造作に呑めばすむものを。

<晴雨(天)>


大安の花嫁いつきにラムネ飲む  浮遊軒
<やんま(地)>
ははははは。胸のつかえをとって式場へ。

<願船(地)>
大安の花嫁といえば結婚式当日の新婦を想像する。控え室で結婚式を待っている花嫁がいっきにラムネを飲んだのであろうか。花嫁の胸の内は描いてはいないが、壜の口からじゅっと処女の体内に落ちてゆく発泡性液体の流れが感じられる。これで花嫁も一つのふんぎりがついたのではないかと感じた。諧謔性。

カーネーション白き空しさ供へけり  晴雨
<素人(人)>
孝行したいときには親は無しとは良く言ったものです。

<木菟(天)>
そんな習慣があるとすれば、やはりこれは悲しみでしょうか。


・3点句

口癖は今我のものカーネーション  明子
<顎オッサン(人)>
お母さん似ですか?!

<夜宵(地)>
母との年月を感じます。

ケータイの窓にぼうたん溢れしめ  康
<庚申堂(天)>
現代的な携帯の使い道、誰に送るんでしょうね。86番の「芥」も良いと思いました。

菜飯食べ遠き日の母呼び寄せる  芳生
<四万歩(天)>
母がつくってくれた菜飯を今は自分がつくる。それは遠い日の母を思い出すことでもある。追憶の母への思いがよく描かれている。

地震微か花粉こぼるる白牡丹  鞠
<若芽(天)>
わずかな振動でも花粉のこぼれる牡丹の花。花粉がそうなら、重たく熟れた花びらの散るさまも目に浮かぶよう。艶めいた美しさを感じます。

ふくよかな牡丹のごとき君恋ひて  四万歩
<人真似(人)>
その後の、お幸せな姿までが浮かんできます。

<木菟(地)>
セーラー服が似合いそうな。

一年が飛んで新茶の香り着く  木菟
<顎オッサン(天)>
新茶を待ちわびた心を感じます。

一輪の牡丹百山統べにけり  梵論
<東彦(天)>
見事な牡丹を「百山統べにけり」で表現しているのが素晴らしい。

宇治はいま新茶の文字もそよぐころ  梨花
<雛菊(天)>
新茶の幟が五月の風にそよいでいる。そのさわやかさを切り取ったのですね作者は宇治ですか。私は「狭山」を思うけれど「静岡」を思う人も………

新茶です夫婦喧嘩の幕の間  水
<馬客(人)>
俳句と川柳の中間というところ。
弐幕目にてめでたしめでたし、ですか。

<素蘭(地)>
こういうご夫婦でしたら夫婦喧嘩も適度な緊張となっていらっしゃるのではないでしょうか

夜の雨を赦して崩る紅牡丹  径
<夜宵(天)>
艶っぽい一句。

花舗にきて少年の指すカーネーション  英治
<明子(天)>
情景がよく伝わってきます。ちょっとはにかんだ少年の横顔が
見えるようです。


・2点句

白牡丹果つるを前の香りかな  柊
<梵論(地)>


どこまでも透けるさみどり新茶汲む  明子
<芳生(人)>
「透けるさみどり」が効いています。

<四万歩(人)>
新茶はあくまでも爽やかでなくてはならない。そうした新茶のイメージが詠われています。

母在れば剪るを咎めむ白牡丹  馬客
<水(地)>
仲のよい夫婦、親子でも、庭に出ると意見が合わないことが多い。 そのことが一層なつかしく。

カーネーション買う子横目で見ている子  葉子
<晴雨(地)>


老いらくにあるといふ恋新茶汲む  径
<雛菊(地)>
いくつになってもときめいているってステキ。一緒に飲んだ新茶は、おいしいにきまってますね。え?覚えていない?それは本物の恋だ!


・1点句

ボトルから味わう三時の新茶かな  夜宵
<庚申堂(人)>
今はこういう情景でしょうね。

目を拭う新茶の波の丘を越え  東彦
<英治(人)>
句の雰囲気でとても気分爽快になります。

郭公や奪ふは愛の業ならむ  顎オッサン
<木菟(人)>
奪われてしまうばかりの人生だったけれど。

藤色のシャボン玉消えた母逝った  東彦
<清子(人)>
藤色の中に母への思いを見ることができる。

ぼうたんの仄かに灯る夕間暮れ  木綿
<童奈(人)>


来年も新茶送ると添えし文  馬客
<水(人)>
母(父)の日に間に合わせた新茶だろうか。 来年の健康を予約しているようです。

古古茶古茶新茶の席によこたわり  水
<夜宵(人)>
リズムが楽しい。よこたわりの表現も好きです。